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動き出した狂気の果てに【午後7時〜午後8時】

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 必死になって走ったつもりだった。村山に借りた靴は確かに大きかったけど、それでも必死になって走り続けたつもりだった。しかしながら、どうやらナタ女の執念には勝てなかったらしい。

 ひとつ後ろの街灯の下。ナタを引きずるようにして笑みを浮かべるOL風の格好をした人影がいた。いいや、きっとこんなことになる前は、ごくごく普通にOLをやっていたのであろう。

「怪しぃ。あーやーしーいー。どうして逃げるのぉ? もしかして……犯人だから? ねぇ? 犯人だから?」

 狂気じみているとはいえ、あちらだって人間。ここまで真子を追いかけてきたせいか、息が完全に上がってしまっている。その気味の悪い笑みとは裏腹に、体力を消耗しているみたいだった。それは真子の希望的観測であったが、そうとでも思わなければ頑張れなかった。心が折れてしまいそうな自分がいた。

 真子はなにも答えずに再び走り出した。ここまで距離を詰められてしまったのだ。きっと追いつかれるのも時間の問題だ。そう思いながらも後ろを振り返ると、すぐ目前までナタが振り下ろされたところだった。とっさに身を低くして横に飛ぶ。耳元で風が切り裂かれる音を聞いた。転びそうになりながらも、なんとか体制を立て直して走り続ける。

 もう少し振り返るのが遅れていたら、背後から真っ二つにされていたかもしれない。その恐怖が一度染み付いてしまうと、今度は後ろを振り返らずにはいられなくなる。何度も振り向きながら、ナタ女との距離を稼ぐ。どうやら振り下ろしたナタが地面に突き刺さったかなにかしたようで、手間取っているみたいだった。これ幸いと、真子は持てる限りの力を振り絞る。

 ここでナタ女に殺されてしまったら、自分のことを庇い、自ら囮になってくれた村山に顔向けができない。靴まで自分に貸してくれた村山に申しわけが立たない。

 どこをどう走っているのか、もう自分でも分からなくなっていた。よくもこれまで罠にかからなかったと感心してしまうほど、進路を次々と変えながら、遠くに見える強い光に向かって駆け続ける。とりあえずナタ女をまくことができたのか、後ろを振り返っても人の気配はない。ようやくそこで一息つくことができた。呼吸を整え、異常なほどに上がってしまった心拍数が落ち着くのを待つ。

 改めて周囲を見回し、その静寂が恐ろしくなってきた。ナタ女がいつまた姿を現わすのかと思うと恐怖が倍増される。今度は――泣き出しそうになるほどの孤独感に襲われた。
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