それ、あるいはあれの物語

鬼霧宗作

文字の大きさ
上 下
48 / 48
幕間②

3

しおりを挟む
「――さぁ、なぜなのでしょうか? それを答えてしまっては、あなたがここにいる意味がありません。それに、私にもお答えできることに限度が在りますから」

 一度、彼女がここを去ってしまったら、次はいつになるか分からない。だから、聞き出せることは今のうちに聞いておきたい。考える時間なんて、あとでいくらでもあるのだから、引き出せるところまで粘りたかった。純粋に孤独へと戻るのが嫌で、なんとか話を引き伸ばしたかったというのもある。

「では、これらのお話を、わざわざ聞かせにくるのは? まさか、こちらが退屈しないように……なんて配慮ではないでしょう? そこまで気が回るのであれば、まずはこの環境をどうにかするはずですから」

 自分が何者なのか分からない上に、動くのは視線だけ。身動きひとつできず、天井を見上げては日々が過ぎゆくのを待つだけ。まだ、今は平静を保っていられるが、人によっては発狂してしまうのではないだろうか。そう思えるほどに、随分と長く感じる孤独は、とても寂しくて冷たい。また、あの日々に逆戻りすると思うとぞっとする。

「あなたがどのような反応をするのか知りたいそうなのです。いえ、私ではなく――私よりも偉い方が」

 彼女より偉い――看護師と医師を同等のものとして比較することはできないし、どちらが上なのかを決めるのは野暮な話だが、彼女の言葉を直接受け取るのであれば、医院長先生辺りがそれに当てはまるのであろうか。

「こちらの反応を? なんのために?」

 少し問い詰めるような形になったのがまずかったらしい。彼女は小さく溜め息を漏らすと立ち上がる。

「申し訳ありませんが、現状ではお答えできないことばかりです。もう少し、コミニュケーションが取れるようになり、私とも仲良くなってから――それらのご質問にはお答えしようかと思います」

 あぁ、この流れは彼女が行ってしまう流れだ。バインダーを片手にカーテンへと手をかける。

「ならば、もうひとつだけ。私という人間は、これからの物語で語られることになるのだろうか。これまでの登場人物のように、愚かに語られてしまうのか?」

 自分で思っている以上に声が取り乱していたらしい。彼女は「落ち着いてください」と言うと、続けて口を開いた。

「心配なさらずとも、あなたという人間が登場人物として出てくることはありませんよ。では、またしばらくしたら顔を出しますから、それまで少しだけお待ちください」

 そして、彼女はカーテンの向こう側へ。

 あぁ、またここから孤独の始まりだ。観念して、無人となってしまった部屋の天井を、改めて見上げてみた。

 ――あの女の言葉は信じるな。

 天井には、なぜかでかでかと文字が浮かんでいた。
しおりを挟む

この作品の感想を投稿する


処理中です...