それ、あるいはあれの物語

鬼霧宗作

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第二話 お客様狩り

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 事故――いいや、事件が起きたのは今から数年前のこと。それこそ、令和2年だったのではないか。今ほどではないが、悪天候により森の食糧が充分ではなかった年。熊が山から里に降りてくることが目立った年があった。その年も、メディアはこぞって取り上げたのであるが、今年のように熊を擁護する意見が殺到するなんてことはなかった。感染症が流行っていたこともあり、そこまで話題にならなかっただけなのかもしれない。

 その年、ある山に放たれた熊が山を越え、隣県に現れた。そればかりか、地元の小学生が出会い頭に襲われて命を落としたのだ。その熊は後に射殺されたのであるが、後の調べで一度捕獲されたはずの熊だったことが明らかになった。その熊は隣県の保護団体が、なかば強引な手段を用いて山に放ってしまったことまで明確になった。

 もちろん、熊に我が子の命を奪われた親族は、その保護団体を相手取り、訴えようと動いた。しかしながら、熊が同一のものであるという証明は難しいとのことで、結果的に泣き寝入りすること形になってしまった。

 この話はSNSなどでも多少は取り上げられたが、当の保護団体のアカウントは沈黙を貫き、次第にその話は忘れられていった。事件は風化し、そして遺族だけが時の流れから取り残されてしまった。

「彼の言い分としては、まさか熊が山を越えるなんて思ってなかった――とかになるんでしょうけど、熊を放ったことに変わりはない。それを、少しばかり再現してみたのですが、いかがでしたか?」

 女の言葉に、依頼者の女性は顔を上げ、しばらくしたのちに、はっとしたような表情を見せた。男は笑みを浮かべる。

「気づきました? そう、実は【北の雪国館】と【南のリゾート館】は、一本の連絡通路でつながっていた同一の建物だったんですよ。ちなみに、彼以外の登場人物は、もれなくエキストラ。こちらが用意した人間です。まぁ、でも間違いなく、ゲームがスタートした時点では、野犬を双方の建物にそれぞれ放ったはずだったんです。いやぁ、まさか一方のほうに偏るだなんて」

 そこで改めて向き直すと、男は真剣な面持ちを作る。なぜなら、これはビジネスだから。男は続けて口を開いた。

「それで、報酬の件なんですど――」

第二話 お客様狩り ―完―
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