それ、あるいはあれの物語

鬼霧宗作

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第一話 家族間戦争

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「さぁ、行きましょう。美里さんは何事もなかったかのように帰宅してください。あ、玄関の鍵は開けておいてくださいね。遅れて入りますから」

 すっかりやる気になっている島田が運転席から降りると、冷たい外の空気が頬を撫でた。美里は島田に聞こえないように溜め息を漏らした。ほら、早速プランが崩れつつある。前提として、美里は7時頃まで買い物に出ていることになっているのだ。この時間にいきなり帰るのは明らかにおかしい。

「ちょっと待って。今から家に帰るなら、そのように伝えるから――」

 買い物の予定を早く切り上げた――ということにしておけばいいのだろうが、今日に限って帰宅時間が前後するようならば、事前に連絡をするように、旦那から口酸っぱく言われていたのだ。そこまでして支配したいのだろうか。しかし、今は旦那を刺激するような真似は避けたい。大人しく、メールの一本でも入れておいたほうがいいだろう。

 スマートフォンを取り出して、旦那に早く帰る旨を伝える。しばらくしないうちに、冷たい感じで「了解」とだけ帰ってきた。あの人は急に予定が変わることを、あまり快く思っていない。ゆえに反応だといえよう。帰宅時間が前後するようなら連絡を入れろというのは、あちらの要望なのに。

 もうすぐ家に到着することだけを簡潔にメールした美里。スマートフォンの画面を覗き込んでいた島田は「そこまで気を遣う必要、もうないと思いますけど」と、やや冷めたようなことを言う。これから人を殺そうとしているなんて思えないほど、島田は冷静に見えた。

 ふっと、家の明かりが消えた。旦那はもう帰宅しており、家にいることは確実だ。ガレージに向かうにしても、この時間帯、わざわざ家の電気を消してガレージに向かうことはない。

「おや、なんのつもりだろう? 美里さんが帰ってくると知るなり、家の電気を消した」

 島田は少し考えるような仕草を見せると「ちょっと様子を見てきます」と、うっすらと積もった雪を踏み締める。

「もしかすると、今日を区切りとしたいのは、こちらだけじゃないのかもしれませんね」

 ぽつりと言い残された島田の言葉が、美里の不安を嫌でも助長させる。つまり、あちらも決着をつけるつもりなのか。そんなところで気が合うのだけは勘弁して欲しい。玄関先まで向かった島田が、美里に向けて手招きをする。ただ自分の家に帰るだけなのに、足が物凄く重たかった。
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