それ、あるいはあれの物語

鬼霧宗作

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第一話 家族間戦争

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 スマートフォンを取り出した美里は、しかしふと思いとどまる。いや、待て――確信がないのに、旦那のことをどう説明すればいい。本当に殺されそうであるならば助けを乞うこともできようが、しかしまだ明確な証拠はない。空になった不凍液のボトルだって、料理に混入されたという証拠にはならない。

 息子に助けを求めるのは、いざ美里の勘違いだった時にダメージが大きい。ただでさえ、家族には幾つもの細かいヒビが入り始めているというのに、そこに決定的なヒビが入ることになるだろう。自分の父親を殺人鬼扱いする母。息子にはどんな風に映ることか。

 ――相談するのであれば、身近過ぎず、そして他人過ぎない相手がいい。それでいて、美里の話に対して親身になってくれる人物。そんなのは、もう一人しかいないだろう。

 マッチングアプリを通じて知り合った彼は、当然ながら連絡先も交換している。旦那の目を盗んでは、毎日のようにメールのやり取りもあった。彼は美里が既婚者であることも知っているし、家庭の事情も知っている。相談相手としても唯一無二だといえよう。

 ガレージのシャッターが勢い良く開いた。思わずスマートフォンを落としそうになる。どうやら外からシャッターが開けられたらしい。そして、シャッターの向こう側には、旦那の姿があった。

「――こんなところで何してんの?」

 家にガレージを持っているくらいだから、もちろん普段乗っている車もガレージの中に停めている。まだアイドリングをしている旦那の車が、彼のさらに向こうに見えた。

「あ、灯油が切れたからと思って」

 灯油のホームタンクはガレージの中。ゆえに、灯油を給油しに来たと偽っても問題はない。そもそも、本当に灯油を給油しにガレージに来たのだから不自然ではないだろう。

「そっか――」

 上手く誤魔化せたことに胸を撫で下ろしつつ、話題を切り替えるために話を切り出す美里。

「え、今日って早い日だっけ?」

 自分の車のほうに向かって歩きつつ、美里の言葉に旦那は「今日は午前で上がりの日だけど」と一言。旦那はシフト勤務制であるがゆえに、調整で午前中だけ働いて帰ってくることがあった。上手く誤魔化せたとは思うが、実にタイミングが悪い。

 なによりも、今日の旦那はいつも以上に美里に対して素っ気なくて、また冷たいように見えたのであった。
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