それ、あるいはあれの物語

鬼霧宗作

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第一話 家族間戦争

第一話 家族間戦争1

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【1】

 まだ心臓が激しく脈打っている。下り坂ではあったが、季節が冬だったこと、そして対向車がいなかったことが幸いだった。

 こちらの地方は、降る時には軽く数メートの雪が降る地域であり、この時期ともなれば、道路の両側は雪壁となる。そこに思い切り車の側面から突っ込んだのは、きっと悪い判断ではなかったと彼女は思っている。

 彼女の名前は日野美里ひのみさと。結婚して20年近くになる夫と、高校生になったばかりの息子と一軒家に暮している。一軒家は街から峠をひとつ隔てた山間地の集落にあった売り家を買ったものだった。アパートでは手狭になり始めていた頃に見つけた格安の物件だった。

 峠をひとつ隔てるといっても、その峠は車で走れば10分程度で越えることができてしまう距離。そこまで不便にならないだろうと家の購入を決めた。事実、多少街からは離れてしまったが、集落の人達も日野家を暖かく迎え入れてくれたし、国道沿いではないため夜も静かである。

 今日も街へと買い物に出る予定だった。しかしながら、峠を越え、あとはくだるだけ――という頃になって、急にブレーキの効きが悪くなった。いや、きっと乗り始めから、多少の違和感はあったのであろう。路面が凍結しているせいだとばかり思い込んでいたのだが、きっと乗り始めの時点で、ブレーキの効きが悪かったに違いない。

 まだ、かもしれない――で済ますことができていたのは、ブレーキがあまり必要とされないのぼりだったから。峠をくだる時になって、違和感は具体的なものとなった。すなわち、ブレーキの効きが極端に悪いことに気づいたのだ。

 それからは、とにかく必死だったから記憶がない。対向車にだけはぶつかるまいと……せめて第三者だけは巻き込まんとハンドルを操作し、雪壁に車の側面をぶつけたことで、ようやく車が止まった。

 助手席側の扉が多少へこんでしまったものの、美里自身に怪我はなし。自走で峠をおりるのは危険だと判断し、それこそ、峠をおりた少し先にある車屋さんに来てもらい、キャリアカーにて車と私は回収してもらい、車屋の待合室にて現在にいたる。

 待合室というより、従業員の休憩所のようなところに通され、お茶を出してもらった。

「いや、日野さん。危ないところでしたね。ありゃ、ブレーキも効かんわけだ」

 整備工場のほうから、美里のいるところに小柄な男がやってきた。やや薄汚れた作業着と帽子。歳の頃は美里の旦那と同じくらい。まぁ、旦那の同期なのだから、歳も近くなって当然だろうが。
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