ミノタウロスの森とアリアドネの嘘

鬼霧宗作

文字の大きさ
上 下
135 / 203
第五章 時を越えた禁忌【過去 湯川智昭】

5

しおりを挟む
 明らかに人の手が数年は入っていないであろう状況。それでも、薪が詰んであるということは――。

「――あった。ありがたい」

 薪のそばに立てかけるようにして置いてあったそれは、当たり前のように錆びていた。少しばかり触るのを戸惑ったが、おそらく柄であろう部分を手に取ってみる。思った以上にずっしりとくるそれは、薪を割るために使われていたであろう斧だった。

 刃の部分は残念ながら錆びてしまっている。ただ、湯川が手に入れたいのは殺傷力ではなく、牽制力だ。万が一にも何かに襲われた時や、戦わねばならなくなった時、相手を牽制できれば良かった。

 ――漫画や映画の影響を受けすぎか。斧を手に取ったまま自虐的な笑みを浮かべる。妙な気配を感じたからといって、実際に何が起きているのかは確かめてみない分からない。いざ、山小屋の中に入ってみたら、単なる気のせいで何もないということだって充分にあるだろう。

 気が立っているのだ。小さい頃から大人達に入ることを禁じられ、今の今までそれを守り続けてきた。その禁忌を破り、こうして森の中にいるからこそ、気が立ってありもしない気配を察知してしまうのだ。余計な想像だけが先に膨らみ、良からぬ予感を本能が感じ取ったと勘違いしているだけなのである。

 斧を手に山小屋の入口まで戻ってきた。静かに深呼吸をすると、念のために斧を構える。特別、変なことは起きないはずだ。夏帆達が出迎えてくれるだけ。

 しかし――しかし、この得体の知れぬ予感は何なのであろうか。嫌な予感、悪い予感。決してそれは、プラス方面の感覚ではなかった。間違いなくマイナス方面へと傾いた感覚。

 湯川はそっと扉に手をかける。改めて深呼吸をすると、扉をゆっくりと開けた。扉は鍵がかかっているということもなく、あっさりと開いてしまった。これはこれで、山小屋の安全性がまるで保たれていないではないか――夏帆に注意をしてやろうと考えた湯川の目に、その本人の姿が飛び込んできた。

 ただ、夏帆は床に横たわっていた。彼女の虚な目は天を見つめ、彼女を中心に真っ赤な血溜まりが広がっている。

「……どうしよう。どうしよう」

 ふと、夏帆のかたわらにしゃがみ込み、ぶつぶつと呟く朱里の姿を見つける。そこでようやく、湯川は呪いが解けたかのごとく山小屋の中に入ることができた。夏帆のほうには視線をやらず、朱里のほうへ向かった。

「赤松! 俺がいない間に何があったんだ?」
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

ダブルの謎

KT
ミステリー
舞台は、港町横浜。ある1人の男が水死した状態で見つかった。しかし、その水死したはずの男を捜査1課刑事の正行は、目撃してしまう。ついに事件は誰も予想がつかない状況に発展していく。真犯人は一体誰で、何のために、、 読み出したら止まらない、迫力満点短編ミステリー

舞姫【中編】

友秋
ミステリー
天涯孤独の少女は、夜の歓楽街で二人の男に拾われた。 三人の運命を変えた過去の事故と事件。 そこには、三人を繋ぐ思いもかけない縁(えにし)が隠れていた。 剣崎星児 29歳。故郷を大火の家族も何もかもを失い、夜の街で強く生きてきた。 兵藤保 28歳。星児の幼馴染。同じく、実姉以外の家族を失った。明晰な頭脳を持って星児の抱く野望と復讐の計画をサポートしてきた。 津田みちる 20歳。両親を事故で亡くし孤児となり、夜の街を彷徨っていた16歳の時、星児と保に拾われた。ストリップダンサーとしてのデビューを控える。 桑名麗子 保の姉。星児の彼女で、ストリップ劇場香蘭の元ダンサー。みちるの師匠。 亀岡 みちるの両親が亡くなった事故の事を調べている刑事。 津田(郡司)武 星児と保が追う謎多き男。 切り札にするつもりで拾った少女は、彼らにとっての急所となる。 大人になった少女の背中には、羽根が生える。 与り知らないところで生まれた禍根の渦に三人は巻き込まれていく。 彼らの行く手に待つものは。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

ロンダリングプリンセス―事故物件住みます令嬢―

鬼霧宗作
ミステリー
 窓辺野コトリは、窓辺野不動産の社長令嬢である。誰もが羨む悠々自適な生活を送っていた彼女には、ちょっとだけ――ほんのちょっとだけ、人がドン引きしてしまうような趣味があった。  事故物件に異常なほどの執着――いや、愛着をみせること。むしろ、性的興奮さえ抱いているのかもしれない。  不動産会社の令嬢という立場を利用して、事故物件を転々とする彼女は、いつしか【ロンダリングプリンセス】と呼ばれるようになり――。  これは、事故物件を心から愛する、ちょっとだけ趣味の歪んだ御令嬢と、それを取り巻く個性豊かな面々の物語。  ※本作品は他作品【猫屋敷古物商店の事件台帳】の精神的続編となります。本作から読んでいただいても問題ありませんが、前作からお読みいただくとなおお楽しみいただけるかと思います。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

淫らに、咲き乱れる

あるまん
恋愛
軽蔑してた、筈なのに。

ハイブリッド・ブレイン

青木ぬかり
ミステリー
「人とアリ、命の永さは同じだよ。……たぶん」  14歳女子の死、その理由に迫る物語です。

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

処理中です...