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1.箱
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「そう……。あっ、私は恩田の助手をしている、こういう者です」
すっかり見とれていたがゆえに会話が途切れてしまったが、それに気まずさを覚えたのであろう。助手の女性は自ら名乗り、USBメモリーの代わりに小奇麗な名刺を押木へと手渡した。
それを受け取って目を通してみる。彼女の名前は高村理恵というらしく、聞いたことのない研究室の職員のようだ。少なくとも、恩田教授が雇っていたり、ましてや直属の部下ということでもなさそうだった。
「ちなみに、恩田の助手は趣味みたいなもの。私と大学が同期なんだけど、知っている通り色々な面でだらしない男で。あまりにも研究室が汚いものだから、私が整理の手伝いをしているわけ。あなたが持ってきてくれたものは本職の仕事用に使う資料。一日中掃除をしているほど、私も暇じゃないから」
本職を持っていながら、趣味で研究室の片づけをやっているなど、押木からすれば信じられないことであった。よほどの物好きでなければ務まらない。
結局、世の中はモテる男が中心になって回っているのか。理恵の綺麗な黒髪を眺めつつ、押木は大きくため息をついた。モテる男の役得とは、どうやらいかなる場面でもついて回るようだ。
「それじゃあ、確かに渡しましたから」
世の中の絶対的な法則に打ちのめされつつ、押木は踵を返す。USBメモリー確かに手渡したし、ここにいる理由はなくなった。それに、恩田教授と自分の格差を見せつけられているような気がして、この場をさっさと去ってしまいたかった。
「あ、待って。せっかくだからお茶でも飲んで行かない? 私も一息つきたいと思っていたところだし、ここの研究室って地階にあるから一人だと気が滅入るのよね」
押木が振り返ると、理恵が笑顔で小さく手招きをしていた。どこか妖艶で、どこか謎めいた雰囲気を持っている、明らかに年上の女性。そう、大人の女性。そのお誘いを断る男が世の中のどこにいるだろうか。
「いや、お邪魔じゃないですか? やっぱり、悪いですよ」
そう言いながらも、しっかり爪先は理恵のほうへと向けてしまっている押木。下心が全くないといったら嘘になる。
「気にしないで。一服するのに一人ってのも寂しいし、こんなお遣いを受講生にやらせるなんてこっちが申しわけないくらい。せめてお茶とお菓子くらい御馳走させてよ」
「そ、それじゃあ、お言葉に甘えて」
悲しきかな、男の性よ。最初から断る気などさらさらないし、あわよくばなどと考えてしまうのは、人間の本能が正常に機能している証拠だ。大学では決して出会えない大人の女性が、お茶の相手をしてくれる機会など滅多にない。
どことなくさばさばとした感じの理恵の背に続いて、押木は浮足立ったまま歩き始めた。
さすがは新築のビルということもあり、ホールから両脇に伸びる廊下も、なんというのだろうか……新しい香りがする。それが使用された資材の匂いなのか、それとも生活臭にまだ触れていない無垢な空間独特のものなのかは分からないが、新築の匂いというものは嫌いではない。
自分の足元が映り込む大理石の廊下を進み、真新しい扉をいくつか通り過ぎると、理恵が進行方向を変える。その先には地下へと続く階段があり、そこを降りて踊り場を通り過ぎ、また階段を降りるといかにも地階といった様相の空間に出る。
階段の正面には【特設ホール】と書かれた扉があり、両手に廊下が伸びていた。そこを理恵が左手に回り、それに押木はついて歩く。
すっかり見とれていたがゆえに会話が途切れてしまったが、それに気まずさを覚えたのであろう。助手の女性は自ら名乗り、USBメモリーの代わりに小奇麗な名刺を押木へと手渡した。
それを受け取って目を通してみる。彼女の名前は高村理恵というらしく、聞いたことのない研究室の職員のようだ。少なくとも、恩田教授が雇っていたり、ましてや直属の部下ということでもなさそうだった。
「ちなみに、恩田の助手は趣味みたいなもの。私と大学が同期なんだけど、知っている通り色々な面でだらしない男で。あまりにも研究室が汚いものだから、私が整理の手伝いをしているわけ。あなたが持ってきてくれたものは本職の仕事用に使う資料。一日中掃除をしているほど、私も暇じゃないから」
本職を持っていながら、趣味で研究室の片づけをやっているなど、押木からすれば信じられないことであった。よほどの物好きでなければ務まらない。
結局、世の中はモテる男が中心になって回っているのか。理恵の綺麗な黒髪を眺めつつ、押木は大きくため息をついた。モテる男の役得とは、どうやらいかなる場面でもついて回るようだ。
「それじゃあ、確かに渡しましたから」
世の中の絶対的な法則に打ちのめされつつ、押木は踵を返す。USBメモリー確かに手渡したし、ここにいる理由はなくなった。それに、恩田教授と自分の格差を見せつけられているような気がして、この場をさっさと去ってしまいたかった。
「あ、待って。せっかくだからお茶でも飲んで行かない? 私も一息つきたいと思っていたところだし、ここの研究室って地階にあるから一人だと気が滅入るのよね」
押木が振り返ると、理恵が笑顔で小さく手招きをしていた。どこか妖艶で、どこか謎めいた雰囲気を持っている、明らかに年上の女性。そう、大人の女性。そのお誘いを断る男が世の中のどこにいるだろうか。
「いや、お邪魔じゃないですか? やっぱり、悪いですよ」
そう言いながらも、しっかり爪先は理恵のほうへと向けてしまっている押木。下心が全くないといったら嘘になる。
「気にしないで。一服するのに一人ってのも寂しいし、こんなお遣いを受講生にやらせるなんてこっちが申しわけないくらい。せめてお茶とお菓子くらい御馳走させてよ」
「そ、それじゃあ、お言葉に甘えて」
悲しきかな、男の性よ。最初から断る気などさらさらないし、あわよくばなどと考えてしまうのは、人間の本能が正常に機能している証拠だ。大学では決して出会えない大人の女性が、お茶の相手をしてくれる機会など滅多にない。
どことなくさばさばとした感じの理恵の背に続いて、押木は浮足立ったまま歩き始めた。
さすがは新築のビルということもあり、ホールから両脇に伸びる廊下も、なんというのだろうか……新しい香りがする。それが使用された資材の匂いなのか、それとも生活臭にまだ触れていない無垢な空間独特のものなのかは分からないが、新築の匂いというものは嫌いではない。
自分の足元が映り込む大理石の廊下を進み、真新しい扉をいくつか通り過ぎると、理恵が進行方向を変える。その先には地下へと続く階段があり、そこを降りて踊り場を通り過ぎ、また階段を降りるといかにも地階といった様相の空間に出る。
階段の正面には【特設ホール】と書かれた扉があり、両手に廊下が伸びていた。そこを理恵が左手に回り、それに押木はついて歩く。
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