上 下
32 / 94
1.箱

11

しおりを挟む
「そう……。あっ、私は恩田の助手をしている、こういう者です」

 すっかり見とれていたがゆえに会話が途切れてしまったが、それに気まずさを覚えたのであろう。助手の女性は自ら名乗り、USBメモリーの代わりに小奇麗な名刺を押木へと手渡した。

 それを受け取って目を通してみる。彼女の名前は高村理恵たかむらりえというらしく、聞いたことのない研究室の職員のようだ。少なくとも、恩田教授が雇っていたり、ましてや直属の部下ということでもなさそうだった。

「ちなみに、恩田の助手は趣味みたいなもの。私と大学が同期なんだけど、知っている通り色々な面でだらしない男で。あまりにも研究室が汚いものだから、私が整理の手伝いをしているわけ。あなたが持ってきてくれたものは本職の仕事用に使う資料。一日中掃除をしているほど、私も暇じゃないから」

 本職を持っていながら、趣味で研究室の片づけをやっているなど、押木からすれば信じられないことであった。よほどの物好きでなければ務まらない。

 結局、世の中はモテる男が中心になって回っているのか。理恵の綺麗な黒髪を眺めつつ、押木は大きくため息をついた。モテる男の役得とは、どうやらいかなる場面でもついて回るようだ。

「それじゃあ、確かに渡しましたから」

 世の中の絶対的な法則に打ちのめされつつ、押木は踵を返す。USBメモリー確かに手渡したし、ここにいる理由はなくなった。それに、恩田教授と自分の格差を見せつけられているような気がして、この場をさっさと去ってしまいたかった。


「あ、待って。せっかくだからお茶でも飲んで行かない? 私も一息つきたいと思っていたところだし、ここの研究室って地階にあるから一人だと気が滅入るのよね」

 押木が振り返ると、理恵が笑顔で小さく手招きをしていた。どこか妖艶で、どこか謎めいた雰囲気を持っている、明らかに年上の女性。そう、大人の女性。そのお誘いを断る男が世の中のどこにいるだろうか。

「いや、お邪魔じゃないですか? やっぱり、悪いですよ」

 そう言いながらも、しっかり爪先は理恵のほうへと向けてしまっている押木。下心が全くないといったら嘘になる。

「気にしないで。一服するのに一人ってのも寂しいし、こんなお遣いを受講生にやらせるなんてこっちが申しわけないくらい。せめてお茶とお菓子くらい御馳走させてよ」

「そ、それじゃあ、お言葉に甘えて」

 悲しきかな、男の性よ。最初から断る気などさらさらないし、あわよくばなどと考えてしまうのは、人間の本能が正常に機能している証拠だ。大学では決して出会えない大人の女性が、お茶の相手をしてくれる機会など滅多にない。

 どことなくさばさばとした感じの理恵の背に続いて、押木は浮足立ったまま歩き始めた。

 さすがは新築のビルということもあり、ホールから両脇に伸びる廊下も、なんというのだろうか……新しい香りがする。それが使用された資材の匂いなのか、それとも生活臭にまだ触れていない無垢な空間独特のものなのかは分からないが、新築の匂いというものは嫌いではない。

 自分の足元が映り込む大理石の廊下を進み、真新しい扉をいくつか通り過ぎると、理恵が進行方向を変える。その先には地下へと続く階段があり、そこを降りて踊り場を通り過ぎ、また階段を降りるといかにも地階といった様相の空間に出る。

 階段の正面には【特設ホール】と書かれた扉があり、両手に廊下が伸びていた。そこを理恵が左手に回り、それに押木はついて歩く。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

鐘ヶ岡学園女子バレー部の秘密

フロイライン
青春
名門復活を目指し厳しい練習を続ける鐘ヶ岡学園の女子バレー部 キャプテンを務める新田まどかは、身体能力を飛躍的に伸ばすため、ある行動に出るが…

病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない

月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。 人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。 2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事) 。 誰も俺に気付いてはくれない。そう。 2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。 もう、全部どうでもよく感じた。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

処理中です...