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第五話
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陽もすっかりと暮れ、明かりがない場所では互いの顔の認識が難しい時間帯になってきた。その頃には鍛錬も終わりを迎え、騎士たちが鍛錬の片付けをして寮へと戻っていく。夜番の者は寝不足で集中力が落ちないよう、午後の鍛錬は休みになっている。そのため午後から鍛錬に出ている者たちの大半がこのまま寮に戻る。この時点でまだ残る者は自己練習に励む者だけだ。
エマの仕事も鍛錬が終わり次第終了なので、騎士たちと同じタイミングで診療用の椅子や机などを軽く濡れた布で掃除をすれば終わりだ。早朝から働ていたせいで出る欠伸を噛み殺し、ウィリアムとともに掃除や片付けを行った。
レオナルドとミアカーナに遭遇してしまうというアクシデントはあったものの、騎士たちに治癒魔法が効かないほどの酷い怪我がでることもなく、仕事が終わったことに胸を撫で下ろす。酷い怪我が出た場合は全力で治癒魔法に当たるつもりではいるが、やはり治癒魔法師が活躍する場ができるだけ無い方がいい。
「では、私はこれで失礼いたします」
鍛錬の後片付けをする騎士たちに頭を下げ、ウィリアムとともに城内へ戻ることにした。
治癒魔法師は城内に寝泊まりするのが基本だ。実家に帰るのは休みの日だけだったりする。診療室とは他に、治癒魔法師に宛てられた私室があり、エマもその私室で寝泊まりをしていた。公爵家にある私室より大分狭く質素な部屋ではあるが、それを不満に思ったことは一度もない。公爵令嬢だった時はドレスにアクセサリー、化粧品等、様々なものを必要としていたため、それなりに保管する場所も必要だったが、治癒魔法師となった今は最低限の化粧品以外全てが必要ないからだ。
最初こそ父である公爵が融通を効かせてくれようとしたが、それを止めたのは他でもないエマだった。新入りであるくせに捨てたはずの家の力を頼って、先輩よりも贅沢をするなど言語道断だと思ったからだ。それにいらない火種を蒔くべきではないと考えたからでもある。すでに侍従という存在を連れているだけで火種を蒔いているのに、これ以上蒔く必要はない。しかし異性であるウィリアムと同じ部屋になる訳にもいかず、ウィリアムの部屋だけは融通を効かせてもらうこととなった。
令嬢時代と違って、髪や体を自分で洗うことにも慣れた。最初こそ戸惑うことも多かったが、最近では一人で浴槽につかる気軽さを覚えてしまった。
早く疲れた体を癒そうとウィリアムと互いの部屋がある廊下の分岐点で別れ、部屋の中に入ったエマは早速浴室へ向かう準備をした。
治癒魔法師は城内で働くどの職業よりも優遇された職種で、治癒魔法師たちの部屋がある場所からすぐの場所に治癒魔法師専用の浴室が設置されていた。食事は他の者と同じ食堂で摂らなければならないが、比較的広々とした浴室に、混雑を気にせずゆっくりと入れるのは嬉しいものがある。
用意したタオルや下着類を入れた袋を持ち、部屋に鍵をしていると、ちょうど隣の部屋の住人も浴室に向かうところだったらしく鉢合わせをした。
「あら、エマも今からお風呂なの?」
「ええ、そうなの。ちょうど仕事が終わったところだったから、食事を摂る前に体を綺麗にしておきたくて」
「あら、偶然。なら一緒にお風呂と食堂に行きましょう?」
「いいわよ」
隣の部屋から出てきた女性の名前はアネット・ブラケット。ブラケット男爵家の三女で、治癒魔法師の中でエマより五つ年上の一番歳の近い女性だ。こげ茶の髪は右肩辺りで緩く結ばれており、髪とお揃いの色のきりっとした瞳は一見きつく見えるが、鼻や頬にちらばるそばかすのおかげで、雰囲気が和らいでいる。
実際のアネットの性格は、はきはきとしたもので、エマにとっては付き合いやすい人物だった。庶民よりも少しだけ裕福な家庭で育ったらしく、男爵という肩書きがあるだけ、親の肩書きは親の肩書き、自分の誇れる肩書きは治癒魔法師だけだと言い切るアネットの姿に思わず目を釘付けになったのはアネットには内緒の話だ。それにエマが公爵家の娘だと知っていても、色眼鏡で見ることなく後輩として扱ってくれた貴重な存在でもある。エマが治癒魔法師や騎士たちの間でどんな陰口を言われても、堂々とエマに味方をしてくれたのは、今でも鮮明な記憶として残っている。エマにとって、同僚である以上に気軽なく様々なことを話すことができる友人だ。
浴室まで並んで歩き、脱衣所で互いに慣れた手つきで裸となる。初めて使用したときは、なんだか気恥ずかしいものがあったが、二年も通えば恥ずかしさはどこかへ行ってしまった。
タオルを一枚だけ持って、大きな湯船のある浴室へ続く引き戸を開ける。
そこには先客が一人だけいた。
ふくよかな体を持つ五十代前半の女性、リターニャ・シュガネだ。彼女は王都に家族を持つ柔和な雰囲気の治癒魔法師だ。子どもが成人し、手が空いたということで一年前から治癒魔法師に復帰した女性だ。全てを受け入れる包容力に、エマとアネットはすっかりと絆され、第二の母のような存在として慕っている。復帰した当初こそ貴族のエマとアネットに敬語を使っていたが、エマとアネットが必死に頼み込み、今では気軽に話す仲となっている。
湯に浸かるリターニャに軽く会釈をして、体と髪をさっと洗うとアネットとともにリターニャの両隣で湯の中に腰を下ろした。
エマの仕事も鍛錬が終わり次第終了なので、騎士たちと同じタイミングで診療用の椅子や机などを軽く濡れた布で掃除をすれば終わりだ。早朝から働ていたせいで出る欠伸を噛み殺し、ウィリアムとともに掃除や片付けを行った。
レオナルドとミアカーナに遭遇してしまうというアクシデントはあったものの、騎士たちに治癒魔法が効かないほどの酷い怪我がでることもなく、仕事が終わったことに胸を撫で下ろす。酷い怪我が出た場合は全力で治癒魔法に当たるつもりではいるが、やはり治癒魔法師が活躍する場ができるだけ無い方がいい。
「では、私はこれで失礼いたします」
鍛錬の後片付けをする騎士たちに頭を下げ、ウィリアムとともに城内へ戻ることにした。
治癒魔法師は城内に寝泊まりするのが基本だ。実家に帰るのは休みの日だけだったりする。診療室とは他に、治癒魔法師に宛てられた私室があり、エマもその私室で寝泊まりをしていた。公爵家にある私室より大分狭く質素な部屋ではあるが、それを不満に思ったことは一度もない。公爵令嬢だった時はドレスにアクセサリー、化粧品等、様々なものを必要としていたため、それなりに保管する場所も必要だったが、治癒魔法師となった今は最低限の化粧品以外全てが必要ないからだ。
最初こそ父である公爵が融通を効かせてくれようとしたが、それを止めたのは他でもないエマだった。新入りであるくせに捨てたはずの家の力を頼って、先輩よりも贅沢をするなど言語道断だと思ったからだ。それにいらない火種を蒔くべきではないと考えたからでもある。すでに侍従という存在を連れているだけで火種を蒔いているのに、これ以上蒔く必要はない。しかし異性であるウィリアムと同じ部屋になる訳にもいかず、ウィリアムの部屋だけは融通を効かせてもらうこととなった。
令嬢時代と違って、髪や体を自分で洗うことにも慣れた。最初こそ戸惑うことも多かったが、最近では一人で浴槽につかる気軽さを覚えてしまった。
早く疲れた体を癒そうとウィリアムと互いの部屋がある廊下の分岐点で別れ、部屋の中に入ったエマは早速浴室へ向かう準備をした。
治癒魔法師は城内で働くどの職業よりも優遇された職種で、治癒魔法師たちの部屋がある場所からすぐの場所に治癒魔法師専用の浴室が設置されていた。食事は他の者と同じ食堂で摂らなければならないが、比較的広々とした浴室に、混雑を気にせずゆっくりと入れるのは嬉しいものがある。
用意したタオルや下着類を入れた袋を持ち、部屋に鍵をしていると、ちょうど隣の部屋の住人も浴室に向かうところだったらしく鉢合わせをした。
「あら、エマも今からお風呂なの?」
「ええ、そうなの。ちょうど仕事が終わったところだったから、食事を摂る前に体を綺麗にしておきたくて」
「あら、偶然。なら一緒にお風呂と食堂に行きましょう?」
「いいわよ」
隣の部屋から出てきた女性の名前はアネット・ブラケット。ブラケット男爵家の三女で、治癒魔法師の中でエマより五つ年上の一番歳の近い女性だ。こげ茶の髪は右肩辺りで緩く結ばれており、髪とお揃いの色のきりっとした瞳は一見きつく見えるが、鼻や頬にちらばるそばかすのおかげで、雰囲気が和らいでいる。
実際のアネットの性格は、はきはきとしたもので、エマにとっては付き合いやすい人物だった。庶民よりも少しだけ裕福な家庭で育ったらしく、男爵という肩書きがあるだけ、親の肩書きは親の肩書き、自分の誇れる肩書きは治癒魔法師だけだと言い切るアネットの姿に思わず目を釘付けになったのはアネットには内緒の話だ。それにエマが公爵家の娘だと知っていても、色眼鏡で見ることなく後輩として扱ってくれた貴重な存在でもある。エマが治癒魔法師や騎士たちの間でどんな陰口を言われても、堂々とエマに味方をしてくれたのは、今でも鮮明な記憶として残っている。エマにとって、同僚である以上に気軽なく様々なことを話すことができる友人だ。
浴室まで並んで歩き、脱衣所で互いに慣れた手つきで裸となる。初めて使用したときは、なんだか気恥ずかしいものがあったが、二年も通えば恥ずかしさはどこかへ行ってしまった。
タオルを一枚だけ持って、大きな湯船のある浴室へ続く引き戸を開ける。
そこには先客が一人だけいた。
ふくよかな体を持つ五十代前半の女性、リターニャ・シュガネだ。彼女は王都に家族を持つ柔和な雰囲気の治癒魔法師だ。子どもが成人し、手が空いたということで一年前から治癒魔法師に復帰した女性だ。全てを受け入れる包容力に、エマとアネットはすっかりと絆され、第二の母のような存在として慕っている。復帰した当初こそ貴族のエマとアネットに敬語を使っていたが、エマとアネットが必死に頼み込み、今では気軽に話す仲となっている。
湯に浸かるリターニャに軽く会釈をして、体と髪をさっと洗うとアネットとともにリターニャの両隣で湯の中に腰を下ろした。
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