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第一章

番外編(アルブス)前編

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 ベルが眠りについて三年という長い月日が経った。

 ベルを忘れない日はなかった。それでもベルが眠りからいつ覚めてもいいようにと、単身で依頼を引き受けてお金を稼ぐこともした。ロセウスはベルの幼馴染みでもあるルルとララの雑貨屋パステルの仕事を引き受け、アルブスとアーテルはギルドの依頼をこなした。

 今をきちんと生きようと、前を向こうと三人で話し合った。ベルとの繋がりが細くても、確かにここにあるのだから、と。

(確かに感じる。お嬢との繋がりを……でも)

 アルブスにはロセウスやアーテルのようにはなれなかった。話し合って決めたのだから、そうしようと努力したことも幾度もあった。けれどどうしてもふと何かをしようとする度に思い出してしまうのだ。

 道を歩いていても、家の中にいる時でも思わずお嬢、と呼んでしまうし、振り返ってしまう。そこにはいないはずなのに。頭では分かっていても、心がいなくということを分かろうとしなかった。

『アル』

 また呼んでほしい。ベルしか呼ばないアルブスの愛称を。その笑顔を見せて欲しい。太陽のように眩しい、その笑顔を。

 ロセウスやアーテルと違って、アルブスは愛想の笑顔を浮かべるのが苦手だった。誰にどう思われようと、愛想の笑顔を浮かべようとは思わなかった。

 だからだろう。街へアーテルやロセウスと出かけても、愛想のないアルブスに好んで近寄って来る者はそれほどいなかった。決まって近寄られるのは愛想のいいアーテルやロセウスだった。別に羨ましいわけではない。むしろベルや同じ召喚獣である二人以外に必要以上に近寄られるのは嫌だったので、近寄られる二人に同情をしたくらいだ。

 ベルが眠りについてからアルブスは一度も笑みを浮かべていなかった。楽しいと思うことがないわけではない。アーテルやロセウスと話をして楽しいと思うことはもちろんある。けれど表情筋がベルと一緒に眠りについてしまったかのように一切動かなくなってしまったのだ。

 そんなある日。

 ロセウスは雑貨屋パステルの仕事で、アーテルはギルドの仕事をするためにそれぞれ街へ出ていた。家の留守を任されたアルブスは白虎の姿へと戻って、ベルの部屋の前で丸くなってぼうっとしていた。

 出会った当初からベルはアルブスとアーテルの毛並みをとても気に入っていた。人型になったときも格好いいと褒めてはくれたが、やはり白虎の方の姿の方が気に入っているのか、白虎の姿になる度にやたらと目を輝かせて触って堪能していたものだ。それを思い出してからは、一人で留守番をする時は白虎の姿のままでいるようにしていた。

 瞼を閉じてベルとの思い出に耽っていると、ふと家の外から人の足音が聞こえた。召喚獣であるアルブスの耳は、人間では聞き取れない小さな音まで聞き取ることができるのだ。家の周囲にはロセウスが結界を張っているが、外で変なことを起こされないよう、音までは遮断していない。

 ベルが眠りについた当初は大勢の人が家まで押しかけてきたが、その度に何度も追い返した。こうして三年経っても、未だに押しかける人は何人かいる。今日もそんな人たちなのだろう。

 アルブスはため息を一つ吐くと、ベルの姿をもう一度視界に収め、家の外へと足を向けた。

 人間の姿に戻るのが面倒だったアルブスは前足で器用にドアを開け、外へと出る。

「誰だ、お前は」

 そこにいたのは、一人の少年だった。ドアを開ける前から気配で人数はわかっていたが、まさかそれが少年だと思っていなかったアルブスは、目を細めた。アルブスの姿が怖いのか、少年は体をぶるりと震わせていた。それでも少年はその場から立ち去ろうとはしなかった。

「ぼ、僕はジョン・シフォワットといいます! 三年前、ベル様に助けていただいたことがあります」

 三年前といえば、ちょうどベルが眠りについた年を指す。おそらく眠りにつく前に受けた依頼か何かで知り合った子どもなのだろう。少年の顔をよく観察してみれば、確かに見覚えのある顔だった。

「崩落した岩の下から助け出した親子か」

「そうです!!」

 当時十歳だったジョンとその母親の姿をぼんやりとだが思い出す。あれから三年経ち、身長が伸び、顔つきも大人びてきてはいたが、ふんわりとした雰囲気はそのまま残っていた。

「あの時の子どもが何の用だ?」

 依頼はきちんとこなしたはずだし、三年間特に連絡を取ることもしていない。怪訝な顔をして問えば、ジョンは慌てて手に持っていた物をアルブスへと差し出してきた。

「こ、これをベル様に、と思いまして!!」

「これは……クッキーか?」

「はい! 僕が焼いたんです。この三年間、ベル様のために必死に練習して、ようやくお母さんに合格をもらうことができたんです」

 ジョンの母親は街にある洋菓子店の店長で、それなりに有名な店だったと記憶している。二人を助けた日も、親戚の祝い事にと、手作りの洋菓子を届けた帰りに起きた事故だったはずだ。

 クッキーの匂いを確認すれば、甘くてベルの好きそうな匂いが鼻をくすぐった。毒等は特に入っていなさそうだ。ジョンは本当に好意だけでこのクッキーを持ってきたのだろう。

「ありがたいが、お嬢は今深い眠りについている。それを渡すことはできない」

 可哀想だが受け取ることはできない。抑揚をつけることなく、事実を淡々と述べればジョンは分かっています、と寂しそうな笑顔で口にした。

「ならなぜ持ってきた」

 純粋に疑問が口から出る。

「あの時助けて頂いたお礼として、ベル様に食べて欲しかったからです。もちろん眠っている今は食べられないことも分かっています。でももし目が覚めたとき、食べてもらえたら嬉しいから、だから持ってきました。もし目が覚めなかったら皆さまで食べていただいて構いません。ですから、これを受け取ってはくださいませんか?」

 ジョンは真剣な眼差しでクッキーを差し出してきた。ベルに対するジョンの気持ちは純粋なもので、思わず口で受け取ってしまった。いつもなら貢物の類は受け取らないのだが、ふとベルのことを考えたとき、これだけは受け取ってもいいのではと思ってしまったのだ。助けた少年がこうしてお礼を持ってくるのを、ベルはきっと喜ぶだろう。

「ありがとうございます! また持ってきます!!」

 ジョンは歯を見せて笑い、頭を勢いよく下げるとそのまま走って帰ってしまった。
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