赤の系譜

濯見 羊佑

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赤い虎

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 それからしばらく平穏な日々が続いたが、源四郎が来たことで急展開を迎えることになる。
 源四郎は挨拶もなく屋敷に乗り込むと、書物を読んでいた虎昌の前にあぐらを組んだ。

「おい。無礼ではないか」

 虎昌は頭に血が上り、源四郎の肩を押した。
 源四郎は全く動じず腕を組んだ。

「話が違うではないか」
「何がだ」
「謀叛など起こさせないのでなかったのか?」
「その通りだが、何をいっとる」

 源四郎は無表情のままだが、その声は怒気をはらんでいる。

「義信様が企てておるぞ」
「馬鹿な。何を根拠にしとる」
「透波が忍んでおると言ったろう」
「具体的な情報があるのか」
「ある。曽根や長坂を呼んで、計画をたてておったことが露見した」
「そんなばかな」

 虎昌は肩を落とした。結局、先日の説得は義信に届かなかったのである。
 曽根周防は義信の乳母子で、長坂昌国も義信と歳が近く、仲が良かった。しかし、二人とも活力には溢れているものの、老獪さに欠ける若造である。露見するなど当たり前だった。

「御館様に謝罪を申し出ているが、そのときに殺るつもりなのだろうな。当然、面会は拒否しておる」
「そんな……。御館様はどう思っておられるのだ」
「寛大だ。ただし、事は起こしてはならんということだがな」
「そうか」

 虎昌はまず安心した。
 まだ間に合う。

「止めてみせる」
「前もそう言っておったではないか」
「止めてみせる」

 源四郎は立ち上がり、ため息をついた。

「俺は任せることしかできん。しかし兄者。歳をとって丸くなったのではないか」

 言いたいことは言いきったのか、源四郎は去っていった。
 最後の言葉が虎昌の頭にしこりのように残った。丸くなった。確かにそうかもしれない。昔の虎昌なら義信に拳をふってでも止めたかもしれない。
 なぜ丸くなったのだろう。歳月が虎昌の牙を少しずつ削いでいったのだろうか。もしくは。

 虎昌は思い出したように鎧櫃よろいびつから具足を取り出した。赤備えといわれる、兜から脛当てまで赤で統一した具足であり、己の半生を共にした伴侶のようなものである。
 
 一つ一つを床に並べ、つぶさに見た。
 どれも年季が入っているが、特に胴丸は酷い。細かな傷が無数にあり、何度も修繕した跡が目立った。朱色の塗料はめくれあがり地の色が出て、その上にまた朱色を重ねて野暮ったい厚みができ、つぶれてヒビが入っている。
 虎昌はその割れ目に沿って指をそわせた。

「義信様を止められるか?」

 虎昌は具足に話しかけた。当然、返事などない。しかし、数多の傷が答えになっていた。
『お前は武田家のために戦ってきたのだろう。ならば、これからも武田家のために戦うべきであろう』と言われた気がした。

(当然だ)

 虎昌はしばらく具足を眺めた。
 己の居場所は戦場であり、今の自分を作ったのは槍なのだ。猛虎と恐れられた虎昌は、戦場の中にいる。

(思い出せ。本来の己を思い出せ)

 光のような雑念を振り払い、精神を集中させていった。
 血が沸く。
 虎昌は目をかっと見開くと立ち上がった。
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