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お前はいつ、俺を捨てるんだ【前】
しおりを挟む「お前はいつ、俺を捨てるんだ」
また始まった。かわいいかわいい僕のシェルの、忌々しい病気が。
こちらを見上げるどんよりと曇った碧眼を、僕はどうしようもなく愛している。
例えそれが、もう何年も目の前の僕をうつしていなくても。
「捨てないよ。だって君は、僕の愛しい番だもの」
このセリフを口にするのも、今日だけで何回目だろう。毎日毎日毎日毎日、同じようなことを繰り返している。
互いに愛を伝えあって結ばれたはずの僕たちが壊れてから、4回もの春がめぐった。それなのに僕たちの間にできた分厚い氷は、一向に溶けてくれない。
婚約をして、結婚して、毎日愛を囁いて、どれだけ閨で愛しても、彼は常に何かに怯えている。
幼い頃の彼はこんな様子ではなかった。
部屋の中にひきこもってばかりいた僕を毎日のように外に連れ出して、空に聞かせるように上を向いて笑う。シェルは、シェリクスは、貴族の令息と呼ぶにはあまりに元気すぎる子供だった。
『好きだよ』というと、『知ってる』と自信満々に笑う。その余裕そうな返事に反し、形の良い耳がほんのり赤く染まっていくのを見るのが好きだった。
それなのに、いつからかシェリクスは変わってしまった。
『俺は、偽物の番なんだ』
彼が泣くのを見るのは、初めてだった。
嗚咽のひとつももらさず、ただ静かに頬をながれていく涙に、僕は見惚れた。
そんな状況ではないとわかっていたのに、見たことのない番の表情に知らず知らず喉が鳴った。
ただ、その発言だけはいただけなかった。
偽物?そんなはずない。
間違いなくこのオスは自分のモノだと、本能が訴えている。
この世の誰よりも自分を愛してくれた存在だった。
この世の誰よりも愛しい存在だった。
偽物なんてありえない。
彼こそが自分の真実だ。
昔の上質な絹みたいな黒髪も、
今のぐしゃぐしゃした黒髪も、
昔の晴天の空みたいな笑顔も、
今の歪でからっぽな笑顔も、
すべてすべて愛おしくてたまらない。
それはシェリクスが僕のつがいだからだ。
だからどうか、そんなひどいこと言わないでほしい。
かなしくて、ついひどくしてしまう。
いつからか君は、僕の後ろに他人の面影を見るようになった。もうすぐ僕の目の前に本当の番が現れるなんて、何を根拠に言ってるのかわからないけど──そんなこと、ありえない。
だってシェリクスは、僕を形成するすべてなのだから。
なんの理由もなく自分から心臓を捨てる人間なんていないだろう?
でも、シェリクスはそれを信じない。僕がいつか自分を捨てて、違う男を選ぶと思っている。
「ねえ、こっちを見て。ここにいる、君を誰よりも愛してる僕を見て」
もうすっかり体の一部になってしまった鉄色の金属をかちゃりとならし、その華奢な褐色色の肩を優しくシーツへと押し倒す。
いつでも食事をつくれるように、腕ではなく片足に装着し、風呂やトイレにいけるよう、そして扉や窓にはぎりぎり届かない長さで作られたソレの鍵を持っているのは、もちろん僕の愛しいつがいだけだ。
もう形も覚えていない。
渡した時はあんなに怯えた表情をしていたくせに、なんだかんだでお気に召したようだ。
「うそつき」
それでも、それでも彼が僕を信じてくれることはない。
無垢な喉から小さく飛び出した言葉を、僕は自らの唇で塞いだ。
視界が開けたような気分だった。
その瑠璃色の瞳に射抜かれた途端、死んでも良いと思った。
こんな世界いつなくなっても構わないと思っていた僕が、何故生きることに執着していたのかを理解した。
無意識に届かない距離にいるその存在に手を伸ばせば、相手からも同じ反応が返ってくる。
恐る恐るそれに触れたら、まるで溶けるように入り込んでくる彼の体温に僕はこの細い手を二度と離せないのだと確信した。
「君の、名前は?」
「………シェリクス・ローゼン」
シェリクス、シェル。
ぼくのつがい。
忘れてしまった前世の旦那さんで、まだ知らない来世の恋人。出会うべくして出会った僕たちは、8歳ではじめてのキスをして、10歳ではじめてのデートをして、14歳ではじめてひとつになった。
幸せだった。
この日々が永遠に続くと思っていた。
「ああああああ!!!」
その日、僕の、僕らの世界はバラバラに砕け散った。
狂ったように悲鳴を上げるこの世の誰よりも愛おしい存在を前に、僕は絶句した。
このままこときれてしまうのではと思った。
思わず侍医を呼ぶのも忘れ、必死に名前を呼び続けた。
「あ………あ………」
声が枯れてしまったのか、ボロボロと涙を流しながら嗚咽を漏らすつがいに、僕は息を飲む。
嫌だ、やめてくれ。
君は僕のつがいだろう?
何故そんな怯えた目をする?
ほぼ無意識的に彼の頬に触れたが最後。
つがいは僕の腕の中で意識を失った。
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