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第四章 ひとを癒やすということ

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「依頼を、お願いしたいのです」

 その日はじめて、非公認ギルド【ラッキーウィスカー】の戸を叩く客人が現れた。
 身なりの良い初老の男で、背は低いがしっかりとした足取りと姿勢の持ち主だ。

「まず尋ねさせてもらいますけど」

 一旦招き入れ茶の一杯を用意した上で、ギルドマスター、ラッキー・クローバーは普段とは異なる鋭い視線を男へ向ける。

「どこでウチのことを?」
「………あの、黒い人を、追って」
「黒い人──大きな盾を持った?」
「そうです」

 あり得ないことでもない、とラッキーは納得する。件の黒い人というのは十中八九リモン・カーディライトのことだ。

「前に見たんです。大きなディグルーワームを退治してるところを。それで、どこのギルドの人なんだろうと思って、追いかけたらココに」

 それは嘘だ、とラッキーは訝しむ。
 わざわざ魔物を退治していた様子を見て、声もかけずひっそりと追いかけてくるのは異常とも呼べる行為だし、そも、リモンが簡単に尾行を許すはずがない。
 ──だがしかし。男がリモンとの距離を意図的に置いていたとすれば。そして、リモンが

「うーん。ぶっちゃけ聞いちゃいますけど、もしかしてリモンさんのお知り合い?」
「…………ぁ、あ。そうでしたか。リモンですか。やっぱり。あれが」

 男はハッとしたような顔をした後、安堵したともとれる様子で微笑んだ。

「父親なんです」
「…………ええと?」
「義理の、ではありますが。僕は彼の……育ての親です」

 ラッキーはぽかんと口を開けて、しばしの間硬直する。言葉の意味を飲み込めたのは、さらにそれから暫くした後。
 男はライオネルと名乗った。
 セレス・ライオネル。
 カレドゥシャから少し離れた静かな土地で妻とふたり、それなりの生活を送っているという。

「依頼というのはリモンのことです」

 ライオネルの真剣な瞳に、ラッキーはほんの少しの嫌な予感がして身構えた。

「会わせてほしいのです。彼に」




   *




 あれから2ヶ月。
 レール・スピリッタは右腕がないことを受け入れ始めていた。
 自分が弱いせいだ、自分が弱いから腕を失ったのだと、そう納得した。そうすれば悔いだけが残るので、彼にはその方が心の健康に良かった。

「そして君はこの書類にサインした瞬間、我々の仲間になる」

 そんな彼の元にやってきた男はそう語る。白に赤い星と天使の輪。憧れの【聖歌隊】の制服を纏った男に、レールは見惚れてしまった。
 アルコ・ロードリエスを名乗ったその男は、書類をレールのベッド横、小さなテーブルの上にペンとともにそっと置いた。

「すまない、自署は難しいよな。配慮が足りなかった」
「いえっ、全然。左手で書くのも練習しなきゃですし……」

 特例措置として、ラッキーとレール、生き残ったふたりには冒険者の資格が与えられることとなった。
 ラッキーの希望通りに事が運んだのはここにいる男、アルコの日々の活躍とそれに裏付けされた信頼、それらを最大限活かした請願あってこそだった。
 はじめこそ資格取得を渋っていたレールではあるが、ラッキーから勧められ──というより半ば無理矢理に銀時計と冒険者印を受け取らされ、彼も冒険者として活躍できる地位にはなっていたのだ。

「無理に引き入れるつもりはない。考える時間が欲しいなら、オレたちはいくらでも」

 遮るようにレールが声を上げる。

「いえっとんでもない。是非、是非ギルドに。でも……俺、腕……」
「片腕での戦い方もあるし、戦わないという選択肢も、我々の組織にはある」
「戦わない、ですか」
「ああ。だがこうしてオレが君を直接スカウトに……『2番隊』に入れようとしているのは、君ならばまだ戦えると判断したからだ」

 逡巡があった。
 力不足な自分。許せないほど弱い自分。しかし望む自分になれる道が、そこへ導いてくれる手が、直ぐ目の前にある。

「はっきり言っておくが、オレは人を見る目はある。こと部下を選ぶという点において、オレは失敗したと感じたことは一度もない」
「………」
「とはいえオレも隊長になって日は浅い。威張れるほどの功績もない。だがお前のその正義を思う心が、オレたちには必要なんだ」

 窓の外の昼の太陽が病室を照らした。
 レールにはそれが、正しさを讃える光に見えた。

「『直感』なんだ。大事なのは。人を選ぶとき、それは『直感』でなければならない。長く付き合えば情が湧くからな。オレは情を排したうえで、つまりは理性的に、お前のことを必要だと思った」
「…………俺にできるでしょうか」
「それはお前次第だ」

 正しい光をその身に受けるアルコは、ニコリともしない。
 至って誠実で真面目。真っ直ぐな鎬の如く、それは見るものによっては恐ろしく、あるいは美しくも見える。
 真っ直ぐ故に真剣な話なのだとレールにも分かる。

「すごく聞きにくいんですけど」
「どうした」
「給料って、どのくらい貰えるんですか」
「家族か。それとも借金か」
「夢なんです。故郷の家族に楽させてやるのが」
「なら彼らが最低限暮らしていけるだけの額は保証しよう。真面目に働き成果を上げ続け、成り上がれば、将来親御さんに毎日楽をさせてやれるだけの稼ぎは得られる」

 懸念はそれだけだった。
 レールは少しだけ身を起こす。
 光の中へその身を投じるために。

「やらせてください。やります。お願いします!」





   *





「嫌だ。絶対に。無理だ。丁重にお断りさせていただく。つまり、ノーが答えだ」
「同じことを5回言った!?」

 盾騎士リモン・カーディライトは育ての父・ライオネルとの面会を拒否していた。

「でもまぁ、ですよね~」

 それはラッキーも予想していた回答だ。

「意図的に避けてたんでしょ」
「然り」
「わざと会ってないんでしょ」
「然り」
「巻き込まないために」
「………然り」

 推理は容易だ。
 彼の気質を考えれば、身内を【ドラゴンスレイヤーズ】関連の荒事に巻き込むまいとするのは当然だ。

「じゃあ、盾騎士様はなんで実名で活動してたんですか」

 リモンはムスッとした顔で
「生きているのは知らせたかったからだ」
 とだけ述べた。
 苦笑するラッキーではあったが、彼の気持ちは分からないでもない。

「………あっそうだ、少し待て、準備する」
「え、会う気になったんですか!?」
「待て。少し」





 少し経った。

「…………………」

 ライオネルは現れた存在を前に絶句する。
 リモンは全身黒色の鎧を纏い、夜の闇より深い黒の兜でその顔を隠していた。

「久しいな、父さん」
「…………馬鹿じゃないんですか?」
 
 というのはラッキーの言葉だった。

「脱ぎなさいよ」
「断る」
「すみませんライオネルさん、すぐ脱がせますから」
「いいえ、いいえ。いいんです、これで」

 絶句こそしたが、今やライオネルは穏やかな表情を浮かべていた。

「声で、わかりますから」
「…………ふん」

 空気を読み席を外そうとするラッキーだが、ライオネルがそれを呼び止めた。
 ──リモンのギルドマスターさんなのだから。
 そう言われ、丁度冒険者の資格を手にした実感を得始めていた彼女は誇らしくなり、その場に留まることを選ぶ。

「……………」
「………………」
「……………元気かい?」
「見ての通りだ」

 兜に反響するやや籠もった音が、【ラッキーウィスカー】のギルドハウスを兼ねた荒屋に微かに響いた。

「背、伸びたなぁ」
「そうだろうか」
「そうだとも」

 リモンが最後に家族と顔を合わせたのは──【聖歌隊】離脱の直前。6年近く前だが、その頃にはリモンも二十歳を数える。
 身長が伸びたはずがない。全身を覆う黒色の鎧はあれど、そんなもの誤差のうちだ。
 そう感じさせるだけの成長がリモンの側にあって、そう感じさせるだけの衰えが、ライオネルにはあった。それだけだ。

「父さんは、俺に会いに来ただけなのか」
「母さんのことで少し」
「…………」
「あまり具合が良くない。時々寝たきりになる」
「………………そう、か」
「会ってやってくれないか」

 スゥ、と息を吐く音が兜の中から聞こえたのを、横のラッキーだけが聞き取った。

「父さん。敢えて、そう敢えてだ。尋ねるぞ。俺がやってきたことを、知っているか」

 僅かな沈黙があった。
 沈黙の中で、ラッキーだけがその表情を曇らせた。
 そして。

「ああ。知っているよ」

 ライオネルのつぶやきのような返答が、部屋の空気を重いものへと塗り替えていく。

「全部は知らないが、少しは知っている」
「なら解るだろう。会えないよ」
「それでも会ってほしいと、僕はそう思ったんだ。僕らにとっての息子は君だけなんだから」
「…………」
「いつでもいい。でもいつか、来てくれ」
「………………」
「リモンさん。返事くらいしたらどうですか」
「ん」

 リモンははじめてラッキーに名前で呼ばれた気がした。
 ここぞというときには気の強い女であるのは彼も知っていたが、こうして面と向かうと尚更だ。威圧感のような、気迫のような、誰かに何か行動を起こさせる強制力じみたものが、彼女から放たれている。
 もごもごと兜の中で言葉を選び終わると、リモンはハッキリと、高らかに応えた。

「あぁ、まあ。うん。いつか。いつか会いに行こう。必ず。約束する」
「約束だぞ」

 そう言って微笑むと、ライオネルはそさくさとギルドハウスを去っていった。満足そうな足取りだった。

「約束を守るのも盾騎士の仕事ですからね」
「………あぁ」

 契った「いつか」はいつの「いつか」なのか。
 曖昧なまま、しかし確かに、リモンは結ばれたその約束を心に留める。守ることにおいて右に出るもの無し。そう自負する彼だからこそ。

「守られねば、な……」

 それは楔として十分なものだった。



 





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