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第四章 治癒術師たちの成り上がり
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しおりを挟むむかしむかし、あるところにひとりの少年がいた。
少年は生まれつき足が弱く、自らの体すらその足で支えることができない。立ち上がっても体が重く、ただひたすらに重く、その場に崩れ落ちるだけ。ひとりで歩くことなど到底できない。
不治の病というやつで、医者には治せず、生まれつきだったものだから、治癒術師にも癒やすことはできなかった。
少年は思った。僕はなんて不幸なのだろう、どうして普通の人とは違う視線で世界を見なければならないのだろう、どうして、雨上がりを駆け抜けたときの土の感触を煩わしく思えないのだろう。
人々は彼に優しかったが、世界は彼に厳しかった。行きたいところに行けない。やりたいことをやれない。彼は自らが望むことを望むようにするだけの権利すら与えられなかった。何をするにも誰かの助けが要る。みな喜んで少年を助けてくれるものの、それでもやはり限界はあるし、何より彼の心にある自立心や自尊心は、「仕方がない、やむを得ない」という諦めよりも強かった。
彼をかわいそうに思った両親は、ひとりの魔法使いに声をかけた。その魔法使いは「浮遊魔法」という、モノを浮かせる一風変わった魔法を用いる魔法使いだ。
自然界でモノは決してひとりでに浮いたりしない。ふつう物体が浮遊するのは気流、つまりは風の力によるものだ。鳥や虫の飛行もそれ。つまり風の魔法の領域である。
その魔法使いはただ「浮かせる」だけ。まるで枷から解き放つかのようにモノを軽くし、浮かび上がらせる。その魔法使いの噂を聞いた少年の両親は懇願する。
「わたしたちの息子を浮かせてください」
事情を聞いた魔法使いは快くその願いを聞き入れた。
少年は重さを失った。浮くとはつまり、その物体の重さをゼロにしてしまうことだったのだ。
彼は自らの足で立てるようになった。走れるし、跳べるようにもなった。人よりはるかに速く、高く、遠くまで。体を自由に動かせた。立つよりずっと難しいことを彼はこなせるようになったのだ。
全てから解き放たれ、彼は思った。
僕を今まで縛っていたものは何だったのだろう、と。
浅い眠りから目を覚ますと、いつもの天蓋がそこにあった。
彼女にとっての起床とは大抵「憂鬱な一日」のはじまりでしかない。ローレライは大きく嘆息を漏らすとともにベッドから這い出て、朝の身支度をはじめる。寝相の良さに相反し、腰まであるシルバーブロンドの髪は重力に反しうねうねと逆巻いていた。
「…………」
入念にブラシをかけ髪を整えストレートに戻すと、しばらくボーッとし、それから思い出したように着替え、彼女は部屋を出る。
もうすぐ日が昇り始める時刻。いつもより若干遅い。
「おはようございます、聖女様」
扉を開けると左からソプラノの挨拶が聞こえる。
白い制服、そこには星と天使の輪。ひと目で分かる正義の味方【聖歌隊】の構成員だ。
せいぜい付き人か、でなければ監視役かの役割しか持ち合わせない彼女に、ローレライは辟易していた。話し相手にもならないカタブツというわけでもないのだが、立場上ビジネスライクな付き合い方しかできないし、それ故に双方ともにこれ以上仲良くなるつもりも毛頭ない。そんな距離感がローレライにとっては不快とは言わないまでも居心地が悪く、仲良くなれないならなれないで、人など寄越さないでほしかった。
──【聖歌隊】は、表向きには4つの部隊で構成されているとされる。
本部事務の第1部隊。
治安維持の第2部隊。
捜査検察の第3部隊。
留置刑務の第4部隊。
それぞれに部隊長とそれを補佐する副隊長が存在し、その下部にその他構成員が名を連ねる。
しかしつい最近、新たな部隊がひっそりと発足されたことは限られた人物しか知らない。
聖女守護の第5部隊。【ドラゴンスレイヤーズ】の介入に備え、聖女・ローレライの警護を専任された者たち。
そんなものいらない、なんてことを口でどうこう文句を言っても、はいそうですかでまかり通る話ではないことくらい、彼女も承知している。
ローレライは第5部隊の女に対し事務的に
「おはよう」
と挨拶を交わし、やはり憂鬱な一日になるのだろうと嘆息を漏らす。いつも通り。代わり映えのない朝のルーティン。
「第2部隊、アルコ・ロードリエス隊長がお見えになっています」
しかし二言目、その【聖歌隊】から放たれた言葉は意外なものだった。
同時に………彼女はこれでもかというほどに顔を顰める。拒否反応じみた反射的動作だった。
「居ないと言って追い返して」
即答するも【聖歌隊】の女は食い下がる。
「しかし」
「朝からアレと会いたくない」
「しかし……」
「しかしもかかしもないわ。ワタシあの男嫌いなのよ」
「しかしっ、既にそちらに───!」
女が指差す先。
メガネの彼は大変居心地が悪そうに、その場に立っていた。申し訳無さそうに、アルコ・ロードリエスは口を開く。
「おはようございます……聖女ローレライ……」
ローレライもあまりの気まずさに言葉に詰まる。このまま開き直って罵詈雑言の限りを尽くし彼を貶めることもやぶさかではない。むしろそうしたいとすら思っている。
思っているのだが、彼女はこの状況に一筋の光明を得た。
即ち、憂鬱からの脱却である。
これまでアルコが彼女の暮らす家に「早朝から」「直接自分で」「事前連絡もなしに」来たことは一度たりとてない。これまでと違う何かがあった、と考えるのが妥当だ。
「来た理由を説明なさい」
たったそれだけ指示し、アルコは言われるがまま端的に告げる。
「ルーナが、死にました」
微かな間があった。
アルコが奥歯を噛みしめ拳を握るための間であり、ローレライたちが言葉を理解するための間でもあった。
しかしそれも「あっという間」だ。
たった一言。そこから得られた情報はひとつ。
先の『冒険者試験襲撃事件』により運良く捕らえられた、暗殺すら請け負う危険な非公認ギルド【ドラゴンスレイヤーズ】の現役構成員、ルーナ。どんな手段を用いても、どんな尋ね方をしようとも、愛らしい顔で誘うように笑うだけで全く答えず責め苦すら意に介さない。そんな彼女が情報を全く吐かないまま、この世を去った──。
これは遠回しに、【ドラゴンスレイヤーズ】関連の調査がほぼ振り出しに戻ることを意味する。
「自殺? それとも口封じ……だとしたら遅すぎるけれど」
即座にローレライは事態の把握に取り掛かる。
これは立場上の責任からくる義務的行為などではない。ただ単に興味本位の聞き取りだ。
「分かりません」
「分からないことはないでしょう。第3部隊が調べたはずなのだから」
「自殺、とは思えません。ルーナだけではなかったのです。【聖歌隊】により拘置されていた犯罪者たち全員が、全く同じように死んでいたのです」
「こちらの被害は」
「ありません。全く」
「………変だけど。それなら他殺じゃない」
そう口から漏らすローレライであったが思考は否定を繰り出した。それが何者かによる犯行、即ち他殺だと断定したのであれば、正義漢アルコはここに来るより先に、その治安維持の権限を最大限に活用し調査に首を突っ込んでいるはずだ。
そも、アルコは怒りと無縁であれば、普段はそれなりに冷静さを備えた男だ。そんな彼が今血相を変え自分の前に居る。
ローレライはある種の危機感を抱きはじめた。到底常識の範疇にない、自分に頼らざるを得ないような予期せぬ何か。恐らくそれが起こったのであろうことを、彼女は薄ら把握する。
「何かあるのね。不可解な点が」
「全員、一切の死因がありません」
「死因がない?」
「打撲痕どころか外傷が全くない。治癒術師にも医者にも見せたが毒の類は検出されない」
「何故死んだのか分からない死体」
「一週間前の変死事件と繋がります」
あぁ、とローレライは思い出す。
数週間前。とある富豪宅にて、住人から使用人まで、屋敷の人間全員が血液が抜かれ死亡するという特異な事件が発生した。
変死事件と言われる所以は発見された遺体の特異さにある。
現場には池のような血溜まりと、治癒されたかのように傷跡が一切ない死体だけが残されている。
血液は明らかに死体の人物から抜き取られたものであるにも関わらず、針で刺した穴1つすら見つからなかった。『冒険者試験襲撃事件』から間髪置かず起こった事件ということで、巷では「【ドラゴンスレイヤーズ】がやったのでは」「彼らに敵対する別組織が動き出したのでは」──と様々な憶測が飛び交っている。
当然真相に辿り着いている者などいない。カレドゥシャ最大規模のギルドである【聖歌隊】ですら。
ただし。
死体に傷跡がなかった、というのはまだ公表されていない。あくまで巷に流布されたのは「血を流した変死体が発見された」ことだけである。
「未公開情報と同じ方法」
「だが今回は血が流れていない。死に方は同じですが、殺し方が変化している」
「でも同一犯だとすれば完全に連続殺人、しかも大量無差別。【聖歌隊】のお膝元で、よ」
「前代未聞どころの話ではない、本当に、これは、ヤバい」
基本的に自分の前では礼儀正しく丁寧な言葉を使うアルコが、「ヤバい」という言葉を口にするのをローレライは初めて聞いた。
「十中八九、魔法による殺人です」
「【ドラゴンスレイヤーズ】の暗殺なんかより厄介ね」
「街の治安に関わる事態どころではない。これはカレドゥシャのみならず、大陸全土に及ぶ重大な危機と判断します」
「そうなるでしょうね」
「……貴女のお力を貸してください、聖女ローレライ様」
魔法使い。それは『清く賢く正しいもの』たちのこと。
かつての戦争を経て、傷つきながらも学び、魔法を平和と発展のためだけに使うと決めた者たち。
その理が崩壊する音が、聖女ローレライには聞こえ始めていた。
「─────いいでしょう。退屈しのぎどころの話ではなくなってしまったけれど」
白い肌に燃えるような赤の文様が浮かび上がり、聖女はその身を変じさせる。
額から伸びる二本の角。耳は針葉樹の葉のように尖り、犬歯は八重歯などと誤魔化せないほどに鋭くなる。尾てい骨のあたりの服を突き破って、鱗で覆われた爬虫類の如き尾が生えてくる。
それはまるで、神話や寓話、そして冒険者たちの語る逸話に度々顔を出す超常の存在に似ていた。
「この『重力竜』ローレライが、最大限の助力をして差し上げるわ」
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