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第三章 ラッキー・クローバー冒険者試験編

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 背中の温もりが支えになる。

 レール自身も正体の見えない「嫌な予感」は感じていた。進む先にがある。それは強大な魔物かもしれないし、試験官たちが彼らを振るいにかけるための罠かもしれない。正体不明のそれがラッキーの言葉で具体性を持ったとき──彼はかえって安心した。
 正体が分かればどうにでもなる。
 そんな由来不明の自信が彼にはあったし、事実、どうにかできるだけの実力を、レールは持っている。

 そして。

 その光景を前に、自信などという不確かな勝利の根拠は霧散した。


 ──『グリのダンジョン』第2階層。
 位置的には丁度、階段を降りたところから次の階層までの中間にあたる。迷路のような道を暫く進んだ先では、何かミノムシのようなものが天井から吊り下がっていた。

「あれ……ヒト………?」

 ラッキーの情けない震えた呟きを耳にする頃、レールもやっとそのことを理解できた。
 吊り下がっているのは人間だ。
 あちらとそちらと、こちらに。
 27人。
 他の受験者たち、服装から見て試験官も含まれる。
 どれも死んでいる。どうしようもないくらい死んでいる。見れば分かるほど死んでいる。首をつられているのだ。四肢は重力に従ってだらんとぶら下がり、見開かれた目には光がない。ぱっかり開いた口は不平不満を言うこともなく、悲鳴も上げない。
 食い込んだ紐が首の肉を2層に分けている。外そうと掻きむしったりして抵抗した形跡も見えるが、それらが無駄に終わったからこそ、今こうして彼らは吊るされている。

「おー来た来た♪」
「……」

 そこで生きたまま佇んでいたのは二人の少女だけ。
 片方は茶髪で色白、あどけなさの残る目鼻立ちとは不釣り合いに、豊満な体つきをした少女。
 もう一方は黒髪で褐色、赤い瞳。長身痩躯の凛々しい少女。

「レールくん。あのふたり受験者じゃないです。あんな子居なかった」
「じゃあ」
「いつ侵入したのか。それともずっとここに潜んでたのか。どちらにせよ……これやらかした犯人です、十中八九」
「………ッス」

 レールが剣を構えるという、その瞬間だった。

「だいじょーぶだよラッキー・クローバー。あなたは殺さない」

 茶髪の少女……ルーナは既に、横にいた。
 愛嬌のある笑顔でレールの左横から、彼の顔をまじまじと眺めている。

「!? 速──っ」
「この男の子かわいいねぇ。カレシ?」
「このっ」

 レールの雑な太刀筋が横一閃振るわれる。ルーナは背後にのけぞる形でそれを躱し、楽しそうに声を上げて笑った。
 その腕の振りを利用し地面を蹴り、彼女は後方宙返りを華麗に決めてみせる。

「つきあってどのくらい? もうチュ~した? セックスした?」
「ッッ、コイツ、何なんだ」
「あたしルーナ」

 人が殺されているという異常事態。平然としている二人の少女。
 ラッキーは混乱と恐怖で今にも胃から込み上がってくるものを吐き出しそうだ。もう喉の奥まで上がってきている。涙まで出てきた。腰も抜けた。
 それでも。
 その大きな背中は支えだった。

 レールは強い。強いのだ。若いとはいえ魔物を一撃で撃退する技量と力を兼ね備えた逸材だ。
 なんとかなるかもしれない。
 なんとか。

「あ、それと。左腕にバイバイ言った?」
「え──」

 何かが落ちる音がして、レールはそちらに目をやった。
 ……腕が地面に落ちる。
 捩じ切れて、ぶつんと。
 べしゃっとした血が地面に吹きかけられるように落ちて、そこでやっと、レールはそこに落ちているのが自分の腕なのだと、痛みとともに認識した。

「バカなやつ」

 黒髪の少女ティラがそう呟くのを、辛うじてラッキーだけは聞き取れた。

「い゛っっ、づぁぁああああああっ!!」

 絶叫と同時にラッキーは振り落とされる。

「あぁぁぁあっ、あっ、ああぁぁぁあああッッ」
「れ、レール、くん」
「ん、ぐぅ、くそっ、ふ、う、クソックソックソッ、腕っ、腕が!!」
「レールくんっ、レールくんっ!!」
「お前、うるさい」

 今度はハッキリとティラが言葉を口にした。
 すると何かキラキラと光るものが走って、それがレールの首に纏わりつく。光は線になり、線は紐になり、やがてその紐は天井から吊るされる27本の仲間になった。
 レールの身体が持ち上がる。わたわたともがき苦しむ様子は蜘蛛の巣に囚われた羽虫のよう。
 悲鳴もない。絶叫もない。それほどまでに強烈な締め付け。無論、呼吸などできる余地もない。その締め付けで捩じ切り殺害してしまわない理由などひとつしかない。
 少しでも長く、苦しみを与えるためだ。

「……助けようともしないんだね。薄情な女だ、それともその男に対しても、そもそも情なんて無いのかな……」
「何なんですかっ、何なんです貴方たちはっ」
「【ドラゴンスレイヤーズ】」

 松明に照らされた一直線の薄い光が駆け抜けて、それがラッキーの手足に纏わりつこうとする。
 彼女はほぼ直感で「触れてはいけない」と察知こそするものの、身体は思考に追いつかない。
 なすすべなく、再び光は線になり、紐となった。手と足にそれは絡みつき、ラッキーはそこでようやく理解できた。
 糸だ。息を呑むほどに細い糸。色すら持たぬ透明な。それはティラの手首のあたり、赤黒いブレスレットを始点として伸びているように、ラッキーの目には見えた。

「魔導具『糸々累々アリアドネ』は思い描いた通りに走る糸。気づいたところでもう遅い。お前は、もう、縛られた」
「何が目的なんですかっ」
「質問をするのはこっちだ売女が」

 ギリギリと締め付ける糸の痛み。
 ラッキーは涙こそ流したが、声は上げなかった。

「お前を。それが僕らの仕事」
「………誰、の」
「誰でもいい。お金さえくれれば誰でも何でも。それがボクら【ドラゴンスレイヤーズ】」
「ねえねえ」

 恐ろしくなるほどに可愛らしい顔が超至近距離でラッキーの顔を覗き込む。
 ルーナはまるで見知った友人にでも語りかけるような距離感で、彼女に問う。

「リヴとリモンのふたりのギルドマスターって、本当にあなた?」

 ラッキーは2秒硬直した。最初の1秒は「リヴ」が誰のことを指しているのかを考えた。それがすぐに「オリヴィア」の愛称だと気づけたのは、彼女自身何度かオリヴィアの呼び方を考えていたおかげだった。残り1秒は、果たして真実を答えていいものか、しかし嘘を言えば殺されるのでは、という逡巡だった。
 彼女は冷静だった。
 至極、頭だけは回った。
 混乱はしていた。苦悩もしている。今にも吐きそうだ。鼻水も出ているし、悲鳴を上げて気を失ってしまいたいほどの恐怖もある。だが、思考は続けられた。

「──」

 ゆえに、無言を選ぶ。

「もしもーし? 聞こえてます~??」
「殺されないことを悟って口を噤んだ、かな」
「あ~~、なるへそ」

 ルーナはラッキーの頬を3回つつくと、
「じゃあさ」
 とラッキーに耳打ちする。

「あたしの質問に答えてくれたらぁ……あの吊り下がってる男の子、助けてあげる♡」
「………!?」
「そのために殺さなかったんでしょー、ティラ」

 ティラは無言だった。
 肯定であるように受け取れる。

「ね。5つ質問をするわ。全部答えてくれたら、あの男の子の命は助けてあげる。オーケー?」
「本当に、ですか」
「糸で止血、できるもんねー」
「約束してください、ぜったい、ぜったいに──」
「質問。リヴとリモンのギルドマスターはあなたですかぁ?」

 拒否権がないことなど分かりきっていた。
 ラッキーは素直に
「ええ、そうです」
 と答える。

「次の質問。何故あなたはそんなにも弱いのに、あの二人を従えることができるの?」
「………従えてなんていません、ただ、運良く二人と巡り合って、仲間になっただけです」

 コツコツと足音を立て、ラッキーのもとへとティラも近づいてくる。
 質問の回答を聞くためだ。
 ラッキーはに抑えていたからだ。

「なるほど。3つ目。貴方の過去っていうか。生い立ちってゆーか。経歴? それって、その『仲間』には話したの?」
「……………話してません」
「あっは★」

 即答したラッキーを見て、ルーナは堪えきれずといった様子で手を叩いて笑い出した。

「サイテーだわ!! 素敵!!」
「どこまで知ってるんですか、私のこと」
「質問するのはあたしなの。次勝手に喋ったら」

 ルーナはそっと針短剣スティレットを取り出すと、それをラッキーの腕に添えた。
 彼女の肘から手首にかけての長さとぴったり同じ大きさだった。

「指の感覚ないないしちゃうからね」
「……」
「4つ目。あなたの目的はなに。強い人たちをたぶらかしてなにをしようとしてるの」
「──今の世の中では駄目なんです。冒険者たちの活動も飽和してきている現在の、既得権益者だけが利益を得続けるこの構図は。いつか世界をダメにする。だから……私は協会を、この世界のシステムを破壊して、そして」

 やーん、ルーナ難しい話わかんなーい──という媚びた声とともに、彼女の視線はティラへと向けられた。
 凛々しい顔立ちが、怒りで歪み、とても醜い顔をしている。

「大言壮語だな。ラッキー・クローバー」

 腹の底から暗い感情とともに湧き出る低い音が、ティラから出た。

「教会とは『時代』だ。宗教聖イルミネア教によりボクらの時代は成り立っているからだ。協会とは『社会』だ。この時代が作り上げた、人が人として生きるための仕組みだ。例え腐敗しようともその基礎は盤石、並大抵じゃ揺るがない」
「……」
「それを壊したいなら力が必要だ。絶対的な暴力だ。【ドラゴンスレイヤーズボクら】の残りカス程度じゃ話にならない、もっと、もっと」
「……ふふ、やっぱり【ドラゴンスレイヤーズ】の目的も。だったんですね」
「チッ」

 ティラの長い足がラッキーの頭をボールのように蹴り飛ばす。
 石床に頭を打ち付けた鈍い痛みで、ラッキーは泣いた。そのまま口を真一文字に結び、天井から吊るされる28人を、ボヤケた視界で眺める。
 ただただ謝罪したかった。
 彼女には分かる。
 彼らは、ただの巻き添えだ。
 ラッキーに力がないばかりに生じた犠牲であり、彼女がここに来さえしなければ今頃笑って過ごしていたはずの人々だ。

「ごめ、なさい……」
 
 幼子のようにたどたどしい、みっともない謝罪の言葉。
 ティラはそれが自分に向けられたものだと思い込み、さらにその顔を歪ませた。
 右腕のブレスレット、魔導具『糸々累々アリアドネ』の照準は間違いない、ラッキーの首へと向けられる。

「ごめんで済むなら──ボクらは……ボクは、何なんだよぉッッッ!!」 
「──っ」

 床に転がるラッキーだけが見えた。
 薄暗い天井から飛来するそれを。
 銀色の、鋭い光。

 光は剣の像を持ち。
 そして。
 ティラの左肩へ、深々と刺さった……!

「────ぎっ、」
「………レール君………!」

 薄れいく意識。呼吸すらままならない中での、決死の一撃。山育ちのレールだからこそ耐えられた極限状態からの一手。
 最後の最後まで握りしめ、吊り上げられても離さなかった右腕の剣は、故郷を出る際に父から譲ってもらったものだった。
 ただひとえに。
 彼女を助けたかったから。
 声のする方へ、ぶん投げた。

「ティラ、大丈夫っ!?」
「痛い、集中、できない……っ」

 どさり

 音を立て、天井から吊るされた人々が落ちていく。次から次へと折り重なるように落ちてくる。
 彼らを縛る紐はもうない。消えていた。
 最期にエールが落ちてきて、ほぼ同時に、ラッキーを拘束していた糸もはらはらと解け、どこかに消えた。

 集中力。『糸々累々』の「魔法の糸」を保つにはそれが不可欠。
 一瞬、ただ少しでもそれが途切れてしまえば、糸もまた途切れてしまう。
 ティラは貫通してしまった剣を無理に引き抜くと、それを乱暴に地面に投げつける。
 怒りの表情は消えていた。
 まっさらな無表情。
 その唇が言葉を紡ぐ。

「───ルーナ。殺そ」

 瞬間、ルーナの瞳は星を宿したように、恋に落ちるように潤み輝いた。

「いいの?」
「うん」
「~~~~~~~っっっっ★♪♡」

 恍惚。
 その2文字を完璧なまでにその顔と、仕草で示した彼女は、針短剣をしっかりと握り、振りかぶる。
 まっすぐに。
 ラッキーの心臓を穿つべく。


「良いわけないでしょおバカ!!!」
 
 
 響いた柔らかい言葉は、しかし怒号だった。
 剣の先端がラッキーの胸に沈み込む寸前、猛烈な「何か」がルーナと、そしてティラまでをも巻き込み、吹き飛ばした。
 その勢いは凄まじく、ふたりはダンジョンの壁に叩きつけられる。

「──ダンジョンはわたくしのテリトリー。約束してましたわよね、それが加入の条件だと。この──」

 ロールを巻いた紅藤色の髪。冗談のように巨大な赤いリボンを腰にあしらえたフリルだらけのピンクのドレス。これ以上ないほどに「カワイイ」を詰め込んだ服装。
 だが。
 その持ち主は容貌魁偉ようぼうかいい。筋骨隆々にして精悍な顔立ち。そして放たれた先程の怒号からして間違いない、男性である。

「──エル・ザニャの」
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