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第二章 まやかし
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しおりを挟む「安らぎをぉぉおおぅ!!」
意識していてもなお凄まじい距離の詰め方。さながら機関車の如くおおよそ全力疾走で駆け抜けてくる巨漢。振りかぶった両手剣の一撃は大振りで、しかしその刃が落ちてくる速度は早い。普段通りに後方へ回避したつもりだったオリヴィアだが、ローブに攻撃がかすってしまった。
見えていた。速度も考慮した。きちんと躱したはずだった。
───見た目よりも速すぎる。
外観の質量に則った挙動ではない。リモンのような「常識的な範疇にある異常な身体能力」では説明がつかない。何者かの魔法か、それに類する力の影響だろう。
ほつれた部分に視線をやるとオリヴィアは顔を顰める。
「あーもう……っ」
相手は本気だ。
躱す以外の選択肢は2つしか与えられなかったのだから。
予め「自分は【聖歌隊】に追われている悪者である」と認識したうえで側方の川に飛び込んで逃げることを考えておくか、いまの攻撃で脳天をかち割られるか。その2つ。
オリヴィアが一般市民でないとわかっているからこその一手により、彼女のこの先の行動は更に絞られてしまった。
「あなた、わたしを知ってますね」
「オリヴィア・ベルナール。『天より使わされし癒し手』とも。レベル241治癒術師14歳、北レイルラントアウバーネ出身の赤髪碧眼、状況からこの男たちを捕縛したのも貴様だろう。十二分に冒険者としての能力も高い、すべて把握している情報と合致しているのだから間違えるはずもない……【ドラゴンスレイヤーズ】がカレドゥシャで何をしている?」
個人情報をここまで収集把握できるのは警察組織の特権だ。
かつて所属していた【ドラゴンスレイヤーズ】にて本名で活動していたのが裏目に出る。オリヴィアやリモンが追放以後、一応は本人たちなりに目立たず隠れて過ごしてきたのもこういった事態を避けるためだ。
再度振りかざされた剣を観て彼女は距離を取ろうとするのだが、どれだけすばしっこく移動しても男はピッタリついてくる。逃げ切れるだけの間合いを取らせてくれない。
やむなく口を開く。
「何もしてませんし、してたのは良いことだし、わたしもうその組織と繋がりないですけど」
「もう──ということはつまり過去に在籍していたことは認めるな」
「面倒くさい人」
「可愛げがないうえに人当たりまで悪い。育ちが悪いな、やはり」
神経を逆撫でするのは意図的であると分かっていても、オリヴィアは憤りを顔に出してしまう。
彼女はまだ、そこまで大人にはなりきれていない。
「……わたしを捕まえに?」
「無論認識してからここまで駆けつけ正体を確認したところまでそのつもりだったが、その前に一言」
その【聖歌隊】の大男は両の手で真っ直ぐに剣を構え、臨戦態勢となる。
「逮捕へのご協力感謝しますオリヴィア・ベルナール殿」
言葉と動作が一致しない。
そういう人間なのだと、オリヴィアは勝手に思い込むことにした。
「感謝ついでに見逃してくれると助かるんですけど」
「本当に今は【ドラゴンスレイヤーズ】でないなら銀時計を携帯していると思うが」
「………」
「3秒待とう」
「はいはい」
オリヴィアはカバンを引っ掻き回し、冒険者の資格たる銀時計をぐわしと見せつけた。見つかるまでに2秒。
「これで見逃してもらえますか」
「ほお」
「ニセモノに見えます?」
「………【ドラゴンスレイヤーズ】でないなら捕まえる道理がないですから。はっはっは」
その【聖歌隊】の男は柔和な顔つきとなり、すんなりと剣を収めた。なんという変わり身の早さか。
「銀時計のことまで知ってるの、気持ち悪いですね」
「また可愛げのないことを仰る」
「……気持ち悪い」
「ここから先は話し合いで解決できますか、オリヴィア・ベルナール殿」
「本当にそうできるなら」
「はっはっは」
暴れ牛のような先程までの態度が本性か。あるいはいまの優しいおじさん風の立ち居振る舞いが本来の彼なのか。
どちらにせよ、オリヴィアは二面性のある彼に対し好印象は抱かない。
「あなたのお名前は」
「申し遅れました私はジン・ボルテモア。カレドゥシャ【聖歌隊】、治安維持を担う2番隊の副隊長。レベル99、38歳カレドゥシャ生まれアインフリーレン育ち。帰郷する形でこの街の【聖歌隊】となりました。独身で、特技は猫探し、好みの女性のタイプは知性的で真面目な方です」
ここで口を挟めば「負け」だろうと思い、オリヴィアは聞き流す。
「以後お見知りおきを」
「それで。話し合いといっても……何を話し合えばいいんでしょう」
「まず教えていただきたい。【ドラゴンスレイヤーズ】のギルドハウスもしくは潜伏場所やそれに類する場所すべて」
「知りません」
「教えたくない、ではなく?」
「はい」
二人の距離は3歩半。
ジンは1歩踏み込めば大剣での攻撃が届く。
「あそこ、定期的にギルドハウス移してるので。拠点がどこかってのは口頭でしか伝わらないし、抜けた今では知る由もないっていうか」
「最後に居たのは」
「東北のヘリトブルク。教会から南に水路を3本挟んだ家を、5件まとめて借りてギルドハウスにしてました」
「なんと。案外素直に教えてくれるのですね」
「教えないとあなたと戦わなきゃでしょ。めんどくさいもん」
「いやはや賢くていらっしゃる、話が早くて助かります」
この場で正義の味方たる【聖歌隊】と戦ったなら。あるいは逃げたなら。その様子を誰かに見られたなら。
オリヴィアは辛うじて社会的立場を考えるくらいの落ち着きは持っていた。本当ならば今すぐにでもジンという男を、比較的暴力的な手法を用いて黙らせてこの場から離れたいが、それはしない。できない。
最初から行動は絞りに絞られ、今に至っていた。
「どうせ痕跡とかも残ってないしあの人たちから怒られることはない。あなたに嘘をつくメリットもない。正直に話したほうが楽で、安全です」
「ふむ」
ジンは眼の前の少女が思ったよりも子供でないことを悟ると、少しだけ顔を顰めた。
「では続けての質問も正直に答えていただきたい。【ドラゴンスレイヤーズ】構成員は何名ですか。名前がわかる冒険者はすべて教えてください」
「これ、話し合いじゃなくて」
「聞き取り調査も兼ねていますよ。もちろん」
「ちゃんと話せば」
「逃がします」
「本当に?」
「私は本気だし、これは誇りなのですが、教会の信徒となって以降嘘をついたことがない」
これは尋問である。
話し合いなどという平等な天秤の上でなされるものではない。
単純な戦闘能力で見ればオリヴィアは確固たる自信を持つのだが、立場ゆえにジンという男には逆らえない。
「それで、構成員は」
「……ギルド・マスターはエイハブって人ですけど、たぶん偽名です」
「エイハブ。なるほど」
「他のもたぶん偽名です。マスター含めて8人は会ったことがあります。構成員はそれ以上いるはずです。名前は──」
ジンは手帳を取り出し、詳細のメモを取り始める。
「お願いします、特徴も合わせて」
そうして語られたのは7名。
ルーナ、女。茶髪で色白、かわいい。
ティラ、女。黒髪褐色赤目、無口。
ガトー、男。髪も肌も白く細く骸骨のよう。
エルザニア、男……であり女。派手な髪色は良く変わる。強い。
リタ、性別不明。変装が得意。恐らく女であるとオリヴィアは推測している。
レーゼ、男。竜殺しを2度達成した強者。
リモン、男。強い変態。
「これにマスターのエイハブを合わせた8人が、私の知る【ドラゴンスレイヤーズ】です」
「案外女性が多い」
「わたしが女なので、女の人と会う機会が多いのは必然じゃないです?」
「………なるほど。詳細は後ほど伺うとして」
「これは時間稼ぎってことなのね」
「はい、隊長と所要で。ここが落ち合う場所だったのです。折角ですし彼にもあなたの話を聞かせてあげたいのでね」
己の運の悪さをオリヴィアは呪う。
なぜそんな集合場所でたまたま偶然、自分の正体を知る、しかも警察にであってしまうのか。
面倒なことに、彼女はこれからありとあらゆることを洗いざらい質問されるに違いなかった。
「興味本位での質問ですが、なぜあなたは本名を使うのですか」
「わたしを知ってる人がいないから、ですね。本名でやっても困るのわたしだけなので」
「もうひとり本名の男がいますね」
「……」
ジンはそこらで転がったままの、落書き犯たる不良グループを指さした。
「あの拘束技術はリモン・カーディライトから教わったわけですか」
──ここでリモンの名前を出したのがマズかった。真実を伝えたほうがあとあと面倒がないと踏んだオリヴィアの判断ミスである。
「あれは数年前まで【聖歌隊】で指導していた方法です。人道的に問題アリとのご意見が寄せられ、現在は使用されていません」
その顔にありありと驚きの表情を浮かべてしまったがために、ジンはその事実を口にした。
「まさか本当に、【ドラゴンスレイヤーズ】に移籍したとは。恥晒しにも程がある」
「それって、つまり」
「リモン・カーディライトは元【聖歌隊】の構成員ですよ」
*
リモンは山へ芝刈りに行ってきた。
なんてことない、本当にただ芝刈りをしてきただけである。
連れ出されたノッペラは、元々猫背な背中を更に丸め大変不服そうではあったが、きちんと【ラッキーウィスカー】の一時的一員として役割を果たした。ふたりは猛烈に、半ば張り合うようにして獣道を開拓し、人が歩けるだけの通路を整備してきたところだ。
徒歩でカレドゥシャへ戻ってきた彼らだが、疲弊はそれほど見られない。
「なァー」
「なんだ」
「何でこんな仕事受けるンだよ」
さまざまな意味が込められた質問だった。
オレは芝刈り屋じゃないんだぞというプライドもあったし、大した報酬も出ない小領主からの依頼だったというのもある。加えて「リモン・カーディライト」が受ける仕事にしてはあまりにも地味ではないかというのが、ノッペラが抱いた最大の疑問だった。
「人のためになるから、だな」
「やりがいってヤツ?」
「生きがいだ」
「搾取されてンなァ、あんた」
「生きがいというより生きる意味だ。人のために生きるのは、誰もがやっていること」
「そんな考えのやつが人殺しすンのかよ」
リモンの足が止まる。
「あんたに殺しできンのかってこと」
「………」
「この際聞かせてくれよ。【ドラゴンスレイヤーズ】はガチで裏稼業……暗殺集団なのか?」
「【百鬼夜行】も悪事は働くだろう」
構わず歩み始めたリモンの肩をつかみ、ノッペラは食らいつく。
「話を逸らすな」
「魔物の繁殖補助のことだけじゃない。恐喝、強請り、その他暴力的な手段による優位性の確保。やってないとは言わせない」
「やってねェ」
「ならば何故お前はそんなにも暴力的なのだ。【百鬼夜行】という建設ギルドがなぜ構成員に強さを求める。仮面のシステムからしてそういうことだろう」
「冒険者ギルドだぜ。魔物とも戦わなきゃいけねェこともある。そのためには強いほうがいい」
「ナメられないためにも、か?」
「そうだよ」
「俺はその事を言っているんだ」
「…………強いことは悪いことかよ?」
どう使うかだ、とリモンは吐き捨てるように述べると、いつまでも肩の上にあるノッペラの手を振り払った。
「お前、俺を殺そうとしたよな」
「した」
「お前にはあるのか。人を殺した経験」
「無ェ。毎回ヒトツメに止められてたからな」
「………」
ノッペラという男は嘘をつけるほど器用な人間ではなく、また相手の気持を慮るだけの道徳心を持ち合わせる人間でもなかった。
だからこそ。
「なァあるのか。あるんだろ。あるんだよな、な。その態度ってことはよォ」
「…………」
「罪滅ぼしか」
「そうだ」
「正義の味方気取って。盾騎士だとか、命を守るとか言ってンのか」
「そうだ」
「じゃあそもそも何でだ。何で殺っちまったンだよ。ヘンだぜそこらへん。付き合いは短いが、『らしくねェ』としか思えねェ。何で人殺し集団に入ったんだよ」
「正義の味方を気取って罪滅ぼしをしたからだ」
「……………ァ?」
首を傾げるノッペラを置いて、リモンは大股で歩き去る。彼が抱えていた兜を被ると、そこには全身夜よりも深い黒に身を包んだ騎士が現れた。
「おいノッペラ」
「ンだよ」
「お前の『正義』は何だ」
「知らねェ」
「ならばそのうち見つけろ」
「どんな意味があンだよそれに」
「それも自分で見つけろ」
「年下のクセにイチイチうるせェぞ殺すぞ」
「たった2つしか変わらないだろうに」
彼が殺す殺すと口にするたび、リモンは嘲笑するようになっていた。
本当に殺すつもりなら、彼の身を蝕む『呪い』により、ノッペラの敵意は何らかの物理的な形でリモンに牙を剥くはずなのだ。オリヴィアの部分的な解呪により敵味方の区別がつくとはいえ、敵意を吸い寄せるという呪いの根本的な問題が解消されたわけではない。
最初に出会ったとき、怒りに任せて本当に殺害しようと向かってきたあのとき以来、ノッペラは本心からリモンを殺そうとはしていない。
口先だけのノッペラが幼く感じられてしまい、リモンはつい笑ってしまうのだ。
「………フン」
それでいて、彼はノッペラが自分を慕い始めていることも薄々感じ始めていた。
自分を負かした相手だからなのか、【ラッキーウィスカー】ギルドハウス内では唯一の男同士だからなのか。そこは判然としないのだが、ただ確かに、憎まれ口やガサツな態度は変わらないものの、ノッペラはリモンと会話したがることが増えた。
「おいリモン・カーディライト」
「……町中で名前で呼ぶなと、何度も」
「見ろよ。何か来てるぜ、向こうの路地から」
風の吹く音。
突風の音。
カレドゥシャの街を吹き抜ける音。
「スゲー速ェ。風かと思ったけど風じゃねェなコレ」
「………ノッペラ」
「跳ねる音……か?」
「ノッペラ!!」
「ッ、ンだよ急に」
「逃げろ、可及的速やかに」
「何でだよッ」
ノッペラは無理矢理に背中を押され、意味もわからず駆け出した。
リモンもまた自分のあとについてくるのだろうと、そう思って。
「一体どういう──」
覗き穴のない面を着けた彼は何も見えない。しかし彼、ノッペラはこと気配を敏感に察知することに秀でた男だ。見るより「見える」。聞くより「聞こえる」。のっぺらぼうの面はただ彼の顔を隠すためだけのもので、それがあるからといって知覚できる領域が狭まることはない。
ただこのときだけ。
この日このときの一瞬だけ、彼には見えず、聞こえなった。
ノッペラは振り返り……すぐ後ろにいるはずの男の気配が、そこにないことにやっと気づく。
「オイ、オイオイオイ」
音がした。跳ね返す音。ノッペラ自身も耳にしたことのある、リモンの盾と金属の武器とがぶつかる音である。
「……何が来た。何が居る。アンタ、何と戦ってる……?」
気配を消して現れる。風のような速さで駆けてくる。白の制服に金の装飾。肩には星に天使の輪がついた赤い紋様。
彼はこの街の正義の味方。
「アルコ・ロードリエス……ッ」
「見つけたぞ、リモン・カーディライトッッッ!!」
声。
怒気に満ちた男の声。
やっと薄ら気配が放たれ、ノッペラもその存在を知覚した。
細身の剣を振るう青年だ。背丈はリモンより低いが引き締まった体つきをしている。
彼が振るった剣は盾に跳ね返されることなく、さながら鍔迫りのごとく拮抗している。
力比べでリモン・カーディライトと対等に渡り合っている。以前リモンにそれで敗北したノッペラは、ただその事実だけでその青年、アルコ・ロードリエスに対し危機感を覚えた。
加えてリモンが「逃げろ」と指示を出している。客観的に見ても、少なくとも今のノッペラはこの戦いにはついていけないのだ。
「今更カレドゥシャに来て何をする、人殺しにまで手を染めた悪人が……!」
「フン──」
ノッペラは弁えていた。
逃げることに意味があると理解したからだ。
大きく舌打ちをした後、彼はその場から逃走を開始する。目指す場所はこの状況を変えられるかもしれない仲間の元。オリヴィア・ベルナールのところ。
「──口は悪いが……なかなか判断が早い」
「仲間を逃がしたか。今はいい、見逃そう」
「何故帰ってきたかと聞いたな」
「そうだ。どの面を下げて」
「この面だ。今は見えないだろうが……っ」
リモンがさらなる力を込め盾で押し返そうとする寸前、アルコは身を翻し宙空を舞い、間合いをはかる。
風で遊ぶ木の葉のような身軽さ、軽快さ。超接地により地に足をつけたリモンの「剛」を「柔」でいなす。リモンが可能な限り攻撃を躱すようにするのと同じ。
その身のこなしはリモンにこそ僅かに劣っているが、アルコも十分達人の域にある。
「答えを聞きに来たんだ、アルコ」
銀縁のメガネが差し込む陽を照り返す。
アルコ・ロードリエスがどのような瞳でリモンを見つめているのか。そもそも彼を見ているのか。分からない。
「オレも聞きたいことが山積みだ、リモン」
その会話はまるで旧知の仲のようでありながら、余りにも刺々しい。
方や悲哀で。方や怒りで。
まぜこぜの感情が音になって、問いになって、互いへと届く。
「「お前の『正義』は何だ」」
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