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第二章 まやかし

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 ──ギルド【聖歌隊】。
 それは聖イルミネア教会直属の治安維持・事件調査のスペシャリストたち。すなわち警察組織である。
 発足はカレドゥシャ。教会傘下の自衛団体だったのだが、彼らの守護の範囲はやがてその地で暮らす人々全体へと広まる。現在は全国各地の教会協会ごとに支部を持ち、名実ともに世界最大規模のギルドとなった。
 
 その成り立ちゆえに設立そのものは教会協会よりも古い。歴史は極めて長く、冒険者たちが冒険者と呼ばれるより前から、その前身は存在している。
 時代とともにその在り方は変容してきた。ときには軍隊に。ときには非武装専守防衛の部隊に。またあるときは女性のみで組織され、社会における性差の是正を訴えた。
 共通しているのは、常に誰かの味方であったということである。

 最大の転換点は数年前に遡る。

 とある事件を発端に、カレドゥシャ【聖歌隊】内部の人間が非公認ギルドから裏金を受け取っていることが明らかとなったのだ。
 市民からの糾弾を受け、彼らはその非公認ギルド──【ドラゴンスレイヤーズ】との対決へと向かう。
 かねてより治安の悪化を招く組織としてマークされていた【ドラゴンスレイヤーズ】を放逐するにはよい機会であるとして、【聖歌隊】は武力制圧を敢行。カレドゥシャに控えていた戦闘要員の8割を率いて出立し、【ドラゴンスレイヤーズ】の捜索へと乗り出した。

 ……そして成果ゼロ、犠牲者計13名での帰還。【ドラゴンスレイヤーズ】の拠点発見はおろか、構成員の把握すらできずじまい。更には道中の魔物との戦闘により死傷者を出す結果となった。
 何よりも人々の反感を買ったのは、この武力制圧のために用意された資金の母体が「協会」だったことだ。
 人々が救いを求めて、あるいは平和を感謝し、あるいは地位を確約するために納めた金。税にも等しい。そこから得られたものが何もないのである。
 
 市民たち、特に冒険者たちの怒りは頂点へ達する。これにより【聖歌隊】は存続を危ぶまれるほど信用を大きく損なうこととなった。
 それから数度の組織内改革を経て、協会とも距離を置き経済的にも独立した組織へと変貌。組織の基盤も再び聖イルミネア教会へと戻り、今では「お固い正義の味方」として復権。
 発端となったカレドゥシャの【聖歌隊】は現在、4人の厳格な部隊長の指揮のもと、法の番人として治安維持を専門に担っている。なんだかんだと言っても一大交流拠点、しかもその人口の殆どが冒険者であるカレドゥシャの治安がレベルなのは、彼らのおかげだ。
 
 協会調査の「子どもたちの憧れのギルドランキング」3年連続第1位。
 教会の教えと人権道徳を重んじる。それがいまの【聖歌隊】だ。





 カレドゥシャの街を男が急いて闊歩する。
 
 白の制服に金の装飾。肩には星に天使の輪がついた赤い紋様。ある程度知識のあるものであれば、彼がカレドゥシャ【聖歌隊】に居る4人の部隊長のうちの一人であるとすぐにわかる。
 彼の名はアルコ・ロードリエス。
 最も真面目で、最も頑固で、今最も住民たちから信頼を寄せられている【聖歌隊】の構成員である。

「ヨシ」

 路地裏に目を通し、怪しい物品や怪しい人間がいないことを指差しで確認。そのまま人差し指で銀縁の眼鏡をクイッと持ち上げ、その後手元のメモ帳に
──────────
 7-3番地異常ナシ
──────────
 と雑に書き留める。
 そんな走り書きはゆうに100を超えていた。どうやら朝から裏路地という裏路地を虱潰しに見て回っているらしい。
 
「……」

 険しい顔で路地を再度覗き、彼はまた次の裏路地へ、吹き溜まりへと向かっていく。

「どこにいる……リモン・カーディライト……!」




   *




 ある日のこと。
 オリヴィアは川へ洗濯へ向かった。
 社会の洗濯である。
 この世の中の汚れを排除するのだ。

「おりゃ『即時回復リカバリー』おりゃおりゃ」

 ひとり、またひとりとならず者たちが倒れていく。
 彼女はこういった仕事のが得意だ。
 依頼というかたちでノルマを用意され、それをこなす。人のためにもなるし、自分もお金を稼げる。分かりやすく単純な仕組みだからこそ、悩むことなくナイフを振りかざせる。

 彼女は治癒術により敵の傷を癒やしているし、それ自体が攻撃でもある。しかしその手には確実に人の肉を刺した感触と、返り血のあたたさが残り続ける。
 生きるため、日銭を稼ぐため。オリヴィアにはそもそも悩んでいる暇などないのかもしれない。
 
「『即時回復』」
「うわーっ、やめろ、やめてくれっ殺さないで」
「……殺さないわよっ」
「うぐっ」

 6人組の不良グループ。カレドゥシャの景観を損ねる落書きを繰り返していたとして、ならず者として逮捕の依頼が出ていた連中。
 なんて暇な人たちなのだろう。
 オリヴィアは彼らを見てそう思った。

 彼らを気絶させたこの橋梁の下にも、既に落書きされている。
『魔法を捨てろ!』
『ドラゴンを殺せ!』
 濃い色の顔料を使い、そんなスローガンじみた言葉を刻み込んでいた。

 過去に魔法による大戦が2度起こったこの世界、魔法を人が使うこと自体にネガティブなイメージを待つ人間はゼロではない。
 冒険者が飽和状態に近づく昨今、魔法や魔法使いのニーズは高まっている一方、彼らの活躍の場が増えるのを危険視する者たちもいる。挙げ句「魔法の大元はドラゴンであるから、ドラゴンを排すべきである」という論調もあるとかないとか。例外的に、攻撃能力を持たない治癒術師はかなり肯定される立場ではあるのだが……。

 不良たちは感化されたか、真似しただけか。そんなマイノリティたちの言説を落書きとして世に広めていた。

「魔法のことなんにも知らないくせに……」

 オリヴィアの怒りと呆れ半々の表情。落書きを見て湧いて出た全ての感情がそこにあった。

「この世のよいことわるいこと、全てが魔法なのに」

 ──彼女は魔法を単なる技術や便利な能力として片付けない。自然、あるいは「精霊」という得体のしれない何かしら、すなわち人の営みや自然の摂理よりも根深い何かの力を借り受け用いることの真の意味を知っているからだ。
 オリヴィアは治癒術師という魔法使いでありながら、魔法を権化たるドラゴンを屠った者でもある。それにより何を得たのか、何を知ったのか。把握しているのは本人のみ。

 オリヴィアはオリヴィアで、この世の理じみたものの正体を掴んでいるようだ。
  そうでなければ、彼女の口から出る「魔法」という言葉の、年齢不相応な重みは説明できない。

「ああ、一応紐かなんかで縛らなきゃ」

 思い出したように肩掛けのカバンから麻紐を取り出したオリヴィアは、地べたに横たわる不良たちを慣れた手付きで拘束していく。
 三角座りの体勢にして両手を膝下で縛り、足首を縛った後に首に回した紐とそれ繋げる。【ドラゴンスレイヤーズ】在籍中にリモンから教えてもらった、最も脱走させにくい拘束方法である。

「これでヨシ」

 あとは協会へ報告し現場確認をしてもらうだけ。
 フードを被って立ち上がろうとした彼女の視界に、こちらへ向かってくる何者かの影が入ってくる。
 その人物がまとっているのは白服。見紛うことなき【聖歌隊】の制服である。
 反射的に逃げ出そうとしたオリヴィアであったが、今は特段逃げ出す理由がないことを思い出す。

 それに指名手配者や犯罪者、ならず者たちの捕縛等々、冒険者たちに一部委任されている特権は【聖歌隊】の管轄だ。この手の依頼の事後処理は古くから【聖歌隊】の仕事である。
 これは協会に報告するよりも早くていいということで、彼女はその場で白服に大きく手を振った。

「おーい!」

 全身赤ずくめの少女が大手を振る。
 目立たないはずもなく、白服は速度を上げてこちらへ向かってきた。 
 
「おーい、聖歌隊さーん、おーい」

 白服は巨体である。その巨体が猛烈な速度で突風のごとく駆けつけてくる。
 しかも。
 剣を構えて。
 何やら声も聞こえる。白服の声であろう。早口に、しかし聞き取れるハキハキとした物言いで、だがやはり早口で。

「………崇高なる教えに則り万人を許し万人を救い給え、安らぎを。天におられる私たちの神よこの咎人をお許しください。私たちはイルミネアの代行者として罪には罰を与え、咎人に贖いの日々を用意します。崇高なる教えに則り万人を許し万人を救い給え、安らぎを。天におられる」

「………あれ。これもしかしてわたし、逃げたほうがいい?」

 嫌な風が吹いた。
 オリヴィアはもう逃げられないことを悟り、そっとローブの下へ手を差し入れる──。
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