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第二章 まやかし

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「良かったです、あんなところに見知った人が居て」

 オリヴィアはアッカ・ニオンの頼りない顔を見上げつつ、真顔でそう口にする。
 彼女は嘘が下手である。

「あは、あはは、は」

 アッカは暮れはじめた空を見上げ、愛想笑いらしきものを浮かべた。

「なぁ、ええと、何だ、その、だな」

 途切れ途切れの言葉は何か言いたげなのだが、今ひとつ要領を得ない。
 ……オリヴィアが迷子になり、アッカの助けを借りてギルドハウスに戻るまでの道のり。
 彼はこれまでの道中一度も、意味のある会話をしていない。話題が見つからないというよりは、余計なことを口走らないよう自制しているようだった。

「何ですか」

 ふたり無言のままというのも気まずい。オリヴィアは何度もコミュニケーションを取ろうと図るのだが。

「何だ、ってのは、ええと、まあ、うん、何でもねぇ、ってこと、だな。です」

 ぎこちない返事が寄越されるだけ。

「……………」
「あ、あそこ曲がると大通りだ──です」

 アッカの指が先の路地を示す。
 微かではあるが、人々の声も流れて聞こえてくる。

「へぇ」
「でも、あなた様方のギルドハウスへの近道は、ここ真っ直ぐだから」
「あなた様方」
「ん?」
「いいえ別に」

 アッカは地理に明るかった。
 もしかするとカレドゥシャの路地を隅から隅まで知り尽くしているのではないか、とオリヴィアに思わせるほどである。
 思うだけで確証に至らないのは、やはりアッカの頼りなさげな雰囲気のせいだ。終始どこかおろついており、何かを怖がっている風。
 今に限って言えば、オリヴィアを恐れているようにも見える。

「アッカさん、でしたよね」
「ああ、そう──です」
「無理して堅苦しい喋り方しなくても」
「あなた様方には失礼があっちゃなんねぇって言われてるんで」
「尾行するのは失礼じゃないんですかね」
「気づいてたのか!?」
「………あ」

 言ってしまったことは仕方がない。
 彼女はバツの悪そうな顔をしながら、無言を持って肯定する。
 
「あぁ……やっぱりそうか……そうだよなぁ」

 アッカはほんの少しだけ気を落としたような様子を見せる。
 予想はしていた。そんな具合。

「なあ譲ちゃんがよ……【ドラゴンスレイヤーズ】って本当なのか?」 

 疑問、と言うよりは確認に近い質問。
 やっとの会話。オリヴィアは深くフードを被った。

「まあ。元ですけど。あんまり外でその話はしないでくださいね」
「赤い髪に赤い格好、きれいな青い目。噂通りだけどよ、もっと、こう、何だ。その……イメージ、違うな?」
「子供だって言いたいの」
「いや違う、噂よりかわいいなって」
「ロリコン」
「違うっ」

 どうしたものかとアッカが言葉を探す。

「いや、そうかもしれねぇけど──あー、ロリコンの話じゃなくて。子供だとは思って、しまった、いや、その、ごめんな、デリケート、デリカシー……あー、うーん」

 どうしたものかと彼なりに試行錯誤してみる。声とも呼べない唸りをウンウン繰り返した後。

「言うほど子供でもないぜ? 多分」

 やっと見つけてきた言い訳の言葉はあまりにも杜撰だ。
 オリヴィアの顔つきはどう見ても子供。

 ──彼女の本質を見据えた上で選んだ言葉なのであれば相当なものだが、アッカはそこまで察しの良い男ではない。

「言うほどに大人でもねぇけどよ。まだちっちぇからよ、でも、大人になる余地はあるって言うか、何ていうか、あー……何だ。大人だよ、うん、大人になろうとしてるなら、それで大人だ。顔つきとかよ」
「………」
「そのうちデカくなるって、気にすんな」
「うるさい」

 ついにオリヴィアが丁寧な言葉を使うのをやめた。

「怒ったのか……?怒らないでくれよ……頼むよ……おれがよ、怒られちまうからよ……」
「別に、怒ってないけど」

 怒っていた。

「な、な。オリヴィアさん」

 挙げ句、アッカは年下の少女に敬称を付けるに至る。

「何」
「オリヴィアさんって、強いのか?」
「強いよ」
「どんくらい強いんだ?」
「わたしひとりでドラゴン倒せるくらい」
「お、おお、そりゃ、すげぇ」

 ──本気にしている。
 オリヴィアは直感的にそのことを理解した。
 アッカは単純だったし、そも彼女とリモンに関し、彼の所属するギルド【百鬼夜行】のカシラ、クロードが何かしらの言いつけをしているはずであるから、ある程度予想はできていたはずだ。

 素直な相手。
 特段疑うこともせず、オリヴィアは会話を続けた。

「最近だとブラックコボルトもひとりで倒したり」
「………ブラック、コボルト。デカい黒いコボルト」
「はい」
「そうか…………」

 何かを思い出したように、アッカは手のひらを洋服の腹のあたりで拭う。

「あんただったのか」
「どういう意味」
「ブラックコボルトが最初だった。それからスライムでノッペラとヒトツメがやられて、なんかおかしいってなって。そしてワイバーン。全部、あんたらが絡んで」
「ちょっと、まさかっ」

 オリヴィアの顔が変わった。
 怒りが瞳に宿った。
 彼女はアッカの胸ぐらを掴む。衝動的かつ最早反射的とも呼べるものだった。  

「あなたたちのせいで……っ!!」

 ぶつかるほどの距離でアッカの顔を見据える彼女も気づく。
 彼もまた、怒っていた。

「もう人は住んでねぇ集落だった。『牧場』にしたんだ」
「でも人が、食べられて」
「仲間だよ。おれらの」
「死んで……」
「そうだ。二人だ。ネコマタとヒョウスベってやつらだ。本名は知らねぇ、カレドゥシャの外から来たやつらだけど、かわいい子分みたいなやつらだった」

 アッカが声を震わせる。
 オリヴィアは既に手を離していた。

「事故だ。いきものだぜ、魔物だぜ。押さえつけられないことは分かってた、けど、上からの命令で、ヤバいことだってのは馬鹿なおれらも分かってた。だから報酬の額もデカくなるってこともだ。カシラがやってたことの仕組みはおれでも分かってた。だから、みんな知ってたと思う」
「あなたたちって、どこまで愚かなの」
「因果応報なんだ、全部」

 しきり手汗を拭いながら、彼は無理矢理に視線を上げてオリヴィアを見た。

「おれらさぁ。ば、馬鹿だからさぁ。勉強とか、でき、できない、できなくて、身体だけ頑丈で。冒険者にはなんとかなれたけど、ギルド入れなくてさぁ」
「……」
「カシラには、感謝して、あー、だから、おれを入れてくれたの。すごく、嬉しかった。分かるか? 居場所だよ、『家』も『家族』もくれた」
「………わかる、けど」
「みんな感謝してるはずだ。だから手を貸した。言われたとおりにやって、こうなった。なあオリヴィアさん、カシラのこと悪者だと思ってるだろ」

 オリヴィアは躊躇った。
 彼の言うカシラ、クロード・ガシャは魔法使いの風上にも置けない悪党だとオリヴィアは考えていたのだが……素直なアッカがここまで信頼を置いている。
 つい疑問に思うのだ。もしかするとクロードは本当に、すべて仲間のために、仕方なくああするしか無かったのではないか、と。

 首を縦に振るのは簡単だった。
 しかし思い返せば、自分も人々の命を救う治癒術師にも関わらず、ときには人と争うこともある。【ドラゴンスレイヤーズ】に居た頃なら尚更。
 逡巡の末。

「悪者だとは、思う」

 結局そう答えた。
 それはつまり自己否定でもあった。

 アッカは
「正直な人だ」
 と言って暫く居心地悪そうにしていたが、また頼りなさげな顔に戻って一言。 

「仇討ってくれて、ありがとう」

 オリヴィアにそう告げた。

 同時に左の手で扇ぐような動作をする。
 それと同時に、何者かが移動する気配をオリヴィアは感じ取る。
 そこで彼女はことに、やっと気づく。

「わたしを襲わせるつもりだったの」
「いいや、そんなことはねぇよ。わざと襲わせてそれをおれが助けて恩を売ろうなんて。そんな真似考えちゃいねぇさ」

 語るに落ちていた。
 道に迷ったことでオリヴィアは荒事に巻き込まれず──否、起こさずに済んだようだ。不幸中の幸いとはこのことだ。

「しかも強いってんだろ。なら尚更、そんなことやらねぇとも」
「子供だから強いのは変、だとか思わないの?」
「さっきオリヴィアさんは大人だってことにならなかったっけか?」
「…………ん?」
「…………え?」
「わたしって大人だっけ」
「いやまだ子供だろ」
「え?」
「ん……?」

 壊滅的なほどに話が噛み合っていない。
 しかし平和なことに、現状呆けた顔で首を傾げた二人が通路に棒立ちになっているだけだった。



   *



 リモンは首を傾げた。
 ギルドハウスに帰宅するなり彼の目に留まったのは、見覚えのない黒光りする立派な鎧一式。展示でもされるように飾られている。

「はて、さて」

 彼が欲したものより数段豪華な作りであり、華美とは言わないまでも丁寧な装飾が施されている。
 価格などとても推察できるものではない。業物である。
 
「何だこれは」

 もちろん鎧である。

 近づき、リモンは兜を指で弾く。
 するとやや低めの金属音が鳴った。重厚で質の良いものだと素人の耳でも分かるくらい、心地の良い音色。
 ……と同時に、彼は1枚の手紙がテーブルに置いてあるのを発見する。

 ──親愛なるリモン・カーディライト様へ──
 
 ただそれだけ、上質な紙に黒のインクで認められている。

「ふむ」

 リモンは微笑む。
 特に意味のない微笑みだ。
 
「なるほどな」

 なるほどなどと言っているが事態を理解できている訳でもない。

 これは3つのことを示す。

 ──ひとつ、牽制。
 彼ら【ラッキーウィスカー】のギルドハウスに、無人とはいえ難なく何者かが忍び込んだ。住処を知っている、いつでも忍び込める、つまりいつでも、彼ら彼女らの寝首を掻けるのだということを示した。
 
「推察。髑髏仮面からの贈り物……だろうな、うむ。鎧のことはラッキーたちとアイツにしか話していない」

 ──ふたつ、立場。
 提供された鎧は十二分に高級なものだ。
 これが本当にクロードから寄越されたものであるならば、彼がリモンに語った北国からの大口の案件は嘘偽り無かったことを示す。
 それはつまり今後も【百鬼夜行】は悪事を働かずとも十分な収益を上げるだけの実力があり……現時点で社会的立場が【ラッキーウィスカー】より上であることを暗に示す。

「夜の闇よりも深い黒をした、盾騎士に相応しい──否、相応しすぎる防具ではないか」
 
 ──みっつ、和睦。
 忍び込んだところで荒らすのではなく、プレゼントを置いて帰っている。家財道具も金目の物も盗られておらず、ただそこに鎧があるのみ。
 つまりこれは、善意のプレゼントでありながら停戦協定の申し出でもあるのだ。

「無論、悪党からの賄賂など受け取らんがな」

 そう言いながらリモンはその鎧を装着した。ぶつくさと悪党への恨み言を垂れ流しながら、スムーズに。

「受け取らんが、着けないとは言っていない」

 屁理屈だった。

「軽いな、しかし堅い。素晴らしい」

 今や微笑はニヤケに変わっている。

「どうしようか、棄てようかと思ったのだが勿体ないな」

 なんとか理由をつけて自分のものにしたい、そうリモンが画策しているところに。

「帰りました」
「おお、オリヴィア」

 建付けの悪い玄関を無理やりこじ開け、オリヴィアが帰ってきた。
 後ろの方でアッカが手を振っていたが、彼女はそれを無視して戸を閉める。

「お、買ったんですか?」
「否、プレゼントのようだ」
「誰から」
「髑髏から」

 やや間を置いて、オリヴィアは髑髏がどの人物を指すのか理解する。

「へえ。汚い金で」
「そこは心配ないとかなんとか言ってたぞ。全部寄付したそうだ」
「え、まさか会ったんですか!?」
「うむ。すぐに別れたがな。それで帰ってきたら置いてあったのだ。まるで俺を出迎えるように」
「それって──」

 オリヴィアはひと目見てその鎧が高級品であることを察知する。
 そして先程の、このことが示すみっつのことを瞬時に把握した。

「──あー、そう言えば」

 彼女は思い出す。
 アッカ・ニオンは彼女をギルドハウスまで送り届けた。正確に、近道まで使って。
 それは彼がこの場所を知っているからに他ならない。
 既に相当量の情報が漏れていると見て間違いなかった。

「どうした」
「あの人たち、結構組織力あるというか……したたかですね」
「どういう意味だ」

 オリヴィアは少し考えた後。

「【百鬼夜行】が敵じゃなくて良かったですね、って話」

 彼が理解しやすいように、端的に言葉を述べた。

「ほう、ならやはり鎧は棄てなくてもいいか」
「貰っちゃいましょ。どうせひと月しないで追い剥ぎに盗られちゃうんだし」
「ふむ」
「大変ですね、お互い」
 
 リモンがフン……と息を吐いたそのときだった。

「……オリヴィア構えろっ」

 せっかく閉めたばかりのギルドハウスの扉を乱暴に開け、ひとりの人物が踏み入ってきた。
 まっさらな凹凸のない面。黒髪で猫背。そのシルエットには見覚えがある。

「邪魔するぜ」
「貴様は──」

 かつてリモンたちと刃を交えた男。【百鬼夜行】の構成員のひとり、ノッペラだった。

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