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第二章 まやかし

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「ラッキーさん、毎朝『退職したい』って泣いてますよね」
「うむ」
「あの人何なんだろ」
「謎多き女性だ」
「それしか言わないじゃーん」

 非公認ギルド【ラッキーウィスカー】、始動5日目。

「結局あのふたりのことも教えてくれない」
「何だったんでしょうね、スライムのときのお面の人たちは」
「……二度と会いたくない。疲れる」
「同感です」

 仮面の二人組とのいざこざから数日。オリヴィアとリモンは活動を控えていたものの、やはり何より金が無い……ということで、ラッキーがこっそり協会の依頼を横流しを再開したのだった。

「いやしかし、労働は辛い。ラッキーのように協会での事務となれば尚更」

 心地良い風が吹く。
 優しく暖かな風だ。

「見ず知らずの冒険者に愛想笑いをせねばならんのだからな。心労は絶えんだろう」
「ギルドマスターのが5億倍忙しいと思うけど。あの人分かってるのかな……」
「やや軽視している部分はある。我らのかつてのギルドマスターなど、あの歳で白髪だ」

 輝く太陽。
 押し寄せてくる日差しの束は決して煩わしいものではなく、外で過ごすには丁度良い塩梅だ。

「リモンさん、ラッキーさんに優しいですよね」
「俺は彼女に5宿7飯の恩があるからな」
「ヒモじゃーん」
 
 ──ここはカレドゥシャ南西に広がるネトゥス草原。

「それはそれとして。今日はどんな仕事を」
「ハンティングだ」
「また魔物の討伐、ですか」
「フッ、今日我々に狩られる運命にある憐れなる獲物は、竜の姿を借りし矮小なる魔物よ」

 リモン・カーディライトは仁王立ちで爽やかに微笑み、そこに立つ。携えた身の丈ほどもある盾が陽光を受けキラリと光った。余計なほどに光った。
 その傍らには緋色のローブを纏った少女。

「このポイントが狩場となる」
「また手間のかかる面倒な仕事を」

 オリヴィア・ベルナールは呆れ顔で空を見上げた。
 上空には鳥のように羽ばたく影が3つ。

「あーいるいる、ワイバーン」
「目標は6頭。1頭ごとに8万ガル、6頭討伐すれば追加報酬で8万出る」 
「ワイバーン6頭で56万!?」
「胸が踊るだろう」
「踊りますね、これは」

 ──協会から直接案内される案件は、報酬額はやや高めに設定されている。
 これは協会の持つ「公的機能」を重視した結果であり、公共の利益となる仕事を、早く冒険者に処理してもらうための方策だ。

「しかしオリヴィア。思い出せ、ラッキーが協会や冒険者の問題点だと言っていたことを」
「…………思い出すも何も」
 
 自分たちがその問題点に足を踏み込んでいる。
 オリヴィアは重々承知していた。

「金が活動の目的となっているのはいけないことだ、と言っていただろ。我らの本来の目的は人助け、良いな?」
「リモンさんだって、この仕事をするのは自分の鎧買うお金のためじゃん」

 リモンから笑顔が消える。

「フン……」
「それにラッキーさんから仕事教えてもらうのも癒着──」
「うるさいぞ、我々冒険者は世のため人のために今日も働くのだ」
「カッコつけて誤魔化さないでください」
「カッコつけてるんじゃない、俺は格好良いのだ」

 渋い顔をして、オリヴィアは首を傾げた。

「ワイバーン、かぁ」

 ──ワイバーン。
 小型のドラゴン、という扱いを受けている。似ているだけで分類上ドラゴンではない。

 見た目小さいが他の生物と比較すればそれなりに大型ではある。爪も牙も生物を引き裂くには十分に鋭い。動きも俊敏、翼もあって空を飛べる。本物のように人語を介したり何らかの魔法を扱ったりということはなく、知能は犬や猫と同程度しかない。

 羽ばたき音や鳴き声による騒音、家畜が食われるといった被害は絶えることなく各地で報告され続けており、もちろん人的被害も定期的に発生している。
 そこそこ危険な相手ではあるため、冒険者にはレベル65以上での討伐が推奨される。ワイバーンを倒せるかどうかが、ひとつ冒険者の強さの指標でもある。

「さて、どう倒すか」
「どう降ろすかが先だと思います」
「む」
「む、じゃないですよ。飛んでるのを相手にどうやって戦うんですか。空飛ぶんですか」
「フフン」

 リモンは首を横に振る。

「俺をナメるなよオリヴィア」

 そうして、おもむろに懐から革袋を取り出した。
 とても臭い。

「げっ、何ですそれ」
「ワイバーンのメスの発声器官を袋にしたものだ。息を吹き込むと光る!鳴る!」
「うぇぇ、ばっちい」
「どこがばっちい」
「全体的に」
「これを吹けばオスのワイバーンが寄ってくる、という寸法」

 ワイバーンはメスよりもオスの方が体がひとまわり小さく、力も弱い。
 それをリモンが承知していたかどうかは別だが、現時点で言えばそれは上手いこと良い流れに作用している。
 リモンは息を大きく吸い込み──。

「待って、でも──」

 吹く。

「──あー……」

 ビュオオオオ、という甲高い隙間風のような音が草原にこだました。
 オリヴィアはそれがメスのワイバーンの咆哮と同じであることをはっきり認識する。
 ……と同時に。

「ギュオオオオオオオ!」

 呼応するような咆哮。
 上空からだ。

「離れるなよ、俺の『常時挑発プロヴォケーション』の範囲は案外狭いからな」

 折角持ってきた発声器官の袋を放り捨てながら、リモンが3歩ほど前に出る。
 俺に任せろとでも言いたげな顔から、彼の圧倒的な自信、及びとても嫌な予感をオリヴィアは感じ取る。

「頼もしい言葉ですけど、ワイバーンの攻撃を鎧無しでしのげます? さすがに全部避けられませんよね、たぶん」
「あ」

 興奮した様子のワイバーンは小刻みな咆哮とともに地上に降り立つ。
 小ぶりとはいえ、高さだけで言えば人間の大人一人とおなじくらいの大きさ。

 周囲を見渡しメスがいないことを確認すると──手頃な肉塊が視界に2つもあるのを発見した。
 時間的にも、昼食には丁度いい頃。
 ギュオオ、と腹のそこから震えるような雄叫び。

「──『あ』、じゃないんですよ馬鹿!!」
「いや、まぁうん、多分大丈夫。オリヴィアが居る」
「頼ってるってより依存ですよそれ」

 2頭、3頭。
 上空からさらに飛来してくる。
 小刻みな咆哮は輪唱のように重なる。

「わたし、戦いながらだと『即時回復リカバリー』しかできませんよ。リモンさんの体力削っちゃいますよ」
「それは大丈夫じゃないかもしれん」
「あーもうっ」

 オリヴィアは懐からナイフを取り出す。
 なりふり構っていられない、もはや食うか食われるかという空気感。
 リモンは筆舌に尽くし難い奇妙なポーズで構える。焦りのせいか格好良く決まらない。元から格好良いとも言えないのだが。

「すまん」
「リモンさんは2頭やっつけてください。1頭はわたしが手伝いますから」
「……うむ」

 2人が駆け出す。
 オリヴィアは果敢にもワイバーンに突撃した。ワイバーンたちはオリヴィアに向かって噛みつこうとするが──。

「ほぅら、俺が居ればオリヴィアも戦いやすい。やはり比翼連理」
「それ、言葉の使い方間違ってますからね……!」

 吸い寄せられるように、その敵意をむき出しにした攻撃はリモンへ向かう。
 彼は巨大な盾の陰に隠れるようにして攻撃をいなした。
 ちょっとやそっとではびくともしない。さながら堅牢な城塞。

「あっはっはっ、弱い弱い、ワイバーンのオスとはこれほどまでにチョロかったか!」
「リモンさんうるさいっ、舌噛みますよっ」
「君も喋るじゃないか!」

 オリヴィアが振りかぶる。
 突き立てられるナイフは──なんと、ワイバーンの硬いはずの鱗を貫通する。
 まるで魚の鱗でも剥ぐ感覚で、オリヴィアはワイバーンの皮を引き裂いた。

 ──弱い。
 これならば『即時回復リカバリー』するより普通に斬ったほうが早い。
 あまりの手応えのなさに、オリヴィアは拍子抜けしてしまう。
 念の為にワイバーンの爪の届かない背後に回って跨がると、太く長い首の適度な場所にナイフを突き立て。

「……変だなぁ」

 ざくり。
 すっぱり。
 一撃。
 ワイバーンが1頭、絶叫を上げて息絶えた。

「フンッ!」

 リモンは攻撃の隙を突き、盾でワイバーンの頭をぶん殴る。牽制のつもりだった。

「手応え無し──おや」

 手応えはなく、急所にうまいこと当たらなかったはずなのだが。

「おや、おやおや」

 リモンの打撃を受けたワイバーンがノックダウンした。気絶したようだ。
 同様の方法でもう1頭もリモンがぶん殴ると、いとも簡単に気を失い倒れる。
 とことことオリヴィアがそれらに近づき、怪訝そうな顔をする。
 トドメの一撃は、どちらもあっさりとしたものだった。

「………………」
「………………」

 ふたりは無言のまま、24万ガルもの大金に変換される死骸を見つめる。

「おかしい」
「おかしいですね」
「こちらとしては有り難いことこの上ないのだが」
「有り難いことこの上ないですけどね」
「これは……?」
「うーん、取り敢えずあと3頭狩ります?」
「うむ……」



   *



「「うーん……」」

 オリヴィアとリモンは二人並んで首を傾げて、6頭のワイバーンの死骸を見つめる。

「「うーん…………」」

 まだ日は高い。
 そもそも、まだここへ来て数十分と経っていない。
 1時間とかからず、彼らは56万ガルという大金をせしめたことになる。

「変」
「変だな」
「おかしいです」
「おかしいな」

 弱すぎる。
 2人は同じ感想を抱いていた。
 元よりオリヴィアとリモンは十分に戦闘に慣れた手練である。単騎での竜殺しを成功させた彼らがワイバーン如きに遅れを取るはずも無い。
 だがそれを差し引いても、このワイバーンは弱すぎた。

「解剖しましょう」

 オリヴィアが切り出す。

「何故そうなる」
「安心してください、生体の把握は治癒術の基本です。弱さの秘密を探るためにも、取り敢えず解剖しましょう」
「……発声器官見てばっちいとか言ってなかったか君」
「それとこれとは話が別です」

 オリヴィアは携えていた小さなカバンから手袋を取り出し装着する。
 すると、ざくざく手馴れた様子で適当なワイバーンの身体をかっさばき始めた。
 幸い、緋色のローブに付着した返り血はあまり目立たない。
 リモンはその光景から目を背ける。

「何故にそれは平気なのだ……」
「怪我はなし。病気は──ありゃ」

 ワイバーンの中をほじくり回している途中、オリヴィアが何かを発見したらしい。

「リモンさん、見て」
「見ないぞ、俺は見ないぞ」
「胃の中」
「うっ、」
「あなたが胃の中吐き出してどうするんです」

 適切な外科的手法にて、食道に繋がる噴門、十二指腸に繋がる幽門から切り出し、オリヴィアは両手でワイバーンの胃を摘出した。
 切開され内容物が露出している。

「ほら、中」
「よく……平気だな………」
「嫌々やってるんです、見てください」

 もはや格好をつける余裕も面目もないリモンだったが、微かに残ったプライドと好奇心で、ワイバーンに近づき彼女が示したものを視界に映す。
 それは白く細長い。

「骨か?」
「腓骨──えぇっと、ふくらはぎの後ろの骨です。大きさからして子供かな、と。丸呑みしたんでしょうね」
「……安らぎを」

 リモンは右の手を左胸に当てて、聖イルミネア式の祈りを捧げた。

「人じゃありません、子供にしては大きすぎるでしょ」
「そうなのか。そうだな、うん確かに」
「これ、腓骨です」
「………おや」
「気づきました?」

 リモンの表情が変わる。
 真面目に考えるつもりになってくれたらしい。

「共食い、だと推測する」
「そうとしか思えないです」
「食糧が枯渇したためか。それで人を襲い討伐依頼が出た、と考えるのが妥当だな。手応えがなかったのは食事にありつけず力が出せなかったら」
「栄養失調です。皮膚が脆かったのもそれで説明が付きます」
「攻撃が弱かったのも筋量が減っていたから」
「かもしれません」

 弱さの理由が明らかになったものの、それでもふたりは納得しない様子だ。

「これだけか、本当に」
「それを踏まえても弱すぎますよね」
「腹が減っているだけなら、死にものぐるいで襲ってきてもおかしくない」
「というわけで、次は肺を見てほしいんですけど」

 オリヴィアがワイバーンの肺を全摘出する。

「これ、右側の肺です」
「見りゃ分かる」
 
 続いて、また肺が取り出される。

「これ、左側の肺です」

 そして、また。

「そしてこれ、ちっちゃい肺です」
「だから、見れば分か──ん?」

 リモンはオリヴィアが掴んでいる小さな肺と思しき器官を二度見した。

「なぜ肺がそんなに沢山」
「ちゃんと全部に気嚢着いてますよ、変でしょ」
「気嚢が何かは知らんが……これは進化した個体、ではないよな」
「単純に奇形です。心臓がびっくりするくらい歪んでるので。念の為あと2頭かっさばきます」
「…………うむ」

 それから数時間かけ、オリヴィアは解剖を完了させる。
 うち1頭は先程と同様に臓器が変形。もう1頭は左右の足で骨の長さが異なっていた。

「……偶然にしては連続しすぎ」
「近親交配、だとすれば?」
「わたしも、これは近親交配で産まれた……いえ、ワイバーンだと思います」
「栄養失調も納得できる。虚弱な個体ばかりが生まれ、まともに狩りができず、死んだ仲間を喰らうしかできない……」

 リモンが拳で額を叩く。珍しく賢明に思考している。
 この状況、この事態がどういうものか。しかし彼が自力で答えに辿り着くその前に。

「わたしの考え、言っていいです?」

 待ちきれず、オリヴィアが提案してしまった。

「うむ」
「このワイバーンの討伐依頼、もしかするとワケありかもしれないですよ」
「どういうことだ」
「害のある魔物です、狩れば狩るほどボーナスが出る仕組みも理解できます。でも……だからこそ、意図的に弱い個体を野に放つことができれば」
「───ほう、そうか。何だか繋がった気がするぞ」
「もしかしてこれって」


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