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第一章 幸運のヒゲ

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 ──オリヴィアがナイフを取り出そうとするが、それをそっとリモンが止める。
 オリヴィアの抗議するような目を見据え、リモンは顔色一つ変えず、ただ首を横に振った。

「オラァ!!出てこいやゴラァ!!」

 衝突は時間の問題。
 そこで彼は隠れるのをやめ、姿を出した。

「………フゥン」

 スライムで汚れた長大な盾。
 スライムで汚れた安っぽい服。
 スライムで汚れた金髪をかきあげ、気色の悪いポーズを取り、リモン・カーディライトは格好つけて気配をあらわにした。
 犯人は俺だ、と姿のみで示している。
 ここにいるのは俺だけだ、とでも言いたげでもある。

「テメェかコラ」
「何のことだ」
「テメェがやったのかよ、コレをよ。スライムだ」

 猫背の男、ノッペラはジリジリ詰め寄る。
 仮面程度で抑えられないむき出しの敵意は、物理的にリモンへと向けられる。

「スライム見たら即粉砕。冒険者の常識じゃないか?」
「1万匹潰すのは異常だろが、あ?」
「おお。そんなに粉砕していたのか。これは記録更新だな。ところでなぜ、ここにいたスライムの総数を知っている?」
「──喧嘩売ってんのかテメェ」
「それはお前の方だろうに」
「殺す」
「待てノッペラ!!」

 ヒトツメの制止を無視し、その切っ先はリモンの顔へ向かった。
 
「剥ぎ取ってやんよ」

 向かったはずなのだ。
 ぐにゃり。リモンは膝と腰で上体をのけ反らせ、ノッペラの剣を躱していた。
 彼の足が地面に食い込む。陥没したかのようにがっしりと、周辺の土を踏みしめる。踏ん張りなどという生易しい言葉では言い表せない。

 敢えて言葉にするのなら──超接地。

 これはリモンの身体能力の高さのみならず、日々の鍛錬の積み重ねでもあった。
 狙われる機会が多ければ、敵の攻撃を躱す技術も上達する。盾や鎧で受け流すだけでは芸が無い。回避行動もできた方が「格好良い」ことを、彼は知っていた。

 そこから跳ね上がるように体勢を立て直したリモンは盾を構え、不敵な笑みを浮かべる。

「お前らが誰かは知らんが、殺す殺すと物騒じゃないか」

 ありえない挙動。信じられない身のこなし。柔軟なその体、さながら芋虫。
 これはリモン・カーディライトの筋肉が為せる技。強くしなやかで過不足ない全身の筋肉と健全な関節が、彼の体の可動範囲を人間の限界まで引き上げる。

「すまんが見過ごせん、さぁ戦おう」

 それでもなお、彼の凶器は盾だった。
 構えた状態での突進。一般的な人間のそれよりも数段速い。獣であれば猪や熊、あるいは魔物と同等か。
 その機動力に防御も反撃も間に合わせる余地などなく、ノッペラは猛進するリモンに呆気なく突き飛ばされた。
 
「手練れのようだな、盾の人」

 その突進、同時に他方から放たれた魔法での攻撃を回避するためでもあった。
 ヒトツメのかざした手のひらで蠢いているのは茶色い塊と菫色の光。どうやら彼女は岩石を生み出し操作している。

「岩石魔法、か。賢人たる魔法使いが……なぜ一般人に手を上げる」
「防衛のためだ。無礼を詫びよう。こうして手を上げておいて何だが、今からでも我々と話し合う余地はないだろうか」
「………」

 ──話し合いを持ち出してなお敵意が全く消えない。
 リモンは眉間にシワを寄せ、
「お前、嘘つきだなぁ」
 と正直な感想を述べた。

「そもそも俺はスライムを粉☆砕しただけであって、それは良いことだ。正しいことだ。なのになぜ襲う。なぜ話し合いが必要なのだ」
「『このスライムが我々のスライムだから』だ」
「………む?」
「ブッ殺ぉぉおおおおす!!!!」

 体を起こすと同時にノッペラが叫ぶ。ふらふらとした足取りで、またリモンとの距離を詰めはじめた。
 剣を握る手が震えている。
 頭へのダメージが大きかったか、あるいは怒りのせいか。
 
「殺す!!!!!!殺す殺す、殺ォォオオア!!」

 ヒトツメも再度、魔法による攻撃の準備に入った。ゴリゴリと岩塊が擦れ砕け合わさり、より巨大な岩へと変化する音。
 
「安心しろ盾の人。殺しはしない。だが……足は2本とも潰──」
「ああっ、おい待て」

 きらりと何かが光った。

「『即時回復リカバリー』」

 影から赤い色が飛び出し、ヒトツメの背中に大きな傷を負わせる。だが負ったはずの傷はすぐに消え、同時に、生成されていた岩塊が堪えきれなくなったかのように地に落ちた。

「ッ、何が」

 意識外からの攻撃。急激な疲労、脱力。敵の数を見誤ったと、ヒトツメはそこで理解する。
 応戦すべく右手を背後へ向けた──はずだった。
 しかし彼女の視界は、魔法を放つためのその手は、完全に無意識のうちにリモンへ向く。

 困惑。
 当然そのまま攻撃していればリモンにダメージを与えられた。一瞬の迷いがあった。混乱だ。意識とは異なる体の動きが、大きな油断と隙を生む。
 盾騎士はその呪いでもって、存在するだけで責務を果たしていた。

「おりゃっ、『即時回復』ッ」
「く……っ」

 再度背中に傷を受け、それが癒える。そうして眠るようにして、ヒトツメはその場に伏せってしまった。

 青白い肌には傷ひとつ残らない。彼女の服にのみナイフで刻まれた跡が残る。攻撃の的を背中に絞ったのは、オリヴィアなりの女性への配慮だった。

「はぁ~~~~~~~…………」

 深い溜め息。リモンの口から漏れたものだ。

 彼は思い描いていた。
 この場を格好良く自分一人の力で切り抜け、オリヴィアに対して歳上としての威厳を再認識させようとしたのだ。
 見せ場を作りたかった。事実、手を貸されずともどうにかできていた自信が彼にはある。それだけの実力もある。

「君は本当に……空気を読まないよなぁ………」

 しかしもう遅い。
 オリヴィアは耐えかねたように飛び出し、手を出した。リモンの気持ちなど考慮している心的余裕、彼女には無い。

「そっちのお面の人!」

 オリヴィアはノッペラを指さして叫ぶ。
 面食らって立ち尽くしたノッペラは首を傾げ、そっと自分のことを指さした。

「わたし、すぐに『死ね』とか『殺す』とかいう人、大っっっっ嫌い!!」

 ────。

「───いや知らねぇよ、うるせぇよガキがよ」

 ノッペラは猫背をさらに丸める。

「面子汚された。仲間ぁられた」
「気絶してるだけ。見てわかるでしょ」
「構わねぇ、知らねぇ」

 ふらふら、ゆらゆら、辿々しい歩法。

「オリヴィア、距離を取れ。此奴……なりふり構わない感じだ」
「テメェだろ、フツーよぉおお!」

 そこから繰り出される斬撃。
 いつの間にやら狭まっていた距離。腕が伸びた、そう錯覚するほどだ。
 初めて見る奇妙な太刀筋、リモンでも反応できず躱せない。左方向から迫る刃を辛うじて盾でいなしたつもりだったが、リモンの左肩には切り傷が創られていた。

「………フン」
「心配すんのはよぉ、テメェ自身だろうがよ、あ?」
「最初に斬り掛かってきたときにそれされてたら、俺でも死んでたかもしれんな。軌道が見えん、いや読めんのか」
「次は防げねぇぞ」
「いいや。もう覚えたから大丈夫だ。それに──」

 リモンは体で押し込むようにして盾で剣を弾き、相手の間合いから抜け出る。
 邪魔をしないためだ。

「──次はない」 
「気づいてねぇわけねェだろッ」

 ノッペラは剣をやたらめったらに振り回す。防衛のための斬撃だ、これではリモンの『常時挑発プロヴァケーション』も効果はない。
 彼の視覚外から飛び出し不意をついたはずのオリヴィアだったが、これでは無闇に近づけない。急制動をかけ、半ば転ぶようにして回避する。

「っ。なんでっっ」
「見え透いてンだよ馬鹿ガキが」

 異様なリーチの正体はそれだ。型に則った剣術と身のこなしではない。ノッペラは無闇に剣を振り回している。極められた喧嘩殺法とでも呼ぶべきものなのだろう。敢えて型にはまらない。そのせいで近距離戦、武器を用いた戦闘を熟知している者ほど、彼の動きは予測しにくい。

「ガキじゃないわよもーっ、本当にムカついてきた!!」

 完全な不意をついたつもりだった。清い正しい戦いなど無い。隙を狙うことこそ戦闘の定石。
 それが通じないとはつまり、相手もまた定石を知る者だということ。

 リモンは凹凸のないノッペラの白い面をしかと見つめ、わしゃわしゃと頭を掻く。その後大きく息を吸い、そして吐いた。

「あーもうよく分からん」

 半ば叫ぶように、彼は話す。

「何か企んでいそうだから情報を聞き出せるかと思ったが、肝心の部分はしっかり隠し通すつもりのようだ。俺にはなーんにも分からんから、もういい」

 ぴくりとノッペラが反応を示した。

「………何が言いたい」
「この先手加減なし、ということだ」

 超接地。
 そして盾を構える。

「さぁかかって来い」
「はぁ?」

 構えただけだ。
 押せば揺らぐはず。
 見た目にはそう見える。
 人が盾を構えているだけなのだから。

「さてはテメェ馬鹿だな?」
「ああ。俺は馬鹿だぞ」
「だろうと思ったよ」

 ノッペラの剣が迷いなく盾に叩きつけられた。
 リモンも盾も揺るがない。
 打ち込んだノッペラは感じる。その時の手応えはまるで、壁でも殴りつけているかのような。

 瞬時に正面からの突破が困難であることを察したノッペラは、軽いフットワークで即座にリモンの側面を取り、そのまま攻撃に移る。
 がら空きの腕部分が狙い目と見るが、敢えて狙いを定めず剣を振り回す。

「惜しい」

 ガキン、という金属のぶつかる音。
 リモンの盾にノッペラの剣がぶつかる音。
 するはずのない音。

「な、んだと」
「悪いな仮面、この盾は3人用なんだ」

 リモンの盾が展開していた。
 元より長身な彼の身の長とおなじほどの長大な盾であったが、それがさらに左右に2面、扉が開くようにして開き、その面積を広げている。
 単純に3倍の広さ。

「何つぅモン持ってんだよッ」
「この盾は便利でな。ワンタッチでラクラク開く。どんな追い剥ぎにもコレだけは渡さないんだ、どうだ、格好良いだろう」
「クソがッ!!」

 こうなったら背後しかない。
 背後しかないのだが、リモンが背後を取らせるはずもない。
 超接地状態を解き、巨大な盾を軽々と扱いながら向きを変える。

「というわけだ。もう攻撃は受けん」

 ノッペラは1度矛先をオリヴィアに向けようとしたが、それは当然のようにリモンに移ってしまう。
 何かしら人知の及ばない、魔法のような力が作用しているらしいことを、そこで彼はやっと感じ取る。

「小賢しいんだよイチイチ……!!」
「さぁ、そろそろ俺の必殺技を見せてやるぞ。オリヴィアもよーく見てろ」
「見たかぁねェよさっさと死ねッ」
「俺呼んで、接地展開シリーズ。その①──」

 リモンが盾で殴りかかった。
 殴りかかって来たと理解した時には既に、ノッペラの眼前にはリモンの盾があった。
 超接地状態で体全体をバネに。その速度、その反動、その威力。果たしてこれは、人類が出しても良い破壊力なのか。

「──リモン・スペシャル」
「だ、さ」

 めり込む。
 押しつぶすようにして地面に叩きつける。人から鳴ってはいけない鈍い音がして、それが決着の合図になった。

「安心しろ、峰打ちだ」




   *




 ふたりは【ラッキーウィスカー】のギルドハウスへと帰って来た。
 倒した二人組は素顔をそっと確認したあと、林の中に放置──もとい安静にさせてある。何かを聞き出そうにも、目覚めるのを待つのが面倒だったのだ。
 それに。
 
「腕と腰の筋肉ダメ、手首、足首、膝の関節もダメでしょうねたぶん。骨は折れてる。足の指はバキバキ。切り傷──はほとんどないけど。靭帯は?」
「たぶん足首のが切れた」

 リモンの体はボロボロだった。

「無茶しすぎ。ここまで歩いてきたのバケモノですよ」
「フッ、君がいるから張り切りすぎる」
「きっも……」
「君だって、俺を助けるために飛び出してきてくれたのだろう」
「いえ。あのお面の人にムカついたからです」
「嘘をつけ嘘を」

 リモン・カーディライトの運動能力・身体機能、そして頑健さは【ドラゴンスレイヤーズ】内でも極めて高く、もはや人間の範疇に無い。

 体を動かす行為全般において、リモンは「壊れる覚悟」により限界を超えたパフォーマンスを引き出せる。
 人間の範疇に無いものを人間の器で引き出せる。
 そしてその覚悟の通り、その身は許容範囲を超えると壊れる。

「嘘つき、嫌いなんでしょ」
「ああ」
「わたしが嘘ついたこと、あります?」
「………あぁ」
「治癒と安らぎの精霊よ、汝の力を、我に貸し与え給え──。
    治癒術、『天使の癒しエンジェリック・ヒール』」

 壊れていても、生きていれば大体治せる。そんなオリヴィアもまた人間の範疇に収まらない。
 つまり彼女がいるからこそ、リモンもやっと戦闘要因にカウントできる。オリヴィアを追放した以上、【ドラゴンスレイヤーズ】はリモンも手放す必要が出てしまったのだ。
 
「あの奇面の集団だが」
「ありがとうは?」
「ありがとう」
「どういたしまして」
「で、あの奇面の集団だが」
「ラッキーさんに聞くのが早い、かも」

 その時ちょうど。
 ギルドマスターにして教会協会の受付嬢、不正を憎み不正を行う謎多き女ラッキー・クローバーが帰宅する。

「帰りました~、っと。そしていきなり二人して私を睨む。なるほど、怒ってますね?」

 バツが悪そうに微笑むと、ラッキーは姿勢を正し
「まことに申し訳ありませんでした。」
 ……と丁寧な謝罪をその場で述べ。

「事態は把握してますし、心中お察ししますが、その件についてお話するのはまだ先ということで。そして私は疲れておりますので、寝ます」

 早口で捲し立て、その場で倒れ、眠った。
 
「呆れた。ね、リモンさん」
「………」
「リモンさん?」
「……………」
「ね、寝てる」

 これが結成1日目のギルド。
 既に変人の巣窟たる片鱗は現れ始めていた──。
 
「ほんとにもう、この人たちは何なのよ」
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