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第一章 幸運のヒゲ
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しおりを挟むあたりを跳ね回る丸いフォルムの魔物がいた。
スライムである。
「粉☆砕」
リモンがスライムを粉砕した。
凶器として用いられた盾には、ねっとりとスライムだったものが付着する。
「粉☆砕」
──スライム。
魔物の一種で、すこぶる弱い。
ゲル状の体で獲物を捕らえ、植物や動物を溶かして食べる。それだけ聞くと恐ろしい生物のように聞こえるが、このスライム、極めて物理攻撃に弱い。
ぷよぷよの体は衝撃を吸収しそうに見えて全くできず、ちょっとやそっとの刺激を受けると肉体が即座に破裂、スライムはその短い生涯に幕を下ろす。しかも寿命も一週間と極めて短い。
しかも小さい。
オリヴィアの顔より小さい。
最弱の魔物のレッテルを貼られる一方で、単為生殖が可能なため、一度増えると指数関数的に増殖してしまうという危険な一面も持ち合わせる。
スライム見たなら即刻粉砕。冒険者はまず最初にそう習う。
「粉ッ☆砕!!」
飛び散ったスライムの残骸が、リモンの横に立つ赤ずくめの少女、オリヴィア・ベルナールの頬まで飛んでいった。
それを拭い、彼女は
「汚い」
と悪態らしきものを吐いたのだった。
「スライム退治とか」
「とか、何だ」
「子どもの遊びじゃないんだし」
「そんなことを言っていると『オナゴノベベケススライム』が出るぞ」
「オノゴノノ……オノゴ……オナゴノベベ………え、なんですかそれ」
「なんだオリヴィア、『オナゴノベベケススライム』を知らんのか」
「知りません」
「『オナゴノベベケススライム』はな、女子の服だけを溶かし消すスライムだ」
「ふざけてます?」
などと語り合っているうちにも、オリヴィアの靴にスライムが飛び乗ってきた。
かわいらしい魔物だが、放っておけば辺りは草木一本も生えない不毛地帯となりかねない。
……今、彼らは足の踏み場もないほどのスライムの群れの真っ只中にある。
「粉砕、えい」
どうしてふたりがスライムを粉砕しているのか。
話は非公認ギルド【ラッキーウィスカー】の結成から一夜明けた、今朝まで遡る。
「仕事がない?」
「はい」
あっけらかんと、ギルドマスターであるラッキー・クローバーは目玉焼きの黄身だけを啜った後、そう答える。
疑問を投げかけたオリヴィアは、予想外の返答と奇妙な食べ方に面食らい、2、3秒ほど完全に動きが固まった。
「フツーに無いですよ。設立したてホヤホヤの、しかも非公認のギルドに、ほんじゃ仕事お願いしまーすってホイホイ依頼なんてくるわけないじゃないですか」
「えぇ…」
「む」
リモンですら顔をしかめる。
「それはよくない。何故なら、俺は鎧を買うために金が必要だからだ」
「では協会に来てください。適当な仕事を私が斡旋します」
「うむ」
「それが問題だって言ってなかった……?」
特定の個人やギルドとの癒着。
ラッキーが昨日語った教会協会の悪しき慣習そのものが、たった今目の前で繰り広げられた。
「あと数日のうちに私は退職しますから、まだ協会職員であるうちに、甘い汁をペロペロしておくんです。毒を食らわば皿まで、ってことで」
「テキトーな人だなぁ」
「忘れてるみたいですけど」
ラッキーの猫目が、しっかりとオリヴィアを捉える。
「オリヴィアちゃんも共犯者ですからね、昨日の時点で。そこを否定するなら30万ガルは返さないと」
──はめられた。
そこでようやっとオリヴィアは気づく。ブラックコボルトの依頼を飲んだ時点で、弱みを握られているも同然だったのだ。
「鬼畜」
リモンがバレないよう、ひっそりとそう呟いた。
スライム退治はラッキーから秘密裏に斡旋された依頼だ。
最強を自称するふたりにとっては、腹ごなしにもならない退屈で単調な作業ではある。初心者でも時間さえかければ達成可能だ。
それにも関わらず報酬はそこそこな額。それほどまでにスライムは増えていた。
「3日も放置すれば粉☆砕し放題なくらい増殖するからな、コイツら」
潰したスライムを浴びながら、リモンは丁度眼前で分裂し始めたスライムを指でつついて破裂させた。
「何だかんだと言いながら、彼女が寄越す仕事は人々のためになっている。そうは思わないか、オリヴィア」
「さあ。どこまでが善意か、わたしには分かんない」
「謎多き女、ラッキー・クローバー」
「悪い人ではない、とは思いますけど」
「然り。悪い人ではないな、うん」
かれこれ3時間。
描写するのも気が引けるほど地道な作業の後、あたりからスライムの気配が消えた。
最初の500匹で数えるのに飽きたふたりは、万に近い数のスライムを粉砕したことなど気づいてもいない。
リモンは汚れた盾を見て
「フン……」
と不機嫌そうな息を漏らす。
「これで2万ガル。スライム相手にしては割に合わない高額だな、使った時間思うと──うむ、コスパが悪い。流石に前の環境が恋しくなる」
「それは分かります」
「【ドラゴンスレイヤーズ】に居た頃など、金に困ることなんて無かったからな……あぁ、鎧だって安くないのだぞ。駄目だと言ったのに持っていくやつがあるか……」
「殴ってでも取り返せばよかったのに」
「………ポリシーに違反するが、そうしておけばよかったな、とは思う」
「今更」
スライムで汚れたふたりを青い空が見つめている。
何の変哲もない、冒険者たちの日常の中に彼らは居る。
「ときにオリヴィアよ」
「何ですリモンさん」
「気づいているか」
「何にです」
「敵意が近づいている」
リモンが遠くの丘を指さす。
そちらの方角へオリヴィアも目を凝らし、見つけた。
二人。
ひとりは一つ目の化け物の面を斜めにずらし、青白い顔を覗かせている背の高い細身の女。
もうひとりが、視界を確保する穴すらないまっさらな白い面を装着し顔を隠した、黒髪で猫背の男だ。
「猫背のヤツが危険だ。殺意に近い敵意を持ってこちらに向かっている、気がする」
「……もしかして、ラッキーさんの職権濫用がバレた?」
「だとしたらマズい」
──『常時挑発』。
これはリモンに付与された「周囲の敵意をすべて自分に向けさせる」呪いだ。リモンを視認している相手にのみ、彼の意志など無関係に強制的に、常時発動する。
厄介なこの呪いは、これまで彼に数々の苦難を与え続けた。
関係のないケンカに巻き込まれるなど日常茶飯事。あるときは怒り狂った魔物の群れに3日も追い回された。ならず者や態度の悪い冒険者にやたら絡まれるし、虫にもしょっちゅう刺される。全て呪いのせいだ。
彼がオリヴィアという最高峰の治癒術師との関わりを持たなかったなら、とうの昔に何らかの方法で事切れていただろう。
しかしこの『常時挑発』は、リモンにたったふたつだけメリットをもたらした。
ひとつが「盾騎士としての完成」。前に出て仲間を守る。それを責務とするのなら、すべての敵意を一身に受けるこの呪いは、どんな技能にも勝る至高の能力となる。
無論仲間の攻撃も自身に向かってしまうのだが──そこを補うのがオリヴィアの解呪技能。類まれなる術が、奇跡的に「敵の敵意」と「味方の敵意」を区別するレベルにまで呪いを和らげる。
正しく二人は相互補完。戦いにおいて互いが互いを護る、完結した関係なのだ。
そしてもうひとつのメリット、それが「敵意の察知」。
一定の範囲内にある「敵意」「悪意」「戦意」など、『常時挑発』の効果により己に向く可能性のあるものを察知することができる。謂わば敵を感知するレーダーを持ち合わせているのだ。ただし決して感度は高くなく、あくまで勘が良い程度ではある。
「逃げる暇はない。身を隠そう」
「あっちの木陰。良さげじゃないですか」
「うむ」
極めて早い段階で部外者に気づいたのも、呪いのメリットおかげだ。ふたりは近くの林に身を潜める。
気配を消し様子を探ることなど、裏稼業を生業とする【ドラゴンスレイヤーズ】の者であれば造作もない。
心なしか、普段は抜けた印象のあるふたりの目は暗く陰ったものとなる。
長めの空白の後、面の二人が現れた。宙天に浮かぶ太陽は、二人組の影を大地に色濃く落とす。
「………ッてんだよおい」
あたりに散らばる汁。液。
白い面の男は地団駄するように地面を蹴り、スライムがここにいた証拠を足裏で確かめる。
「なんで全部死んでんだよ、残ってねェじゃんかふざけてんのか!? ア?!」
「声を荒げるな『ノッペラ』」
「うるせぇ黙れそして死ね!!」
「………」
女の方が面をしっかりと顔に被せた。顔が明らかとなるのを避けている風だ。
このタイミングでやっとそうするのは、オリヴィアたちが全く気取られていないことを意味する。
「どうすんだよ、永久機関がひとつ消滅だ。頭ぁブチギレて俺たちを潰すぜ。俺だけじゃねぇぞオイ、『ヒトツメ』テメェもだ」
「落ち着け。事態はお前が思っているよりずっと深刻だ」
「はぁ?????」
ノッペラ。
そう呼ばれた男は左足を小刻みに震わせる。
面に穴がないにも関わらず「見えている」ようで、ヒトツメと呼んだ女へ異様なほどに顔を近づけ、静かに。
「なら何で落ち着いてんだ、調子こくなよボケが」
そう呟いた。
「喧嘩腰でしか喋れないのか貴様は」
「あ?」
「潰されるだけで済めば幸運だ、と言っている。冷静に対処せねば、ギルド存続に関わる」
「さっさと要点言えや」
「可能性は3つだ」
ヒトツメはその細長い指を3本立てた。
「①協会が手違いで別のギルドに依頼を流し、ソイツらがここでスライムを全駆除した」
「ならそのミスった協会のヤツを殺す」
「②どこかの冒険者がよかれと思って、たまたま見つけたスライムの群れを全駆除した」
「ならその冒険者たちを探し出して殺す。今すぐ殺す」
「③全てがバレている。これは協会上層ないし、我々に敵対する者たちからの宣戦布告である」
そこまで聞いたノッペラは
「………なら全員殺す」
と呟く。
嘆息を漏らしたヒトツメは、何かを探るように周囲を見渡しはじめる。
「①なら向こうから謝罪があれば丸く収まる。こちらから文句を言ってことを荒立てるのは頭も良しとしないはずだ」
誰かいないか。
何か痕跡はないか。
探る。探る。
誰かが居た形跡を。誰かが居る気配を。
足跡のようなはっきりとしたものは残っていない。オリヴィアもリモンも、その点は抜かりない。
「②なら」
「黙っていれば問題ない。そうそうバレはしない。困った事態になるのは③だ」
──しかし、それが裏目。
誰かが居た。
跡形のみ残したスライムを見れば、人間の手によるものであることくらい察しはつく。
誰かがやった。
ならば、誰かが居たはず。
なのに痕跡がない。
つまり、意図的に消されたということ。
「③の可能性が高い、かぁ?」
「状況から見れば」
仮面のふたりの視線は一点、オリヴィアとリモンが潜む林に留まった。
そこから先は推理にも満たない推測だった。
もし自分たちが姿を隠すなら。
その思考でもって、何者かが隠れていそうな場所を虱潰しにしていくだけだ。
「どうヤバいんだ、消せば済むって訳じゃあねェのか」
「仮に③だとすれば、スライムだけでなくコボルトやワイバーンにも敵の手が及ぶ可能性がある。そうなるとかなりの痛手だ」
「………それはマジぃな」
「事実、コボルトはこの前に一匹逃げ出したのが殺られている」
「なぁる、連続してんのか」
「偶然かもしれないが、な」
誰か居るかもしれない。それを確かめる。確信など無いが、ふたりは林へと接近していく。
ノッペラは腰の剣を引き抜く。
ヒトツメは右の手を前方へ伸ばし掲げる。攻撃魔法の予備動作だ。
「次の損害が出る前に殺す。これが答えだ、なぁ、ヒトツメ」
「いいや生け捕りだ。仲間、協会内の内通者、それぞれの有無を調べ上げる必要がある」
「困ったな………俺ぁ殺さねぇのは苦手だぞ、オイ」
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