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第一章 幸運のヒゲ

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「今頃調査班は驚いてるでしょうね、無傷のブラックコボルトの死体ですから。ま、それはそれとして」

 ──夜のカレドゥシャは下手をすると月より明るい。

 日暮れの後、無数の街灯と店明かりに照らし出された様相を見れば誰しもが思い浮かべる言葉だった。
 眠らない街、という訳ではない。ちょっと夜ふかし気味なだけ。働き者が多いこの都市は、昼に働いていた者を癒やすため、夜に働く者もいるだけなのだ。
 飲食店街などはその典型。活気だけで言えば日中の数倍はある。笑い声、話し声、泣き声。清濁入り混じり喧騒となり、それはきっと、カレドゥシャで暮らす者の明日への活力になっている。

 そんな飲食店街屈指の人気を誇る店舗、『銀の皿』は一際騒がしい。
 ……だが1テーブルだけ。
 隅っこの方に、妙な空気を漂わせる席があった。

「現状の、公認ギルドと協会との関係の問題点。私の主観で3つあります」

 教会協会の受付嬢、ラッキー・クローバーは指を3本立て、真ん前に座るフードを被った少女に話しかけている。

「1つ。依頼を協会が受理し、それを冒険者に斡旋するまでにタイムラグが発生すること。緊急を要する案件の場合、被害の拡大を招くことになるでしょう。丁度今日、オリヴィアちゃんが受けた仕事みたいに」

 フードを被った少女──稀代の天才治癒術師、オリヴィア・ベルナールは小さく頷く。
 赤ずくめのその服装は明らかに場から浮いていたが、『銀の皿』の料理と酒以外に注意を割いている者など、オリヴィアたちを除けば誰一人として居なかった。
 二人の話の内容に耳を傾ける者などなおさら居るはずもない。それを織り込み済みで、ラッキーはこの店の隅を選んだのだった。

「それは分かった。帰り道にも聞いたから。わたしも、それは問題だと思う」

 いつの間にやらオリヴィアは砕けた物言いになっている。
 ひとえに、ラッキー・クローバーという変人の人となりがそうさせたに違いなかった。
「でしょ、そうでしょ。まあ仕方ない面もなきにしも~ではありますが」
 と早口で捲し立て、ラッキーは話を続ける。

「で2つ目。依頼主側が協会に仕事を依頼するにはそれなりの手数料がかかること。さらには冒険者が協会から依頼を委託してもらうのにも、会費というお金がかかっねいる。
 つまり協会──もとい教会は、困ってる人からも、それを助ける人からもお金を巻き上げているんですよね」
「一応わたし、というか前のギルドの人たちも全員ちゃんと払ってた。払っとけってマスターに言われてたから」
「半年払わないと冒険者登録消されちゃうんですよ」
「へえ」
「教会だギルドだ冒険者だ、とはいえ、みんな慈善活動で仕事やってるわけじゃないですもん。ご飯食べるために働いてるんです。公平中立などとは言いながら、お金は欲しいんですよね」

 ──貴女もそうでしょう。
 言葉はなくとも、ラッキーの放つ空気感はそう雄弁に語る。
 オリヴィアの手元には今日の報酬、30万ガル。それは彼女が生きるために必要な資金。手元のそれがある限り、彼女にラッキーの弁を否定することはできない。
 嫌そうな顔をするオリヴィアに構わず、ラッキーは続ける。

「協会にはお金が貯まる一方。当然ですよね。しかもなまじ協会には、かれこれ積み重ねてきた百年近い歴史と、その時間で得た信頼と実績がある。それは余計に腐敗する原因を増やしてて……」

 長引く。
 その気配を察知したオリヴィアは小さく手を上げ、だらだらと話すばかりで本題に入らないラッキーを急かすのだが。

「あの、ラッキーさん」
「まあまあ。ちゃんと全部話しますから」
「……」

 徒労だったようだ。
 また構わずにラッキーは話を続ける。

「3つ。最後の問題が、一部ギルドや高レベルの冒険者と協会とが癒着していること。割のいい仕事は捌けるのが早い、という話はしましたよね。つまりそういうことなんです」
「だから。それがわたしに何の関係があるの?」
「ヤバいと思いませんか」
「それは」

 オリヴィアは目の前のパスタを見つめる。
 ボンゴレだ。
 オリヴィアは貝類が苦手。小さい頃食べた貝の中に入っていた小さなカニの食感が忘れられず、今でも好んで食べようとはしない。
 食指はなかなか動かない。
 結局は、ラッキーの話を聞くことしかできない。

「ヤバい、とは思う」
「ですよね。オリヴィアちゃんもそう思いますよね」
「思うけど」

 半ば怒りに任せるように。
 もう埒が明かないと踏んで、オリヴィアは話の主導権を握りにかかる。

「だからって、わたしをここまで連れてくる理由にはならないし。わたしのこと待ってたとか、さっきの変な話と繋がりが見えないの」
「それは今から話しますから」

 3拍ほどの間を置いて。

「私の創るギルドに、入ってほしくて」

 ラッキーはやっと本題を提示した。

「……やっぱり変な人」
「どうしてそう思うんです?」
「だって協会とギルドの関係がヤバい、って話をしてるのに。ギルド作るって話になってる」
「私が作るのはギルドですよ。そう、貴女が前にいた【ドラゴンスレイヤーズ】のような」
「なおさら変」

 オリヴィアはフードを両手でもって引っ張る。かつて属していた組織の名に反応し、姿を隠そうとしたようだった。

「あそこはメンバーがみんな強いし、それに……お仕事も選り好みしないから」
「ええ、私もそれは重々承知してます」
「でもラッキーさん弱いし。仕事も選り好みしそう」
「だから貴女と盾騎士様に来てもらいたいんです」
「盾騎士?」
「ともかく!」

 意図的に話を切り上げると、ラッキーはがたりと机を揺らして立ち上がる。
 上気したような顔。
 何に興奮したのかは今ひとつ不明確だが、ラッキーは変人であるから、急に立ち上がっても不思議はない。

「現状、教会協会は腐ってるんです。それを懲らしめてやろうというか、こういうやり方もあるんだぞ!というのをですね。私達が先陣きって他の冒険者に見せつけてやるんですよ!!
 ね、オリヴィアちゃん。貴女がいればとても心強いんです。だから是非、力を貸してほしいんです」
「はぁ」

 オリヴィアは呆れた。
 ラッキー・クローバーは確かに間違ったことは言っていない。それは14歳の彼女にも分かる。

 現状の教会協会という組織に一定の不信感を抱く──かどうかは別として。
 彼女の元いた【ドラゴンスレイヤーズ】と比べれば、協会とギルドの関係が堅苦しいことには間違いなかったし、それが仕事の「やりにくさ」に繋がっているのは、身元をきちんと証明するまでまともに冒険者として扱ってもらえなかった彼女自身も感じるところではあった。そうした方が世のため人のためになる、というのも何となく分かる。

 ただ、「協会はヤバいからギルドを作って外から改革します」という話が常套手段でもなければ現実的な方法でもない、ほぼほぼただの奇行であることも、オリヴィアは理論でなく直感で理解していた。

「非公認ギルドを作って、それからどうするの」
「協会、いいえ、教会そのものをぶっ壊した上で立て直します。元来の一宗教団体という立場まで退いてもらうことになるでしょう」
「あなたが?」
「貴女と、それから今後増えていくであろうギルドのメンバーたち。そして教会の敬虔な信徒がそれを後押しするんです」
「それって──」

 格好良く、真面目な顔でラッキーが謳う。
 即ち改革、革命、それに類するもの。体制の転覆。
 ──イカれている。
 そこでやっと、オリヴィアはラッキーに対して正当な評価を下すことになった。

「わたし帰る」
「どこに」
 
 問われ、席を立ちかけたオリヴィアの動きが止まる。

「帰る場所なんて無いでしょう。ご実家は北レイルラントですから、ここカレドゥシャから船で4日。帰れるんですか」
「もらったお金で宿でも取るもん」
「わかりました、正直に言います。だから席について」
「…………」

 渋々。
 心から嫌そうに、オリヴィアは再度ラッキーと向かいあう。
 暫し視線が交差し。
 それから、二人は同時に席に着いた。

「さっきまで話したのは何ていうか……建前なんです」
「……」
「私、自分のギルドを創るのが夢で。最強の剣士と、最強の騎士、最強の魔法使い、それから、最強の治癒術師。最低でも私含めて計5人。集めて、私の考えた最強のギルドを創設するのがずっと夢だったんです」
「馬鹿なんですか」
「辛辣──いえ、確かに馬鹿かもしれません。私自身、一度諦めてましたし」

 自嘲気味に笑うラッキーは、けれどどこか楽しそうでもあった。

「でも、今私の目の前には最強の治癒術師が居るんですよ。しかも、最強の騎士のおまけ付き。こんなの、嫌でも昂ります」
「おまけ付き?」
「オリヴィア・ベルナール……つまり貴女が私のギルドに入るのを条件に、とある騎士様も同時加入してくださることになっているんです」
「……ふーん、わたしのことを知ってる人」
「オリヴィアちゃんがカレドゥシャに来るだろう、ってこともその人から教えてもらいました。そろそろこちらにやって来る頃合いなのですけど。姿が見えないですね、盾騎士様」
「…………ふーん」

 思い当たる節があるのか盾騎士の正体を思案しながら。
 同時にオリヴィアは悩む。
 よくよく考えれば、ラッキーの提案そのものは決して悪い話ではない。

 むしろ『家』も『家族』もないオリヴィアにとって、その申し出は有り難いものだ。ギルドにさえ加入してしまえば、恐らく供給されるであろうギルドハウスで寝泊まりできる。少なくとも雨風は凌げる。 

 そして、そのことを前提として。この提案がなされているのは間違いない。足元を見られている、
 だがしかし。
 ラッキー・クローバーという人物が悪人ではないにしろ、変人であることを悟った上でその計画に乗るというのは、綱渡りにも等しい行為。業界転覆を建前とは言うが、実行に移さないとは限らない。
 自分のためゆえ、オリヴィアは冷静に、慎重になる。

「安心してくださいオリヴィアちゃん。私が夢を叶えたら、次はオリヴィアちゃんの夢を叶えるお手伝いをしますから」
「わたしの夢、ですか」
「夢を見るのは子供の特権。大人が見るのは面倒です。私はギルドマスターとして、ギルドのみんなの夢を応援します!」
「わたしそんなに子供じゃない。ラッキーさんだって、そういうこと言えるほど大人じゃない」

 やけに大人びたその言葉に、ラッキーは何度目かの苦笑。
 それを気に留めることもせず、オリヴィアは考えを述べる。

「まだメンバーも集まってないから、あなたはギルドマスターじゃない。それに」

 オリヴィアは何かを言いかけ、一瞬だけ口籠る。
 それから言葉を探すように落とした視線を動かし、
「わたし、そういう側じゃない、と思う」
 そうポツリと呟いた。
 
「盾騎士様が来たら」

 無意識のうちきフードを掴んで離さないオリヴィアを見て、ラッキーはその話題にはあえて触れないことを選んだ。
 それは同時に、自分の意見をゴリ押しするための布石でもある。

「あの方が来たら話が良い方向に進展すると思うので。もうちょっと待ちましょうね」
「…………ねぇラッキーさん。盾騎士ってもしかして」
「あれ。もしや盾騎士様の正体に勘付いちゃいました?」
「まさか、その盾騎士って──わたしの前の仲間じゃ」
「はい」
「そんな、じゃあ」
「まさかまさかの、そのまさか。貴女のことを追いかけ、を抜け出しやって来た」
「盾騎士って」
「その盾騎士様の名は」

 かちゃり、フォークが皿へ落ちた。
 
「「リモン・カーディライト」」

 二人の言葉が重なる。
 通じ合ったそのユニゾンに反し。

「うふふ」

 ラッキーの顔はニコニコの笑顔。

「うえぇ……」

 オリヴィアの表情は苦虫を噛み潰したようなもの。
 真逆の様相だった。


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