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第一章 幸運のヒゲ

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 ──『教会協会』。
 それは世界各地に存在する「聖イルミネア教会」が発足させた、冒険者管理事務局。冒険者たちのあらゆる活動の母体となっている。単に協会と呼ばれることが多い。

 その功績の際たるものが冒険者の地位向上だ。
 協会発足前まで、せいぜい「腕っぷしに自慢のある野郎共」程度の地位しかなかった冒険者は、教会という盤石な後ろ盾を得たことにより、飛躍的な地位向上を遂げることとなる。
 母体が母体ゆえ、依然宗教的側面が切り捨てられた訳ではないが、協会そのものは表向きには特定個人に依ることのない公平中立を是とする公的機関として機能している。

 冒険者の認定、育成、保護。彼らへの仕事の斡旋。これらによる公共の利益の創出。
 それらが主な役割だ。
 

「今すぐにご紹介できる依頼ですと、こちらの3件となります」
「ちょっと少なすぎやしませんか」
「申し訳ありません、おひとりの冒険者様にご紹介できるのはどうしても……」 

 教会の鐘の音が鳴る中。
 オリヴィアは提示された3つの仕事が記された書類を受け取り、簡単に目を通す。
 しっかりと文言を読み込みつつ、フードを深く被る。どうやら頭を隠すこと自体がクセになっているらしい。

「猫探し、犬探し、そして……猫探し。あれ。お姉さんもしかして、わたしのことまだ信用してない?」
「いいえっ、滅相もございません」

 ぶんぶんと首を振り、大げさな身振り手振りで教会協会の受付嬢は否定する。

「ドラゴン討伐の記録もきちんと残っておりました。もちろん、協会は貴女に全幅の信頼を寄せております!」
「ならもっとこう、ありますよね。わたしに似合うようなお仕事」
「と言いますと?」
「例えば……魔物退治とか、ならず者をやっつけるとか。そういうお仕事の方が得意なので。ありませんか、そういうの」
「それが、無いんです」

 申し訳なさそうに、受付嬢は語る。

「このところ……そういうのは別のギルドに掃けてまして。それにさっき盾騎士──あ、いえ何でもなくて」

 オリヴィアはぽかんとした様子で受付嬢を見つめる。彼女は誤魔化すように、営業スマイルよりもぎこちない微笑みを浮かべた。

「あぁ。その、ですね。カレドゥシャは冒険者が多いですから。そういった荒っぽい仕事は報酬も良いですし、捌けてしまうのが早いんです」
「へえ」
「そっ、それに。戦闘の絡む案件はギルド単位に案内させていただく事が多いですから」
「なるほど、冒険者ギルド」

 ──冒険者ギルド。
 馬の合う冒険者同士が集い生まれる相互扶助組織。
 責任の所在の明確化、及びより効率的な業務配分のために、協会から提供される仕事はギルド単位で請け負い、その後内部で担当の冒険者を分担するのが基本となる。

「ギルド……ギルドかぁ」

 相互扶助、つまりは助け合いがギルドの大前提であるため、冒険者にとってギルドとは第二の『家』であり、その構成員は仕事仲間というよりは『家族』に近い。
 非公認ではあるものの【ドラゴンスレイヤーズ】も冒険者ギルドではあった。
 そこから放逐されたオリヴィアは無所属。つまるところ責任能力だの効率だのの問題もあって、今の状態では受けられる仕事が限られることとなる。

「協会から新たに所属するギルドを紹介することも可能ですが、オリヴィア様ほどの冒険者、実名公表などしてしまえば大騒動です。時間を設け、ご自分でお決めになるのがよろしいでしょう」
「つまり、今は我慢して犬探しか猫探しするしかない、ということですか」
「そうなのです」

 やや間をおいて。  

「そうなのですが」

 受付嬢の口からは逆接の接続詞が飛び出した。

「貴女はレベル241。協会が寄せる信頼は格別たるもの。特別です。それにオリヴィア様は戦える治癒術師とも聞いております。類稀なる才能の持ち主である、ともっぱらの噂です」

 不自然な微笑みで繰り出される不自然な賛辞にオリヴィアは照れた様子で、
「そ、そんなこと、ありますけど」
 と謙遜気味に傲慢な言葉を口にし、ニヤつく。
 ほぼそれを無視する形で受付嬢の言葉は続く。

「ともかく貴女は特別です。ですので、オリヴィア様だからこそお任せできる、オリヴィア様向けの依頼を、私の独断でご紹介することはできます」
「え、ありがたい。けど、それ」

 ──職権乱用。
 まずオリヴィアの脳裏をよぎったのはそんな感想。
 次によぎったのは、自身の寂しい懐事情。
 このままでは明日の食事も怪しい。最悪野宿せざるを得ない。
 職権乱用と最悪野宿。この二つの4文字を比べ──今回のところは、前者に目を瞑ることにした。

「わかりました、お言葉に甘えます。どんなお仕事なのでしょう」
「少し危険な討伐依頼。成功報酬は30万ガル」
「30万!すっごい!」

 迷い猫や迷い犬を探した程度では到底手に入らない、とびきり高額の報酬だ。
 一般冒険者が一ヶ月ギルドで勤務して得られる報酬とほぼ同額か、下手すればちょっと多いくらい。
 オリヴィアが目を輝かせて話に食いつくのを見ると、受付嬢は狙い通りとばかりに話を続けた。

「ただし、ご紹介するに当たって条件を設けさせてください」
「前金が必要だとかそういうのはムリですよ、わたしお金ないので」
「いいえ。条件は2つ。ひとつは必ず成功させること。もうひとつは──私を、そのお仕事に同行させていただく事」
「え?いいですよ、全然。お金とか絡まないなら」

 即断即決。
 詳細を聞く前に。ろくに考えることもせずオリヴィアは言ってのけた。
 その背景にあるのは、過剰なほどの自信。

「では早速行きましょう。私もすぐ支度します」
「お仕事は?」
「いいんです。私の代わりなんていくらでもいますから」

 受付嬢は手早く窓口を閉めると、本当にすぐに支度を終えて現れた。
 一社会人、しかも公僕にあるまじき速度での職務の放棄。見ていたオリヴィアは何と声をかけようか迷ったが、
「すごい行動力、ですね」 
 と当たり障りのない言葉をチョイスした。

「よく言われます。うふふっ」

 さっきまで受付嬢をしていた人物は笑う。
 それは営業スマイルではなく、どこか含むところがあるものの、心に従うままの本当の笑顔だった。

「私、ラッキー・クローバーと言います」

 受付嬢ラッキーはそう自己紹介をする。冗談のような本当の名前だった。
 灰色の瞳と灰色の髪。落ち着いた大人の猫のような雰囲気を醸し出す彼女を見つめながら、オリヴィアは思った。
 この人、ラッキー・クローバーはきっと自由な人なのだ、と。

「あなたの実力、是非拝見させてください」
「うわ急にグイグイきますね」
「実は私大好きなんです、こう、何と言いますか、かわいいのにやたら強い設定のキャラクター」
「キャラクター……キャラクター……?」
「『天より使われし癒し手エンジェリック・ヒーラー』の二つ名、そしてウワサの戦闘なんかも拝見できたら嬉しいな、なんて。それでもうおかずになるといいますか、おかずを超えて主食というか」
「…………」
「私はあなたを待ってたんですよ。オリヴィア様」

 オリヴィアは確信した。
 この人、ラッキー・クローバーは変な人なのだ、と。



   *


 
 場所は移りカレドゥシャ北東、農村部。
 中心市街地から一転、安穏とした空気の流れるそこに、馬車から二人の人影が降り立った。
 小さい方、オリヴィアの足取りは軽い。心なしか、表情も明るい。
 彼女の鼻から抜ける無意識のメロディは風に乗って、横を歩く協会の受付嬢、ラッキーの耳にも届く。

「本当に、あのオリヴィア・ベルナール様なんですね」
「まだ疑ってます?」
「いえ、身元が判明した以上オリヴィア様がオリヴィア様であることは判りました──けれど」
「わたし一人で楽勝ですよ、ブラックコボルトなんて」

 ──ブラックコボルト。
 よくダンジョン周辺で見かける犬の頭部を持つ獣人、コボルトの上位種にあたる。
 一般的なコボルトよりも巨体。知能は低いが食欲旺盛で力も強い。しかも喰えるものは何でも、本当に何でも食べてしまうこともあり、やっかまれる存在だ。
 共食いの発生を生物的本能で避けているためか、通常種と異なり群れを作らない習性でよく知られている。
 幸いにしてその生息範囲は極めて狭く、食料が枯渇しない限り人里に現れることは滅多に無い。

「滅多にない……はずなんですけどね」

 ラッキーが語りだす。

「どうも昨日の暮れ頃、北の集落付近の森でブラックコボルトを目撃したという話がありまして。今日の朝、緊急に依頼として舞い込んだんです。見間違いかもしれないとは言え、相手が相手ですから。それなりの信頼を置けるギルドにお願いしないと対処しきれない案件です」
「それでわたしに白羽の矢、と」
「ギルドではありませんが、貴女になら任せられます」

 今回オリヴィアに与えられた仕事は、そんなブラックコボルトの討伐。
 少なくともレベル70程度の冒険者が3、4名程度が居れば難なくこなせる仕事ではあるが、当然危険は伴う。治癒術師が楽勝だと豪語できるような仕事でもないし、ましてや協会という公平中立な機関が14歳の少女に任せるようなことでもない。

 ラッキー・クローバーという人物の何らかの企みが関わっているのは間違いなかったが、オリヴィアは彼女を疑うどころか心配しているようだ。

「ラッキーさん怒られません? 勝手に持ち場離れちゃって」
「怒られます、できるだけ罰を減らすため、オリヴィア様には成功させてもらう必要があるんです」
「なるほどぉ、プレッシャーがすごい」

 口で言うのとは正反対の表情。
 オリヴィアの顔には余裕の2文字がありありと浮かんでいた。
 幸いブラックコボルトは夜行性で、まだ日の高い現時点に出くわす可能性は低い。時間的に余裕を持った移動ができているのは事実。

「楽勝、なのでしょうか」

 ラッキーは呟く。
 今年二十歳になる彼女から見ると、横に並んだオリヴィアは子供以外の何者でもない。
 たとえ身元を保証する明確な根拠があっても、まだその「強さ」を担保するだけの情報を、ラッキーは書面での知識以外では持ち得ない。

「やっぱり疑ってますよね、わたしのこと。正体というより実力の方?」
「申し訳ありません、何せまだ実際に戦われている姿を見ておりませんから」
「わたしはラッキーさんの神経を疑ってますけどね」

 急な切り返し。ラッキーは面食らう。

「なかなか辛辣」
「だって危ないですよ。食べられちゃいますよ。ブラックコボルト何でも食べますからね、人食べますよ、心配してるんですよ、わたし」
「食べられないよう貴女が守ってくれると信じてます」
「プレッシャーがすごい!」

 全くプレッシャーなど感じていない無邪気な笑顔でオリヴィアは笑う。
 そしてまた、フードを深く被る。

「大丈夫です、齧られたところは治してあげますから」
「ちょ、冗談じゃありませんよ!?」
「冗談ですって。守ります、守りますってば」

 和気あいあい。
 どうにも二人は馬が合うらしく、いつの間にやら勝手に親睦を深めていた。

「あ、そうそう。ラッキーさん」
「どうされました?」
「お仕事じゃないなら、別に堅苦しい物言いしなくて良くないですか?」
「……いえいえ。オリヴィア・ベルナール様に失礼があると協会、ひいては教会の名誉と沽券に関わりますので」
「大変なんですね、お仕事」
「ええ、そりゃもう大変で大変で。趣味の時間もろくに──」


 などと。
 語らっているうちに、目的地付近に到着する。
 確かにそこには集落がらしい。

「──これは」
「出遅れて、しまいましたね……」

 抉られた樹木。
 倒壊した家屋。
 そこかしこに残る黒ずんだ血痕。
 竜巻でも通ったかのような荒れ具合。
 冒険者たちを陰ながら支える、協会務めの者だと──受付嬢であれば尚更──普段は目にしない光景。
 ……にも関わらず。

「状況からして昼前の時点には襲われてたみたいです。協会の依頼は非公認ギルドへの依頼と違って、受付と委託でタイムラグが発生してしまいますから」
「夜行性のはずなのに」
「お腹が減れば暴れる。生き物です、法則に当てはめるほうが難しい」

 落ち着いた様子で、ラッキーは現状を淡々と述べる。
 この程度は想定の範囲内という具合だ。

「遺骸すら残されていない。4人……いえ、5人以上は──」
「どうして」

 一言。

「もっと早かったら」

 ぎゅっと奥歯を噛み締めつつ、そこでやっとオリヴィアはフードを脱いだ。
 燃えるような赤が顕になる。
 ラッキーは傍らに立つ少女の感情の機微を察する。
 無力感、後悔、打ちひしがれる様。
 それらを察するのだが。

「いいえ。どう急いでも間に合うことはなかったはずです」

 敢えて冷めた言葉を投げかけた。

「少なくとも私たちでは間に合わなかった。任せることができるだけのギルドを現れるのも待てなかった。これが最速、これが最善」
「………だって」
「祈りを捧げましょう。今彼らにできるのはそのくらいです。どうにもならないことを割り切る。これは大人になるために必要なテクニックですよ」

 彼女は右の手を左胸に起き、目を閉じる。聖イルミネア教会式の祈りだ。

「安らぎを」

 遅れてオリヴィアも同じ体勢を取る。

「──安らぎを」
「切り替えていきましょう、オリヴィア様」
「……ラッキーさんは、どうして?」
「私はもう大人です」

 飄々とした切り返し。大人の女性の頼もしさかとも思える。
 だがオリヴィアには見えた。
 ラッキーの足は、震えている。
 ラッキーは大人すぎるのだ。

「~~~~~~~ッ!!」

 ばちん。

 オリヴィアは両手で自身の頬を叩く。
 血色の良くなった顔。見開かれた目。
 切り替えは済んだのか。それとも。

「まだ近くにいる可能性もあります、ラッキーさんもこっちに。戦えないんですよね、多分」
「はい、戦えません」

 ざわざわ、風が鳴る。

「においもします。濃い魔物のにおい。警戒しましょう」

 オリヴィアが周囲を見渡す。
 背後が先程二人が通ってきた道。
 目の前には薄暗い森。

「確かに獣臭い。雨に濡れた犬みたいな」

 ラッキーも周囲を見渡す。
 背後には森。
 目の前には安全な逃げ道。

「木をかじった痕跡も新しい……見たところ、今さっき削り取られたみたいですね」
「今なら逃げられますよ、オリヴィア様」
「わたし、生活かかってるので逃げられません。ラッキーさんは逃げても良いんですよ。というか逃げてください」
「逃げられないんです、いろんな意味で。あ、足跡が森の方に入っていってますね」
「バックトラックした形跡も無いですから、あっちにいるのは確かでしょう」
「そして何よりも」
「何よりも」

 瞬間、空気が張り詰める。

「「──視線を感じる」」

 そこでオリヴィアとラッキーの発言が偶然にも重なった。

「先に言っておきますが、私は壁にもなりません。なまじ知識だけはやたらにあるので、格好つけてるだけで。本当は怖くて怖くて、たまらない」
「じゃあなんで着いて来ちゃったんですか……?」
「何ででしょうね、やっぱり、アレですかね」

 ラッキーの声にはまだ落ち着いた響きがある。恐怖を自白してなお、頼れる大人であることを示したいらしい。

「私、貴女が戦うところを見たくてたまらないんだと思います。それが恐怖に勝ってて、脳みそが馬鹿になってるんですよ、きっと」
「やっぱりあなた、変な人ですね……!」
「変な人かもしれません……!」
「戦えないなら、せーので逃げましょう。いきますよ、せーの」
「駄目です、もう足が動きません」
「とんだお荷物じゃないですかっ!」
「かもしれません」
「かもしれないじゃなくてお荷物確定──あぁっ、来るっ!」


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