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第一章 幸運のヒゲ

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「うっわ、これわたしの似顔絵?」
「違う違う、これはなぁ、あのオリヴィア・ベルナールの似顔絵さ」

 カレドゥシャ、噴水広場。
 緋色の派手なローブを纏い、フードを被った少女が一枚の絵を指差し、似顔絵描きの男に語りかける。
 絵には極めて美しく、しかしどこか怪しげな赤髪の女性が描かれている。ぶら下がっているタイトルは『オリヴィア・ベルナールの肖像』。

「わたし、こんなおねぇさんじゃないんだけどなぁ」
「当たり前だろう、これはお嬢ちゃんじゃなくてオリヴィアの似顔絵なんだ。この前『オリヴィアに会った』っていう老人から話を聞いてね、その人の言うとおりに描いたものが、これさ」
「……あぁ、そういう」

 ──オリヴィア・ベルナール。 
 稀代の天才治癒術師。冒険者であれば名を知らぬ者はいない最強の冒険者ギルド【ドラゴンスレイヤーズ】の一員と目されていた人物。
 怪我や病を治す魔法を専門とする職業、治癒術師としての実力は最高峰。その治癒術は塩をかけられたナメクジですら息を吹き返すほど強力であると言われているとか、いないとか。

 そんなオリヴィアにつけられた異名は──「天より使わされし癒し手エンジェリック・ヒーラー」。
 半ば冗談にも聞こえる仰々しい二つ名は現在、本人を置き去りにして独り歩きしている状態にある。

「やっぱり、わたしのことを知ってる人って──いやでも」

 理由はひとつ、彼女の素性を知る人間が極めて少ないためである。

 まず、彼女は人前に姿を現すことなど滅多にない。と言うより、多くの人にとって、彼女に会う必要はほぼ皆無なのだ。
 治癒術師にもピンキリだが、結局のところ、数多の危険を伴う冒険者すら、回復魔法がそこそこ使えるような人間が旅の友に1人いればそれで間に合うわけで。
 多少の傷であれば、わざわざ稀代の天才の力を借りる必要もない。むしろ、冒険者としては彼女の姿を見ずに済むに越したことはないないのだ。

 オリヴィアの手を借りる時それ即ち、塩をかけられたナメクジにも等しい瀕死状態、ないし超がつくほどの重症・重傷状態にあるということ。
 仮にそんな状態で彼女の姿を見たとしても、到底覚えておけるはずもないのだが。
 
「ねぇ、わたしを描いてみない?」
「いいよ、500ガルね」
「高い!」
「あのなぁ」

 似顔絵描きの男は顔をしかめ、ぽりぽりと頭を掻いた。

「こっちは商売なんだよ」
「100ガルで描いて。今それしかないの」
「……しょうがない。特別サービスだからな」

 おまけに。
 オリヴィアが所属するとされていた【ドラゴンスレイヤーズ】は謎の多い集団でもある。
 教会協会の統率から抜け出し、独立した存在として活動しているという話だけは有名だ。人助けのためには動かない、金のためだけに動く傭兵集団。そんな見方が今では一般的となっている。

 特殊なギルドであるゆえに、所謂「裏の仕事」に従事しているという話もある。そのためか、【ドラゴンスレイヤーズ】はその内情、特に所属している人員の情報についてはほとんど不明。隠密行動のためだと言い張る者もいれば、所属者が脱退しても再就職しやすいようにとの配慮だという声もある。
 どちらにせよ、そんな組織にいたのであれば、オリヴィアに関する情報が出回らないのも無理はない。
   
「フードで顔が隠すなよ、顔を描くんだから」
「あっても描けるでしょ」
「俺は似顔絵描きだぞ」
「……」

 オリヴィア・ベルナールという人物はその正体が何重ものヴェールに包まれた謎の多い女性。
 出会ったことのある者は限られ、表舞台に現れることもなく、所属する組織も秘密だらけ。現状、彼女に関する情報の八割近くはただただ伝聞されてきた噂となっている。
 それが「天より使わされし癒し手」などとという二つ名が独り歩きし始めた原因だ。今やそれは彼女の意志とは関係なしに、尾ひれを生やして勝手に泳ぎ出している。

「なぁ、お嬢ちゃん。フード」
「やっぱりいい。さよなら」
「あっ、おい」

 そんなオリヴィアが【ドラゴンスレイヤーズ】から追放されたとの更なる噂が流れたのが、つい一週間前のこと。耳の早い冒険者達の間では、既にこの話題でもちきりであった。

 次は誰がオリヴィアを手に入れるのか。

 確かに彼女は非常に優秀な治癒術師だ。引く手数多であることは確か。
 しかし、先述の理由から治癒術師であること自体は然程重要ではない。
 それは即ち、彼女が多くの冒険者から求められるのは、何も治癒術に精通し尽くしているからというだけではないことを意味する。

「カレドゥシャだと、誰が見てるか分かんないもんね」

 風が吹いた。
 腹の底から冷えるような向かい風だった。
 少女はフードをより深く被る。隠れるように、守るように。
 それが余計に視線を集めていることに、彼女は全く気づかない。

「バレたら大変。騒ぎになっちゃう。あは……」

 冒険者ギルド【ドラゴンスレイヤーズ】──その名は所属する者全員が、単騎でのドラゴン殺しに成功していることに由来する。

 元来、治癒術師に戦闘能力は皆無。その技能は基本的に前線で戦う仲間のサポートに徹するためのものだ。
 加えて治癒術は魔法の特徴ゆえ使用者の体力消耗が激しく、自身が戦闘を行いながら誰かを治し癒やすという行為は常識に照らし合わせても不可能。治癒術師という役職を選択した以上、戦闘は放棄したのと同義なのだ。
 すなわち治癒術師とは、共に戦う仲間ありきの役職。

 そんな治癒術師。
 しかも女が。
 たったひとりで。
 竜殺し、など。

 そんなこと出来るはずない、それが常識的な見解。
 そもそもオリヴィアという治癒術師が実在するのかと疑う者も出始める始末である。

「銀行は……あっちか。鍵、カギ、かぎカギ鍵……」

 だがしかし。
 噂とはいえ、彼女は稀代の天才治癒術師の名を欲しいままにする女性。
 そんな逸材──実在するとすれば、ではあるが──興味本位でも欲しがるギルドは少なくない。



   *



「えぇっと」

 これまた噂。
 瀕死のところをオリヴィアに救われたと言う男の話によると、彼女は空のように澄んだ透明を透かした青い瞳で、燃える炎よりも赤い髪をしていたそうだ。

 おまけにとても目立つ緋色のローブを着用していたらしく。
 なぜそんな目立つものを?
 そう訊ねてみたものの、彼女はただ
「血の色をごまかせるから」
 とだけ答えたという。
 朦朧とした意識の中でのやり取りだ。真偽の程は確かではない。

「あはは、どうしよ……」

 カレドゥシャの噴水広場から南に歩いた所にあるのが、「教会協会カレドゥシャ本部」の受付。
 そこで先程から、困り顔でソワソワする少女がひとり。

「やっぱり、治癒術師って需要ないですかね」
「需要も何も。女の子ひとりを雇ってくれるところなんて、そうそうないわよ? 確かに治癒術師の人気が無いのは間違いないけれど」

 少女は冒険者、しかも治癒術師らしい。新たにギルドに所属して稼ぎを得たいものの、どうにも上手くいっていない。

「治癒術師、ねぇ……?」

 怪訝そうに、教会協会の受付嬢が呟いた。

「そもそもあなた、本当に冒険者なの? 魔物と戦ったり、未開の地を調査したり、悪い人たちをやっつけたり……直接戦わないにしろ、あなたにそんなことが出来るとは、お姉さん思わないなぁ」
「そんな、ひどい」

 受付嬢の反応も当然だった。
 少女は見た目せいぜい10代前半。20代半ばで冒険者になるための免許を取得するのが通例であるため、冒険者と言うには些か若すぎるのは間違いない。
 一方で、実力さえ伴えば冒険者に年齢制限などないことも事実ではあるが。

「人は見かけで判断してはいけません。わたし、結構すごいんですよ」

 少女は言い切った。
 少しだけ胸を張って。

「強いんです。実は」
「へぇ~そうなのね~」

 気のない返事を受付嬢は寄越す。いたずらに付き合うつもりで会話を進めることにしたようだ。

「あなた、レベルはいくつ?」

 ──レベル。
 魔物の討伐数、ダンジョンの攻略貢献度合い、依頼の達成数などなどに比例して上がっていく数値。言わば、教会協会が冒険者の功績を数値で示した値である。

「レベルですか、わたしの」
「ええ、そうよ」
「241です」

 控えめに、小声で。
 少し誇らしげに。
 少女はその数値を口にした。

「……ごめんなさい、よく聞こえなかったわ。もう一度言ってもらえる?」
「にひゃく、よんじゅう、いち、です」

 2 4 1 。

 一般的な中堅冒険者のレベルが60程度。ベテランであっても100に届くか届かないか、それがレベルというものだ。
 241などという常軌を逸した数値を叩き出す冒険者など、余程の手練──それこそ単騎での竜殺しも可能な強者つわもののはずである。

「241ですよ? 本当ですよ?」
「ん……?」
「ん?」
「ん?」

 やや間があって。

「「んー?」」

 2人は揃って首を傾げる。
 やがて協会の受付嬢はぽりぽりと頬を掻きながら、少女に対して微笑みかけた。
 明らかに、営業スマイルだった。

「面白いけれど、冗談は良くないわ。ほら、名前と出身言って。一応は照会してあげる、一応」
「やっぱり信じて貰えないんですよね」
「うふふ、そんな事ないわよ」

 営業スマイルは崩れないが、その言葉に込められているのは僅かな怒りであるように思われた。
 受付嬢が少女の言葉を信じていないことは、目にも耳にも明らかだ。

「わたし、名前言っても、どこの街の教会協会さんでも信じて貰えなくて。ハンコと時計、前の仕事の都合でこの街の金庫に預けてたので──」

 少女はキョロキョロと周囲を確認しながら、聞かれてはまずい、秘密の話でもするように声のトーンを落とす。
 
「──身分を証明できなかったんです。秘密ですよ」
「大丈夫。ここには協会が保管してる資料が全部あるから。見つからないものはないわ」 

 ──あなたが本当に冒険者なら、だけどね。
 受付嬢の顔にはそう書いてある。

「オリヴィア、です」

 こそこそと、耳打ちでもするように少女は告げる。

「北レイルラントのアウバーネ出身、オリヴィア・ベルナールです。14歳で、少し前までは非公認のギルドに居ました」

 はっきりと。
 小さな声ではあるが。
 少女は正体を明かした。

「じゃあ、貴女が、オリヴィア・ベルナール……?」

 こくり、と少女は頷く。
 再びキョロキョロと周囲を窺い、

「はい、ちょっと失敗しちゃいまして。追い出されたんです」

 そう付け加えた。
 そこでついに、受付嬢の営業スマイルがどこかへと飛んでいってしまう。眉間に皺を寄せ、明確に懐疑的な表情を示す。

「大人をからかうのもいい加減にしてちょうだい」
「でも」

 不安そうにローブのフードを掴みつつではあるが、少女は強気に食い下がる。

「冒険者としての資料は絶対あるはずです。 命かけます。無かったら、ここで殺されても文句言いません」
「そ、そこまで言う?」
「言いますっ。あ、そうだ」

 がさごそ。
 慌ただしく、少女はカバンの中を漁る。
 ちらりと垣間見えるその中身は、よく分からない木の枝、葉っぱ、布切れ、瓶詰めの液体、その他もろもろ……。
 そうして。

「ほら、これっ、それとこれっ。さっき言った、ハンコと時計っ」

 あたふたしながらも、印鑑と懐中時計が取り出され、それは受付嬢の手に渡る。
 初めからそれを出していれば、事はもう少し穏便に、円滑に進んだのかもしれない。
 出さなかった理由があるとすれば、それは持っているのを忘れていたか、相手の態度を見るために敢えて、出さなかったか。そのどちらかだ。

「ごめんなさい、話してる途中で思い出して。もしかしたらと思って、銀行に先に寄って持ってきたんです」

 どうやら前者らしい。

「最初から、これ渡せば良かったですね」
「これは……冒険者印と資格証明の懐中時計、うっそホンモノ!? ちょっと待っ──お待ちくださいませ」

 僅かに動揺した様子を見せながら、受付嬢は一旦席を外し。
 かれこれ数十分が経過した頃。
 暫くしてから血相を変えて、書類の束とともに受付嬢が帰ってきた。
 
「もっ、申し訳ありません……!」

 額に汗を浮かべ、辺りをはばかるような小声に、僅かな高揚を乗せて。
 ──まさか。
 そんな顔をしながら、受付嬢は謝罪の言葉を述べる。手のひらを返したように、少女に対する態度も変わる。

「アウバーネ出身、オリヴィア・ベルナール様。た、確かに……身分と年齢、レベルその他もろもろ間違いなく本人であることを確認させて頂きました」
「ねっ。言ったでしょ」
「はいっ」
「じゃあお仕事、紹介してください。わたし、お金無くて色々マズいんです」
「はいっ、取り急ぎ資料をご準備致しますっ」

    ──オリヴィア・ベルナール。

 稀代の天才治癒術師。「天より使わされし癒し手」。最強のギルド【ドラゴンスレイヤーズ】の一員と目されていた人物。

 おまけにレベル241、超が付くほど一流冒険者。
 そんな彼女がよわいわずか14の少女であるとは、誰一人夢にも思うまい。


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