世界一可愛い私、夫と娘に逃げられちゃった!

月見里ゆずる(やまなしゆずる)

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2章

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『今月の支払いどうなるの?』
『もしかして働けなくなるの?』

 病室の周りは患者の寝息やテレビを見てくつろぐ音など会話が全然ない。大部屋なのに。
 むしろその方がいい。静かに過ごしたい。
 家族――特に妻から離れたい。
「お父さん大丈夫?」
 紺のブレザーとスカートに白の長袖ブラウスと短い靴下。学校の制服で来た陽鞠は、緑の丸椅子に座って悠真をじっとみていた。
 隣に座っている悠真の兄である陽貴が「大丈夫」と肩を叩いて安心させる。
 悠真の妻結花から返事がない。

「陽鞠ちゃん。大きくなったねー」
「陽貴おじさん、お久しぶりです」
 恭しく頭を下げる陽鞠。どこか他人行儀。2人が会うのは1年ぶりだ。
 年始の挨拶以来である。
 結花は義理の家族に陽鞠を会わせるのを嫌っているため、中々2人がきちんと顔を合わせる機会が少なかった。
 結花は一応義理家族との関わりは極力最低限にしてるが、用が済むとすぐに帰りたがるので、陽鞠は父親の兄弟とあまり喋ったことがない。
 悠真のスマホ通知が見える。
 陽貴は申し訳ないなと思いつつ、悠真のスマホを拝借して、通知を見ていく。
 数分おきに音が鳴る。
 その度に開いた口が塞がらなくなる。

 ――弟は毎日こんな内容のメッセージ貰ってるのか。

 普段のメッセージがこんなノリなら、家での会話も上から目線なのか。
 威圧的というか、読んでいて腹が立つというか……。
「ねえお母さんっていつもお父さんにこんな感じなの?」
 通知をチラ見した陽貴が険しい顔をしながら尋ねる。
「うん。なんて書いてありましたか?」

『今月のお稽古の支払いどうなるの?』
『もしかして働けなくなるの?』
『入院なんて許さないから! 罰として来月お小遣いなしね!』

「いつも上から目線です。父が可哀想です。もちろん私やお手伝いさんにもです」
「お手伝いさん? どこの?」
「母の実家の方達です。毎日母が祖母とお手伝いさんを日替わりで呼んでるんです。家のことは全てお手伝いさん達に丸投げです。お手伝いさんがいない時は父と私で家事をしています」
「一体お母さんは何してるの?」
 陽貴は結花が働いてないことを思い出す。一度働く話が出たものの、悠真は泣き落としに負けてしまって、今に至る。
「さあ、わからないです。多分ランチか買い物かお稽古に行ってるんじゃないですか」
 肩をすくめて冷めた口調で返す陽鞠は、悠真の顔をじっと見る。
「おじさん、父を助けて下さい! このままだと……」
 父が死んでしまう。病気になってしまう。
 母は本当に何もしない。他人に何でもやってもらって当たり前と。
 小学校6年になってから、母と祖母は私にも家事をするように言われた。
 最初はお米を研ぐことから始まり、味噌汁や簡単な炒めものや丼もの、そして今では休みどきに3食作るように言われる。しかも朝練の前にだ。
 夕飯も習い事や塾がない日に作れと。
 あとは洗濯や掃除もだ。
 母は気に入らないとお手伝いさんをいびるようなノリで嫌味が飛んでくる。それで不機嫌な日だと最悪だ。
 
 ――何もしないくせに偉そうに上から目線で、一体何様なんだろう。
 ――なんで娘の私が母に頭さげるようなことをしないといけないんだろう。

 言い返すとお小遣いなしとか、学校に必要なものを買わないと言い出す。
 
 ――将来イケメンでお金持ちの人と結婚するために、今からでも家事が出来るようにならなきゃね。

 玉の輿に乗ってほしいのだろう。
 後ろに『お母さんを楽にさせるために』がついてくる。
 そもそも結婚なんてする保証ないし、したとしても、あの母のことだから依存してくるだろう。
 中学生の私に結婚がどうのこうのなんて言われてもピンとこない。
 少なくとも今の両親の姿を見ていると、結婚なんんて無理だ。
 自分も母の血がある以上、母みたいになってしまうのが怖い。
 担任以外にも他の先生や同級生や先輩のお母さんから、うちの母のことを知っているようで、ちらほら中学時代のことを聞いている。
 聞けば聞くほど嫌になる。
 心の中で「うちの母がすみません……」と謝りたくなる衝動に駆られる。
 そんなのは所詮自己満足に過ぎないし、何も解決にならない。
 担任もおそらく母の被害者なんだと思う。
 だから私に対してあたりがきつい。
 肝心の母は人にマウントとることしかしない。のうのうと生きている。
 父は家で母に見下されたり、蔑ろにされてもまっすぐ家に帰ってきてくれる。忙しい中今日みたいに三者面談に来てくれた。
 無理をさせたんじゃないかと。
 母の父宛てのメッセージを見て、追い打ちをかけているだけにしか見えなかった。
 こんな状況でも自分のお金しか心配していない。
 それでもっていつも父にお金がないだ、給料が安いだ、仕事がダサいだ言っている。
 叔父があのメッセージを見てどう思ったのだろうか。
 父と母は引き離した方がいい。

「そうか。お父さん、ずっと我慢していたんだろうね。あの時、もっと強く反対していたら良かった……」
 陽貴はお腹の前で腕を組んでため息をついた。
「俺、お父さんがお母さん連れてきて挨拶してきた時、凄い嫌な予感したんだ。態度が気味わるくてね。なんていうかな、凄いぶりっ子口調で話しかけてくるんだ。俺の妻も『この子ちょっと苦手かな。うちの実家バカにされた』って顔をくもらせてたんだ。妻がこういうの言うのは相当な時なんだ」
 陽鞠は母のマウント取ってる様子が容易に想像できた。
 出身地から始まって呉松家は由緒あるお家だから、そこの親族になれただけでありがたく思えとか、私の方が可愛いとか、無神経なことをポンポン言っていたのだろうなと。
「ほんとうちの母が申し訳ごさいません……」
 軽く頭を下げる陽鞠に対して、陽貴は陽鞠ちゃんが謝る必要ないんだと宥める。
「お父さんが回復したら、しばらくおじいちゃんおばあちゃんの家にいてもらおうかな。離れて暮らした方がいいと思う」
「私もついてもいいですか? 今は学校あるから……でももうすぐ冬休みなので、しばらく母と離れたいです」
「うーん、塾や学校って大丈夫?」
「あっ……」
 春の台中学校の終業式は12月20日。今日が12日なので、冬休みまであと八日ある。
 三者面談がある間、授業は午前中で終了で早く帰れる。
 しかし陽鞠は授業終わり次第部活が始まる。
 昼休みの間に持参したお弁当を持って、また午後の練習が始まる。そこから、夜の六時前に終わり次第、西南中央駅近くにある塾に行く。
 依田家は西南駅から徒歩十分。春の台中学に通うとしたら、車を使わないといけない。
 塾や習い事に行くのは影響ないが、学校に通うとなれば難しい。冬休みの間ならできそうだが、結局部活もあるので、家に残らないといけないだろう。
「学校のこと考えたら、このまま私は残らないといけないですね」
 陽鞠は肩を落として悠真の方へ視線を向ける。
 規則正しい寝息が聞こえる。

 本当に休んでほしい。
お父さんもうお母さんと別れて。
このままだと死んでしまう。
「……父はどれぐらい働いてたんですか?」
「うーん、それは勤務記録見ないとなぁー。前々から無理して働いてる所あったって話をチラッと聞いたね。戸塚くんがお父さんと親しいから聞いてみるね。で、お母さんから連絡はきてる?」
 陽鞠はスマホの通知画面を見てため息をついた。
「一体何してるんだか。電話の一本ぐらいして欲しいもんだ。自分の要求ばかりだけでなく」
 その瞬間、陽鞠のスマホに着信表示がでた。
 陽鞠は病室から出て病院の入り口に立つ。
「お母さん? 今どこ?」
『後で向かうから、もう少し待ってて』
「早く来てよ」
『お母さん忙しいの!』
 陽鞠はスマホをスピーカーモードに切り替えた。
 ヒステリックな声がスマホから漏れ出る。
「陽鞠ちゃん、どうした?」
 陽貴は心配なのか、陽鞠についてきて病院の入り口にやってきた。
『とにかく今月支払いどうなるの?! 習い事いけなくなるじゃない! 私と陽鞠を野垂れ死にさせるつもり?!』
『とっとと帰ってきなさい!』
『罰としてお小遣いなしね! 帰ったら家のことしてもらうからね! お母さんに叱ってもらうから! 気がだれてるんじゃない?!』

 スピーカーモードであることに気づいてない結花。
 キャンキャン喚く声。
陽貴は急に頭をガンガン叩かれたような感じだと思いつつ、録音アプリを起動する。
目で陽鞠を「ちょっと代わって」とアピールして、交代する。
「結花さん? お久しぶりです。依田陽貴です」
『あ、あらー、お義兄さーん。お久しぶりですぅ。お元気ですかぁ? 今度一緒に二人でディナーいきましょー』
 こんな状況でよくディナーがどうのこうのと言えるなぁと、顰めたような顔つきになる。
「……悠真が体調崩して病院に運ばれたんです。場所は西南病院。分かりますか?」
 陽貴は結花の身勝手な要望を無視して本題に入る。
『そ、そんな……っずっ、しゅ、主人が……、し、心配だわっ』
 突然啜り泣くような声になる結花。
「陽鞠ちゃんが何回も連絡してますよ。メッセージ読んでますか? 私も送ったんですけどね」
『ぎ、気づくの、遅くなって……ちょっとバタバタしてたもんで。っぐっ……今から向かいまずっ』
「ではお願いします」
 通話が終了したので、スピーカーモードをオフにする。
「なんだあの人? 俺が出るとめっちゃ態度変わってたんだけど? ないわー」
 通話中終始穏やかな口調で相手していたが、泣き方が癇に障る。わざとらしい。
「陽鞠ちゃんの時は上から目線なの聞こえてるからな。夫が体調不良というのに、なんだよあの言動は」
「だから言ってるじゃないですか。母は自分の事しか考えてないって」
「もしかしてスピーカーモードにしたのは、俺に聞かせるため?」
 陽鞠は黙って頭を上下した。
「――私、もう母から逃げたいです。父を解放して欲しいです」
 ぽつりと呟いたその言葉は耳に届いただろうか。
「寒いから中に入ろう」
 自動ドアが開いた瞬間、外と中の温度差が二人の体染みた。
 2人が病室に戻ると結花がまだ来てないことに肩を落とす。
 悠真が目覚めた。視線を二人に向けた悠真は「結花は来てないのか」と呟いた。それは残念がるような。
「悠真、お前嫁さんからのメッセージひでーな」
 丁度見えたもんだから、少し見てしまった。ごめんと謝る。
「いつからなんだ?」
「結婚した時から。付き合ってた時はそこまでじゃなかったけど。尽くす感じだったかな」
 美味しい手料理、優しい笑顔、一緒にいると安心するというか、心地よかった。ワガママでも可愛く感じた。
 彼女を幸せにするなら多少の犠牲も厭わない。
「恋は盲目ってこういうことだね、お父さん」
 悠真棘のあるような口調で陽鞠から言われたが、否定しなかった。

 多分そうなんだと思う。
 結婚時の約束を生涯守り通すと決めたんだから。
 向こうの母親の許しを請うために。
 大好きな娘がいなくなるのが辛いのはわかる。
 自分が親になって、もし結婚したいだ付き合ってる人がいると言われたら、驚きと寂しさが隠せないだろう。
 でもそれは親離れの証だ。もう役目終わったとなるだろう。
 あの母親は一生妻の母親でいたい。可愛い可愛い娘でいてほしいのだろう。
 それを自分が現れたことで邪魔だと思ったのだろう。
 無理難題な条件を出されても、愛する妻のためならとやっていった。
 妻からやいのやいの言われても、家の為にと堪えてきた。そのつけが回ってきてる。

「愛する人のために、こんな身勝手なメッセージ貰ってもやっていくんか?」
「うーん、自分でもよく分からない。もう体が持たないのは確か」
「悠真、お前戸塚くんや他のスタッフ言ってたけど、無理しすぎなんじゃないか? 結花さんと陽鞠ちゃんのためにとはいえ。夜遅くまで働いてるって聞いたけど。数年前から」
 悠真の心臓が跳ね上がる。
 どうしよう、本音がバレる。
 仕事が終わっても残業したくなるリーマンの気持ちが非常に分かる。
 世間が働き方改革だ、残業減らしましょうとか言ってるけど、世の中には自分から遅くまで職場に残る人がいる。
 多分自分もその1人だと思う。
 家に帰っても妻にあれこれ言いつけられる。
 洗濯してだ、レンチンしてご飯食べてだ。
 娘も塾や習い事や部活で遅くなる。
 家族揃うのが本当夜10時や11時ぐらいだ。
 団欒には程遠く妻の独演会が始まる。
 自分と娘は家事をやりながらひたすらはいはい聞いている。
 妻は何もしない。昔からコーヒー一つも自分で入れない。他人に任せて味や濃さが気に入らないとぶっかけられる。
 
 一体自分は何のために結婚したんだろう?
 妻と娘のために生きてきてるはずなのに、妻からのギブは何もない。
 
 ――私、家の事ちゃんとするから!

 実母が倒れてピンチの時働くという選択肢が妻の中にはなかった。

 たしかにこれを言った後しばらくは家事を頑張って覚えようとしていた。
 それも長く持たなかった。
 ほぼ毎日お手伝いさん呼んでるのを知っている。
 妻の母が可哀想だからと。
 やめてくれと言ったらしばらく呼ばなくてまた呼ぶの繰り返し。

 ――なんのために妻はいるんだろう?

 仕事しないならせめて家のことをやってほしいと何度も言ったが、妻の勢いとワガママに根負けしてしまう。
 惚れた弱みをずっと握られてる。妻の親にやっと認めてもらった結婚だから。
 夫婦って対等じゃないかと思う。
 妻にとっては全員下僕、都合のいい人間としか思ってないだろう。
 こんな状況なのに全く来る気配ないんだから。

「悠真、お前1回結花さんと離れた方がいいと思う。このままだとマジで潰れる」
 凝視する陽貴の目から怒りと悔しさが滲み出る。
「うん、そうか。でも結花が可哀想だから……」
 可愛い妻のために、娘のために、すぐ回復して働かなきゃ。
 結婚の時の約束守らなきゃ。
「おめえ、自分の状況わかってんのか」
 静かに怒鳴る陽貴。目が据わっていた。
 陽鞠もその姿を見て縮こまる。
「にーちゃん、俺は家のためにしなきゃ、結花を幸せに……まだ洗い物が残って」
 無理矢理理由を作って陽貴を納得させなきゃと焦るが言葉が思いつかない。
「まだいうか? お前今倒れてたんだぞ?! 勤務先で! 社長が部下の前でぶっ倒れて、心配させてどうするんだ?! お手本になるべき人間が、こんなんだと情けなーな!」
 必死に声のボリュームを抑えてる陽貴に悠真は観念した。
 悠真は昔からマジギレした陽貴が怖くて仕方なかった。
 有無を言わずにはいと答えないといけない威圧感。
 恐らく依田家で一番怖いと思われている。
「そうだよ。お父さん。陽貴おじさんの話聞こうよ。お母さんのことはなんとかするから」
「退院してから、実家に戻ろう。俺も協力するから」
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