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2章
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依田陽鞠は友人の磯ケ谷紗来から、宿題見せるように言われてため息をついた。
吐く息が白い。強風吹きすさぶまではいかないが、風が地味に強い。
女子は年がら年中スカートで、白の短い靴下と白のスニーカーで紺色の上下制服という、なんとも微妙な組み合わせの服装である。
教室はストーブがあるものの、休み時間はつけてはいけないし、換気しないといけない。昼休みも含む。
陽鞠の席は今月席替えで廊下に一番近い最前列になった。
しかも隣は苦手な男子だ。
早く来月にならないかなと陽鞠は毎日思っている。
とはいっても次は年明けだ。
「終わったよー」とすぐに紗来から返ってきた。
今日提出する数学のプリントだ。
数学の赤澤は締め切りに厳しいし、授業態度も細かくチェックする。
だから数学の授業中はみんな問題を解くのと板書する音しか聞こえない。
そもそも春の台中学校で授業中におしゃべりはおろか、先生に反発したり、なめた態度をとる生徒はいない。
近隣では西南中学校、春の台中学校、神山中学校と試験が難しいことで有名である。
塾の講師達は毎回学校の先生と競うかのように、試験予想問題なるものを作っては万全な体制を整えている。的中率はそこそこある。
「ねぇー、ひーちゃんの保護者面談いつー?」
「12月14日の13時」
「私の前じゃん。あー行きたくないなぁー」
「ほんそれ! 何いわれるんだろー」
2人は保護者面談のことを考えるなり顔を曇らせた。
「私、まみりん苦手なんだよねぇー。みんなの前ではそうじゃないけど、2人になったら急にあたりがきつくなるんだよね……試験ずるしたとか言い出してさー……」
「嘘でしょ?! そんなひどいこと言うの?! ひーちゃんがそんなのする訳ないじゃん。吹部の練習も勉強も頑張ってるんだし」
紗来は目を丸くして返す。
陽鞠は学年でも上位者に入っている。今の所最高記録は5位だ。
別にずるをしているわけではない。授業態度はいたって真面目だ。
授業中と塾の最中に授業の内容を頭に叩き込もうと必死になっている。
赤澤は今年の4月に異動してきたばかりだ。
陽鞠は初っ端に「お母さんに見た目そっくりね」と言われた。
それ以来、赤澤は陽鞠に対して2人だけになるときつくあたってくる。ひどい時は「男子使ってカンニングしたんでしょ」と言われる。
自分でやったのに何を根拠にそう言われるか分からなかった。
ただ、赤澤と母が面識あるのではないかと陽鞠は思っている。
「多分まみりん、ひーちゃんのお母さんと面識があって、なにか恨みでもあるのかしらね。だからといって、ひーちゃんが辛く当たられる筋合いはないと思うけど」
「うん、そう思う。正直私、保護者面談にお母さん呼びたくないの」
大きなため息を付きながら、机の中に入っているクリアファイルから、1枚の紙を取り出す。
三者面談のお知らせだ。
12月14日の火曜日、昼の13時から教室で保護者面談しますというお知らせだ。
この時期になると、生徒たちは午前中で授業終了で帰れるが、陽鞠は部活があるので、その合間を縫って保護者面談に出席する。
陽鞠としては正直結花に出席してほしくないと思っている。
2人が喧嘩してしまうからだ。
最初の家庭訪問で結花は、赤澤が同級生であることを知ると、近況報告から、結婚の有無を聞いたり、自分が大学卒業してすぐに結婚して、20代前半で子どもが生まれたので、若いママとして誇りに思ってるとか、働かなくていいから悠々自適な生活をしているけど、そちらは大変そうですねとか、結婚してるのか、相手はどこの誰で、何の仕事をしているのか、うちは社長だから、先生より格上など、マウントを取るような話ばかりしていた。途中から、結花の母周子も参戦した。
赤澤も結花のマウントに負けることなく、幸せであることや、相変わらずで安心したと少し嫌味を言った。
子どもがいない赤澤に対し、結花と周子から「高齢出産は大変よ」と、心をえぐるようなことを言った。彼女は顔色変えて足早に依田家を去った。
結局本題に入れたのはわずかな時間だった。
家庭訪問の次の日に、陽鞠は赤澤から、結花と周子のことを「あの母娘は相変わらずね」と、呆れ混じりの悔しさのようなため息で言われた。
話の一部始終を聞いた陽鞠は代わりに頭を何度も下げた。
それと同時に無神経な祖母と母に心底軽蔑した。
一学期の保護者面談は父の悠真にお願いして出席してもらった。
悠真が同席すると「お父さん大変でしょうね。あの人のわがままに振り回されて。おそらく家族皆さんが振り回されてるでしょうけど」と言ってのけた。
悠真はそんな嫌味も怯むことなく、娘の授業の様子を聞いたり、今後高校受験に向けてどう勉強したらいいかなど話した。
悠真と陽鞠は何で結花のことを知っているのだろうかと不思議に思っていた。なんとなく聞きにくかった。二人の間でおそらく何かあったのだろうと落ち着いた。
かと言って結花本人に言及するつもりはなかった。
また面倒くさいことになるからと。
「お母さん呼びたくないって? きれいな人じゃん?」
あの人見た目だけはいいからねと心の中で毒づく。
「……まぁね。でも、私はお父さんに来てもらおうかと思ってる」
父はこれから年末年始のセールの準備で忙しいだろう。
本当に母に来てもらいたくない。
アラフォーなのに、服装も言動も痛いし、わがまますぎるし、自分の思い通りにいかなかったら、すぐに祖母にチクって私や父が悪者になってしまう。
生まれてから働いたことがないのが自慢。しかも理由が「世界一可愛いから働く必要がない」と。
家のこと全部人に丸投げして、祖母や友達とランチに行っている。
家に帰るたびに服が増えている。
買ってあげたよーと言われても、正直好みでない。
動きにくいブランド服ばかりだ。
こんなの持ってたって、同級生や先輩に目をつけられるだけだ。
部活は見えない暗黙のルールが沢山ある。
早く部活に来るのは当たり前、廊下ですれ違ったら、直立して頭をさげるとか、先輩よりいい楽器や持ち物を持ったらダメとかある。
それを知らずに、先輩に目をつけられるとしばらく嫌がらせがくる。
ロッカーにゴミを入れられるとか、悪口書いた手紙が送られるとか、大事な情報が回ってこないとか。
陽鞠はいつ先輩に目をつけられるんじゃないか、冷や冷やしている。
母の結花に陽鞠は何度もブランドものはいらないと言っている。しかしおかまないなしに買ってくる。
本当は動きやすいジャージの方がいい。
鞄もできればシンプルなものがいい。
何度もやめてくれといっても話を一個も聞かないのが結花だ。
小学校5年の時、陽鞠の授業参観で皆がスーツやちょっと上品なワンピースなど、きれいめとラフな格好の間ばかりの中で、結花は短いチュールスカートに肩や鎖骨が見えそうなブラウスでブーツで来た。
周りから保護者の冷たい視線と、同級生からの冷やかしに耐えれなくて、陽鞠は猫背になりながら、机の下にうつむいて顔が赤くなった。思わず両手で顔を覆いたくなるような。
今まで親が若作りするような格好でいるのは普通だと思っていた。
娘である陽鞠から見ても、結花は若く可愛らしい少女のような顔立ちで、容姿が整っている。
友達やそのお母さんから「陽鞠ちゃんとこのお母さん可愛いね」とか「きれいだねと」言われると嬉しかった。
でも授業参観で同級生や他の保護者の突き刺すような視線を向けられ、陽鞠は結花がやってることに恥を感じた。
――私の母は私の頑張りには興味なくて、自分が主役になりたいだけ。
陽鞠はいつも結花から「お母さんは世界一可愛いから、お父さんと結婚してあげたの」と聞かされている。
その言動に年を上がるにつれうんざりしている。
小学校のあの授業参観での雰囲気。
よくもわるくも有名になってしまった。
元々結花は保護者の間では有名人だった。
容姿もそうだが、服装や他の保護者へのマウントとりをするので、一部保護者から良く思われていない。でも娘の陽鞠ちゃんは真面目だし……とかなり微妙な立場だ。
今住んでいる春の台は結花の実家がある場所なので、ちょいちょい彼女の話が陽鞠に来る。
陽鞠は母が色々やらかしてたんだろうなと納得している。
あの授業参観を機に少しずつ陽鞠は結花と距離を置くようになった。
部活で吹奏楽部を選んだのは、新入生歓迎会での先輩たちの演奏がかっこよくて、自分もああなりたいと思ったのは表向き。本当の理由は、結花と祖母である周子と顔を合わせる時間を少しでも減らすためだった。
父である悠真は「本当の理由」を聞いて、陽鞠の意向を理解した。
結花のこともあり、学校のイベントはあの授業参観以来、悠真にお願いしている。しかしどうしても合わない場合だけ、結花が出席している。
「うちのお母さんさ、見た目だけの人間だから」
「そうなの?」
「マジで。だって家事出来ないどころかしないもん。お茶一つも自分で淹れないの。料理なんか気まぐれでやるけど、美味しいとは言えないの。ぜーんぶお手伝いさん任せ。それでさ、日中はどっか遊び回ってる。家にいてもさ、おばあちゃんが毎日来てさ、全然落ち着かないんだ。それで『お母さんとおばあちゃんと一緒に出かけよう』って誘ってくるの。ほんと鬱陶しい!」
「おばあちゃん来て誘ってくるの?」
紗来は目を丸くして聞き返す。
「そうよ。しかもショッピングってデパートよ? 全然楽しくないもん。ずっと鞄とか財布とか見て回ってさ。それでさ、お母さんの試着で超時間かかるの」
周子があれこれ持ってきて結花に試着させるのである。
褒めなかったら結花は不機嫌になって、周子と陽鞠を無視する。家に帰っても、無関係な悠真も巻き込まれる。
「それファッションショーじゃん」
「そう! それ!」
二人は同時に吹き出す。
そうだ、それがしっくりくる。
「お金やばそうね……」
「……支払いお父さんがやってるんだよね……」
「えーっ?! お母さんは? 働いてないんだよね?」
「そうそう。お父さんとの結婚の時に、お母さんを働かせないって約束したらしいの。生まれてこのかた働いたことがないのが自慢だから」
口をへの字に曲げて呟く陽鞠は、母親が働いている家が少しうらやましいと思っている。
「それ、大丈夫なの?」
紗来に心配される陽鞠は「うーん……分からない」と言葉を濁す。
家のお金のことは詳しく聞いていないが、悠真が毎月険しい顔をしてカードの請求書とにらめっこしているのを見ている。時々ため息をついている。
一度請求書を見せられて思わず目が点になった。
結花と周子のおでかけで10万以上もかかっている。
鞄や財布や衣服、毎シーズンごとに海外と日本のブランド物を買い替えている。
陽鞠は部活で使う道具を買ってほしいと言うのに、なんとなく申し訳なく思ってしまう。
悠真から「お金のことは気にしなくていいから、練習に打ち込みなさい」と応援してくれている。
家族のために朝から晩まで一生懸命働いている悠真に対して、結花は給料が安いだ、周りに自慢できる仕事じゃないとか、文句を言っている。挙げ句の果てには、毎月3000円しか渡さず、その中でやりくりしろと言っている。
悠真の唯一の楽しみである、月1回のクイズサークルの集まりにも全く理解を示さず、陽鞠をだしにしたり、私にお金をかけなさいとごねている。
陽鞠としては母といるよりも父と一緒にいる方が楽しいと思っている。
高校に入ったら父のためにも家のためにもアルバイトをしたいと思っている。
世間知らずで、ちやほやされたり、人になにかやってもらって当たり前、その上わがままな母を反面教師にすると決めている。
――見た目だけ人間にはなりたくない。
「ひーちゃんはお母さんのこと嫌いなんだね。聞いてたら、私もちょっとそういう親は三者面談に来てほしくないかな……」
陽鞠は否定しなかった。
小学校時代のあの参観日まで、母の言動と行動に対し、素直に聞いていたことを否定したくなる。
もう消し去りたいぐらい。
あの母の血がつながっているのかと思うと、いつか自分も、ああなってしまうのじゃないかと考えるだけで、身が小さくなってしまう。
――蛙の子は蛙。
私はこの言葉が大嫌いだ。
まるで私が将来母のようになるに決まってると言われているみたいだから。
母が卒業した学校に通ってから――特に2年生になって、担任が赤澤になってから、母のことを引き合いにして、嫌味を言われるようになった。
おそらく母は春の台中学校に通っている時、色々やらかしたのだと思う。そうでないと、マイナスなことを言ってこないから。
実の娘である私ですら、あの母は嫌だ。
年齢にそぐわない言動、行動、まるで女子高生の恋愛みたいなことに夢見ている、全く働いたことがないことを他所に自慢して、他の人や保護者から顰蹙を買っていること。
母が投稿しているSNSを母の同級生達や保護者達が見ているようで、私に色々言ってくる。
珍獣を見つけたようなリアクションで。
私は母のSNSを他の保護者から見せられ、顔から火が出るほど恥ずかしかった。
勝手に私の写真載せられるわ、ネタにされるわ、父や父方祖父母、私の悪口など。悲劇のヒロインモードになって、コメントで慰められている。
投稿の内容もいくつか誇張したり嘘が入っていた。
あとは母のランチの様子やモデル気取りで、顔出しして写ってるコーディネート。
父に言おうか迷った。でももう見たくない方が勝った。あんな痛々しい投稿、中学生でもしない。
父もよくあの人と結婚したなと思う。
普通ならすぐに別れてもいいはずなのに。
――お母さんを幸せにするのと、何でも言うこと聞く約束をおばあちゃんに頭下げてお願いしたんだ。これを覆すのは出来ない。
ボソっと呟いた父の顔が疲れ切っていた。
約束を守るために自分を押し殺してでも母のワガママに付き合って来た。
母はそれが当然だと思っている。
私も母の言う事にはいはい聞くのが当然だと思われている。
1回ぐらい父の言うことを聞けばいいのに。
父は一度母に働くようにお願いしたことがある。
父方の祖母が転倒してしばらくお店で働くのが難しいから、手伝って欲しいと。
でも結婚の時の約束を引き合いにして、母は祖母を呼んで父が逆に怒られた。それ以来諦めていると。
もしこれで父が働けなくなったらどうなるのだろう。
母は父を捨てるかもしれない。あの性格なら。
母の実家である呉松家から援助してもらって生きていくのだと思う。
昔から地元で名の知れてるらしく、親族にも地域の有力者や会社経営に関わってる人が多い。
祖母はそこの1人娘で婿養子に祖父が来た。
だから祖母は祖父の事をぞんざいに扱い、母もそれを真似ている。
母には兄と姉がいるが、私は年に一回会うか会わないかのレベルで、顔が思い出せない。
多分母と仲が悪いのだと思う。
祖母が母をかなり甘やかすから。
祖父は母に対して口うるさいので顔を合わせる度に喧嘩している。私と父には優しい。
母の実家がもし援助しなかったら本当に野垂れ死ぬだろう。
とにかく働きたくない母は父が病気になってでも働かせるか、見捨てるだろう。
「三者面談は絶対お父さんに来てもらう」
お知らせの紙も渡さない。
教えなくて騒がれても無視する。
陽鞠は紙をギュッにぎってからクリアファイルに戻した。
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