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1章
6
しおりを挟む結花は家に帰って、化粧のやり直しと服を着替えてから再び外出した。
幼馴染に会いに行くためだ。
澄江の通院に付き合った後に、お茶する約束をとりつけた。
ここでも公共交通機関を使わずに、タクシーで待ち合わせ場所に向かう。
「ゆいちゃんこっち!」
西南中央の時計下に結花を呼び止める声が響く。
端正な顔立ちで、結花より少し背が高い。
白のブーツにメルヘンなデザインのワンピース、髪型はツインテールだ。
「のんちゃん、相変わらずスゴい服着てるねー。私の方が似合うかも」
「そうだね。ゆいちゃんの方がいいかも……」
のんちゃんこと磯崎望海は弱々しい声で答える。
開口一番、遠間しに似合わないねと言われているようなものだった。
これはいつものことである。
結花は自分が世界一可愛いと本気で思っているから。
「急にどうしたの? っていつものことよね」
苦笑いしながら望海は尋ねる。
結花は望海の都合なんてお構いなしに、いきなり誘ってくる。習い事が始まる2時間前とか、バイトの30分前とか。
これが学生時代ならなんとかできたが、バイトの15分前に誘われた時はさすがに断った。
『ゆいちゃんは働かなくていいかもしれないけど、私は家のためにやらないとだめなの。誘うならもう少し前に言ってほしい』
当時2人は大学生。
結花はバイトなんて当然やっていなかった。一方、望海は社会人になる予行練習として、家計を助けるために、趣味であるロリータ系ファッションのお店で週三回バイトをしていた。
今はそこの本社の事務職をしている。
働いていない結花にとってこういうことを言われてもピンと来ない。
「ちょっとね……ここでなんだから、いつものところにいこ」
2人は駅から数分歩いたところにあるショッピングモールに向かった。そこの飲食店街にチェーン店のカフェがある。
この時期のお昼の3時台になると、制服を着ている学生がワークを広げてにらめっこしている人達で賑わう。2学期の試験が近いからだ。
2人は奥の4人がけ対面式の席を確保できた。
「……ったく、あのババアが仕事中に風に煽られてころんだんだって。で、病院に行ったんだよ」
「だ、大丈夫だったの?」
「うん、なんとか。ただしばらく働くのはだめってさ」
結花は注文したパンケーキを切りながらぼやく。
「大事に至らなくてよかったよ。ほら、今日風が強いし、無理ないと思う」
「こんな風で? 私なにも思わなかったよ?」
「ゆいちゃんは、でしょ? お義母さんスーパーで働いているんだっけ? 普段動き回る人ですら、こうなるんだから、ゆいちゃんはもっと気をつけないといけないよ」
結花は「それどういう意味? 私が動いてないみたいな言い方ね」と挑発するような口調になる。
「そ、それは……」
望海は結花の地雷を踏んだと顔が青ざめる。
この人は自分に同意するような内容で答えないと、きつい口調になる。最悪ヒステリックになる。
「ごめん、ゆいちゃん。そういうつもりで言ったんじゃないんだ。ほら、私の抹茶ケーキ少しあげるから」
必死になだめようとする望海に対して、結花は仏頂面になる。
昔からそうだ。
いつも機嫌を損ねた結花の宥め役は決まって望海だった。男子たちがすることもあるが、同性で宥められるのは彼女だけだった。
2人は幼稚園から大学まで一緒だった。
親同士が仲が良く、家族ぐるみで付き合っていた。
進路も結花のためにわざわざ変えたぐらいだ。
正確に言うと、結花の母周子が「結花ちゃんは同性の友達がのんちゃんしかいないから、娘のために、一緒の大学に通ってほしい」と頭を下げてきた。
親同士が仲がいいというか、周子と望海の母知沙はいとこ同士で同い年。
呉松家の本家の跡継ぎは周子側。
周子は磯崎家を格下のように扱い、結花に同性の友達がいないから、いとこの望海を友人関係になるように命じている。
ナチュラルボーン人を見下す周子に似た結花は、望海を昔から召使いのように扱ってきている。
少しでも結花の気に障るようなことがあれば、望海は必死に取り繕う。
そうじゃないと自分の身、ひいては家同士の付き合いに影響がでてしまう。
「この抹茶ケーキ、まぁまぁの味ね。ありがと」
鼻で笑うように御礼を言う結花に、望海はうんざりしていた。
いつもいいものばっか食べてるあなたにはお口に合わないでしょうねと。
「でさ、義理のお義母さんがしばらく休むから、あのお店どうなるのかなーって」
口角をあげてニタニタと笑う。
いっそのこと潰れてしまえばいい。
お店はごちゃごちゃしているし、お客も貧乏くさいし、お菓子がまずかった。ほんと値段相応という感じ。
あんなしょぼいローカルスーパーより、自然食品やオーガニックのお店の方がいいに決まっている。
呉松家の実家から車で20分にあるショッピングモール。食品にこだわりがあることが売りで、オーガニックや有機野菜、外国から仕入れたお菓子や食材などがある。
結花は子どもの頃からそこにしょっちゅう周子と行っている。
ショピングモール内には、書店や雑貨屋やファッション専門店など種類が豊富である。
一回行ったきりで、ローカルスーパーは合わないと、それ以来見下している。
そもそも住む世界が違うといつも結花は言っている。
「最近夫が帰り遅いから、お母さんにお願いして、探偵みたいなのつけてもらってるの」
「探偵?!」
望海はおもわずオウムがえしになる。
「だって日付越えるのギリギリだし、家帰ってもちっとも相手にしてくれないの。浮気してんじゃないかって」
「そ、そうなの……ちょっと心配だね」
「どっち転んでも、私を心配させた罰として、お小遣い減らすつもりよ」
鼻息荒く話す結花に望海は同意しつつも、内心悠真に同情している。
結花の思い込みの激しい性格だったらやりかねない。
望海は結花から悠真に対する扱いをしょっちゅう聞いている。
お小遣いが月3000円と聞いて驚いた。
高校生の妹と同じレベルのお小遣いじゃないかと。
それで何か結花の気に障るようなことをしたら、毎回数百円から数千円引くと。
それを得意げに話している結花が怖かった。まるで独裁政権じゃないかと。
限られたお小遣いの中で、趣味のクイズサークルや読書に使っていている。
それでも結花は気に入らない。
一方結花は家のことをせずに、実家の母呼んでは、しょっちゅうランチだディナーだ行っている。ブランドの服やアクセサリーや化粧品に散財している。
それをSNSに載せている。望海もそれを見ている。
問答無用で結花からSNSのフォローをさせられた。
しかも投稿に対して肯定的なコメントをつけるように口うるさく言われる。
せっせと働いている中で、優雅にランチだエステだと一体いつの時代の専業主婦かなと妬みと、結花の夫は逃げた方がいいんじゃないかといつも思っている。
口が裂けても「ゆいちゃんの悠真さんに対する扱いがひどいから帰りたくないんじゃ……」なんて言えるわけがなかった。
「スーパーって人手不足深刻だからねぇ。しょっちゅう募集の張り紙はってるけど……もしかしたらゆいちゃん、働けって言われるかもよ」
「はぁ? 私が働く?! ありえないわ。そんなの契約違反よ? だって、結婚の際にうちのお母さんの許しを得る条件の一つが、私を働かさず、専業主婦でいることなのよ」
再び甲高い声で強い口調になる結花。
「そうだけどね、こういうのって、家の状況が変わることがあると思うんだ。私の職場でも、ゆいちゃんのように、専業主婦だったけど、旦那さんが仕事変わったとか、子どもの学費のためにとかで働いている人沢山いるのよ」
「そんなの旦那の稼ぎが悪いだけで、働かされているその人哀れだね」
結花は望海に挑戦的な目を向けて侮辱する。
「……ゆいちゃん、働きたくないって言うけど、悠真さんになにかあったらどうするの?」
「実家にお金の支援してもらう」
「周子おばさんや明博おじさんも、いつまでも健在とは限らないよ」
「じゃぁ、義理の両親にお金の支援してもらう。呉松家に嫁いでやったんだからそれぐらいしてもらわないと」
望海は結花の答えに肩を落とす。
昔から働きたくないと言っていたけど、あれは冗談だと思っていた。
中学の時の将来の夢の作文で、みんなが公務員や漫画家とか幼稚園の先生と言っている中で、結花は「お嫁さん」と自信満々に書いて発表して、クラス内が凍りついたのを思い出した。
当時怖いことで有名だった担任が「お、おう……」とどうリアクションしていいか困惑していたのを今でも思い出す。
「ゆいちゃん、あのさ、そのあげるあげるってその上から目線の言い方やめて! そりゃ悠真さん逃げたくなるよ!」
正論を突きつけられた結花は目を潤ませる。
「ひ、ひどいよ……私が悪いの?」
おそらくここでの会話を聞いているお客の大半が「それは結花が悪い」とジャッジするだろう。
なんせ、結花の甲高い声は店内に響いており、勉強していた高校生の男子グループは「やべーこいつ」と、不愉快そうにイヤホンをつけ始めてた。2人組のマダムは眉を潜めて「ちょっとうるさいわね」「うちも息子の嫁にそう思われているのかしら」と話していた。
店のレジでは申し訳無さそうに対応をしていた。
結花と望海は周りから視線が注目されていることに全く気づいていなかった。
「ゆ、ゆいちゃん、声が大きいよ」
望海はまたはじまったと大げさなため息をつく。
結花は昔から自分が不利になると、泣いてごまかそうとするか、癇癪おこす。ひどい時は八つ当たりで、物を投げられたり、無視される。
そのターゲットになっているのが、望海と呉松家、夫の悠真、そして自分が気に入らない人――特に立場が低い人たちだ。
結花は周りがなだめるのが当たり前だと思っているが、兄と姉と父は無視するか厳しく注意する。
いつもおろおろして周子または望海が機嫌をとっていた。
「ねっ、1回出よう。他の所行こうよ」
完全に悲劇のヒロインモードになっている結花。
「じゃぁ、のんちゃんがおごってね。私、清栄館に行きたいから」
高い料理店の名前を出されて望海は腹をくくった。
仕方ない。この人の機嫌が良くなるならと。
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