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31話

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「おい」

「何でしょう?」

 俺が文句を言うと、MIUは何も知らなさそうな純真な表情でこちらを見てきた。

「こういうアドリブは得意なんだな」

「はい?」

 何年も芸能界で役者として生き続けてきた女優が何の計算も無しに色恋沙汰に発展しそうな行動をとるわけが無い。

 ましてやMIUは頭の良さだけで演技をやっているような人間だ。なおさらありえない。

「何が目的だ?」

「そんな、酷いですねなみこ先生。中学生の純真な気持ちを疑うだなんて。ねえ美琴先輩?」

 問いただすも本心を打ち明ける事は無く、逆に今の状況を武器に美琴を味方に付けようとしていた。

「……ノーコメントだ」

 しかし美琴がMIU側に付くことは無く、そっぽを向いた。

「それは残念です」

 その反応を見たMIUの表情が少し冷たくなったのを感じた。

「まあ良いです。行きましょう、なみこ先生?」

「どこにだよ」

「そりゃあ当然、私の家ですが」

「何が当然だ」

 どう考えても異常だろうが。

「いや、お母さんがお礼をしたい、その人の顔を見たいとうるさくてですね。次話す機会があったら絶対に連れてこないといけなかったんですよ」

 言っている事自体に嘘は無さそうだが、確実に別の目的が含まれている。

 嫌な予感がするので断りたい気持ちが強かったが、断った場合美琴以外の全員が敵に回ってしまいそうだ。

「美琴も一緒で良いか?」

「は?俺が?」

 というわけで俺が出せる妥協点がこれだ。

『頼む。埋め合わせは後日絶対にする』

『分かったよ』

 美琴に事後承諾を取り付けた所でMIUに向き直る。

「分かりました。では美琴さんも一緒だと伝えておきますね」

 MIUはその提案をあっさりと受け入れ、俺の手を離してからスマホで親に連絡をしていた。

 まさかと思うが、ここまで全て計算済みだったとか無いよな……?

「俺もあいつらに連絡しないとな」

 関係者席で待っていると思われる幸村達に、先に帰っていてくれと伝えた。

 すると5秒と経たずに

『もう3人で帰っているので大丈夫ですよ』

 と雨宮から返事が来た。

 おいお前ら。まあ良いけれども。

「じゃあ行きましょうか」

 そう言ってMIUは再び俺の手を取って駆け出した。

「様になるな……」

 ファンに見られたら大炎上待ったなしの状況だが、それがどうでも良くなる位映像として完成されていた。

「よっと」

「え?」

「は?」

 なんてことを考えていたら美琴が間に入って手を離させた後、MIUをお姫様抱っこした。

 これに関しては本当に意味が分からない。何の意図だよこれ。

 ああ、そういうことか。

「やべ、ついやっちまった。わりいわりい」

 そう言って美琴は何事も無かったかのようにMIUを降ろした。

「そ、そうですか」

 突然の出来事に半ば放心状態のMIU。

「さっきまで実際に演じていたからMIUと花森咲を混同したんだろ」

「ああ、大体それで合ってる」


 美琴は24時間キャラが憑依している事は間違いないのだが、ある程度の濃淡は存在する。

 キャラが薄い時は台本から長時間離れている時。逆に濃い時は台本を読んだ直後、ではなくて舞台本番で演技をした直後である。

 普段はいくら練習をしても○○役を演じている○○さんという認識が可能なのだが、本番は何故かそれが困難になる。

 相手を○○さん、ではなくて○○役の方で認識してしまうのだ。

 練習の時にならないのならおかしいだろ、という意見が出ても納得なのだが、そもそも美琴の憑依自体がおかしな話だからな。気にしたら負けだ。

 つまり先程の行動は、花森咲が俺にアプローチしていると勘違いした七條奏多が嫉妬した結果、花森咲を咄嗟にお姫様抱っこした、という事だろう。

 さっきまでの美琴はキャラが憑依しつつもちゃんと美琴自身だった筈なんだが、まあ咄嗟の出来事だったからということだろう。

「そういうわけでしたか……」

「突然妙な行動に出て悪かったな。さっさと行こうぜ」

「ですね」

 今度は美琴が俺の手を引き、車のある方へと向かった。

「お母さん、連れて来たよ」

「あなたがなみこ先生ですね。今回は海がお世話になりました」

 車の中から丁寧に挨拶してきたのがMIUの母親らしい。ただの迎えの筈なのにきちんとスーツを着ており、いかにも仕事が出来そうな女性といった雰囲気を醸し出している。

「えっと、なみこ先生はこちらです」

 ただ、美琴を俺だと勘違いしたらしい。

「え?ああ、申し訳ありません」

 表情があまり豊かな方ではないらしく見た感じは平静を保っているが、多分俺がなみこ先生だと知って驚いている。

「いえ、こんな大男がなみこと名乗っているとは思い難いですよね」

 それが分かった理由というのは決してMIUの母親だからとかではなく、こういう状況が人生で何度も繰り返されてきた為である。

 ラブコメ、それも女主人公の漫画を描く作家が流石に俺程の大男だと思う方の無理な話なのだ。

「そんな、見た目で判断してしまって本当に申し訳ありません」

 というわけで慣れていた俺はフォローをするも、あまり効果が無かった。

「ねえお母さん、そもそも美琴さんは女性だって言ってたよね」

 そんな中、UMIがなんとなく思っていた事を代わりに言ってくれた。

「あっ……」

 MIUに指摘されて、しまったという表情になった。

 それも先程までのキリッとしたものではなく、間の抜けた表情だった。

 どうやらこの人、デキる人に見えてただの天然らしい。

「お母さんは仕事なら何でもできるんですが、それ以外は色々と難がありまして……」

「そうなのか」

「お恥ずかしながら……」

 MIUに言われて恥ずかしそうに認めるお母さん。

 雰囲気と表情で誤魔化されて気付かなかったが、よく見たら両手に時計が付いている。

「せめてポーカーフェイスを貫いてくれれば誤魔化しようがあったんですけどね」

「それは仕方ない。仕事は大事だからな」

「そう言っていただけるとありがたいです。ではお母さん、行きましょう」

「そうね」

「失礼します」

「失礼するぞ」

 そのまま車に乗った俺たちは、MIUの母親の運転で家まで乗せていってもらった。

 天然な方に運転を任せるのはどうかと一瞬頭によぎったが、完全に杞憂だった。どうやら運転も仕事の範囲内らしい。
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