上 下
94 / 130

94話

しおりを挟む
 なんて話をしていると、今すぐにでも帰りたそうな様子の宮崎さんが俺たちを急かしてきた。

「分かったよ」

「そうだね」

 これ以上宮崎さんを怒らせると曲が投稿できない状態にまで陥りそうなので、さっさと収録を始めることにした。


「とりあえず俺からでいい?歌い始めだし」

「ええ」

「勿論!」

「えっと、アスカさん。何を手に持っているんですかね?」

 早速に収録ブース内に入ろうとしたら、アスカが何か妙なものをバックから取り出していた。

「うちわだよ。最近はあついからね」

「今何月だと思ってます?」

「11月」

「だよね。秋どころかもう冬だよね?」

「季節は関係ないよ。あついものはあついの」

「今の自分の恰好をよく見てから言ってくれませんかね」

 暑い暑いとのたまうアスカは凄く暖かそうな分厚いコートを身に纏っていた。どこが暑いだよ。

「恰好は関係ないでしょ」

「あるでしょ」

「推し活への熱量に恰好も季節も関係ないでしょ?」

「あついってそっちの熱いなんだ」

「そんな変な言い訳しないよ。私はいつだって推しに全力だからね!」

 そう言ってアイドルのイベントで女性が良く持っているタイプのうちわを満面に笑みで見せてきた。

「うん、そうだったね。でもさ、そっちはやめてもらえないかな」

 そういって俺はアスカが右手に持っている俺の画像が張られたうちわを指さした。

「え?良いじゃんカッコよくない?」

「片面は良いんだけど、もう片面が問題なんだよ……」

「こっち?」

「違うよ。俺の顔写真が載ってる方に決まってるでしょ」

 なんで九重ヤイバの推し活のために九重ヤイバじゃなくて俺、斎藤一真の顔写真を貼ってくる人が居るんだよ。

「こっち?綺麗に写っているよねえ。我ながら写真技術の高さに惚れ惚れしちゃうよ」

「話聞いてよ……ったくそもそもいつ撮ったのこれ?」

 てっきり樹か宮崎さんあたりに頼み込んで入手したんだと思っていたんだけど。

「私の事務所に来てASMRをやってくれた時だよ」

「いつの間に……」

「やっぱりファンとしては推しの雄姿はカメラに収めとかないとね」

「絶対にその写真は拡散しないでね……」

「勿論分かってるよ」

「なら良いけど。とにかくそのうちわは片付けてもらって」

「残念。折角使える良い機会だと思ったのに」

「金輪際使わないでもらいたいかな。じゃあ収録ブースに入るよ」

「さっさと入りなさい」

「うん」


 気を取り直して収録を始めた。


『真相は~』


「ふう、これで終わりね。さっさとあの女に送りなさい」

「思ってたより早く終わったね」

 あれだけふざけていたアスカも収録に入ると俺の歌唱中にうちわで推し活をしたり、妙な言動をすることもなくただただ真面目に収録に取り組んでいた。

 そんなこともあってか、歌ってみたの収録はたったの5時間程度で終了した。

「普通こんなものじゃない?なんなら3人だから通常の収録より時間かかった方だよね」

 そう言うと、アスカが不思議そうな表情で聞いてきた。

「そうなの?収録って丸1日くらいかかるものじゃないの?」

「いやいやいや。そんなかかるわけないよ……」

「でも実際に宮崎さんと収録するときは毎回そのくらい……」

 宮崎さんと出会う前は歌ってみたの収録は長くても3時間程度で済んでいたけど、あれは声の良さとMIX力に頼り切りになる前提の簡易的な物で、ちゃんと本気でやる歌ってみたはこのくらいかかるって言われてて毎回そのくらいかかってるんですが。


「サケビちゃん?毎回そんなことをやってるの?」

「当然。最高の歌ってみたを作り上げるにはこのくらいしても足りないくらいよ」

「そうかもしれないけど、ほどほどにしてあげてね?一応本職は配信者で、歌い手じゃないんだから」

「分かっているわよ。だから収録する日は金曜日か土曜日になるようにしているわ」

「ヤイバきゅんもきつくなったら休ませてって言うんだよ?」

「分かってるよ」

 一応本業は高校生だよと言いたかったが、やめておいた。


 あれから2週間ほど経ち、間もなく俺たちが収録した初めてのオリジナル曲が投稿される時間になろうとしていた。

「はい、準備できたよ!座って座って」

「分かった分かった。ちゃんと見るから」
しおりを挟む

処理中です...