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前触れのない無視

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 午前中の受電が終わる。コールセンターの休憩は一般的に交代制となっている。今日は12時に休める組にいた。梨乃ちゃんとは休憩がズレるが、真理ちゃんとは同じ。彼女のメンタルを心配していたので丁度良かった。

 食堂に行くと、いつも通り旨くも不味くもない定食を注文する。唯一の利点は安いことだが、ホストを辞めて貧乏人の今、味よりも節約の方が優先事項になる。悲しいがこれが現実だ。

 薄い肉が申し訳程度に入った野菜炒めと白米。薄い味の味噌汁を載せた盆を持って、いつもの席で真理ちゃんを待つ。どちらかと昼がかぶる場合は、いつもこの席で相手を待っている。

 時間差で盆を持った真理ちゃんが来た。手を振る。真理ちゃんは視線を合わせない。俺の目の前を素通りして、あさっての方向へ進んで行く。

「真理さん、こっち」

 俺が呼びかけるも、真理ちゃんは聞こえていないのか、そのまま離れた席へと直進していく。心なしか全身から物騒なオーラが流れている。なんというか、歌舞伎町でよく見る、関わったらいけない奴が発しているアレだ。

 ――ん、何があった?

 不吉なものは感じつつも、確かめなければ分かりようもない。

 彼女のいる席へ盆を持って行く。真理ちゃんが席を立つ。明らかに避けられている。

「あれ? 真理さん、なんかあった?」

 答えない真理ちゃん。席を移動する。その際にうつむきがちだった彼女の表情が垣間見える。

「……」

 思わず声を失う。真理ちゃんの顔は、親でも殺されたかのように憎悪で満たされた表情となっていた。

 ――待て。これは本当に真理ちゃんなのか?

 自分に問いかける。だが、彼女に似ている人は俺の部署にはいない。少なくとも人違いではないようだ。「ようだ」というのも、彼女は真理ちゃんであって真理ちゃんでない、別のおぞましい人間に見えたからだ。

「真理さん、どうしたんだよ」

 そこまで言って、俺は口を噤む。周囲から視線が集まっている。何も知らない人からすれば、俺が年甲斐もなく若い女の子に付きまとっているようにしか見えないだろう。好事家のいいエサだ。

「クソ」

 思わずやりきれない思いが口をついて出る。なんだっていうんだ。

 真理ちゃんは何やら怒っているようだが、そんな気持ちにさせることをやった覚えはない。彼女のことは大切にしてきた。きっとホスト時代に出会った客の誰よりも。

 シングルマザーと聞いたので気を遣ってきたし、不用意な発言で傷付けないように気を付けてきた。「軽くつまみ食いでもしてやろう」とちょっかいを出した覚えもない。

 ――なぜだ。

 俺の思いは、この三文字に集約される。

 長嶋さんの件でただでさえナーバスになっているというのに、前置きも無く真理ちゃんからそんな態度を取られれば俺だって精神的なダメージを喰らう。

 俺が何かしたのなら、それを言ってくれればいい。こちらに何か非があるのであれば、いくらだって謝ってやる。だけど、なぜ俺を突き放すのかは理由を言ってくれなければ分からない。

 何が起きているんだ。前触れもなく天国から地獄に突き落とされた気分だ。冗談じゃねえぞ。

 周囲の人々が――特にモテなそうなオッサンたちが、好奇の目を向けているのが分かる。

「なんすか? 見せ物じゃねえっすよ」

 軽く周囲を威圧する。オッサンたちが下を向いた。腰抜けどもめ。

 ……すぐに「大人気ねえな」と後悔する。チンピラみたいなことをしてしまった。逆効果なのは分かっていたが、動揺が激し過ぎて思わずやってしまった。後から盛大に陰口を言われるに違いない。

 真理ちゃんは相変わらずおっかない顔で昼食を摂っていた。その目はいつかに見せた、非常に邪悪な顔をした時のものと同じだった。

 何があったって言うんだ……。

 理不尽さを感じながら、すっかり不味くなった定食を口にする。これ以上何をしたところで、状況はどこにも行きそうにない。

 彼女が何に対して怒っているのか……。時間を置いてLINEで訊いてみるか。いや、それは逆効果になりそうだ。

 そうなると後で梨乃ちゃんに訊いてみるしかないか。この状態で俺がいくら訊いたところで無視され続けるばかりか、場合によっては俺の立場が危うくなる。それは避けたいところだ。

 ただ冷静に考えてみれば、指導役の先輩が殺されたのだ。動揺していないと考える方がおかしい。きっと長嶋さんの喪失は彼女にとって大きなものだったのだろう。

 そうだ、そうに違いない。そうであってくれ。俺の願望に、いくらかの悲壮感が混じる。

 昼食が終わり、午後の業務へと移る。

 午後の勤務で動揺しまくっていた俺はものの見事に無能ぶりをこじらせて、モンスタークレーマーの餌食になった。
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