俄雨の恋

六十月菖菊

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青い魔女の愉しい観劇

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 ────不味そうだ。

 人間の肉は大好物だ。
 しかし、その夜に見た人間の女は、とても不味そうに見えた。
 食べたら、何だかひどく後悔しそうな気がした。


「あ? 何見てんだ、てめぇ」

 無表情でじっとオレを見るソイツが気に食わなかった。

「ハッ、不味そうな女」

 そう言い捨てて、煙を撒いて姿を晦ます。
 居なくなったかのように見せかけただけで、その場からは逃げなかった。
 天井に張り付き、妙に気になるその女を観察することにした。



 女は何やらブツブツと呟いていた。どうやら頭のイカれた女らしい。
 雨音がして、窓辺に寄る。
 何故だか残念そうな顔をして、直ぐに興味を無くしたように再び廊下を歩きだした。

 

 部屋に戻った女は寝台には向かわず、何かを口に入れて水を飲んでいた。
 オレは「薬」というものを知っていた。
 頭のおかしいこの女は、何か病気でも患っているのだろうか。だから不味そうなのだろうか。
 そう思っていたら、女が床に倒れ込んでしまった。
 頭のおかしい奴は、寝る場所もおかしいのだろうか。

「……?」

 何やら様子がおかしい。
 呼吸が、聞こえない。



 天井から床へと降りて、女に近寄った。
 女は、死んでいた。



 分からない。
 何故、死のうと思ったのだろう。



 女の死体に口を寄せて、喰らい付いてみた。
 本当に不味いのか、確かめたくなった。

 ────よく分からない味がした。

 これは、美味いのだろうか。不味いのだろうか。
 分からないまま咀嚼を続けた。
 いくら食べても、キリが無いように感じた。
 その内、食べるのを止めてしまった。
 美味くもなければ、不味くもない。
 ぼたぼたと、何かが目から落ちていく。
 舐めてみると、塩の味がした。
 これは、何なのだろう。




「それは涙だ」
「なみだ?」

 女の死体を持ち帰り、森の最奥に住む青い魔女の元へ訪れた。
 目から出た水の正体を知りたくて尋ねると、魔女はニヤニヤと嗤いながら答えた。

「そう、涙だ。感情が昂ると自然と出てくる」
「感情が、昂る?」
「心当たりは無いのか? 例えばその、大事そうに抱えてる人間の女とかな」

 魔女は愉しそうに女の死体を指差す。

「見たところ食べかけだよなぁ。不味かったのか? 要らないなら貰ってやるが?」
「駄目だ」

 奪われまいと死体を隠すように抱き締めると、ケラケラと嗤われた。

「なんだよ、非常食にでもする気か? やめとけ、直ぐに腐るぞ」
「……こいつは、美味くも不味くもなかった」
「ふうん?」
「コイツは会ったその後直ぐに、何かを飲んで死んだ。その所為かもしれない」
「ああ、毒でもあおったんだろ。どれ、見せてみな」

 魔女に死体を渡すのは気分が良くなかったが、仕方なく差し出した。
 死体を検分し、その胸元から出てきた袋から粉末を見つけると、指でひと掬いして舐めた。

「ふむ、これはフィアルカの毒だな」
「フィアルカ?」
「紫色の花だよ。この森にたくさん生えてんだろ」

 ほら、と図鑑を開いて見せられる。
 そこには、この森でよく見かける紫色の花が描かれていた。

「見たところ自分で作ったんだな。大した腕だ」
「……なんで飲んだんだ?」
「知るかよ。本人に聞いてみれば?」
「死んでるじゃねぇか」
「じゃあ、生きているコイツに聞きに行きゃあいい」
「は?」

 魔女は怪しく嗤っている。

「ちょっと試してみたい呪法があるんだが────やってみねぇ?」






 気が付くと、住処に居た。

「?」

 直前まで何をしていたか、よく思い出せない。
 ただ、何処かに行きたいという、漠然とした願望はあった。




「……」
「ああ? 何だてめぇ」

 美味そうな作物を見つけて喰らい付いていると、人間の女が現れた。
 呆然とした様子でオレを見ていた。

「こんなところで人間の肉とは。ツイてるなぁ」

 近付いて腕を引き千切ってやった。

「────────っっ!」

 片腕を無くした女が地面でのた打ち回る。
 それを横目に、引き千切った腕を口に運んだ。

「……?」

 ────美味くも、不味くもない。

 味をよく確かめようと、もう一度噛みついた。
 何度咀嚼しても、味が分からなかった。
 それどころか、心臓が軋むように痛みだした。



 呆然として、いつの間にか静かになった女の方を見た。
 女は事切れていた。





「ははっ! 生きたまま腕を引き千切ったのか! 惨いことするなぁ、さすが怪物!」

 愉しそうに、魔女が嗤っている。
 オレの腕の中には、食べかけの女の腕と、身体がある。

「どうだった? 今度こそ、美味く喰えたか?」

 答えなんて分かり切っているとでも言いたげに問う。

「美味くも、不味くも、なかった」
「ああそうだろうさ! お前はまた、失敗したんだからな!」

 あははははは! と、魔女は心底おかしそうに嗤っていた。






 そこに行きたいと、強く願って、そこに辿りつく。
 そこにはいつも、誰かが居た。
 何かを聞きたかったような。
 ただ見ていたかっただけのような。







「何だてめぇ」
「……私はリヴィニ。あなたは?」
「はぁ? 何言ってんだてめぇ」

 人間の女は、どこか疲れた顔をしていた。
 初めて会うくせに、オレを見て「またお前か」と言いたげだった。

「怪物にも名前はあるのかと思ったけれど、無いの?」
「あるわけねぇだろ。頭イカれてんのか」
「じゃあ勝手に呼ぶわね。フィアルカ」
「フィアルカ?」
「植物の名前よ。そこに生えてるわ」

 フィアルカ。
 足元に咲いている、紫色の花。

 ────ああ、これが。

「へぇ、これフィアルカっていうのか」

 屈んで摘み取る。
 オレの手は大きいから、たくさんの紫色の花が手に入った。

 ────これがあれば、何かが変わる気がした。

 聞きたいことも聞ける気がする。
 味なんて分からなくても、もっと他の別のことが分かる気がする。
 知りたかった何かを、やっと、知ってやれそうな気が。



 それなのに。



「ああ、ああ……」

 落ちていった女を、見ていることしかできなかった。
 こんなに手に入ったのに。
 本当に欲しかったものは、谷底へと消えていった。










「あはっ、あははははははっ!」

 魔女が、嗤っている。

「なぁ、まだ続ける? 続けたいか?」

 馬鹿にしきった顔で、問いかける。









「あ」
「あ?」

 陽の光が身を焼くように強い日だった。
 人間の女と会った。

「何だてめぇ」

 何故か真っ先に感じたのは怒りだった。
 唸るような声を出して睨むと、女はオレを鼻で笑った。

「今オレを笑ったか?」
「ええ。あまりにも警戒しているから」

 警戒? 違う、これは明確な怒りだ。
 何に対してのものなのかは分からない。
 それでも、この女に殺意に近い怒りを抱いたのは事実だ。
 
「死にたいらしいなぁ、ああ?」
「……ええ。死にたいので、殺して頂けませんか?」

 女の言葉に、虚を突かれた。

「イカれてんのか女。殺してバラして喰い尽くすぞ」
「別に良いですよ。死ねるなら後はどうなろうが構いません」

 頭のおかしい女だと思った。
 しかしそれ以上に、嬉しがっている自分が居た。
 喰うだの殺すだの自分で散々言っておきながら、この女を喰おうとも殺そうとも思わなかった。

 ────これは、まえみたいに、にげたりしない?
 ────どこにも、いなくなったりしない?

「私、不味いらしいので。食べるのはあまりお勧めできませんね」
「ああ? てめぇ、他の奴らに喰われたことあんのかよぉ?」

 のそりのそりと近付いた。逃げられないように、慎重に。

「いいえ? ただ、初対面で不味そうだと言われました」
「味見もせずにか? 馬鹿だなぁソイツ」

 腕を掴んだ。
 掴みたかった。

 ────こんどは、ひきちぎってしまわないように。


「……おい」
「はい」

 引っ張られた女は、簡単に傍に来た。

「てめぇ、誰だ?」

 今度こそ。
 今度こそはと、問いかける。

「何者でもありません。食べないんですか?」
「…………」

 おしえろ。
 おしえてくれ。
 内側で懇願する自分の声に、嫌気が差した。

「やめた。てめぇ、怪しい」

 虚しくなって腕を離す。
 自由になったはずの女が、顔を歪ませた。

「……てないくせに」
「あ?」

 何かを言い捨てて女はその場から逃げ出した。







 酒、と呼ばれるもの。
 芳しい香りを放つそれを、人間達が好んで飲むのを知っていた。
 だから、きっと女も好きで飲んだのだろうと、止めもしなかった。



 杯を手に死んでいる女を見下ろして、ただ呆然とした。
 恐る恐る手を伸ばし、力を加減して小さなその頭を撫でてみた。
 死んでいると分かっていても、触れずにはいられなかった。






「死体が無事でもそうでなくても、絶対に持って帰って来るよな、お前って」

 死体を腕に抱えて森の中を歩いていると魔女が現れる。

「前回は悲惨だったもんなぁ。グチャグチャで、鳥やら虫やらに喰われて。あちこち欠けてたからなぁ」

 可哀想にと言う魔女の顔は、愉悦に歪んでいる。

「もう許してやったらどうだ?」

 ────許す? 何を許せと言っているのだろう。

「その女はお前に遭いたくないんだよ。遭ったら遭ったで、絶対に自害を選ぶ」

 いつまでこんなことを続けるつもりだ?
 魔女は、確認するように問う。

 ────答えなんて分かり切っている、とでも言いたげに。





 幻を見た。
 あの花がたくさん咲いている場所に、オレと「    」が居た。
 あぶなっかしい手つきで作った不格好な花冠を、「    」がオレの頭に乗せた。
 何とも言えない、温かな気持ちでいっぱいになる。
 衝動に任せて鼻先を「    」の頬に擦り寄せて、上機嫌に喉を鳴らした。
 嬉しいのかと、「    」が不思議そうに問う。
 笑みを浮かべ、当たり前だと大きく頷いてみせると、「    」が笑った。
 いつも無表情の「    」が、嬉しそうに笑っていた。






 惹かれるまま、その部屋を目指した。
 そこに早く行かなければと自分を強く急かし、あっという間に辿りつく。
 眠っていた。まるで死んでいるように。
 許さない、許してたまるか。


 ────オレを置いて逝くなど、許さない。


 気が付けばその首に喰らい付いていた。
 血が大量に溢れて、女が目を覚ます。
 痛みよりも驚きが勝った様子で、ぽつりと呟いた。

「私はどうして────あなたに恋してしまったの?」





 誰だ。お前は、誰だ。

「……わたしは、リヴィニ」

 死にそうになりながらも、嬉しそうに笑っているお前は、誰だ。

「あなた、は、フィア、ルカ」

 フィアルカ。
 誰かが付けた、花の名前。

「わたし、の、すき、な……」

 閉じていく瞼に、また置いて逝かれる。

「────リヴィニ!」

 叫んだ。

 ────美味くも不味くもなかった。ただただ悲しいだけだった。

 怪物である自分に、そんなものを教えてしまった女の名前を、叫び続けた。

「リヴィニ、リヴィニ…………!」

 いつか見た幻のように、口を頬に擦り寄せた。
 小さな身体を閉じ込めるように、抱き締めた。








「見てて飽きないねぇ」

 魔女はひとり、ほくそ笑んだ。

「諦めが悪い。怪物のくせに、理性が強いな。大したもんだ」

 魔女は嗤う。
 軽薄に、愉快に。滑稽な演劇でも鑑賞するかのように、彼らを観ていた。
 観客は彼女独りしかいない。
 演者は怪物一匹と、人間の女が一人のみ。
 魔女は飽きもせず観続けていた。
 最後まで、観届けようとしていた。







 湖に、何か居る。
 惹かれてやまない、何かが。

 こちらを見てひどく驚き、ひどく怯えていた。
 好んで食べる、人間の肉。
 でも、逃げるように湖に飛び込んでいったそれを、食べようとは思わなかった。






 湖から引き上げたずぶ濡れのそれは、まだ生きていた。
 そのことに、ひどく安堵している自分が居た。

 ────間に合った。

 死なずに腕の中に居る。
 たったそれだけのことが、嬉しくて仕方が無かった。





「これの、名前を言え」

 知りたかった花の名前を、コイツなら知っていると確信していた。
 そして、花の名前をその口から聞きたかった。
 それなのに。

「おい、泣くな」

 泣いてしまった。泣かせてしまった。
 女の泣き顔は、見るに堪えなかった。
 初めて見るはずなのに、女の目から溢れるそれを涙だと知っていた。
 感情が昂ると自然と出てくるものだと、どこかで聞いた。
 女が何を思って泣き始めたのか分からなかったが、見ていて気分の良いものではなかった。

 ────泣き止ませたい。

 指の先には獲物を切り裂くための鋭い爪がある。
 これで顔に傷が付けば、更に女は泣くだろう。
 仕方が無いので手の甲を使って、涙を拭った。
 それなのに、女の目はまた涙を溢れさせた。

「おねがい、ころして」

 女の懇願する声に慌てた。

 ────なんで、どうして。

 殺しても、殺さなくても。
 いつも、逃げていく。
 いつも、死んでいく。
 いつも、いつも、いつも────。

 ────オレを置いて、逝ってしまう。

「なんで」
「しにたい」
「だから、なんでだよ」
「もう、いやだから」
「何が嫌なんだよ!」

 イライラする。
 以前なら、怒りに任せて殺して、何もかも喰らい尽くすというのに。
 どこも欠けていない、女の今の状態に執着した。

「くるしいの。らくになりたいの。おねがいだから、ころして」
「なんで苦しいんだ。ケガか? 病気か?」

 人間は弱い。直ぐにケガをしたり病気になったりする。
 オレの知らないところで、既にもうどこか欠けてしまったのだろうか。

 ────それは、嫌だ。

「ちがう……もういいから、ころしてよ」
「嫌だ」

 お前はどこが欠けても駄目だ。
 頭も、腕も、足も、全てが揃っていなければ意味が無い。

「え?」
「殺したくない」

 殺したら、欠けてしまう。
 殺したらまた、置いて逝かれてしまう。

「てめぇ、一体誰なんだ。オレの何だ?」

 何一つ思い出せない。
 コイツは誰だ。オレの何だ。
 唯一の手がかりである花を握り締めて、問いかける。

「この花の名前は何だ? てめぇなら知ってるって、なんでか分かるんだよ」
「……教えてほしい?」

 いつか見た、幻と重なる。
 幻と既視感につられて、大きく頷いた。

 ────幻の「    」と重なった女が、嬉しそうに笑った。

「フィアルカ」

 やっと聞けた花の名前は、実にしっくりとオレの耳に馴染んだ。







「おっと、コイツはまた失敗するな」

 観客席で、魔女はニヤニヤと嗤っている。

「馬鹿だなぁ、一人で満足しやがって。肝心なことはまだ、聞けちゃいねぇくせに」











 また明日来ると、はっきり伝えたはずだ。
 それなのに。



「────この、裏切り者!」



 吠え猛り、死んでいるリヴィニへと駆け寄った。
 眠るように死んでいた。
 その胸元に、紫色の花を手に持って死んでいた。
 オレと同じ名前の花を。

 ────こんなもので、簡単に置いて逝かれた。

 リヴィニから花を奪い取り、大きく口を開けて呑みこんだ。
 何も無くなった彼女の両手をまとめて握り、額を擦り合わせて名前を呼んだ。

「リヴィニ、オレも逝く」









「…………ぶ、」

 観客席から立ち上がり、魔女は両目に涙を浮かべて────嗤い叫んだ。

「ぶっははははははははははははははははは!」

 地団太を踏み、天を仰いで嘲笑を撒き散らす。

「ほんっとーに、馬鹿だな! いや、阿呆か!? 私を嗤い死にさせるつもりか!?」

 ゲラゲラと下品に、演者である怪物を指差して嗤う。

「怪物であるお前に、フィアルカの毒が効くわけねぇだろ!? それで一緒に死ねるわけねぇじゃん! バーカバーカ!」

 散々罵りながら、舞台に上がり込む。
 死んでいる女に縋りついている、憐れな怪物を見下した。

「最高! 最高に、面白い見せ物だったぜ怪物! そら観劇料だ、受け取りな!」

 魔女の足元から、青く澱んだ水が溢れ出る。
 女の死体と、怪物の身体を一瞬で取り込み、そして丸ごと────消失した。

「あはははは! あはははははははは!」

 青い髪を振り乱し、舞台の上で狂ったように嗤い続ける。
 閉じられていた糸目が完全に開き、瑠璃色の瞳が現れる。
 そこからはとめどなく涙が流れ落ちていく。




 ────長らく続いた繰り返しの寸劇は、今ようやく幕を閉じた。
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