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【第3章】仏才国にて
【第1話】令嬢は克服し損ねる
しおりを挟むかつて《人でなし》と勇敢に戦った《戦士》が居た。
彼は強かった。間違いなく、その世の何者よりも強かった。
さすがの《人でなし》も、手下の全てを皆殺しにされ、打つ手も無くなり窮地に立たされた────かのように思えた。
あと一息で止めを刺されるという状況で、《人でなし》は嬉しそうに嗤ったのである。
「素晴らしい。今まで色んな奴を見てきたが、ここまで成長したのは君が初めてだ」
少女の姿をした【邪悪】は褒め称える。
「【正義】を振り翳して【悪】を蹴散らし、蹂躙した気分はどうだった? 良かっただろう? 好かっただろう? ────悦かっただろう!」
海色の瞳は恍惚と《戦士》を見詰めている。
「よくぞここまでその【憎悪】を育てた! なんと心地の悦い【悪意】! 私の最期に相応しい! さあ殺せ! 醜く膨らんだその【悪意】で私を殺せ! それで全てが終わる!」
《戦士》は《人でなし》の言葉に耳を貸すつもりはなかった。
狂人の戯れ言に付き合うなど、時間の無駄だと。
だから、その全てを聞き流して止めを刺した。
────そうしてまた一つ、世界が終わった。
◇ ◆ ◇
────なんだ、ただの夢か。
夜明けの鐘が鳴る前に目を覚ました。夢の内容を思い出して、ミゼルスは少しガッカリとする。
「あの時みたいに、勇猛果敢に悪の親玉を殺しに来てくれる勇者が、果たしてこの世界には居るんだろうか」
望みは薄い。
この世に産まれて16年余り。多少の小競り合いや諍いはともかくとして、この世界は平和そのものだ。
そのことを再確認して、改めて落胆する。
目的を達成するにあたって一番の妥協は「待つ」ことに他ならないのだが、それではあまりにも面白くない。
「お嬢様、失礼致します」
部屋と廊下を仕切る襖が引かれ、ツユリが現れる。メースンにいた頃に着ていたひらひらとしたエプロンドレスではなく、東国特有の着物と呼ばれる衣服に身を包んでいた。
「おはよ、ツユリ」
「おはようございます。お加減はいかがですか」
「問題ないよ」
「それは良うございました。ご支度させて頂いてもよろしいでしょうか?」
「うん、よろしく」
ツユリに着付けをされながら、ぼんやりと部屋の中を見渡す。
「床に布を敷いて寝るってマジだったんだ」
「寝苦しかったでしょうか?」
「ううん。ふかふかで気持ち良かったよ」
「ありがとうございます」
肌を擦る布地の感触には慣れた。
とは言えドレスとは違うそれは、何度着ても新鮮に感じる。
ミゼルスは現在、ツユリの実家である弓槻家に泊まっていた。
転移した初日こそ答の寄宿先である宿屋に泊まったが、その翌日にアヴィメントからすっ飛んできたツユリとノクに保護され、その日の内にこの家へと移されたのだった。
「お嬢様、おはようございます」
居間に入ってまず出迎えたのは、黒い着物を身に付けたノクだ。
「おはようノク」
挨拶を返して席に着く。
東国では床に腰を下ろして食卓を囲む。
「ツユリ、ご両親は?」
「王城に呼ばれて先程発ちました」
「王城に?」
箸と呼ばれる二本の棒を駆使して朝食と格闘しながら聞いた家主夫妻の所在に思わず眉を顰める。
「……まさか、あの皇帝が攻め込んできたとか?」
「いえ、それは無いかと。世界条項の決まりで、七大国は互いの国領を侵犯することは不可能ですから」
「あ、そっか」
世界条項。各国の長により行われる協議にて決められる、国家間のルール。
七大国と呼ばれる国の中には母国であるメースン=レディティム帝国と、この仏才国も数えられている。
たかが決まり事、というわけでもない。反故にしようとすれば、必ずその国は破滅するように呪いがかけられている。
「……チッ、つまんねぇの」
「お嬢様?」
思わず零れた言葉は聞き取られなかった。
聞き取られたところで、ミゼルスが困ることなど何も無いのだが。
「じゃあ予定通り、今日は王都の探索でもしよう。海も見に行かないとね」
「かしこまりました。……ところで、お嬢様」
ミゼルスのプルプルと震える箸先を見詰める。
「食べにくいのであればスプーンとフォークにお取り替え致しますが」
「何を言ってるのツユリ! 郷に入っては郷に従え! こんな良い機会をフイにしてしまっては旅行の意義を失ってしまうよ!」
「左様でございますか」
滞在三日目。ミゼルスは箸との闘いに燃えていた。
◇ ◆ ◇
その日は朝から天気が良かった。
空には雲ひとつなく、どこまでも爽やかな青色が広がっている。
「……ウィウィ!」
静かな中庭に声が響く。
黒髪黒目の少年が、空に向けて呼び掛けていた。
「なーにー?」
能天気な声と共に空から何かが降ってくる。
バサリバサリと羽音を鳴らして、一人のツバクラメの少女が少年の前に降り立った。
「何じゃないよ。今日は一緒に出掛ける約束だっただろ。相変わらず鳥頭なんだから」
「ヤダなぁ、忘れてないよぅ」
「本当に?」
「ホントだよぅ。ゆーまとの約束だもん!」
にへら、と緊張感の欠けらも無い崩れ切った笑みを浮かべる少女に、少年は思わず言葉に詰まった。
「く……」
────クッソ可愛い。
そう口走ってしまいそうになるのを何とか呑み込んで、人化を終えた彼女の手を掴んで歩き出した。
タシタシと、彼女の鳥脚が中庭に敷き詰められたタイルを鳴らす。
「ゆーま、今日はどこに行くのー?」
「港町。最近の漁業状況について、話を聞きに行くんだ」
「わぁい、お魚だねー? ウィウィお魚大好きー!」
「まったく、食べに行くんじゃないんだよ?」
「分かってるよー。お仕事だよねー?」
手を引かれながら、えへんと胸を張る。
「ウィウィはゆーまのツガイだもん。ちゃんとお勉強するよー?」
「……鳥頭のくせに?」
「翼人種だから仕方ないよねー?」
折角人化させた腕が再び翼に転じた。鳥脚で少年の両肩を掴み、そのまま上空に向けて飛び立とうとする。
「あっ、こら! 今日は歩いて行くんだよ!」
「えー? ウィウィが飛べばすぐなのにー?」
「それでもだよっ! たまには並んで歩きた……」
そこまで言ってしまって少年は顔を真っ赤にして沈黙した。
「ゆーま?」
「……な、何でもない。とにかく今日は歩く!」
「えー?」
「……嫌なら、無理にとは言わないよ。ウィウィは先に飛んで行ってもいい。僕は後から行くから」
「何言ってるのゆーま! ウィウィも一緒に歩くよー!」
鳥だって歩けるんだからねー?と、手も足も人化させて完全に人間の形をとる。
それに少しばかり目を丸くして、少年ははにかむように笑った。
「……ウィウィのそういうとこ、本当にズルい」
「ウィウィはズルくないよー?」
首を傾げる未来の妻にもう一度笑って、改めて横に並ぶ。
「行こっか」
「うん!」
しっかりと手を繋ぎ、足並みを揃えた。
◇ ◆ ◇
この国でも海は見える。そのことにまず満足する。
「本当に海がお好きですね」
少し呆れの混じった言葉に苦笑する。
「好きなものは好きだからしょうがない」
「……お嬢様は何というか、海が無くなったら死んでしまいそうです」
「おや、よく分かったね」
「冗談を真に受けないでくださいませ」
そうは言っても、事実なのだから否定のしようが無い。
視界いっぱいに海の景色を映しながら、ミゼルスは口端を吊り上げた。
「君たちにとっては冗談でも、私にとっては大真面目な話さ。愛する者を奪われたら、誰だって死にたくなるだろう?」
「…………海は人ではありません」
「酷いなツユリ。海だって生きているのに」
クツクツと嗤うその顔でも、閉ざされた糸目だけは笑っていない。
「人だろうが海だろうが、生きとし生けるものが生命を落とせば誰かしら悲しんで、死にたくなるものなのさ」
「それはそうかもしれませんが」
逡巡し、それでもツユリは口に出す。
「……海が無くなって悲しむまでは良いとして、お嬢様が後を追って死んでしまうのは、解せません」
「…………プッははははっ!」
耐えきれずに噴き出し笑う。
予測通りの反応にツユリは顔を顰めさせた。
「……笑わないでくださいませ」
「ふひ、だって、可笑しくて可笑しくて!」
腹を抱えて眦に涙を浮かべる。
「今更な話じゃないか。何時であろうと、私が死ぬことは確定しているのにさ」
「それでも」
顰め面のまま、ツユリは言う。
「お嬢様が海の死を悲しむのと同じように、私もお嬢様の死を悲しみます」
────わたくしは、貴女の死を悲しみましょう。
「…………」
重なって見えた過去の幻。
何億年も昔の記憶の片隅から零れ落ちた既視感。
ミゼルスの顔から笑みが剥がれ落ち、冷えた目付きで目の前の使用人を睨む。
「……どんな世界でも、君みたいなお優しい奴から死んでいくんだ」
「え?」
訝しげにこちらを見るツユリに背を向けて、海を見つめてボソリと呟く。
「────あまり優しくしないでよね」
諦めがちに、虚ろに瑠璃色の目を揺らす。
「どうせすぐに死んじゃうんだからさ」
◇ ◆ ◇
港町に辿り着いた少年少女を、周りの住人たちは暖かく出迎えた。
「おやまあ、王子様にツバメのお嬢ちゃんじゃないか」
「今日もお勉強かい?」
「精が出るねぇ」
「女王陛下と宰相閣下はお元気?」
「魚食べるかい?」
「食べるー!」
「こらこら、寄り道しないの」
魚に飛びつこうとする少女を抑えながら、目的の場所まで連れて行く。
「会長、こんにちは」
「こんにちは殿下。お待ちしておりました。さぁさ、中へどうぞ」
「はい、失礼します」
「お邪魔しまーす!」
港町を取り締まる壮年の会長も、住人たちと同じように二人を笑顔で迎え入れた。優しげな笑みと共に、目元に小皺が浮かぶ。
「お茶とコーヒー、どちらがよろしいでしょうか」
「僕はアイスコーヒー。シロップとミルク付きでお願いします」
「ウィウィはお水でいーよー」
席に着き、それぞれの目の前に飲み物が出される。
「今年の漁獲量はどうですか?」
「まずまずですね。平年通り、と言ったところでしょうか」
「脂がのってて美味しいよねー?」
「ウィウィはそればっかり……」
「まあまあ」
顔を顰める少年に、にへらと笑う少女。二人を会長は微笑ましそうに見ていた。
────カランコロン!
そのとき、店のベルが鳴り響いた。
「失礼、港町会本部はこちらでよろしいでしょうか?」
凛とした声に入口を見遣ると、狗禽の面をした娘と青色髪の少女が居た。
少年少女に断りを入れ、応対しようと席を立つ会長の耳に、焦ったような声が聞こえてくる。
「……! ツユリ、ここはダメだ! 私は外で待つ!」
「え、お嬢様?」
口早に言い残して、青色髪の少女がバタン!と勢いよく扉を閉めて外へと出ていってしまった。
取り残された狗禽面の娘はしばらく唖然としていたが、すぐに気を取り直して会長へと向き直る。
「失礼しました。我が主は少々癇癪持ちでして……」
「ああいえ、大丈夫ですよ。ところで、どのようなご用件でしょうか?」
「はい、ここで扱っている船の中を見たいと主が望まれまして。どれか一つ見学させて頂ければと」
「船でございますか。失礼ですが、どういった目的で?」
「主は将来、船に乗るために勉学に励んでおります。休みが明ければ航海術もカリキュラムに組まれてくるので、今の内に船内構造の予習をしておきたいと」
「ははぁ、勉強熱心な方ですね」
衝立越しに二人の会話を聞いていた少女が、会長の言葉に反応する。
「勉強熱心だってー。ゆーまとおんなじだねー?」
「船の中かぁ。僕も見たことないや」
同じく会話を聞いていた少年も、興味深げに呟いた。
「ゆーまもお船見たいのー?」
「うーん、出来れば見たいかな?」
「じゃあお願いしよー?」
言うや否や衝立の向こうから少女は飛び出した。
「ねぇねぇかいちょーさん! ウィウィたちもお船見るー!」
「あ、こらウィウィ!」
慌てて後を追いかけて少年も表へと出る。
いきなり現れた少年少女に狗禽面の娘は思わず身構えたが、二人の顔を見るなり着けていた面を取り払った。面の下は、驚きに目を見開いていた。
「幽魔様……!」
「へ?」
そこでようやく、少年もその娘を見た。
そして、彼もまた目を丸くする。
「栗花落さん! 帰国されていたんですか?」
「あー、栗花落のおねーさんだー。お久しぶりだねー?」
顔馴染みに出会えた嬉しさでツユリの頬が緩む。
「はい、ウィウィ様もお久しゅうございます。お二人共お元気そうで何よりです」
「おや、殿下のご友人でございましたか」
それならば話は早いと、会長は腰元から鍵束を取り出した。
「折角ですので殿下もどうぞご一緒に」
「良いんですか?」
「ええ」
「ゆーま、やったねー」
しかし話が進む中、ツユリだけが表情を曇らせる。
「……申し訳ございません幽魔様、ウィウィ様。実は────」
「ねぇねぇおねーさん! おねーさんが栗花落のおねーさんの主さまー?」
言葉の途中で、ツユリの脇をすり抜けてウィウィが入口の扉を開けた。
そして、扉のすぐそばに立っていたミゼルスの顔を、興味津々に覗き込む。
「っ、いけませんウィウィ様!」
「ぎゃああああああああ!」
ツユリの慌てる声と、令嬢らしからぬミゼルスの悲鳴が重なる。
「鳥類っ、皆っ、死すべし────!」
「うわぁっー?」
「ウィウィ!?」
「お嬢様!?」
半狂乱に陥ったミゼルスが、手に持っていたものをウィウィへと向けて振り下ろす。
対するウィウィは、咄嗟に身を後ろに引いたことで直撃を免れた。
「いきなり何をするんですか!」
さすがに幽魔が非難の声を上げた。
負けじとミゼルスも怒鳴り返す。
「先に近寄ってきたのはそっちだろう!?」
「だからってそんなもの振り回すな!」
「うるせぇこちとら鳥アレルギーなんだよ! 生死が掛かってんだ!」
ミゼルスは振り回していたもの────撮影機を首に掛け直す。そして事態を見守っていたツユリの手を引いて自分の前に立たせた。鳥類との壁の完成である。
「ツユリ、日を改めよう。残念だが、その翼人種がいたんじゃ落ち着いて見学もできやしない」
「えー、なんでー? 一緒に見ようよー」
先程の出来事などまるで無かったかのように、ウィウィはツユリの後ろへと隠れたミゼルスを再び覗き込もうとする。
だから近寄んじゃねぇと後退りかけたミゼルスは、何かに気がついたようにウィウィの顔をマジマジと見た。
「なんだ君、どっかで見たことがあると思ったら、《知りたがり》ちゃんが乗ってた駕籠鳥じゃん」
「んー? 誰ー?」
「……えっと、富士宮 答だよ。メースンからここまで運んでやってただろう」
「あー! 答さまだねー? 常連さんだよー。おねーさん、答さまのお友達ー?」
「うん、まぁ、友達だね」
ツユリ越しに進む会話に周囲の人間が困惑している中、ミゼルスとウィウィに挟まれたツユリは人知れず感動した。
(お嬢様が……お嬢様が鳥類とまともに会話を……!)
あれほど鳥類を毛嫌いし、アレルギー反応に苦しめられていた主人の成長ぶりに、ツユリは心から感心していた。
よくよく見てみれば、ウィウィは完全な人化をしている。そこで、はて、と内心で首を傾げた。
────何故、主は人化している彼女を翼人種だと見抜いたのだろう?
疑問が口から出る前に、ミゼルスの声で我に返る。
「君、なかなか人化が上手いな。それなら多少は平気だと思う」
「でしょー? だから一緒に行こー?」
「むむむ……」
悩んでいる主を見て、ツユリはその背中を押すことにした。
「良い機会です。お嬢様、ウィウィ様で鳥に慣れましょう」
「慣れるも何も持病だぞ。私死ぬぞ?」
「死にません。お嬢様はこんなことで死ぬような御方ではありません。このツユリが保証致します」
「何だよその根拠の無い自信は!」
それからもブツクサと文句を垂れていたが、結局のところミゼルスは折れた。
遠く離れた異国の船を知る、滅多にないチャンスを逃すのは惜しい。
「……会長殿。改めて案内をお願い申し上げます」
◇ ◆ ◇
「はぁぁぁ!? 君、王子サマなの? 何それウケる~ 」
「ウケるって何ですか、ウケるって」
ゲラゲラと下品に笑うミゼルスを憮然として睨みつける。
「それを言うならアンタだって、本当にお嬢様なんですか? 下品極まりないんですけど!」
「うわ、うら若き令嬢を下品呼ばわりとは酷い王子サマだねぇ! まぁ私も自覚あるから反論の余地は無いけどさ!」
「開き直るな! アンタにはプライドってもんが無いのか!」
「プライドォ~? そんなもん、その辺の野良犬にでも食べさせておけ!」
船へと向かう道すがら、一国の王子と異国の令嬢の口争いがテンポ良く続いていた。
「二人とも仲が良いねー?」
「良くない!」
能天気にウィウィが口を挟めば幽魔が即座に否定し、ミゼルスはニヤニヤと悪どい笑みを浮かべた。
「喧嘩するほど仲が良いっていうもんな?」
「ねー?」
「ウィウィ、こんな下品令嬢の言葉に惑わされないで」
ミゼルスから遠ざけるようにウィウィを自分の傍に寄せる。
それを見て更にミゼルスの笑みは深まった。
「なるほどなるほど? つまりウィウィちゃんが未来の国母サマってワケか」
「こくぼさまー?」
「その坊ちゃんの奥さんってことだよ」
「うん、そうなのー! ウィウィはゆーまのツガイなんだよー!」
「翼人種を王家の血筋に入れようなんざ、思い切ったことするねぇ」
「……何か文句でも?」
「いやいやぁ、時代は変わるもんだなとシミジミ思っただけさ」
浮かべていた笑みをそっと消し、薄らと糸目を開いて瑠璃色を覗かせる。
「……大した話じゃないが、一つ昔話をお教えしよう」
「昔話?」
表情を変えたミゼルスを、幽魔は訝しげに見返した。
「ああ、昔話さ。王子サマ」
その時代には、戦乱しかなかった。
誰もが人を恨み妬み、殺し合う日々。
強い者が弱い者を嬲り殺し、弱い者が強い者から逃げ回る。
そんな時代に、国が建ち始める。
秩序をもって混乱を御し、人々に安寧を与えた国家。
最大で七つの大国と、幾多の小国が生まれた。
その七大国の内の一つがここ、仏才国である。
「ここまではもちろん知っているな?」
「当たり前だろう」
「王子サマなら当然だよなぁ。まあそれはさておき、その仏才国に次いで、西方の地に小さい小さい────いやほんとに誇張とかじゃなくて────ちっさくてみみっちい国が、仏才国を一方的に目の敵にして建国したんだ」
あまりに小さくて歴史に名が残らなかった程だと、そう嘯く彼女が何故その国の存在を知っているのか────そちらの方が不可解だったが、幽魔は話の先を聞くために黙っていた。
「国の名は馨湊侯国。国の更に内部、深層で活動していた秘匿機関があってな。そこではあるモノが秘密裏に育てられていた」
「あるモノ?」
ようやくここまで語り着いたと一息ついて、ミゼルスは勿体ぶるように、それでいてあっさりとした口調で告げた。
「生物兵器だよ。悪魔と人間の、合いの子のね」
◇ ◆ ◇
「────ふむ、流石に東国ともなれば船の構造もだいぶ変わってくるな。うちで持ってるものとここまで違うとは」
「お船楽しかったねー」
「うん、勉強になった」
無事、船内見学が終わって外を出る。辺りはすっかり夕暮れ色に染まっていた。
「ゆーま、疲れたー?」
「……うんって言ったら飛んで帰るつもりだろ」
「だってー、翼人種は飛んでなんぼだよー?」
「そりゃそうだ。言うこと聞いてやりな王子サマ」
「いやなんでアンタがそんなに偉そうなんだよ!」
「未来の国母サマに敬意を払ってんだよ」
「お嬢様、そろそろ私を挟んで会話するのをおやめ下さい」
結局、最初から最後まで、ミゼルスはツユリを盾にしたままウィウィと距離を取っていた。
いつも出るアレルギー反応もなく、逃げ出すことなく行動を共にできたことは今までにない進歩ではある。
それでも。
「無理だよツユリ。鳥類である限り近付けない」
「左様でございますか」
ツユリは内心で小さく嘆息をし、残念そうにミゼルスを見た。
「ミゼルスさまー? 今から飛ぶから、少し離れた方がいいよー?」
そんな時、ウィウィがミゼルスにそう呼びかけた。
「あ、うん」
近くで羽ばたかれたら困る。ミゼルスは素直にウィウィから倍の距離を空けた。
「見るのも聞くのもダメならー、ちゃんと目と耳も塞いでねー?」
「え。ああ、うん?」
なんだろう。
ウィウィの注意にミゼルスは首を傾げる。
「大丈夫ー? 飛ぶよー?」
「……うん」
風が立つ。閉じた視界の向こう側で、何かが飛び立っていく。
「それじゃあまたねー!」
「栗花落さん、ミゼルスさん。さようなら」
塞いだ耳の向こうで、別れの言葉を贈られる。
あの少女は翼手を振ってでもいるんだろうかと思いつつ、両手が塞がっているからと返事をするのは諦めた。
気配が遠のいて完全に消えてから、耳を塞いでいた両手を下ろして目を開いた。
「……変わった翼人種だな。自分を嫌う人間を心配してやるなんて」
「ウィウィ様は翼人種と言っても、合いの子ですよ」
「あ、そうなの? 道理で人化が上手いと思った」
夕空に飛んでいく影を遠目に、王子に語って聞かせた話を思い出す。
過去に罪を犯して悪魔に身を落とした男と、悪魔との合いの子を自分が生きた証にしようとした女。そんな男女が恋に落ちた、ただそれだけの話。
「ウィウィちゃんのご両親も、恋に落ちたのかねぇ」
「何度かお会いしましたが、仲の良いご夫婦でいらっしゃいましたよ」
「恋に種別なんぞ関係無いってか。つくづく面白い世界だよねぇ」
「……そう言えばお嬢様、何故あのような話をご存知だったのですか? 歴史にも残らない、小さな国の出来事ですよね?」
「ああ、知り合いの旅商に聞いたのさ。西の独立都市から来ている男でね。そこに、合いの子の娘が住んでいるんだと。銃器を愛用しているらしくて、その娘ちゃんの要望でうちの国から仕入れに来てるんだ」
「……銃器?」
「そう、銃器」
手で銃の形を取って見せる。
「旅商曰く、合いの子の娘ちゃんは人間らしく在りたいんだとさ」
「人間らしく?」
「驚いたことにこの娘ちゃん、悪魔のクォーターな上に、更にお父さんが竜族らしい」
「りゅう……って、竜族でございますか? 異界に住むと言われる?」
「いくら何でも盛りすぎだよなぁ。人間に、悪魔に、竜だぜ? さすがの私も嘘だろって、ツッコんだんだけどさ。まあ、マジな話らしい」
娘の内側に流れる、人間の血はひどく薄いのだろう。
悪魔特有の紫眼に、鈍色の角。
竜の翼と、体内に宿る無尽蔵の魔力。
伝え聞いた彼女の容姿を見て、恐れをなした人々は決まってこう言い捨てる────異端の子、と。
「そりゃあ悲観もするわ。まるで化物だと今までに何度も迫害され、殺されかけたこともある。そんな彼女が辿り着いた願いが『人間らしく在りたい』なんだ」
ミゼルスは顔を歪ませた。
「面白可笑しく泣ける話だよねぇ。初めは生物兵器を作る為に合いの子を産んだ男女が恋に落ちて。その親に愛されて育った合いの子が、まさかの竜族と恋に落ちて。その挙句に産まれた子どもが、今度は化物だと迫害される」
ああ、なんて。
「なんて、なんて────報われない話なんだろう」
ただ恋に落ちて、ただ愛を成しただけなのに。
「……まさかとは思いますが、泣いていらっしゃるのですか?」
「失礼な、私だって涙の一つや二つ流すよ」
やや乱暴に、零れたものを拭う。
「さて。私達もそろそろ、カスミ殿とノドカ殿に水を差しに帰ろうか」
「……嫌がらせでございますか?」
「君の父上、イジり甲斐があって楽しいんだよね」
「父で遊ばないでください」
夕日を背に帰路に着く。その途中、ふと気になってツユリはもう一つミゼルスに尋ねた。
「何故、あの話を幽魔様に?」
「んー? いやまぁ、教訓的な?」
「教訓?」
「ほら、ウィウィちゃんあんな感じだから。男のお前がしっかりしてやるんだぞーって」
「……意外ですね。お嬢様が他人を気にかけるだなんて」
「気にかけるっていうか、気に入ったというか────」
ふと、脳裏にあの声が聞こえた。
────大丈夫ー?
ああ、そっか。なるほど。
あの無邪気な、何の悪意も持たなさそうな声を思い出して、ミゼルスは一人で納得する。
「なんだ私、また死に損なったのか」
「はい?」
首を傾げるツユリをよそに、ミゼルスはスタスタと先へ歩いて行く。
────お気に入りを増やして、終わらせるのを惜しませる。うん、何とも悪趣味なやり口だ。
内心で至った結論に頷いて、冷めた目付きで海を見遣る。
夕日を飲み込んで、夜と月を呼ぶ。
朝日を吐き出して、新しい一日を連れてくる。
明るくなろうが暗くなろうが、ただ広くそこに存在する大海原を見ていると、何時も泣きたくなる。
何処にも行きやしないのに、置いて行かないでと言いたくなる。
目も耳も手足も無いのに、見てほしい聞いてほしい触ってほしいと、存在を認めてもらいたくなる。
ミゼルスは何時だって《そこ》に還りたいと願ってしまう。
「……はやく、かえらなくちゃ」
帰りたい。還りたい。
マレフィカス・ブルートは何時だって、最初の願いを叶えられずにいる。
何百回、何万回、何兆回────那由多に至る多大なる回数をこなして、どんなに生まれ変わっても姿形は変わらない。どんなに名前が変わろうとも、マレフィカス・ブルートはマレフィカス・ブルートでしか居られない。
「そんなこと、随分前に諦めたのにな」
原初に至れないことなど、とうの昔に認めて受け入れたはずなのに。
「……駄目だな、どうしてこうも感情的になるんだか」
人知れず首を振り、頭にかかる霏を払う。
明日はもう少し気を引き締めて行動しよう。そう心に決めて、ミゼルスは歩を早めたのだった。
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