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【第2章】帝都にて
【第3話】悪魔は唆し損ねる
しおりを挟むミゼルスが目を覚ましたのは馬車の中だった。
「……ふぁっ!」
「あ、ミゼちゃん起きた?」
見上げた先にアンフィトリテの顔がある。どうやら膝枕をされているらしい。
「母さん……あれ、夜会は?」
「ミゼちゃんが中庭で鳥を見てショック死……もとい、卒倒したから、私と一緒に先に帰らせていただくことになったの。殿下が運んで下さったのよ? しかもお姫様抱っこで! ひゅー、やるじゃないミゼちゃん! お母さん見直しちゃったわ!」
「鳥……ああ……鳥ね……うん……」
脳裏に過ぎる、竹籠をぶら下げたツバクラメ。竹籠に乗って去っていく古い友人。そこからの記憶は曖昧になっている。
「……あのね、母さん。懐かしい友達に会ったんだ」
「あら、良かったじゃない! お話はできた?」
「うん、少しだけ……元気そうだった」
────数世紀ぶり!
最後に会ったのは、いつのことだろう。
「ミゼちゃん、残念そうね」
「……そう見える?」
「ええ。とても仲の良いお友達だったのね。今度ママにも紹介してくれる?」
「うん……また会えたら、その時は……」
「あら、ミゼちゃん? 眠いの?」
母の呼び声に答える前に眠りに落ちる。
そんな娘に優しく笑いかけ、「おやすみなさい」と頭を撫でる。
「どうか、良い夢を」
◇ ◆ ◇
アヴィメント家は帝都に屋敷を一つ持っている。
何せアヴィメントは辺境地だ。帝都まで馬車で一週間はかかる。その屋敷は有事の際に備えて、初代当主が建てたものだった。
「おかえりなさいませ」
屋敷で帰りを待っていたツユリが馬車へと駆け寄る。
御者により開けられた扉の先を覗くと、アンフィトリテがミゼルスに膝枕をしている。
「お嬢様は眠っていらっしゃるのですか」
「ええ、ぐっすり。悪いけどツユちゃん、お部屋まで連れて行ってあげて?」
「かしこまりました」
ツユリは右耳のイヤリングを外した。
『群青』
囁くように呼びかければ、すぐに巨犬に変化する。
「お嬢様を運んで。起こさないように、ゆっくり歩いてね」
『バウ』
猛々しい見た目に似合わない小声で返事をし、ミゼルスを背に乗せる。
「それでは奥様、失礼致します」
「ええ、ミゼちゃんをお願いね」
「はい。おやすみなさいませ」
「おやすみ」
別の使用人を共にして自室へと戻っていくアンフィトリテ。その背が見えなくなるまで礼の姿勢を取り、それから群青を連れてミゼルスの部屋に向かった。
『あーあ、群青はイイよねェ。お嬢様を運べてさァ』
不意に、左耳のイヤリングから声が発せられた。
「蘇芳」
『主ィ、あーしもお仕事したいィ』
気怠い口調で強請る声に、ツユリは苦笑する。
「私だって、お嬢様をお運びしたかった」
『主の細腕じゃ無理だよねェ』
「体力と筋力さえあれば、私一人でお運びしたのに」
『やだァ、主ってば情熱的ィ。もちろんそこはお姫様抱っこだよねェ?』
常識的に考えてェと、揶揄するように蘇芳はケラケラと笑った。
「何を言ってるの蘇芳。お嬢様はお嬢様だよ。お姫様じゃない」
『えェ~? じゃァ、どーやって運ぶつもりだったのさァ?』
「おんぶがあるじゃない」
『おんぶ』
「それか俵かつぎ」
『俵かつぎ』
そんなやり取りをしている内に、ミゼルスの部屋に到着する。
『主ィ。あーしが人化術を会得したらお嬢様をお姫様抱っこするからァ、それまでお嬢様を俵かつぎしちゃダメだからねェ? 約束だよォ?』
「言っておくけど蘇芳、いくら人化しても鳥である限りお嬢様には指一本どころか半径数メートルも近付けないよ」
『出たァ、お嬢様の超敏感鳥アレ肌ァ~。でもあーしは諦めないィ』
「はいはい」
ミゼルスの身体を群青の背中からベッドへと移し、その上に毛布を掛けた。
「おやすみなさいませ、お嬢様」
◇ ◆ ◇
ああ、ここは夢の中だ。
何ともなしにそう知覚したミゼルスは、辺りをぐるりと見回した。
森の中だ。開けた中心地に一軒家がある。ミゼルスはその家に見覚えがあった。
「これまた懐かしい場所だ。誰だか知らないが、私の記憶を勝手に盗み見たな?」
ニヤニヤと笑みが零れ出てくる。
「本当に懐かしい。今日は懐かしいことばかりで、さすがの私でも思い出に耽ってしまう」
家の扉に手を掛ける。建てられてから何世紀も経っているはずなのに、どこも朽ちてはいない。
さほど力を入れずとも、扉は簡単に開く。
扉の先、部屋の中央には一人の男が立っていた。何故か、非常に苦しげな表情を浮かべている。
「やあ初めまして。招かれざる客」
軽く右手を挙げ、ミゼルスはにこやかに挨拶をする。
「ふむ、やはり情報過多だったか。何せ兆を超える人生数からなる、膨大な記憶量だ。少し盗み見るには相当のリスクを負わされたと見える。それでも立っていられる君は、なかなかの上物というワケだ。そうだよね、悪魔殿?」
最後の言葉に男は目を見開く。
「ぅあ、あ、貴女は、一体……!」
「うん? ああ、さすがにそこまでは辿り着けなかったか。なに、知らない方が身の為だよ。君は《知りたがり》とは違って、受け容れる為の器なんて持ち合わせてなんかいないだろう? 私の事よりも身の程を知った方がいい」
男の脇をすり抜けて、台所に向かう。
迷わず棚からポットを見つけ出し、慣れた手つきで火を起こす。まさしく、我が物顔で台所の物を扱う。
────当然だ。この家はかつての《私》の住処なのだから。
「しかしまぁ、折角ここまで再現してくれたんだ。お茶のひとつくらい出してあげるよ。ついでに、君の事でも聞いてみるかな」
そう言って茶葉の瓶の蓋を開けながら、ミゼルスは悪魔のような笑みを浮かべたのだった。
◇ ◆ ◇
「私は百聞の悪魔、名をスペキュラと申します」
「スペキュラは何をしに来たんだ?」
「貴女に、契約を持ち掛けに参りました」
「契約ねぇ……セールスは基本的に断ってるんだけど。なんで私なんだ?」
「貴女に悪魔の素質があると判断しました。私の専門は悪魔への勧誘でございますゆえ」
「ぷっ、なんだぁそれ。笑える」
そう言うミゼルスの顔は一欠片も笑ってなどいない。
「スペキュラ。君の判断は間違っちゃいないけど、誘う相手を間違えたね。私は悪魔にはなれないよ。他を当たりな」
「そんな事は無い。貴女は悪魔に相応しい。見させていただいた記憶のどれもが、それを裏付けています。どうか、私と契約して悪魔に────」
────ガチャン!
ミゼルスの持っていたティーカップが、苛立たしげにソーサーに置かれた。
「いや、だからさ、なれないって言ってんだよ。意味分かるか? ────『成れない』んだよ」
糸目が開かれ、ラピスラズリが覗く。ギラギラと、悪魔を睨み付けていた。
「私は『人間』以外に成れない、成り損ないだ。だからこそ私は《人でなし》なんだよ。私が悪魔に相応しい? 悪魔の若僧ごときが、知ったような口を聞きやがって」
これがもし、あの《知りたがり》であったならば。私の全てを、噛み砕き、呑み込んで、受け容れて────余すこと無く、平らげてくれたのに。
「お前は本当の【悪】がどんなものか、知らないだろう。分からないだろう。理解できないだろう! それもそのはずさ! 何故なら、お前だって元々は『人間』なんだからな!」
勢いよく叩きつけたカップの欠けた底の部分とソーサーのひび割れから、青く澱んだ液体が爆ぜるようにして溢れ出る。
クロス、テーブルに染み渡り、滴り落ちて床に広がる。意思を持って、対面に座る悪魔へと迫る。
「……っ!」
「百聞の悪魔スペキュラ、帰って魔王にでも伝えろ。────マレフィカス・ブルートは健在だ。殺したければ何時でも殺しに来るといい! その時、私の望み通りにこの世界と、『人間』は終わる! 私の愛しい、あのひとだけの居場所に成り代わる! すげ代わる!」
悪魔はあっという間に青い濁流に飲み込まれる。次の瞬間には大きく弾け、ぱしゃんという音を立てて消えてしまった。
「…………あはっ、あははははっ!」
悪魔が居なくなり、一人になった部屋の中で哄笑の声を上げる。
手元のバラバラに砕けたティーカップとソーサーを、乱雑に床へと払い落とす。
「あははは、あーっははははははは!」
ぶつかる寸前に溶けるように青水となり、床に吸われていく。
その間も、ミゼルスの笑いは止まらない。
夢の中、まさしく夢中になって。腹を抱えて、床に倒れ込んで、転がり回って。青い液体に塗れながら笑い続けた。
「ひひっ、ひゃは、はははは………ひぃ、ふう」
落ち着いた頃には全身が青く染まっていた。
「あーあ、くっだらねぇ。ふひひ」
まだ笑い足りないのか、言葉の端に笑いが混じる。
「なぁにが『悪魔に相応しい』だ。冗談キツい。《神様》だって絶句するレベルだっつーの」
青くなった手を天井に向けて翳す。何の変哲もない、『人間』の手だ。
それをしばらく無言で見つめる。澱んだ目に浮かぶのは諦観の色だった。
先程まで溢れ出ていた笑いは消え失せていた。
「……本当にくだらない。さっさと終わればいいのに」
ポツリと静かに呟き、力無く腕を落として目を閉じる。
────帝都の夜明けまで、あともう少しだ。
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