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【第1章】アヴィメントにて
【第4話】*****は壊し損ねる
しおりを挟む目を開けると、そこは自室だった。
「……帰ってきちゃったか」
面白くなさそうに呟いて、ベッド脇の椅子に座って眠りこけている使用人に目を向ける。
両耳に付け直されているイヤリングを見て、今朝の出来事が頭を過ぎった。思わず舌打ちを鳴らしてしまう。
「ツユリ」
「……ん」
ミゼルスの呼び掛けに、ツユリはゆっくりと瞼を上げる。
視線を彷徨わせて声の主を見つけると、ほっとしたように目元を緩ませた。
「お嬢様、お目覚めに……?」
「うん。おはよう」
「はい、おはようございます」
しゃん、とツユリは背筋を伸ばす。ミゼルスはそれを見て、彼女が平常に戻ったことを知る。
「ティアはどうしてる?」
「謹慎中でございます」
「そっか。面会は可能?」
ツユリは眉根を寄せた。
「面会をご希望ですか?」
「うん。無理なら別にいいけど」
「怖くは、ないのですか?」
苦しそうにこちらを見る使用人に、思わずミゼルスは笑った。
「怖い? 何が?」
「自分を殺そうとした相手にもう一度会おうなんて、普通は怖いと思います」
「うん、そりゃぁ、普通はね?」
そう、《普通》なら。
在り来りなようで、存外そうでもないその言葉に、また笑いが込み上げる。
「でもさぁ、ツユリ」
意地の悪い顔をして、黒髪黒目の使用人を見遣る。
東洋からたった一人でこの辺境へ奉仕にやって来た健気な少女。ミゼルスは彼女のことをよく知っている。
「それ、君のお父上にも同じこと言える?」
「…………」
沈黙。
まずまずかな────ツユリの反応にひとまず及第点を付け、コロッと話題を変えることにする。
「ま、《普通》なんて人それぞれだよね。結局のところどうなの? 会えそう?」
「……どうして、会いたいのですか?」
「いやさぁ~~、あのお馬鹿ってば、思い切り押した割には覚悟が足りなさ過ぎたから一発殴ろうかなと思って」
そう言いつつ握り拳を見せると、一度目を丸くした後に大きめの溜息を吐かれた。
「お嬢様は楽天的ですね。それとも脳天気と言うべきでしょうか」
「前者はともかく後者は完全に馬鹿にしてるよね」
「しかし、よろしいのですか? 格技の成績はあまり芳しくなかったと記憶しておりますが」
「そんなもん根性でどうにかなるさ」
「左様ですか。では、お嬢様が皇族へ手を挙げたことによる叛逆罪で問われた際には、証言台に立つ覚悟を決めておきます」
「うん? …………あ、そっか。よく考えたら皇族だったっけアイツ。すっかり忘れてた」
「……叛逆罪でなくとも不敬罪で呼び立てられる日もそう遠くないのでは?」
「いやいや、ティアにも問題あるでしょ。アイツのどこをどう見たら皇族に見えるの? こんな辺境に入り浸ってる皇族なんて見ても、誰も信じないでしょうよ」
────そもそも何故あの男と自分は幼馴染なのだろう。
ティアブル=ミットは皇帝の妹の息子、つまるところ甥に当たり、かつ帝位継承権を持っている。
現皇帝には正妃がいない。それどころか、後宮には側室愛妾の気配すらいない。皇帝は不能か男色家なのではと疑われる始末。
そのため、男児であるティアブルの継承順位は平時に比べて上位に位置している。そんな男が、帝国の端の端にあるこの辺境地アヴィメントに、生まれた頃から通いつめている。
(ああ、思い出した)
頭の中で手を打ち鳴らす。
単純なこと。ミゼルスとティアブルは同い年、同じ月に生まれた。故に、ミゼルスの誕生を機に帝妹である彼の母親が是非にと、ティアブルをアヴィメントに寄越すようになったのだ。
アヴィメントは海に面している上に自然に恵まれている。旅商も多く訪れるため、見て聞いて学ぶものも他の地に比べて良いと判断されたのだ。
「……なんで私、お嬢様なんだろうな」
「はい?」
「あのねツユリ。私ね、海で生まれたかった。魚でも海藻でも何だっていいから、海で生を受けたかった」
零した言葉に偽りは無い。
「どうして、人間なんかになっちゃったんだろう。こんな、面倒臭い生き物なんかに」
「……お嬢様」
戸惑いを感じ取る。ツユリの目を見てみれば、口ほどに物を言っていた。
────理解したい。
────慰めたい。
────理解できない。
────心までは、守れない。
(そうだよ、ツユリ。君にできることは、私の身を守ることだけだ)
心までは守れない。
私の心を理解できるのは私だけ。
────それか、もしくは。
『マレフィカス・ブルート』
幻聴が聞こえた。
あの《神様》の声は耳によく残る。良い意味でも、悪い意味でも。
『誰が幻聴だこの糞ガキ。もう一ぺん殺すぞコラ』
『いい感じにシリアスにしたのに、台無しじゃないですかヤダー』
『テメェも人のこと言えねぇだろうが』
口の悪い《神様》は「そいつはやめておけ」と珍しくアドバイスという名の託宣をする。
『ソイツの親は厄介だ。イレギュラーに関わるとロクなことが無いぞ《人でなし》』
『ご忠告どうも。心配せずとも、これ以上は関わりませんよ』
やれやれと息を吐き、意識を現実へと切り替える。
「ツユリ、支度をして」
「本当に面会を?」
「くどい。さっさとして」
「……かしこまりました」
支度をするべく、使用人は部屋から退出する。
それを見送って、やはりミゼルスは残念がる。
「あーあ。────壊したら、とても面白そうなのに」
勿体ないなぁと、ひとり舌舐めずりをするのだった。
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