上 下
2 / 17
【第1章】アヴィメントにて

【第1話】幼馴染は殺し損ねる

しおりを挟む

 ミゼルス=マイアープ=アヴィメント。
 アヴィメント辺境伯の一人娘である彼女は、父が治めるアヴィメント領で生まれ育ち、毎日を飽きることなく海を見て過ごしていた。
 ミゼルスは海が好きだ。凪いでいようが時化ていようが、大好きな海を見ない日は無い。波の音に耳を傾け、潮の匂いを嗅いで深呼吸をする。時には飛び込み、泳ぐこともあった。
 ミゼルスの夢は、いつか海の上を旅することだ。彼女の父は辺境伯であると共に、アヴィメント商会という独立した旅商も経営している。父の後を継げば自ずと夢は叶うはずだと、彼女は幼い頃から商いの勉強に励んでいたのだった。


 辺境伯令嬢ミゼルスの朝は早い。
 日が昇る前に目覚ましの鐘が鳴る。商会で取り寄せた異国の発明品である。魔力を動力源とし、術式の入力次第で起床時間を決められるというものだ。 
 鐘に設定されている時間は「夜明け前」である。鳴り響く鐘の音を止めるには、一度起き上がって停止の呪文を唱えなければならない。
 ノロノロと手を伸ばし、ミゼルスは口を開いた。

「まだ眠りた────ベフゥ!」

 ミゼルスは勢い良く叩かれた。

「いったぁ…………おはよ、ツユリ」
「おはようございます。お目覚めですか、ミゼルスお嬢様」
「うんバッチリ。冴えた、めちゃ冴えた。ありがとうツユリ」
「恐れ入ります。お召し物のご準備は整っております」
「分かった。すぐ着替える」

 使用人が用意した服に着替えて部屋を出る。
 出た先の廊下には、馴染みのある顰め面が待ち構えていた。

「遅い」
「おはよう」

 重なった台詞は雑音になった。
 ミゼルスは苦笑いを浮かべ、「無茶を言うなよ」と呟いてその前を通り過ぎる。
 対する彼は顰め面を変えないまま、ミゼルスの後をついていく。

「おい、今日も行くのか」
「うん?」

 訊かれたことの意図を測りかね、ミゼルスは顰め面の幼馴染を振り返る。

「今日の海、大時化だぞ」
「ああ、そうみたいだね」

 それがどうしたんだと首を傾げれば、呆れたように溜息を吐かれた。

「死にたいのか」
「えっなにその自殺願望。そんなつもりは一切ないけど?」
「それなら今日はやめておけ。死ぬぞ」
「そう言われてもなぁ」

 困り顔でミゼルスは傍に控えている使用人の方を見た。

「ツユリ、大丈夫だよね?」
「存じません。私に分かることは、お嬢様の死亡確率が80%を超えているということだけです」
「ほら、20%も生存確率があるじゃん。生けるよ」
「逝けるの間違いだろ、この馬鹿」
「馬鹿とは失礼な。馬鹿って言う奴が馬鹿なんだよ」
「お嬢様、その返しだけでも充分に馬鹿です」
「ツユリまで酷いことを言う。何だよ、良いじゃないか海を見に行くくらい。減るもんじゃないし」
「減るどころか無くなるぞ、寿命が」

 幼馴染は先程よりも更に大きい溜息を吐く。

「もういい。どうあっても行くんだよな」
「当たり前じゃん」
「今日は俺もついていく」
「へぇ? ティアがついてくるだなんて珍しい。海が嫌いなくせに」

 ミゼルスの言葉に、ティアブル=ミットは一度口を噤んだ。元々の顰め面が更に酷くなる。

「分かっているなら行くのをやめろ」
「何を言ってるんだか」

 鼻で笑い、ミゼルスは足を動かす。

「やめるわけないじゃん?」


 ◇ ◆ ◇


「ああ、今日も素敵だ」

 頬を赤らめてうっとりと海を眺める。

「穏やかな貴女も、荒れ狂う貴女も、とてもとても魅力的だ。どうして私は人間なんだろう? 貴女の中で生きたい。人間の生を受けてしまったこの命が憎たらしくて仕方ないよ────」

 愛おしさと狂おしさを込めた言葉。それを贈る相手は、暗雲の下で強風と大雨と共に猛り狂った波音を響かせている。
 身を落とせば間違いなく生命も落とす。荒れた大海の恐ろしさに、常人ならば身を竦ませる。
 しかし、ミゼルスは嬉しそうに笑みを浮かべる。
 愛おしいと、声に言葉に、愛を滲ませる。

「愛している。いつか必ず、私は貴女に────」

 甲高い鳥の声のような風の音にミゼルスの言葉は掻き消される。
 そして彼女は気が付かなかった。
 その背に伸ばされる、何者かの手に。


 ────トンッ。


 跳ね飛ばす。
 押されたと認識した彼女は、そんな感覚を覚えた。
 彼女の背を押したその手に、悪意を感じなかった。

「ミゼルスお嬢様!」

 ツユリの叫ぶ声が聞こえる。
 普段は全く取り乱すことの無い使用人の叫び声に、ミゼルスは薄らと笑った。

 ────いや、嗤った。

「……あは」

 漏れ出た嘲笑はひどく満足気で。

「あっははははは────!」

 糸目が開き、ラピスラズリの瞳が覗く。
 煌めく瑠璃色は振り向き際に、背を押した犯人────幼馴染、ティアブル=ミットの顔を捉える。
 確かな意志を持って彼女を押したはずの彼は、後悔に歪んだ表情をしていた。
 しかし、そんなものお構い無しに、ミゼルスは彼を褒め称える。

「よくやったティア! ティアブル=ミット! 君ならやってくれると信じていたよ! さすがは私の幼馴染!」

 愉快に笑うミゼルスの身体は重力に従って海へと落ちていく。

「でも残念! 君にはやっぱり【悪意】が足りない! 私の育て方が甘かったかな? まあ、それはそれで次回に役立てればいいか」

 残念という言葉とは裏腹に、声はどこまでも愉しげだ。
 落下速度が徐々に上がる。
 必死に伸ばされた使用人の手は、どう足掻いても届かない距離だ。
 ミゼルスはもう一度しっかりと嗤う。自分が確実に死ぬことが決まったことに────


「────ちょっと待ったァァァァ!」


 突如として声が上空から降った。
 その瞬間にミゼルスの笑みが瞬く間に凍り付き、青ざめていく。

(しまった、アイツを忘れていた……!)

 ガツッと両肩を掴まれた感覚に、思わず絶望したのだった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

幼妻は、白い結婚を解消して国王陛下に溺愛される。

秋月乃衣
恋愛
旧題:幼妻の白い結婚 13歳のエリーゼは、侯爵家嫡男のアランの元へ嫁ぐが、幼いエリーゼに夫は見向きもせずに初夜すら愛人と過ごす。 歩み寄りは一切なく月日が流れ、夫婦仲は冷え切ったまま、相変わらず夫は愛人に夢中だった。 そしてエリーゼは大人へと成長していく。 ※近いうちに婚約期間の様子や、結婚後の事も書く予定です。 小説家になろう様にも掲載しています。

私に姉など居ませんが?

山葵
恋愛
「ごめんよ、クリス。僕は君よりお姉さんの方が好きになってしまったんだ。だから婚約を解消して欲しい」 「婚約破棄という事で宜しいですか?では、構いませんよ」 「ありがとう」 私は婚約者スティーブと結婚破棄した。 書類にサインをし、慰謝料も請求した。 「ところでスティーブ様、私には姉はおりませんが、一体誰と婚約をするのですか?」

あの日、さようならと言って微笑んだ彼女を僕は一生忘れることはないだろう

まるまる⭐️
恋愛
僕に向かって微笑みながら「さようなら」と告げた彼女は、そのままゆっくりと自身の体重を後ろへと移動し、バルコニーから落ちていった‥ ***** 僕と彼女は幼い頃からの婚約者だった。 僕は彼女がずっと、僕を支えるために努力してくれていたのを知っていたのに‥

私がいなくなった部屋を見て、あなた様はその心に何を思われるのでしょうね…?

新野乃花(大舟)
恋愛
貴族であるファーラ伯爵との婚約を結んでいたセイラ。しかし伯爵はセイラの事をほったらかしにして、幼馴染であるレリアの方にばかり愛情をかけていた。それは溺愛と呼んでもいいほどのもので、そんな行動の果てにファーラ伯爵は婚約破棄まで持ち出してしまう。しかしそれと時を同じくして、セイラはその姿を伯爵の前からこつぜんと消してしまう。弱気なセイラが自分に逆らう事など絶対に無いと思い上がっていた伯爵は、誰もいなくなってしまったセイラの部屋を見て…。 ※カクヨム、小説家になろうにも投稿しています!

王が気づいたのはあれから十年後

基本二度寝
恋愛
王太子は妃の肩を抱き、反対の手には息子の手を握る。 妃はまだ小さい娘を抱えて、夫に寄り添っていた。 仲睦まじいその王族家族の姿は、国民にも評判がよかった。 側室を取ることもなく、子に恵まれた王家。 王太子は妃を優しく見つめ、妃も王太子を愛しく見つめ返す。 王太子は今日、父から王の座を譲り受けた。 新たな国王の誕生だった。

エロゲで戦闘力特化で転生したところで、需要はあるか?

天之雨
ファンタジー
エロゲに転生したが、俺の転生特典はどうやら【力】らしい。 最強の魔王がエロゲファンタジーを蹂躙する、そんな話。

最愛の側妃だけを愛する旦那様、あなたの愛は要りません

abang
恋愛
私の旦那様は七人の側妃を持つ、巷でも噂の好色王。 後宮はいつでも女の戦いが絶えない。 安心して眠ることもできない後宮に、他の妃の所にばかり通う皇帝である夫。 「どうして、この人を愛していたのかしら?」 ずっと静観していた皇后の心は冷めてしまいう。 それなのに皇帝は急に皇后に興味を向けて……!? 「あの人に興味はありません。勝手になさい!」

【本編完結】実の家族よりも、そんなに従姉妹(いとこ)が可愛いですか?

のんのこ
恋愛
侯爵令嬢セイラは、両親を亡くした従姉妹(いとこ)であるミレイユと暮らしている。 両親や兄はミレイユばかりを溺愛し、実の家族であるセイラのことは意にも介さない。 そんなセイラを救ってくれたのは兄の友人でもある公爵令息キースだった… 本垢執筆のためのリハビリ作品です(;;) 本垢では『婚約者が同僚の女騎士に〜』とか、『兄が私を愛していると〜』とか、『最愛の勇者が〜』とか書いてます。 ちょっとタイトル曖昧で間違ってるかも?

処理中です...