水曜日の子供たちへ

蓮子

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ep.25 なりたい自分となれる自分

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 いつも通りの日常が戻ってきて、僕らはそれを噛み締めていた。噛み締める理由は言わずもがな。滞りなく日曜日の公開礼拝も終わり、外出日にも関わらず、僕らは街にも出ずにぼんやりと自室で過ごした。
 先日以来、4人で過ごす時間は格段に増えていた。ルカとの時間にパオルがいたり、パオルの時間にヨナスが自主練に行かずに部屋にいたりしていた。だからと言って仲良くゲームに興じたり談笑したりするわけではない。
 今日も今日とてルカは本を読んでいて、パオルは勉強をしていて、ヨナスに至っては自室は寝る場所らしく、朝食から戻ってくるなりすぐに寝てしまっていた。僕といえば勉強している振りをしながら、先ごろの自分の言動の不可解さに頭を抱えていた。図星を突かれて落ち込んだり、かと言えば調子に乗って家族の話をしたりしたことについてだ。



「暗ぇよ!何で誰も喋んなねぇんだ!!いつもいつもオレの勉強の邪魔してるじゃねぇか!!」
「パオルうるさい」
「俺が煩いって言う時にゃ、黙らねぇくせに」
「大体僕たちってそんな賑やかにしてるような関係じゃなくない?」
「お前もなんでヨナスが起きてねぇとそんななんだよ」
「え?だって、ヨナスいないし」

 表情こそは変わらないが、ルカは小首を傾げて上目遣いでパオルを見る。全身を使って感情を表そうとするルカを健気に思った。

「ルカはヨナスにいい子に見られたいってことですか?」
「どうなんだろう。ヨナス好きすぎるのは認めるし、ずっと死ぬ時にそばにいて欲しいと思ってたよ」
「まだんな事言ってんのか?」
「最近はそうでもないんだよね。それが……不思議なんだけど、この所知らない大人と関わる事多くて、その大人は僕の知ってる大人とは少し違ったんだ」
「後見人に、病院の医者や看護者、それに警ら隊。不快感は無かったんだよね」
「大人も悪く無いって思いました?」
「そう。悪く無いかもしれないって思ってる」
「顔真っ赤だぞ」

 手で覆われたルカの顔は真っ赤で、僕は嬉しくなった。

「僕は嬉しいですよ、ルカが明日を向いてくれることが」
「オレもな」

 パオルはルカの頭をかいぐってから、僕の頭も同じようにかいぐった。そして2人まとめて抱きしめた後、背伸びをして勉強に戻った。
 ルカはまたいつもの無表情に戻って、いや、顔が真っ赤になっただけで無表情だったが、不機嫌そうに呪いの言葉を呟きながら髪を整えた。
 ヨナスはこれだけ騒いでも、身動ぎひとつしないでスヤスヤと眠っている。こんな毎日が続けば良いのにと、思ってしまっている自分に嫌気がさした。そして、こんな安穏な時にこそ招かれざる客が来るものなのだ。

 そんな穏やかな休日に招かれざる客がやってきた。普段僕らの部屋を誰かが訪ねてくる時に扉をノックする人はいない。あまり使われていなかったこの部屋の扉はノックをすると金属が軋むひどい音がするのだ。だから扉の外から声をかけてから返事を待って開ける。
 それがこの日はノックと言うには乱暴に扉を叩かれ、蝶番かノブが壊れてしまうのではないかという音が響いた。
 扉を変えた先には不機嫌そうな顔をした事務員がいて、ぶっきらぼうにヨナスの名前を呼んだ。それは丁度昼食の予鈴が鳴る直前のことで、ヨナスは自然と目覚め予鈴が鳴ると言ったと同時のことだった。



「ついて行かなくてよかったの?」
「ヨナスが来ないでって言うんです」
「それはそれで心配だけど、僕には声をかけて欲しかったな」
「それは事務員に言ってください。僕らが口を出す間も無く、容赦無く引っ張って行ったんですから」
「神祇官が見たら卒倒しそうな光景だね」
「本当ですよ。でもこうしてフィン先輩にお知らせに走ったんですから、ちゃんと義務は果たしてます」
「そうだね、ごめんね。ちょっと気が動転してた」

 ヨナスの表情が変わった瞬間を僕らは見逃しはしなかった。僕らは付いていくと言い張ったが、ヨナスは首を横に振り、「大丈夫、来ないで」と大きな声でするりと言った。驚いた僕らはヨナスに従うしかできなかった。

「親の面会って結構あるけど、基本的に学校の外が多いんだよね。大体事前に当人同士で面会日時をやりとりしてから外出許可を取るとか、学校を案内するとかするんだけど」
「ヨナスは手紙を読んでいませんし、僕も内容を確認していません」
「それね、中身が中身みたいだからしょうがないとは思うけど、今回みたいなことがあると事務所がてんやわんやになるようだね。臨機応変って言葉を知らないんだ」
「ヨナスにあの手紙を毎回確認してくださいなんて、僕は言えませんよ」
「会いたく無いと返事を出したとしても、ご両親はいらっしゃっただろうけどね」
「結局どちらに転ぼうとヨナスにとって良い方向では無いでしょうね」
「でもヨナスもすっかり変わったからね」
「そうでしょうか」
「そうだよ。きっと今なら自分自身の言葉で、ちゃんとご両親に気持ちを伝えられると思うんだ」

 ふと文化祭の夜と、先だっての自室での演奏会を思い出した。ヨナスは吃ることなどなく、話をしていた。あれが本来のヨナスなら、それを隠そうとするあまり言葉を探し吃っていたのかも知れない。

「台詞は噛まずに、吃らずに言えるから何かあるとは前から思ってたけどね」
「台詞ですか?」
「台詞というかクリスマスの建国祭は物語を模して歌がある感じなんだよね。だからヨナスは結構な量台詞があるんだよ。見にきたことなかった?」
「建国祭の演奏会はどれも学外公演じゃないですか。なかなか在校生は行きにくいですよ」
「そう?結構来てる生徒居ると思ったけどね」
「パオルも音読に付き合ってもらった時には吃ることはなかったと言っていましたし、吃らないヨナスが本当なんだと思います」
「それはまた大きく出たね」
「あの夜のヨナスが本当のヨナスと確信できるんです」

 ヨナスが台詞なら吃らずに言えることは事前情報で欲しかったなと、少しだけ役員の事前資料を恨んだ。ルカもパオルもきっとまだまだ知らないことだらけなんだろうと、少しでも彼らを知った気になっていたことを恥じた。
 最近はこんな気分にばかりなる。

「ばか、ベンヤミンここにいた!」
「ルカ。そんなに慌てて、どうしたんです」
「慌てるもなにも、応接室覗いてたら大変なことになったんだって」
「覗いていたんですか」
「お説教は後で聞くから、今はとにかく急いで。大変なんだって。フィンも来て!!」

 僕らは走るルカを追いかけた。
 フィン先輩はもう首から腕を吊ってはいなかったが、走ると響くのか腕を押さえて走っていた。行きがけに神祇官か誰かいれば同行してもらおうと思ったが、こういう時に限って誰にも出くわすことはなかった。
 事務所の隣にある応接室からは金切り声と怒号が絶えず響いている、それに混ざってパオルの声も聞こえた。

「ざっとどういう状態か聞かせてくれませんか」
「僕もわかんないよ。物の倒れる大きな音がしたと思ったら今の状態で、パオルが僕にベンヤミンとフィンを探してこいって言ったんだ」
「ありがとうございます」
「ルカは、ヨナスが大好きだから中の話を聞かない方が良いかも知れないね」
「でもここに居たい。耳を塞いでいたら良い?」
「そうだね」

 僕らは扉をノックすると、返事を待たずに応接室に入った。
 まず目に飛び込んだのは顔を真っ赤に腫らしたヨナスだった。掴みかかろうとする母親と父親から、ヨナスをパオルが必死に守っていた。僕らはすぐに状況が理解できず絶句した。
 母親は言葉と思えない叫び声をあげているし、父親はヨナスを守るパオルに対して罵詈雑言を浴びして掴みかかろうとしている。パオルはこんな状態に慣れているのか、上手に躱しており、さらにヨナスの両親を激昂させていた。
 僕はメガネを外して、フィン先輩と共にその中に割って入った。

「どうしてそんなに醜いんだ」
「どうして気味の悪いことをする」
「お前は男だろう」
「気色が悪い喋り方をやめろ」
「どうして私たちの愛がわからない」
「愛してやったのに」
「女のように振舞って」
「恥知らずが」
「この基地外め」

 まともな言葉として耳に入ってはこず、つまりはまとめるとこのようなことを言っていたように思う。僕らではなんの助けにもならず、ルカの助けを呼ぶ声と
騒ぎを聞きつけた神祇官によって、この場は収められた。
 ヨナスを守っていたパオルは肋骨を骨折するし、僕は顔から首、腕に引っ掻き傷と青あざがたっぷりできていた。フィン先輩はせっかく治りかけた腕をまた見事に折っていた。
 母親はヨナス共々僕らが退席させられるまで、ずっと耳を擘く金切り声で何かを叫んでした。その何かはきちんと言葉になっていたのか、いなかったのか僕には判別できなかった。
 当のヨナスは顔が腫れ上がり、一見してヨナスとはわからないほどになってしまっていた。狼狽えるルカと神祇官達に付き添われて僕らは救護室をすっ飛ばして、病院に入院することになった。

 僕は一番被害が少なかったし、ルカが心配なので帰らせてくれと言ったが、そんな訴えは一切通じなかった。その代わりルカは学校には戻らず、僕らと過ごすことになった。神祇官が死なれては困る、だからと言って見張ることも困難だということで認められた。

「痛い?」
「見た目ほどは痛くないですよ」

 僕の顔は所々皮膚がえぐれているということで、包帯がぐるぐるに巻かれている。腕の青あざも湿布が貼られている。しかし見た目ほど痛くないとは言ったが、それは聖水と呪符のおかげだった。
 多分それらの効力が切れると、痛みで悶絶して転げ回るかもしれない。治療してもらっているところまでは、なんだかよくわからない興奮状態にいた。こういう時は痛みをそんなに感じることがないと、経験上知っていた。それよりも重症なのは肋骨が折れたパオルと、腕をまた骨折したフィン先輩だ。ヨナスは若干腫れも引いて来たのだが、応接室からこっちずっと方針状態だ。

「でも、なんでこんなこと」
「ご両親はヨナスをとても愛していたんです」
「あれが愛だって?ベンヤミン、顔をかきむしられておかしくなってしまった?」
「大丈夫です。ヨナスが今の状態になる前の話ですよ。まあ今も愛情が捻れてしまっているだけでしょうけど……。だから憎くて、不気味な存在になってしまったようです」
「ヨナスはどうやら、全部話したみたいですね」
「なあなあにしておけば良いのに」
「それができないから、夢遊病や吃音症になっていたんでしょうね」

 4人一緒の病室とはいかず、僕とヨナス、フィン先輩とパオルに別れた部屋になった。看護者に怪我の具合を聞いてから、彼らの様子は一切わからない。
 ヨナスは治療が終わった後から痛み止めの呪符の副作用かずっと眠っている。ヨナスの母親の形相はエンゾザのようだった。
 実際エンゾザに姿形はないのだが、もしあったとしたらあのような恐ろしいもののような気がする。あそこまで人を、それも我が子をあのような形相で見ることができるのだと不思議だった。

「子供に興味がないのも困り者だけど、興味がありすぎても困るもんだね」
「そうですね」

 ルカは枕だけ借りて、僕のベッドで一緒に横になっている。
 明日は傷の様子を見てもらってからヨナスと一緒にすぐに退院らしい。眠れないのではないかと思ったが、ルカの寝息を聞いているとすぐにでも寝入ってしまった。

 どうやら入院させたのは僕らを学校から遠ざけるためだけだったらしく、あの後学校、もとい中央神殿の神祇官が呼ばれ、ヨナスのご両親で夜中まで話し合いが行われたらしい。今度はヨナスが希望したので、僕とルカは神祇官からのヨナスへの説明に同席した。
 神祇官は淡々と優しい口調で説明し、僕らはそれをどこか他人事のように感じながら聞いた。

「つまりご両親は神祇官にヨナスを更生させると言われて入学させたのに、悪化させてどうする、騙されたと怒ってるのか」
「初志貫徹ですよね」
「更生か。ヨナスにはどうしても似合わない言葉だよね。ある意味模範生だし。もしヨナスが分化に失敗した元未分化ならご両親の言ってることはてんで的外れになるよね。で、神祇官も僕に言わなかったのに、なんで同席していなかった僕に報告をするの?」
「ルカを通してでも良かったんですが、ルカの後見人はフィン先輩からの方が喜ぶと思ったんです」
「ルカのように縁切りさせろって?」
「ヨナスはそれを望んでいませんが、修復できたとしてもとても時間がかかると思っています。だから解決策をご教授いただきたいんです」
「そんなに調停者は万能じゃないと思うけど」
「僕は教義の解釈や法にとんと疎いんです。どうにかしてヨナスをご両親から守りたいんです」

 フィン先輩は渋々了承してくれた。
 お金が掛かることはわかっていたが、それは後から考えれば良い。ヨナスは自分の食い扶持を自分で稼げるだけの力を持っている。集めようと思えばすぐにでもパトロンは集まるだろう。
 神祇官達もヨナスが学校からいなくなることをとても憂いている。中央神殿から神祇官が来られたということはそういうことだろう。なんとしても手放したくないのだ。それはそうだ、聖力云々以前にヨナスのお陰で寄付金が増えて、手厚い慈善事業や守りの堅い討伐遠征ができているのだ。

「ある意味大人の汚さが随所で浮き彫りになっているね」
「ルカはその汚さにしか救いが持てないなら、それが正しいことかもしれないと頭を抱えていますよ」
「良い傾向だね。パオルは大人しくしてる?」
「本人肋骨が折れたことに大変衝撃を受けていますよ」
「でもヒビだったんだろう?」
「ヒビの原因がお母様の方ですからね。女性から殴打されて骨折するとは思っていなかったんでしょう」
「仕方ないよ。母親と父親の暴力をしばらくの間一身に受けてヨナスを守ってたんだから」
「まあそのお陰で、学校側からのパオルの評価は大きく変わりそうだけどね」
「この学校特有の献身は美徳というやつですよね。あまり今回ばかりは嬉しくないです。マハネ神だって流石に止めますよ」
「同感。でも難儀だね、利き腕側だし、しばらくまともに勉強できないね」
「辞書が引きにくいと言っていました」

 パオル自身、親というものにとうに諦めているので、ヨナスのご両親に対して何か思うことは少なかったようだった。それでも母親というものは子供を守ってくれうるものだという認識があったようで、その部分には衝撃を受けているようだった。
 肋骨の骨折以外にも、背中は打撲で全面おかしな色になっていた。ヨナスを守ることに必死だっとは言え、僕らの満身創痍ぶりは流石に頂けない。

「鍛えるか」
「体育の授業だけで良いよ」
「せめて女の殴打で骨折しない程度に筋肉が欲しい」
「僕も賛同します」
「思い立ったら吉日って言えねぇ所が辛い」
「僕は今日にでも始めようと思います」
「お前はそういうやつだよな」

 3日間の絶対安静を条件に退院したパオルは暇つぶしにと図書室で討伐隊用の筋力訓練の本を借りてきていた。それを覚えて、くっついたら実践するんだと今から意気込んでいた。
 彼はすっかり図書室の常連で、彼の知的好奇心を十分に満たしてくれているようだった。水を得た魚のように知識を吸収していき、ルカの教科書ももう半分終わらせていた。

「あえて疑問を口に出さなかったんだけどさ、ヨナスってどっちなの?」
「あら、心は女の子のつもりよ。体だって、女の子になれたら良いんだけど、それは流石にもう無理じゃない?分化できなかったけど、もう色ついちゃったし。唯一の救いは声が変わらなかったってことくらいかしら」
「今のヨナスだったら、ちゃんと女の子に分化できたと思う?」
「どうかしら。女の子に分化できたらここにはいられないわよね」
「確かにそうだ!それは嫌だ!!」
「もしもなんて考えても仕方がないわ。あたしはあたしなのだから。神祇官に尋ねたのだけど、ずっとこのままですって。ジャデルシャーゼのお姉様方は足掻いたから18歳や17歳のずいぶん遅い年齢で色がついたんですって。ずっとこの子供のような姿なんですって。年老いることもなく、聖力が尽きた時に一気に老けるんだって言われたわ」
「じゃあ、ヨナスはずっと子供でいられるってこと?」
「そうじゃないわ。心は大人になっていくのよ。置いていかれるの。全てから」

 大きく僕の心臓が音を立てた。痛いくらいに心臓が大きく音を鳴らしている。ルカとパオルはよくわからないと言った顔をしている。でも僕はそれがよくわかった。知らない子供でいられたらどれだけ良かったか。僕を可愛がる愛する家族だけを信じていれば良かった子供だった時代はとても短かったが、それでもよくわかる。線が引かれるのだ。

「わからない」
「そのうちわかるわ。あたしもまだ、これ以上の言葉を知らないの。でも大丈夫よ。あたしはきっとラドにはなれるから。置いていかれても大事にはしてもらえるわ。ねえ、そうなったらパオルを専属に取り立てるのもいいわね」
「悪りぃこと考えてる顔してるぞ」

 退院してからずっとヨナスはこの調子だ。もう自由で本来のヨナスを取り戻せたということだろうか。
 退院したその日の夜、ヨナスは僕らにポツポツと入学前の話をしてくれた。僕らはゆっくりと時々黙り込むヨナスを待ちながら話を聞いた。

「こっそりお菓子の缶詰にお菓子や花束を包装してたリボンを隠してたのよ」
「時々その缶詰を開けてはそのリボンを髪や腕に巻いて遊んでたのよ。でもだんだんそれだけじゃ我慢できなくなっていったのね」
「随分と子供だったし、後先考えていなくて本当にバカなことしたと思うわ」
「両親が出かけている時に母親のドレスを着てみたの」
「母の一張羅ね。母が友人や親戚の結婚式に行く時に着たのをよく見てたの。羨ましかったわ」
「あたしは男になれってすごく言われて、でも女の子になりたくって、気がついたらどっちにもなれなくって色がついてたっていうのにね」
「そのドレスね、淡い黄緑色のドレスで、少し濃い色のリボンがついてるの。胸元にはレースがこれでもかというほどあしらわれてたの、そんなドレスよ」
「着た瞬間、あたしはこの姿こそがあたしのなりたかった姿だと確信したの」
「ズボンを履いて、野山を駆け回るのはあたしがやりたいことじゃないと思ったの」
「人形遊びや、お花摘み、そんな砂糖菓子でできた甘く可愛い世界で生きたいと思ったのよ」
「でももう女の子にはなれなくって、でも男にもなれなくって、中途半端なのに父も母も男になれって。無理なのにね」
「だんだん自分がわからなくなったの。残ったのは歌うことだけだった。歌うことだけは何も言われなかったもの」

 最後にヨナスは「ごめんなさいね」と言った。何について謝ったのかよくわからなかった。
 それ以来ヨナスはずっとあの文化祭の夜のヨナスのままだ。これが本来のヨナスといえばそうなのかもしれないが、僕らがそれを受け入れるには暫く時間がかかった。ルカだけは平静で、ルカにとってはこれが普通なのかとそちらも驚いた。

「知らなかったよ。でもヨナスはヨナスだからね。別に驚きも何も感じなかったよ」
「ルカの偉大さを感じています」
「ヨナスに限りだけどね」

 と言うルカになんだか置いていかれたような気になった。僕の目にはルカは真っ直ぐと前を向くことに決めて、大人をもちゃんと受け入れようとしているように見えた。

「縁はね、切りたくないの。あんなでも、あたしの親だから。でもルカを羨ましく思う時もあるの、身軽で良いなって。だから上手に解決したいわ」

 まるで目の前に年頃の女の子がいるように見える。手足をばたつかせながら、動作大きく喋るヨナスは、町中で見かける女の子のそれだ。

「フィン先輩に頼んで、ルカの後見人に相談できるように手配してもらいましたよ」
「また勝手に、僕の後見人なのにフィンを通すんだよ」
「フィン先輩を通すほうが、色々と先手を打ってくれるからですよ」
「仲がいいのね」
「きっと僕らでは思いつかない方法を提示してくれると思います」
「つってよ、お前はどうしたいんだ?」
「あたしはあたしでいたいの、綺麗なドレスも可愛いドレスも着たいし、歌も歌っていたい。それだけしか望んでないの。でもできればあたしはこうなんだって、認めて欲しい」
「できればで良いのか?」
「できればでいいの、だってもう父と母を諦める心算をする時間は十分あったわ。あたしね、本当はあの手紙嬉しかったの。内容はどうであれあたしのことを考えてるって思っててくれてるって。でもね、会ってわかったの。この人たちにあたしは見えてないんだって。親戚や近所の目が気になるだけだって。その恐怖をずっとあたしにぶつけてただけだって。お店でのあたしを見てもらえればわかるって思ってたの。でも見る見ないじゃないのね」

 ヨナスは困った顔をして笑った。顔に何枚もガーゼが貼ってあるのでその引きつった笑顔は余計にでも痛々しかった。
 僕も人のことは言えないけれど。

「縛ってでも見せるか?」
「結構乱暴な発案をするよね」
「そうでもしねぇと何が起こっても見ねぇだろ」
「騙し討ちっていう手もありますけど」
「得策とは思えない」
「あたしの歌なんかで考えを変えるとは思えないわ」
「そんなことない!」

 大声を出したルカの声は悲壮に満ちていた。



「ルカ?」
「そんなことないよ。ヨナス、僕は、僕の心はヨナスの歌で救われた、それだけじゃないけど。ヨナスの歌がなかったら、僕は今も死ぬことを一番に考えていたと思うんだ。僕はヨナスの歌が好きだよ。ヨナスの歌を聞いていられるなら、生きる価値があると思える程なんだ」
「嬉しい。でもそれはあたしの歌に心を開いてくれるからよ。閉じた心はこじ開けられないわ」
「そんなことない、そんなことないよ」

 表情こそ無かったが、大粒の涙がつかの目から溢れる、彼は誰かのために泣くことができるのだと、どうしてだか心から安心した。ヨナスはそんなルカの涙を拭って抱きしめた。そしてそのままルカを抱きしめたままやさしい歌声で歌い出した。
 その声は僕らの知っているいつものヨナスの歌声で、その歌声はまるで絹糸で織られたシーツに包まれているようだった。そして僕もどうにかしてヨナスのご両親にヨナスの歌を聞かせたいと強く思った。
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