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Expedition
0:過ぎ去りし日の記憶 近衛の男
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その日の事を儂は克明に覚えている。クロケル殿下があの男を儂の元に連れてきたのは20年程も前のことだろうか。男は酷く痩せ衰え、その目からは生気が感じられなかった。
その日、近衛の詰め所に王は突然訪れた。
「サヴァル、この者をお前の部下にする」
王はそうとだけ告げ場を後にした。その場にはサヴァルと男だけが残った。無精髭を手で弄びながらサヴァルは男を見る。
「さて、どうしたものか」
王命とあれば無碍には出来ない。だが、黙って従うには余りに得体が知れない。
「名は」
こちらの問に、暫しの間があり男は名を告げる。家の名の後に自らの名を名乗る、少なくともこの国ではしない名乗り方だ。言葉もやけに辿々しい、異国の民であろうか。
「言葉は分かるな」
無言で頷く男に、木剣を投げる。男は軽く素振りをする、その様子だけを見ると別段強者といった様子もない。
「まずは手合わせだ」
軽く打ち込むと、男はそれを軽く受け止める。一撃、二撃、三撃と徐々に速度と力を上げてゆくが、男の防御が崩れる様子はない。
「ほう、中々の防御だな打ってきても良いのだぞ」
男は頷く、サヴァルの連撃の合間、僅かの隙きに男の木剣が差し込まれる。大した速度も威力もないそれはサヴァルの喉元、拳一個分ほどの所に静止する。
「真剣なら終わっていたな」
サヴァルは油断していたつもりはなかった。けれども、これが戦場なら死んでいたのは自身であるという確信があった。
「サヴァルさん、以後、よしなにお願いします」
木剣を引き、礼をする男はまるで自分達とは別の生き物のように思えた。
男が部下となって1年ほどの時が経とうとしていた。その年、我らが皇国と隣国は争いの渦中にあった。東のゼルミア砦で正規軍は公国の第3軍と対峙しており、我々近衛兵は後詰めとして待機している最中であった。
「サヴァルさん、マクシャに敵軍が迫っているそうです」
男は有能だった。我々近衛兵の多くが実力よりその血筋、或いは魔法の資格によって選出されているためか僅か1年足らずの間に近衛の中で無くてはならない存在となっている。その男が顔色を変え息を切らしている。
「常駐兵はどれだけ保つ」
「このままでは10日後には陥落するでしょう」
男の言う言葉だ、数日と誤差はないだろう。
「聖都ほどではないとは言え、正規兵が守っているのだぞ」
辺境の山岳地帯とは言え、国境近くの街である以上正規兵が守っているはずだ。男の言葉とは言え、簡単に信じられる言葉ではない。
「エシュケル卿の姿があるということです」
拳を握りしめる。先の戦いでの大敗が脳裏によぎる。3年前、ゼルミア砦近くゼルミア平原において、対峙した我が軍はエシュケル家の当主1人により壊滅的な打撃を被った。当時は当主でなく、しかも、初陣であったその者は貴種でこそ無いものの、エシュケル家に伝わる万雷と呼ばれる魔法により一撃で数百の兵を死に至らしめた。
「王に進言し出軍するとして、到着に何日かかる」
「早くて20日」
自身の試算とほぼ同じ。確実に間に合わない。もしマクシャを守るならと男の顔を見る。
「私と精兵だけなら、5日もあれば着くことが出来ます」
こちらの思考を先回りし男が応える。相変わらずの生気のない目。この優秀な部下は遂にその目に光を宿すことが無かった。
「しかし、王の裁可を待つ時間はありません」
それは事実だ、5日で着けるとは言え、10日で陥落するものを僅かな兵で20日に伸ばすのであれば一刻も早く着く必要があるだろう。
「だが、王が出軍を許すとは限らない」
ゼルミア砦でも交戦中である以上、マクシャを見捨てる可能性も大いにある。その場合は、犬死になる可能性が高い。
「承知しています」
「お前を死なせる気は毛頭ない。もし王が出軍を許さない場合は伝令をやる。その時はすぐに撤退するのだぞ」
これまでに何があったのか、どうもこの男は自身の命を軽く見がちだ。ここぞとばかりに釘を刺しておく。
「そちらも承知してます」
口元にぎこちない笑みを浮かべ、男は答えた。
マクシャに本隊が着いたのは、最後に男と会ってから2月を過ぎた頃だった。マクシャに掲げられている旗にはエシュケル家の紋章が編み込まれている。ゼルミア砦の戦いが激化し、マクシャへの援軍は遅れに遅れた。
「あやつは生きてはおらんだろうな」
サヴァルは遠目にマクシャをみて、溜息をつく。報によればエシュケル卿と男は何度となく戦い、最終的には将兵と民の命と引き換えに男がエシュケル卿に降ることで戦いは終わったという。満身創痍の伝令は涙を浮かべながらそう語っていた。街につくまでに合流した敗軍の兵たちの惨状はあまりに酷い。
「今頃来たのか、あの男の言うことも満更ではないか」
街を囲む防壁の上には長い髪の女性。石で造られた防壁には焼け焦げた跡、打ち捨てられた鎧が辺りに転がっている。
「エシュケル卿とお見受けする」
護衛の静止を振り切り正対する。女は鼻で笑う。戦装束を纏った美しい女だった。今代のエシュケル卿は女、そう聞いている。
「その通りだが、如何した」
女の左右では兵がその弓をサヴァルに向けている。
「我が部下の骸、返して頂きに参った」
サヴァルなりの宣戦布告。サヴァルの声に口元に手を当て女は笑う。女の笑い声だけが暫くの間辺りに響く。
「アレは私の戦利品だ、欲しければ奪い返してみろ」
手が天上に向かって伸ばされる。大気が震え、無数の光の塊が空に浮かぶ。
『万雷』
その単語がサヴァルの脳裏によぎる。エシュケルの得意とする魔法。辺り一面を覆い尽くす魔法の雷の噂。
御使いのみに許される神の御業
「サヴァル様、お下がりを」
頭上から降り注ぐ雷の中、部下の声がどこか遠くから聞こえた。
その戦いは惨敗だった。
そして、あの男が生きており、後にマクシャ辺境伯として敵となることをこの時はまだ誰も知らなかった。
その日、近衛の詰め所に王は突然訪れた。
「サヴァル、この者をお前の部下にする」
王はそうとだけ告げ場を後にした。その場にはサヴァルと男だけが残った。無精髭を手で弄びながらサヴァルは男を見る。
「さて、どうしたものか」
王命とあれば無碍には出来ない。だが、黙って従うには余りに得体が知れない。
「名は」
こちらの問に、暫しの間があり男は名を告げる。家の名の後に自らの名を名乗る、少なくともこの国ではしない名乗り方だ。言葉もやけに辿々しい、異国の民であろうか。
「言葉は分かるな」
無言で頷く男に、木剣を投げる。男は軽く素振りをする、その様子だけを見ると別段強者といった様子もない。
「まずは手合わせだ」
軽く打ち込むと、男はそれを軽く受け止める。一撃、二撃、三撃と徐々に速度と力を上げてゆくが、男の防御が崩れる様子はない。
「ほう、中々の防御だな打ってきても良いのだぞ」
男は頷く、サヴァルの連撃の合間、僅かの隙きに男の木剣が差し込まれる。大した速度も威力もないそれはサヴァルの喉元、拳一個分ほどの所に静止する。
「真剣なら終わっていたな」
サヴァルは油断していたつもりはなかった。けれども、これが戦場なら死んでいたのは自身であるという確信があった。
「サヴァルさん、以後、よしなにお願いします」
木剣を引き、礼をする男はまるで自分達とは別の生き物のように思えた。
男が部下となって1年ほどの時が経とうとしていた。その年、我らが皇国と隣国は争いの渦中にあった。東のゼルミア砦で正規軍は公国の第3軍と対峙しており、我々近衛兵は後詰めとして待機している最中であった。
「サヴァルさん、マクシャに敵軍が迫っているそうです」
男は有能だった。我々近衛兵の多くが実力よりその血筋、或いは魔法の資格によって選出されているためか僅か1年足らずの間に近衛の中で無くてはならない存在となっている。その男が顔色を変え息を切らしている。
「常駐兵はどれだけ保つ」
「このままでは10日後には陥落するでしょう」
男の言う言葉だ、数日と誤差はないだろう。
「聖都ほどではないとは言え、正規兵が守っているのだぞ」
辺境の山岳地帯とは言え、国境近くの街である以上正規兵が守っているはずだ。男の言葉とは言え、簡単に信じられる言葉ではない。
「エシュケル卿の姿があるということです」
拳を握りしめる。先の戦いでの大敗が脳裏によぎる。3年前、ゼルミア砦近くゼルミア平原において、対峙した我が軍はエシュケル家の当主1人により壊滅的な打撃を被った。当時は当主でなく、しかも、初陣であったその者は貴種でこそ無いものの、エシュケル家に伝わる万雷と呼ばれる魔法により一撃で数百の兵を死に至らしめた。
「王に進言し出軍するとして、到着に何日かかる」
「早くて20日」
自身の試算とほぼ同じ。確実に間に合わない。もしマクシャを守るならと男の顔を見る。
「私と精兵だけなら、5日もあれば着くことが出来ます」
こちらの思考を先回りし男が応える。相変わらずの生気のない目。この優秀な部下は遂にその目に光を宿すことが無かった。
「しかし、王の裁可を待つ時間はありません」
それは事実だ、5日で着けるとは言え、10日で陥落するものを僅かな兵で20日に伸ばすのであれば一刻も早く着く必要があるだろう。
「だが、王が出軍を許すとは限らない」
ゼルミア砦でも交戦中である以上、マクシャを見捨てる可能性も大いにある。その場合は、犬死になる可能性が高い。
「承知しています」
「お前を死なせる気は毛頭ない。もし王が出軍を許さない場合は伝令をやる。その時はすぐに撤退するのだぞ」
これまでに何があったのか、どうもこの男は自身の命を軽く見がちだ。ここぞとばかりに釘を刺しておく。
「そちらも承知してます」
口元にぎこちない笑みを浮かべ、男は答えた。
マクシャに本隊が着いたのは、最後に男と会ってから2月を過ぎた頃だった。マクシャに掲げられている旗にはエシュケル家の紋章が編み込まれている。ゼルミア砦の戦いが激化し、マクシャへの援軍は遅れに遅れた。
「あやつは生きてはおらんだろうな」
サヴァルは遠目にマクシャをみて、溜息をつく。報によればエシュケル卿と男は何度となく戦い、最終的には将兵と民の命と引き換えに男がエシュケル卿に降ることで戦いは終わったという。満身創痍の伝令は涙を浮かべながらそう語っていた。街につくまでに合流した敗軍の兵たちの惨状はあまりに酷い。
「今頃来たのか、あの男の言うことも満更ではないか」
街を囲む防壁の上には長い髪の女性。石で造られた防壁には焼け焦げた跡、打ち捨てられた鎧が辺りに転がっている。
「エシュケル卿とお見受けする」
護衛の静止を振り切り正対する。女は鼻で笑う。戦装束を纏った美しい女だった。今代のエシュケル卿は女、そう聞いている。
「その通りだが、如何した」
女の左右では兵がその弓をサヴァルに向けている。
「我が部下の骸、返して頂きに参った」
サヴァルなりの宣戦布告。サヴァルの声に口元に手を当て女は笑う。女の笑い声だけが暫くの間辺りに響く。
「アレは私の戦利品だ、欲しければ奪い返してみろ」
手が天上に向かって伸ばされる。大気が震え、無数の光の塊が空に浮かぶ。
『万雷』
その単語がサヴァルの脳裏によぎる。エシュケルの得意とする魔法。辺り一面を覆い尽くす魔法の雷の噂。
御使いのみに許される神の御業
「サヴァル様、お下がりを」
頭上から降り注ぐ雷の中、部下の声がどこか遠くから聞こえた。
その戦いは惨敗だった。
そして、あの男が生きており、後にマクシャ辺境伯として敵となることをこの時はまだ誰も知らなかった。
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