The Doomsday

Sagami

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Ox Head

5:獣道4

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これは無理だ。

ハミルは吹き飛ばされながら、どこか人事のように赤い空を見ている。血が目に入り、視界の全てが赤い。爪で抉られた腹が疼く。地面にぶつかり、砂利が傷に辺り、痛みに顔が引きつる。
狼の獣人、人狼ワーウルフそういう生き物がいるのは知っていた。だけど、まさか僕が戦う事になるとは。槍はもう無く、媒介も残ってない、体力も無ければ精神力も残っていない。指一本動かす余力も無い。
「お前さん、意外に強かったよ」
人狼と化したハヌがその大きな口を開き笑う。掛け値なしの賞賛、口元に牙が見える。腕を回し感触を確かめている、僅かな切り傷、僕の最後の攻撃の名残。
「だが、魔法使い相手でも戦える事が判ったのは大きな収穫だ」
獣と化した顔に、無邪気な笑みが浮かんだように思う。
「安心しろ、俺たちは無駄に殺すことは無い。殺した生き物はしっかりと頂く」
大きな顎がゆっくりと迫ってくる。



街道を1人レフィは歩いている。その背には大きな荷袋が3つ背負われている。
「ふぅ、シロウに任せていたがこれは中々の重労働だな」
街道沿いの切り株に座り息をつく、狼の咆哮が聞こえ少しの時間が経っている。水袋に口をつけ、一気に飲む。生温い水が体に染みていく
「おや、レフィーア様ですか」
顔を上げる、どこかで見た気がする。
「どこかでお会いしただろうか」
水袋を荷袋に戻し、女性を見る。どこかで見たことがあるのは確かだが、決定的な違和感がある。
「洗礼の際に」
女性は穏やかな笑みを浮かべる。
「マーシャ神官長か、申し訳ない神官服のイメージが強すぎて」
咄嗟に嘘をついてしまう。記憶の中の顔と目の前の女性の顔が一致するが、服以前に何か雰囲気が決定的に違っている。
「よく言われます、神殿外だとまるで別人だって」
マーシャは慣れているのだろう、困ったような笑みを浮かべる。
「お1人ですか」
「いや、従者の1人と南に向かっているところだ」
首を振り答える。辺りをマーシャが見回す。
「南にですか、最近野盗が増えているという話なので、お勧めは出来ませんね」
南から、獣の咆哮が聞こえる。
「あと、獣も出るようですし」
マーシャの顔に影が過ぎる。
「そのようだな」
やれやれと、諦めに似た表情をレフィはする。
「長居をする予定は今のところない。父への土産を買ったら、そのまま帰国する予定だ」
仮想敵国とはいえ、今の状況で不審がられるのは余り良くない。素直にこの旅の予定を伝える。
「辺境伯様にですか」
意外に父は有名なのだろうか。新鮮な驚きがある。家門の当主である母はともかく、父の事に触れる人間が思いのほか多い。
あのマルバス皇子でさえ、私に父への伝言を預けてさえいる。
「父を知って」
「ええ、辺境伯様は元々は皇国の出ですから」
初めて知った、もしかすると会ったことはないが父方の祖父母は皇国にいるのかもしれない。帰国後に父を問い詰めよう、そんな決心をする。
「それはそうとして、従者の方は中々戻ってきませんね」
辺りを見回す、近くに人の気配は無い。
「それの事なら、先に村に向かって土産のワインを選んでもらっている」
「そう、ですか」
2人の視線が南に向く。獣の咆哮がまた1度聞こえた。



「そこの人、聞いていいか。ワインはどこで買えばいい」
血の臭いの立ち込めるブドウ畑に、不似合いな言葉が流れる。ハヌは怪訝な表情を浮かべ声の方を向く。少年が無造作に立っている。
「何だ、お前」
ハヌの言葉とほぼ同時に、巨漢が少年に殴りかかる。名乗りも警告もありはしない、巨漢はその図体に似合わず俊敏な動きで少年を襲う。拳圧で風が起こり、ブドウが1房、木から落ちる。
「勿体無い」
少年は地面に落ちる前にそれを日本の指で掴みとり、1粒を口に運ぶ。その様子を意に介することなく、巨漢の攻撃は止まない。殴り、蹴り、噛み付き致命の一撃を狙ったそれは紙一重で避され続ける。
「おい、ゼス遊びすぎじゃないか」
巨漢・・・ゼスが大きく後ろに飛びのく。その額には大粒の汗が浮かんでいる。
どうやら本気でやってあの少年に手玉に取られている。その事実に薄ら寒い何かを感じる。身体能力だけで言えば、ゼスはハヌより遥かに高い。
この魔法使いといい、ただの村じゃなかったのか。
舌打ちをする、目の前で少年は2粒目を指先で弄んでいる。
「もう一度聞いていいか、ワインはどこで買える」
少年は何事も無かったように問いかける。
「この状況、あんたは何も思わないのか」
軽くハミルを足蹴にする、一瞬体が痙攣し血を吐き呻き声を上げる。その頭に足をのせる。
「痛そうだとは思うな」
肩を竦める。どこまでこの少年は本気なのだろうか。人間は同族意識が薄い個体もいるという、この少年はそれなのだろうか。
ゼスが吼える、その体が人熊ワーベアに替わっていく。獣化したゼスの姿を見るのはまだ2度目だ。先と違うのは、むやみに攻撃をしていないということ。
ゼスが力押しを躊躇する。それだけでも本能が危険信号を発している。
「こいつを助けに来たのか」
本能を理性で押さえ込む、俺たちはただの獣ではないという自負がある。
「いや、違う。そもそもの話だが今この村に来たところだ。つまり、どういう理由で戦ってるかもさっぱりだ」
魔法使いと俺、そしてゼスと狼たちを順番に見る。面倒ごとに巻き込まれた、そんな表情。それはこちらがするべき表情ではないのかと抗議をしたくなる。
「手は出さないと?」
願望を問う。男は口元を少し歪める。
「そのつもりだったが、これは『正当防衛』でいいんだよな」
ゼスが再び吼え、少年へと駆け出す。あれはダメだ、俺たちにとって良くないものだ、危険信号が大音量で流れている。手助けに向かうべく体の向きを変える。
「どこに足を乗せてるんだ、お前」
冷ややかな声が背後から聞こえる。咄嗟に体を捻りながら飛び下がる。さっきまでいた場所を土色の短剣が通過する。ゆっくりと歩いてくるローブを着た男の姿。いつのまにもう1人。短剣は宙で砂に替わり、風に流れていく。おそらくは魔法で作ったであろう短剣か。
「少しまってろ」
男の声と共に、ブドウの蔓が足元を覆う。短刀といいこれといい、確実に魔法使いだな。力任せに蔓を引きちぎり、男に襲い掛かる。視界の片隅にゼスが映る、ゼスもまたこういう気分だったのだろうか。
絶対的な力の差を感じた時、俺たちに出来るのは所詮、逃げるか闇雲に攻撃するしかない。ハヌの攻撃が土の壁に阻まれる。1発、2発と全力で殴るが、壁はびくともしない。
「まったく、修行が足りんな、我が弟子よ」
ぼろ雑巾のようになったハミルをルーザスが抱きかかえる。ハミルの口元から血が流れる。
「あなたが、禄に魔法を教えてくれないからですよ。先生」
掠れ掠れの声にルーザスは苦笑を浮かべた。



「これは不味いかもしれないわね」
エイダは小高い丘の上から、同志の戦いを見つめていた。
「2人は戦いに負けると思うか」
「ええ」
エイダは即答する、ハヌとゼスは優秀な戦士ではあるが、所詮獣人の中の平均の域から離れるほどの実力は無い。
「頼めるか、まだ2人を失うべき時ではない」
痩せた男は、静かに告げる。
「本当は、今日位は休みたかったのだけど」
苦笑を浮かべ、小高い丘をゆっくり歩き始める。長い髪が風に揺れる。



赤い世界、意識が途切れそうになる、意識を繋ぎとめ、残り少ない魔力で自身の命を永らえる。意識が途切れればすぐにこの体は生命活動を停止するだろう。
視界の片隅に、見知らぬ少年が映る。
「そこの人、聞いていいか。ワインはどこで買えばいい」
あまりに場違いな問いに、思わずむせて血が食道を逆流する。出来れば助けてくれると嬉しい、だが、とりあえずは逃げろ。その思いを言葉に出来るほどの体力が残っていない。
「何だ、お前」
獣人の攻撃が止まる。一瞬の延命。先ほどまで僕とあの獣人の戦いを静観していた巨漢が少年に殴りかかる。こちらの獣人より、遥かに早い。
どちらにしろ、僕は助からなかったか
瞼が重い。意識が飛ぶ。
「この状況、あんたは何も思わないのか」
獣人に足蹴にされ、痛みで意識が一瞬戻る。頭に足を乗せて暢気に話すな。視界の片隅では、少年がブドウを食べている。
それは、うちのブドウ園のブドウだ
抗議の声を上げる余力も無い。意識が途切れる感覚が短くなっている。
「まったく、修行が足りんな、我が弟子よ」
体が温かい、待ちわびた声が聞こえる。流石は先生だ、祝詞なしでこんな死にかけの体に命を繋ぎとめることが出来るとは。
「あなたが、禄に魔法を教えてくれないからですよ。先生」
体は痛い、全身が悲鳴を上げている。けれどこの文句だけは言わずにはいられなかった。なんとか瞼を開けると、師の困ったような笑みが視界に映った。
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