没落令嬢の華麗なる狂詩曲 〜奴隷堕ちした令嬢がハーレムを築くまでの軌跡〜

中原星道

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第一幕 黄昏のエイレンヌ

第8話 奴隷令嬢と領主夫人

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 家令の後ろについてやって来たのは、館の二階の最奥にある部屋。ここが奥方の――領主夫人の部屋だ。

 領主は一年の大半を王国首都での勤めに費やしているため、この館の主は実質奥方である。

 鮮やかなアラベスク模様の施された扉の前に立つと、

「奥方様。ララさんを連れて参りました」

 家令が中にいる主に向けて告げる。

「お入りください」

 艶のある声が返ると家令は、失礼しますと言って扉を開ける。
 そのとたんに、正面の大窓から降り注ぐ陽光がララのまぶたに焼きつく。

「さあ、お入りになって」
「……ええ」

 家令にうながされ、ララは先に室内へと足を踏み入れた。

 刹那、ふわりと甘い麝香じゃこうの香りが鼻をくすぐる。

「失礼しますわ」

 ララはゆっくりと歩きながら、横目で室内を流し見る。

 天蓋てんがい付きの大きなベッドに、木彫り細工のタンス。
 茶色のシックなテーブルが中央に鎮座し、そこで豊潤な栗色の髪に切れ長の目と高く突き上がった鼻を備え、豊満なバストを腕で寄せ上げながら優雅に紅茶の入ったカップを口に含んでいる若い女性が椅子に座している。

「よく来てくださいました」

 その女性は――奥方はララを見て和かな笑みで言った。

「貴女は下がっていいわ。また何かあればお呼びします」

 奥方が家令に告げると、彼女はうやうやしく頭を下げ、その場を後にした。

「お聞きしましたよ。アナタ、献上品の果物を盗み食いしたんですって?」

 部屋の中ほどで佇んでいると、不意に奥方が先制攻撃をするように少女の弱みを突く。

「お恥ずかしい限りですわ……」
「フフフ、おもしろいお方」

 何の言い訳もせず己の非を恥じるその姿を見て、奥方は罪を責めることもなくただ笑う。
 そしてカップを置いてからスッと立ち上がり、

「改めまして。私はパメラと申します」

 スカートの裾を摘み上げて膝を折り、優雅に名乗った。

「ご丁寧な挨拶、痛み入りますわ。改めまして、わたくしは――」

 ここで少女は一瞬迷い、

「……ララと申します」

 少し間を置いてそう名乗った。

「……やはりアナタはただ者ではない気品を備えておりますね。それこそ、一朝一夕では決して得られない、本物の貴族の責務ノブレス・オブリージュを」

 まるで品定めをするかのように目を凝らしながら、パメラは思惟しいにふける。

 ――やめて! わたくしは、そんな高尚な人間ではありませんわ!!

 ララはそう叫びたいのを必死にこらえ、

「気のせいですわ。わたくしはただの奴隷女中メイドですもの」

 そっけなく答えた。

「では、奴隷になる以前は何をなさっていたの?」
「人間ですわ」
「お生まれはどちら?」
「この世ですわ」

 その後の追及も強引にかわすのだった。

 そして、しばらくの間睨み合いのような静寂の時が続いた後、

「……とてもまっすぐなお方。アナタになら任せても大丈夫そうね」

 まるでひとり言のようにパメラはつぶやいた。

「何のことですの?」
「実はアナタにお頼みしたいことがございます」
「頼み? わたくしに?」

 首をかしげるララに、パメラは真剣な眼差しを向けて話を続ける。

「はい。私にはひとり息子がおります。もちろん、旦那様との子です」
「はぁ……」
「まだ八歳の幼い子ですが、アナタにはぜひ息子の従者を努めていただきたいのです」
「はぁ…………はぁぁぁ!?」

 予想だにしなかった頼み事に、少女は思わず大きな声を上げてしまう。

「従者といってもそんな堅く考えず、ただ息子の話し相手になって欲しいのです」
「いきなりそのようなことを申されましても……」

 困惑を隠せないララは、

「息子って、男ですわよね?」
「息子ですから、当然男です」
「ムリですわッ! わたくし、男が大ッッッキライですのッッッ!!!」

 その後も拒絶の叫びを上げ続ける。

「男といっても、まだ八歳ですよ?」
「八歳でも男は男! いずれケダモノと化して女を慰み者にするんですわ……。ああ、おぞましい!」
「何やら複雑な事情がおありのようですね……」

 尋常ではない男への嫌悪感を示しかたくなに拒む少女に苦笑しながらも、

「ですがララさん。アナタは果物を盗み食いしましたよね?」

 的確に弱みを突くパメラ。

「そ、それは……」
「はぁ……わざわざヴァレリアから取り寄せた柘榴ざくろ、とても楽しみにしていたのに」
「うぅぅ……」

 ネチネチとした精神攻撃で痛ぶられたララは、

「わ、わかりましたわ! やりますわ、従者。やらせていただきます!!」

 ついに観念するのだった。

「まあ、していただいて嬉しいわ」

 パメラはいたずらっぽく舌を出して笑う。

「……ですが、本当にわたくしでよろしいんですの?」

 不意にララは真剣な面持ちで問う。

「わたくしは……エリクを殺害した。正当防衛だったとはいえ、人殺しに違いありませんのに」
「……そうですね。エリクのことは残念ですが、それは不幸な事故です」
「事故?」

 仮にも義理の子という近しい存在の悲惨な最期をと言い放つ冷酷さに、少女は不審を拭えない。

 そんな彼女をよそに、パメラは滔々とうとうと語り出す。

「エリクは前妻の子で、彼はわずか五歳の時にその母を病で亡くしたそうですが、そのころからエリクの暴力的な言動が始まったそうです。旦那様はお忙しい方ですから彼の面倒は家令や女中メイドが」努めていたのですが、とにかく手に負えなかったと言っておりました」

 ――そういえばあの時……

『はは……うえ……』

 少女はふと、エリクが死の間際につぶやいた言葉を思い出す。
 そして、恐らく彼にとって唯一心を許せる存在が母であり、それを失ったことで彼の中で何かが壊れ、自暴自棄になってしまったのではないか、と想像する。

「私は十年前に後妻として嫁いで参りましたが、私も当時十歳ほどだったエリクに口酷くののしられたものです。薄汚い娼婦、淫売女、性病持ち……挙げたらきりがありません」
「後妻を認めたくない気持ちはわからないでもありませんが、それにしても酷い偏見ですわね」
「まあ、それも仕方ありません。実際、私は娼婦だったのですから」
「そうだったんですの?」

 ララの問いにパメラは視線を窓の方に向け、小さくうなずく。
 
「……前妻を亡くした悲しみを慰めるためだったのでしょう。旦那様は偶然店にいらして私を指名してくださいました。私はその時思ったのです。このチャンスを絶対にモノにするのだ、と」
「チャンス?」
「ええ。貧民街で生まれ育った私は、子供のころ窃盗や売春でその日その日を食い繋いでおりました。とても惨めでした……。泥水をすする生活をしてきた私が娼館に来て、ようやく這い上がれるチャンスを得たのです。領主様に気に入られてその妻になるという、千載一遇のチャンスを!」

 パメラは力強く語るとそこでひと息吐き、ララの方へ向き直る。

「結果、私はそのチャンスをモノにできました。正に灰色の運命に打ち勝った瞬間でした。だから……だからこそ私はせっかく掴んだこの幸運を絶対に失いたくない。誰にも邪魔されたくない。だから私、アナタには感謝しているんです。アナタがエリクを殺害してくれたから……。これで私の子が跡を継げるから……」
「パメラさん……」

 ララは複雑な思いでそれを聞いていた。

『お前たちも俺をいらない者扱いすんのかよォッッッ!!!』

 かつてエリクが発したそれは、正しく心の叫びだったのかもしれない。
 そしてふと思う。
 誰にも愛されず、誰も愛せない男のその哀しき過去は、充分に同情の余地があるのではないか、と。

 ――いいえ、違う!

 しかし少女はそんな考えを瞬時に捨て去った。

 エリクはミレーヌを凌辱した。他にも、町の人に多大な迷惑を及ぼした。それは決して許されることではない。
 
 たとえいかなる理由があろうとも、たとえ自分ではどうにもできない事象に苦しめられたとしても、それはあくまでもその者個人の問題であり、その者の素行や振る舞い、過ちと決して結びつけてはならない。
 正当防衛ならまだしも、過ちを犯したという結果が個人の事情を差し挟むことによって歪められるようなことがあっては決してならないのだ。

「こんな私を……アナタはきっと軽蔑なさるでしょうね。でも、私はどれほど軽蔑されても構いません。ですが、あの子だけは護りたいのです。私の幸せの象徴である、あの子だけは……」

 パメラはようやく落ち着いたように深呼吸をする。
 ララはしばらくの沈黙の後、静かに語り出す。

「娼婦であることが軽蔑の対象であるとおっしゃるのなら、奴隷であるわたくしも軽蔑の対象になりますわ。男がその特性である力をもって女より優位に立っているというのに、女が女の武器を使って成り上がることの一体どこに恥じるべき汚点があるのでしょう? 与えられた性差は決して抗うことはできませんが、その中でどのように生きるかは千差万別であり、それは決して批難されるべきものではありませんわ」

 少女はここでひと呼吸置いてから、

「パメラさんはどのような悲惨な状況にあっても決して腐らず、自分を見失わず、常に光を求めて抗い続けたとてもお強い方。わたくしはアナタを尊敬しますわ」

 気高き夫人の瞳をまっすぐに見据え、そう言った。

「ララさん……」

 その言葉にパメラは思わず胸を打たれ、やはり彼女に頼んだのは間違いではなかったと確信した。

「ならば私も、アナタが人を殺めたという事実を含めて、アナタを信じて私の希望を託します」

 パメラはそう言ってタンスのある方へ顔を向け、
 
「ジョエル、出てらっしゃい!」

 そう呼びかける。

「はい、母上!」

 すると、そちらの方角から快活な返事が発せられ、タンスと壁の間にあるわずかな隙間からひとりの子供が姿を現すのだった。

 ――あんなところにいたなんて……まったく気づきませんでしたわ

 ララは驚きと共に、彼にはかくれんぼの才能があると感嘆するのだった。

 
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