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チャプター2 千本木しほり
6項 さくら、頼まれる ~Hなし
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「ひだまりの家」──
児童養護施設とはいうものの、そこは広い庭のあるごく普通の2階建ての一軒家だった。
そこには中学生の少年がひとりと、小学生の少年少女が2名ずつの計5人が入所している。
「でも、まさかナツミを見つけてくれたのがさくらちゃんだったなんて、ホントにスゴい偶然だわ~」
しほりセンパイが冷たいお茶の入ったグラスを用意してくれて、ワタシの前に置く。
「しほり姉ちゃんの知り合いなんだってな? どういう関係なんだ?」
他の子供たちの相手をしながら、ソウタくんが訊ねる。
「さくらちゃんは私のアパートのお隣りさんでとても仲良しなの。ね?」
「え?」
ワタシはその説明に思わず首をかしげてしまう。
ワタシたちの関係性を表すのに適切なのは、「同じ仕事仲間」のはずなのだから。
「ね?」
まるで圧をかけるように訊ねるしほりさんは、さかんにワタシに目配せをしてくる。
──ああ、そうか!
しほりセンパイは自分の仕事のことを──セックスアイドルをしていることをここの人たちには内緒にしているのだと、ようやく理解した。
「そうなんですよ! 初めての都会暮らしで心細かったんですけど、しほりセン……しほりさんとは歳の近い女性同士仲良くさせてもらってます」
ワタシは空気を読んでそう答える。
「ふぅん、そうなんだ……」
なぜかソウタくんは試すような探るような鋭い眼差しでワタシを凝視する。
「アア、オチャオイシイ」
ワタシはお茶を口に含んでそう言うけど、プレッシャーに圧されてなぜか片言になってしまう。
「こちらの方ですか? ナツミちゃんを保護してくださったのは」
その時、50代くらいのメガネをかけた女性が現れる。
「そうなんです。水地さくらさんといって私のお友達なんです」
「あら、そうだったの」
しほりセンパイの言葉にその女性は顔をほころばせ、
「水地さん、本当にありがとうございました」
深々と頭を下げる。
「い、いいえ、そんな大したことはしてませんので!」
ワタシは思わず恐縮してしまう。
「私はこの施設を運営しております、陽崎と申します。何もおもてなしできませんが、どうかゆっくりとおくつろぎください」
陽崎と名乗ったその女性は子供たちに向かい、
「あなたたち、宿題とかはいいの? 私はお姉さんとお話しがしたいから部屋に戻ってなさい」
そう告げる。
はーい、と言って5人の子供たちはそろって2階へと上がってゆく。
「しほりちゃん。今、お茶受けを切らしてしまってるの。申し訳ないんだけど何か買ってきてもらえるかしら?」
「はい、わかりました」
陽崎さんの言葉にはつらつと答えるしほりセンパイ。
「あの、充分くつろいでおりますので、そこまで気をつかわないでください」
立ち上がり、そう訴えると、
「いいのよ。私たちがそうしたいの。だからさくらちゃんは気にしないで」
しほりセンパイはそれを制するようにワタシにウインクして、部屋を後にした。
「……しほりちゃん、良い子でしょう?」
不意にポツリともらす陽崎さん。
「たぶんあの子、話してないと思うけど、ここの出身なんです。6歳の時にご両親に不幸があって、その時に私が引き取ったんです」
「そうだったんですか……」
いつも明るくて優しいしほりセンパイにそんなくらい過去があったなんて知らなかった。
「それから12年間、あの子はお姉さんとして他の子供たちの面倒を率先して見てくれたり、家事の手伝いをしてくれたり、本当の姉のようにみんなと接してました……」
やがて陽崎さんは浮かない顔をしてうつむくと、
「それなのに私は、あの子にさらなる苦役を押しつけてしまった……。私が愚かだったばかりに……」
まるで罪の告白をするように言うのだった。
「一体何があったんですか?」
ただごとでは無さそうなその言葉に、ワタシはすぐに訊ねる。
「……4年前くらいから、地上げ屋がここの土地の買収話を持ちかけてきました。私はもちろん、断りました。ここは元々亡くなった夫の土地で、共に児童養護施設を運営しようという目的を持って今までやって来たのですから。しかし、それからでした。この施設への寄付金がぱったりと途絶えたのは」
彼女は鬱屈とした面持ちで語った。
ワタシは地上げだとか施設運営だとかは無知なのですぐに理解することはできなかったけど、その表情がすべてを体現しているように思えた。
「それでも、公費がありますので、子供たちが最低限の生活を送ることは可能です。ですが、寄付金などの支援が無ければ子供たちを遊園地に連れてゆくことも出来ない。誕生日を大々的に祝ってあげることも出来ない。ほんの小さな楽しみさえ与えてあげることが出来ないのです……」
「寄付金が止まってしまった理由って……?」
「地上げ屋と裏で繋がっているヤクザからの脅しです……」
口惜しそうに目を閉じて、陽崎さんはうなるようにつぶやいた。
やっぱりそうか、とワタシは得心がいった。
土地が欲しいがために、そのヤクザたちは児童養護施設の資金源を断ち、真綿で首を絞めるようにジワジワと痛ぶっているのだ。
「完全に追いつめられた私は、借金をしました。ですが、返せるあても無いこの施設に融資してくれるところは無く、貸してくれたのはただひとつだけでしだ。しかし、あろうことか、その金融機関こそがこの土地を狙う地上げ屋そのものだったんです……」
「そんなッ!」
たしかにここは都心の一等地だし、交通の便も悪くない。
しかし、だからといって目的のためにここまでするのか、とワタシは畏怖する。
「借用書は書き換えられ、私は膨大な利息を背負うことになりました。しほりちゃんはそれを知ると、高校を卒業して就職してからずっと、ここに寄付金を入れてくれたんです。毎月10万単位で。今では100万も。……私はそれを断りきれませんでした。今いる子供たちを守るために、あの子に甘えてしまったのです」
陽崎さんは涙ぐんだ声でそう語った。
それを聞いたワタシは、しほりセンパイが仕事に──お金にこだわる理由がようやくわかった。
この児童養護施設を──彼女が拾われて育った「ひだまりの家」を守るためだったんだ。
「さくらさん。しほりちゃんの友達であるアナタにお願いがあります。どうか、あの子にこれ以上無理をしないよう伝えてください。そしてこれからは、自分の幸せだけを考えて生きてくれるように、と……」
「陽崎さん……」
彼女はワタシの手を握り、涙ながらに懇願する。
「わかりました。ワタシも、しほりさんにはこれ以上ムリして欲しくないので、必ず伝えます」
ワタシは微笑みと共にそう告げた。
「お待たせしました」
その時、お茶受けを買いに出ていたしほりセンパイが戻って来る。
「ありがとうね、しほりちゃん」
陽崎さんはすぐに元の温和な面持ちに戻り、彼女を迎える。
その後、ワタシたちは3人でたわいもない雑談を楽しんだのだった。
その途中、ワタシは席を外してトイレへと向かう。
そして、小用を終えてトイレから出た時だった──
「なあ、姉ちゃん」
背後から突然声をかけられ、ワタシはビクリと体を震わせて驚いてしまう。
振り返るとそこにいたのはソウタくんだった。
「な、なんだ、ソウタくんか……。何?」
「しほり姉ちゃんさ、ちゃんとキャビンアテンダントの仕事やれてんのか?」
「キャビンアテンダント?」
ワタシは思わず聞き返してしまう。
「なんだ、聞いてないのか? 友達なんだろ?」
彼は怪訝そうな顔を向ける。
──そうか、しほりセンパイはここのヒトたちにはそう伝えているんだ。
そう悟ったワタシは、
「ああ、そうそう、キャビンアテンダント。聞いてるよ。しほりさん、すごく頑張ってるみたいだよ」
適当な嘘を並べるのだった。
「……そっか」
彼はそれだけ言い残すし、さっさと階段を上って行ってしまった。
──何だったんだろう?
彼がなぜそれを聞いたのかその真意が読めず、ワタシは首をかしげるのだった。
児童養護施設とはいうものの、そこは広い庭のあるごく普通の2階建ての一軒家だった。
そこには中学生の少年がひとりと、小学生の少年少女が2名ずつの計5人が入所している。
「でも、まさかナツミを見つけてくれたのがさくらちゃんだったなんて、ホントにスゴい偶然だわ~」
しほりセンパイが冷たいお茶の入ったグラスを用意してくれて、ワタシの前に置く。
「しほり姉ちゃんの知り合いなんだってな? どういう関係なんだ?」
他の子供たちの相手をしながら、ソウタくんが訊ねる。
「さくらちゃんは私のアパートのお隣りさんでとても仲良しなの。ね?」
「え?」
ワタシはその説明に思わず首をかしげてしまう。
ワタシたちの関係性を表すのに適切なのは、「同じ仕事仲間」のはずなのだから。
「ね?」
まるで圧をかけるように訊ねるしほりさんは、さかんにワタシに目配せをしてくる。
──ああ、そうか!
しほりセンパイは自分の仕事のことを──セックスアイドルをしていることをここの人たちには内緒にしているのだと、ようやく理解した。
「そうなんですよ! 初めての都会暮らしで心細かったんですけど、しほりセン……しほりさんとは歳の近い女性同士仲良くさせてもらってます」
ワタシは空気を読んでそう答える。
「ふぅん、そうなんだ……」
なぜかソウタくんは試すような探るような鋭い眼差しでワタシを凝視する。
「アア、オチャオイシイ」
ワタシはお茶を口に含んでそう言うけど、プレッシャーに圧されてなぜか片言になってしまう。
「こちらの方ですか? ナツミちゃんを保護してくださったのは」
その時、50代くらいのメガネをかけた女性が現れる。
「そうなんです。水地さくらさんといって私のお友達なんです」
「あら、そうだったの」
しほりセンパイの言葉にその女性は顔をほころばせ、
「水地さん、本当にありがとうございました」
深々と頭を下げる。
「い、いいえ、そんな大したことはしてませんので!」
ワタシは思わず恐縮してしまう。
「私はこの施設を運営しております、陽崎と申します。何もおもてなしできませんが、どうかゆっくりとおくつろぎください」
陽崎と名乗ったその女性は子供たちに向かい、
「あなたたち、宿題とかはいいの? 私はお姉さんとお話しがしたいから部屋に戻ってなさい」
そう告げる。
はーい、と言って5人の子供たちはそろって2階へと上がってゆく。
「しほりちゃん。今、お茶受けを切らしてしまってるの。申し訳ないんだけど何か買ってきてもらえるかしら?」
「はい、わかりました」
陽崎さんの言葉にはつらつと答えるしほりセンパイ。
「あの、充分くつろいでおりますので、そこまで気をつかわないでください」
立ち上がり、そう訴えると、
「いいのよ。私たちがそうしたいの。だからさくらちゃんは気にしないで」
しほりセンパイはそれを制するようにワタシにウインクして、部屋を後にした。
「……しほりちゃん、良い子でしょう?」
不意にポツリともらす陽崎さん。
「たぶんあの子、話してないと思うけど、ここの出身なんです。6歳の時にご両親に不幸があって、その時に私が引き取ったんです」
「そうだったんですか……」
いつも明るくて優しいしほりセンパイにそんなくらい過去があったなんて知らなかった。
「それから12年間、あの子はお姉さんとして他の子供たちの面倒を率先して見てくれたり、家事の手伝いをしてくれたり、本当の姉のようにみんなと接してました……」
やがて陽崎さんは浮かない顔をしてうつむくと、
「それなのに私は、あの子にさらなる苦役を押しつけてしまった……。私が愚かだったばかりに……」
まるで罪の告白をするように言うのだった。
「一体何があったんですか?」
ただごとでは無さそうなその言葉に、ワタシはすぐに訊ねる。
「……4年前くらいから、地上げ屋がここの土地の買収話を持ちかけてきました。私はもちろん、断りました。ここは元々亡くなった夫の土地で、共に児童養護施設を運営しようという目的を持って今までやって来たのですから。しかし、それからでした。この施設への寄付金がぱったりと途絶えたのは」
彼女は鬱屈とした面持ちで語った。
ワタシは地上げだとか施設運営だとかは無知なのですぐに理解することはできなかったけど、その表情がすべてを体現しているように思えた。
「それでも、公費がありますので、子供たちが最低限の生活を送ることは可能です。ですが、寄付金などの支援が無ければ子供たちを遊園地に連れてゆくことも出来ない。誕生日を大々的に祝ってあげることも出来ない。ほんの小さな楽しみさえ与えてあげることが出来ないのです……」
「寄付金が止まってしまった理由って……?」
「地上げ屋と裏で繋がっているヤクザからの脅しです……」
口惜しそうに目を閉じて、陽崎さんはうなるようにつぶやいた。
やっぱりそうか、とワタシは得心がいった。
土地が欲しいがために、そのヤクザたちは児童養護施設の資金源を断ち、真綿で首を絞めるようにジワジワと痛ぶっているのだ。
「完全に追いつめられた私は、借金をしました。ですが、返せるあても無いこの施設に融資してくれるところは無く、貸してくれたのはただひとつだけでしだ。しかし、あろうことか、その金融機関こそがこの土地を狙う地上げ屋そのものだったんです……」
「そんなッ!」
たしかにここは都心の一等地だし、交通の便も悪くない。
しかし、だからといって目的のためにここまでするのか、とワタシは畏怖する。
「借用書は書き換えられ、私は膨大な利息を背負うことになりました。しほりちゃんはそれを知ると、高校を卒業して就職してからずっと、ここに寄付金を入れてくれたんです。毎月10万単位で。今では100万も。……私はそれを断りきれませんでした。今いる子供たちを守るために、あの子に甘えてしまったのです」
陽崎さんは涙ぐんだ声でそう語った。
それを聞いたワタシは、しほりセンパイが仕事に──お金にこだわる理由がようやくわかった。
この児童養護施設を──彼女が拾われて育った「ひだまりの家」を守るためだったんだ。
「さくらさん。しほりちゃんの友達であるアナタにお願いがあります。どうか、あの子にこれ以上無理をしないよう伝えてください。そしてこれからは、自分の幸せだけを考えて生きてくれるように、と……」
「陽崎さん……」
彼女はワタシの手を握り、涙ながらに懇願する。
「わかりました。ワタシも、しほりさんにはこれ以上ムリして欲しくないので、必ず伝えます」
ワタシは微笑みと共にそう告げた。
「お待たせしました」
その時、お茶受けを買いに出ていたしほりセンパイが戻って来る。
「ありがとうね、しほりちゃん」
陽崎さんはすぐに元の温和な面持ちに戻り、彼女を迎える。
その後、ワタシたちは3人でたわいもない雑談を楽しんだのだった。
その途中、ワタシは席を外してトイレへと向かう。
そして、小用を終えてトイレから出た時だった──
「なあ、姉ちゃん」
背後から突然声をかけられ、ワタシはビクリと体を震わせて驚いてしまう。
振り返るとそこにいたのはソウタくんだった。
「な、なんだ、ソウタくんか……。何?」
「しほり姉ちゃんさ、ちゃんとキャビンアテンダントの仕事やれてんのか?」
「キャビンアテンダント?」
ワタシは思わず聞き返してしまう。
「なんだ、聞いてないのか? 友達なんだろ?」
彼は怪訝そうな顔を向ける。
──そうか、しほりセンパイはここのヒトたちにはそう伝えているんだ。
そう悟ったワタシは、
「ああ、そうそう、キャビンアテンダント。聞いてるよ。しほりさん、すごく頑張ってるみたいだよ」
適当な嘘を並べるのだった。
「……そっか」
彼はそれだけ言い残すし、さっさと階段を上って行ってしまった。
──何だったんだろう?
彼がなぜそれを聞いたのかその真意が読めず、ワタシは首をかしげるのだった。
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