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チャプター1 水地さくら

8項 さくら、遊ぶ ~Hなし

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 俺は水池みずちさんの部屋の前で逡巡しゅんじゅんしていた。

 結局彼女は昨日部屋の中に閉じこもったきりで、何度も呼びかけたが1度も出てくることは無かった。

 原因はやはり、撮影会参加者のコメントと撮影会の動画。そして、俺が放った余計なひと言がトドメとなったのだろう。

『ごめんなさい。あたしが余計な話をしちゃったせいでさくらちゃん、自分を見失っちゃったみたい』

 昨日、撮影会の動画ファイルを受け取った時、鳴瀬なるせさんは俺にそう言った。聞けば鳴瀬なるせさんは水池みずちさんに姫神ひめがみアンジェの話をしたらしく、どうやらそれがトリガーとなって水池みずちさんは姫神ひめがみアンジェになりきろうとしていたのだ。

 もちろん、鳴瀬なるせさんは何も悪くない。

 思い返してみればあの日の水池みずちさんは、仕事に行く時はあんなに緊張していたのに、いざお客様を迎える段階で妙に自信に満ち満ちていた。

 ──気づいた時、すぐに彼女と話をすれば良かったんだ……。

 いまさらそんなことを考えたところで後の祭りだ。

 そういえば宣伝素材撮影の後、社長は俺にこう言っていた。

『あのコはアタシたちが思っているよりも相当深い闇をかかえているぞ。それを取り除いてやらない限り、あのコが大成することはまず無いだろうな』

 深い闇──

 それはもしかすると、彼女がかたくなに語ろうとしないセックスアイドルへの志望動機と何か関係しているのかも知れない。

 俺はそれを知りながら──彼女と面と向かって話すことをしなかった。

 年ごろの女の子がこんな無愛想な男といても楽しくないだろう、とか。
 他人の事情に深入りすべきではない、とか。
 仕事が忙しいから、とか。
 さまざまな理由を言い訳にして……。

 採用を決めたのは俺なのに。
 彼女の中に何かを見出しのは、この俺なのに。

 昨日、事の経緯を社長に電話で話したらこっぴどく怒られた。
 
 当然だ。
 俺は彼女が苦しみもがいていた時に、何もしなかったのだから。

 ──プロデューサー失格だな……。

 俺は大きくため息をき、意を決して彼女部屋のチャイムを鳴らす。

 しばらく待つが、出てくる気配どころか人がいる気配すら感じられない。

「まさかッ!?」

 俺は焦燥に襲われ、すぐに部屋のマスターキーを取り出し、

「開けますよ、水池みずちさん!」

 そう声掛けしてから扉を開ける。

「……水池みずちさん?」

 そこに彼女の姿は無かった。
 服や生活用品などはそのままだが、やけに部屋がキレイに片付いている。

 ──出て行ってしまったのか?

 部屋を見回したが、置き手紙などの類いは無い。

「くそッ!」

 俺はすぐに駆け出し、事務所を後にした。

 ──どこだ!? どこに行ったんだ!?

 外に出たら俺はあても無いまま彼女を探し求めた。

 駅前──

 面接の時に利用したカフェ──

 とにかく人が集まりそうな場所──

 しかし、どこにも彼女はいなかった。

 ──他に水池みずちさんが行きそうな場所……。

 考えてみたが何ひとつ思い浮かばない。それもそうだ。
 俺は彼女のことを何ひとつ知らない、知ろうともしなかったのだから。

 ──もしかしてもう、実家に帰ったのか?

 だとしたらもう、俺には引き止めることは出来ない。

 俺は不意に気力を失い、フラフラとした足取りでさまよった。

 そして気がつくと、小さな公園の前にいた。
 それは都会の喧騒の只中にありながら、不思議なくらいの静寂に包まれた場所だった。

 ──こんなところに公園なんてあったのか……。

 何気なくそこに足を踏み入れてみると──

 ──いたッ!?

 見覚えのあるミドルボブの青い黒髪の女の子が──
 水色のワンピースを着た女の子が──

 そこにあるベンチに腰掛け、虚な視線を空へと向けていた。

 俺はゆったりとした足取りでそちらへ歩み寄る。

「ッ!?」

 その時、気配に気づいた女の子がハッと振り返る。

「……プロデューサーさん」

 その女の子は──水池みずちさんは俺の顔を見ると、驚きと困惑が入り交ざった表情を浮かべてそうつぶやいた。

水池みずちさん……」

 俺はその場に立ち止まったまま言葉を失ってしまう。

 何か声をかけなければならないのに──

 情け無いことに、次の言葉をどうしても紡ぎ出せずにいた。

 お互い気まずい雰囲気のまま沈黙が流れる。

「……ゆうべ、お母さんからメールが届いたんです」

 重苦しい空気の中最初に口を開いたのは彼女の方だった。

「『元気にしてますか?』、『ちゃんとご飯食べてますか?』って、ワタシのこと心配してくれて……。そして最後に、『つらかったらいつでも帰って来ていいよ』って……言ってくれたんです」
「……」

 俺は何も言えず、ただ彼女の話を聞いていた。

「ワタシ、わからなくなっちゃって。セックスアイドルになるために、お母さんたちに迷惑かけてまでここに来たのに……。もう、頭の中がぐちゃぐちゃになっちゃって……」

 手で顔を覆い、啾々しゅうしゅうと涙する。

 彼女は迷っているんだ──

 思えば、最初に面接をした時にも、彼女の心の中に迷いが混在しているのを感じていた。

 ──俺は、このコを導かなければならないのだ。それがプロデューサーとしての責任だ!

 だから俺は頭を下げ、

「すみませんでしたッ!!」

 彼女に謝罪する。

「えっ!?」

 彼女は困惑の面持おももちをこちらに向ける。

「俺は貴女の苦しみに気づかず、ただ仕事ばかりを押しつけ、あまつさえ貴女を傷つけてしまいました。俺はプロデューサー失格です……」
「そんな……。プロデューサーさんは悪くないです! ワタシがちゃんとできなかったから……」
水池みずちさんッ!!」

 次の刹那、俺は思わず駆け出し、彼女の肩に手を置いた。

「今はできなくてもいい! 今すぐにできようとしなくていい! 一歩ずつ、共に進んで行きませんか?」
「プロデューサーさん……」
「俺もプロデューサーとしてまだまだ未熟です。だけど……どうか、もう1度だけ俺にチャンスを与えてくれませんか? 貴女と2人でやり直すチャンスを!!」

 俺はもう1度頭を下げて彼女に懇願する。

 いまさらこんなこと言えた義理では無いのはわかっている。
 しかし、このまま別れるようなことになれば俺は必ず後悔する。

 俺はもう、あの時のような失敗は繰り返したくない。

 それからどれほどの沈黙の時が流れたのだろうか。
 ほんの数秒かも知れないし、あるいは数分かも知れない。

「……ワタシ、またプロデューサーさんに迷惑かけちゃうかも知れませんよ?」

 刹那、ようやく彼女の口から言葉が放たれる。

「構いません。それを甘んじて引き受けるのもプロデューサーの仕事です」
「ホントに……プロデューサーさんのこと、頼りにしてもいいんですか?」
「はい。今は頼り無いかも知れませんが、これからは何があろうとも貴女を護りぬく所存です」

 俺はその場にひざまずいた。
 まるで、騎士が王の前で忠誠を誓うように。

 そして彼女は俺の肩にそっと手を置いて言った。

「どうかワタシを導いてください、プロデューサーさん!」

 俺はゆっくりと顔を上げる。
 そこには年相応の笑顔をたたえた水池みずちさくらの姿があった。

「かしこまりました」

 俺はまるで生きる目的を見出したかのごとく充足感を得て、心の底から彼女を支えようと決心したのだった。


 それから俺たちは2人で都内にある遊園地へと向かった。

 俺が、行きたいところは無いか、と訊ねたところ、水池みずちさんがそれを望んだのだ。

 ジェットコースター──
 急流すべり──
 メリーゴーランド──
 アスレチックハウス──

 彼女は、幼な子のようにはしゃぎながら、それらを楽しんでいた。

 そして最後に俺たちは、大観覧車へと乗りこんだ。

「わぁ、どんどん高くなっていく!」

 貼りつくようにして外を眺める彼女。

「この大観覧車は高さ65mもあるそうですよ」
「スゴい! それじゃあ富士山とか見えますかね?」
「天気が良いので充分見れる可能性はあると思いますよ」
「わ~ぁ、楽しみ!」

 彼女はそう言って体を正面に戻してイスに座る。

「……水池みずちさん。俺はもっと貴女のことを知りたいです」

 俺は静かに語り出した。

「もっと貴女のことを理解して、その上でこれからの指針を模索していきたいのです。もしよかったら、いろいろと教えていただけますか? もちろん話せる範囲内で結構ですので」
「ワタシのこと……。わかりました」

 彼女は少し恥ずかしそうにうなずき、そして話してくれた。

 高校時代は吹奏楽部に所属していて、ユーフォニアムという中低音の金管楽器を担当していたこと──

 吹奏楽部に入ったのもユーフォニアムを担当したのも、幼いころに見たアニメの影響だったこと──

 好きな音楽はオーケストラ、ジャズ、スカ、オルタナティブ・ロックだということ──

 和洋問わず甘いものが好きだということ──

 回る観覧車の中で、俺は彼女についていろいろと聞くことが出来た。

「あ、富士山が見える!」

 再び後ろを向いてガラス窓に貼りつき、遠方にクッキリとその雄姿を覗かせる富士山を眺めながら歓喜の声を上げる。

 ──そういえば実家が静岡なんだよな……。

 もしかしたら富士山に遠い故郷の姿を重ね合わせているのかも知れない。

「……水池みずちさん。CDを出してみませんか?」

 刹那、俺は思い浮かんだ案を口にする。

「CD? ワタシが?」

 彼女はキョトンとした表情で首をかしげる。

「もちろん、無名の新人がいきなり円盤ディスクを出すのは無謀です。しかし、デジタル限定配信という形であれば曲を出すのは簡単ですし、初期費用がかなり抑えられますのでセールスをあまり気にせずに済みます」
「ホントに……ワタシが歌ってイイんですか?」
「はい。このCD発売が次のイベントへとつながる一歩となる。俺はそう信じています」

 俺は彼女の瞳をまっすぐに見すえ、是非にと訴えかける。

 そして彼女は静かにうなずき、

「わかりました。ワタシ、やってみます!」

 新たな一歩を踏み出す決心をしてくれたのだった。


 ♢


「おいおい、マサオミ。キミが困ってるようだから仕事を早く切り上げて来てやったのに、何だかイイ雰囲気じゃないかぁ?」

 事務所に戻ると、社長が不機嫌そうに腕組みをしながら出迎える。

「心配おかけしてすみませんでした、社長」

 俺は彼女に頭を下げる。
 実際、彼女は他のメンバーのマネージャー業務などで多忙を極めているのに、俺と水池みずちさんを心配してこうして駆けつけてくれたのだ。

「ふむ。まあしかし、その分だと大丈夫そうだな?」

 社長は俺に背負われながら気持ち良さそうに寝ている水池みずちさんを見て、慈愛の笑みを浮かべる。
 水池みずちさんは全然眠れてなかったのだろう。帰りの電車内ですっかり眠りこけるとまったく目を覚まさず、俺は駅からずっと彼女を背負って来たのだ。

 俺は彼女を4階の部屋へと運び、布団の上に寝かせる。

「カワイイものだな」
「そうですね」

 いい夢でも見ているのだろうか、水池さんは幸せそうな寝顔を浮かべていた。

「それはそうとマサオミ。今回の件は貸しにしておくぞ」

 刹那、社長がニヤリとほくそ笑み、そう言った。

「貸し、ですか……」

 俺は嫌な予感を感じ、この場から逃げ出したくなった。

「そう……」

 しかし、社長はまるで俺の逃げ道を塞ぐようにスッとこちらに寄って俺の耳元に口を近づけると、

「だから今度、アタシのこと抱いて、ね?」

 甘い吐息と声色で耳朶じだをくすぐる。

 俺は頭をかきながら苦笑するのだった。
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