夜嵐

村井 彰

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エピローグ

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  翌朝。和弥は部屋の外から聞こえる騒がしい気配にふと目を覚ました。聞こえてくるのは昨晩の嵐の気配とは違う、大勢の人間が行き来しているような慌ただしい音だ。
  和弥は少し首を動かして部屋の中を見回した。
  結局のところ、全員が語り終えても、よくある怪談話のように得体の知れない化け物が混ざり込んだり、誰かが姿を消すといったことは無く、こうして全員揃って朝を迎えることが出来た。
  ……いや。
「英紀?」
  よく見ると、英紀の布団だけが空っぽだった。他のみんなはそれぞれの布団に入って寝息をたてている。部屋の時計で確認した時刻は午前五時。起床時刻にはまだ二時間ほど早い。
  窓の外では、ざあざあと音をたてて雨が降り注いでいて、昨晩よりましになったとはいえ到底観光を楽しめそうな天候ではない。昨日片付け損ねた将棋の駒が、いくつか畳の上に散らばっているのがやけに目に付いた。
  英紀はトイレにでも行ったのだろうか。まるで気がつかなかった。まさか、この妙な騒々しさと何か関係が……
  嫌な予感が和弥の脳裏を掠めだした時、不意に部屋の扉が開いて、そこから興奮したように頬を紅潮させた英紀が顔を出した。
「あ、和弥! 起きてたんだ!」
「騒がしくて目が覚めたんだよ。それより、一体何が……」
  和弥の問いには答えず、英紀はスリッパを脱ぎ捨てて慌ただしく部屋に上がり込んでくる。その騒々しい足音に、入り口に一番近い場所で眠る悠聖が少し顔を顰めた。
「ねえ和弥聞いてよ! 今廊下で先生達が話してたんだけどさ」
「英紀、声が大きいって。みんな起きるよ」
  小声で注意するが、英紀の目は爛々としてどこか危なげな光を放っている。そのある種異様な輝きに和弥が息を呑んだ直後、英紀が続けたのは、驚くべき内容だった。
「竹川がさ、昨日の夜から行方不明なんだ! それで裏山の辺りに靴だけが落ちてたって。事件だよこれは!」


  *


  その後、起床時間になり食堂に集まった生徒達に教師から告げられたのは、ついさっき和弥が英紀から聞かされたのと、ほぼ同じ内容だった。
  竹川先生の姿が昨晩から見えないこと。何か知っている者がいれば伝えて欲しいということ。靴の件は話されなかったが、おそらく生徒を必要以上に動揺させないために隠したのだろう。
  竹川の行方について、事情を知る生徒はいないようだった。それどころか、見た限りでは心配する素振りを見せる者すらほとんどいない。
  だが、それも無理のない話だろう。あんなやつは消えて当然なのだから。
「ねえ。なんかさ、昨日和弥が話してた怪談にそっくりじゃない? 山で行方が分からなくなって靴だけ残ってるとかさ。しかも竹川ってめちゃくちゃ嫌われてたし」
  隣の席に座った英紀が小声で、しかし興奮気味に話しかけてくる。怪談をやろうなどと言い出した辺りからも察しがつくが、英紀は本当にこの手のオカルト話が好きなようだ。
「あんなのただの都市伝説だよ。あれだけの嵐だったんだから、普通に遭難したとかじゃないの」
  味噌汁の椀に口をつけながら和弥が素っ気なく返すと、英紀は不満そうに唇を尖らせた。
「なんだよ、ノリ悪いなあ……あ、もしかして不謹慎とか思ってる? 和弥そういうとこあるもんなあ」
  ため息を吐いて、英紀も自分の味噌汁に口をつけた。そしてふと、和弥の左袖から覗く白い物に気がついたようだった。
「あれ、どうしたのそれ。包帯なんて昨日から巻いてたっけ?」
「……ああ、なんか虫に刺されたみたいで、寝てる間に掻きむしっちゃったんだよ。蚯蚓脹みみずばれになってたから、一応隠しとこうと思って」
「うぇえ……まじか。なんかこういう島にいる虫って、変な毒とか持ってそうじゃん。気をつけなよ?」
  顔を顰める英紀に頷き返して、和弥はそっと袖口を伸ばし、包帯を隠した。
  そう。こうして隠してしまえば、誰にもわからないだろう。
  傷口も、竹川の死体も……僕と、の関係も。みんなみんな、新月の深い闇の中だ。


  *


  あの怪談には、敢えて語らなかった続きがある。
  十五年前の新月の晩、裏山で死んだ高校生は一人だけ。……だが修学旅行が終わり、皆が本土に引きあげた後、もう一人亡くなった生徒がいる。
  あの虐められていた男子生徒だ。
  山に封印され続けて飢えた化け物は、一度嗅いだ血の匂いを、決して忘れはしなかった。どんなに離れた場所に逃げても、恐ろしいまでの執念で必ず追いついてくる。次の新月の晩には、必ずだ。
  人を呪わば穴二つ、とはよく言ったものだと思う。……ああ、別に僕は全く後悔なんてしていない。仇は取ったのだ。だからもう、僕はどうなったって構わない。
  どのみち、彼女の心は二度と帰ってこないのだから。

  制服の上から、そっと傷口に触れる。
  ふと見上げた食堂の窓の外に、ほんの一瞬、枯れ木に似たなにかの影が過ぎったような気がした。
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