夜嵐

村井 彰

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神様

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  暗闇の中、四人の視線が自分に集まるのを感じる。和弥かずやは小さく息を吐いて、顔をあげた。

  *

  ……それじゃあ僕は、最後に相応しく、この土地に伝わる怪談を話すよ。

  僕達が今いるこの島には、化け物が住んでいる。
  なんの比喩かって? いいや、例え話なんかじゃない。ここには本当に、化け物がいるんだ。過去には実際に、その化け物に襲われて死んだ人もいる。
  そうだね、順を追って話そうか。
  始まりは百年以上前。この古い旅館もまだ存在していなかった頃、ここの土地にはとある風習があった。
  と言っても、それ自体は大して変わったものじゃない。毎月新月の晩になると、ここの裏手にある山に供物を捧げるんだ。そこにいる神様のために。
  ……ああ、供物と言っても、別に血なまぐさい類いの物じゃないよ。怪談にありがちな人身御供とか、哺乳類の心臓をくり抜いて差し出すとか、そんなんじゃない。近海で獲れた魚介とか、地元で採れた米で作った握り飯とか、そういう普通の物だ。山の神様だから山では食べられないような物を喜ぶらしい。
  そしてそれらを供える方法っていうのも、ごくシンプルなものだ。
  新月の晩になると、土地の代表者……基本的には村長か、その身内の誰かだね。とにかくその代表者が小さな灯りと捧げ物を持って、ひとりで山へと向かう。そして山の中腹にある祠の前に供物を置いて帰る。ほらね、とても簡単だ。
  夜中にひとりで山の中に入るなんて危険だと思う? けれど、供物を捧げに行く時だけは、何故か山の獣達はいっさい姿を見せなかったらしい。その代わり、真っ暗な木陰の合間に時折白い人影を見ることがあったそうだ。新月の晩は村の代表者以外の人間は出歩いてはいけない決まりになっていたそうだから……まあ、つまりは人間ではない存在だったんだろう。
  ともかく、そうして儀式を続けた結果かどうかは分からないけれど、この山はいつも穏やかで恵みに溢れ、麓の住民達は平和に暮らしていたらしい。
  戦争が、始まるまでは。
  学校の授業でも今日の課外学習でも散々習ったよね? この沖縄では、戦争でたくさんの、本当にたくさんの人が亡くなった。離島であるこの島でも、例外なくだ。
  平和だったこの山も戦火に覆われて、欠かさず行われていた儀式も途切れてしまった。それどころか、山に逃げ込んだ村民達がたくさん殺されて、山は血で染まった。
  少し想像してみて欲しい。自分が暮らしている場所で人がたくさん殺されて、すぐ傍に死体の山が出来上がったら、果たしていつまで正気でいられるか。……僕なら、あっという間に狂ってしまうだろう。
  そしてそれは、神様だって例外じゃなかった。
  儀式が無くなって飢えていたところに噎せ返るような血の匂いを浴びせられ続けて、穏やかだった神様は徐々に狂っていった。捧げられなくなった供物の代わりに、屍肉を漁るようになったんだよ。
  壊れた精神に呼応するように、ヒトに近かったその姿も少しずつ崩壊していく。白い着物はどす黒い赤に汚らしく染められて、大量の屍肉を貪り続けた体は醜く変貌した。骨は歪に伸びきって、肉は爛れて溶け出し、両の目は虚ろな暗闇だけを湛える。そんな化け物に成り果てたんだ。
  そうして化け物になった神様は、不気味に捻くれた体を引き摺って、新月の晩が来る度に山の中を彷徨い続けた。老いた人間のように折れ曲がった体は、それでもヒトを見下ろすほどに巨大で、一歩踏み出すごとに腐った肉がその体から剥がれ落ちる。もはや骨と皮だけになった神様の姿は、異界の樹木のように恐ろしく醜悪だった。そんな化け物と死者だけが存在する山の中は、まさしく地獄のような様相だった事だろう。
  けれど、悪夢のような戦争も、いつかは終わりの時がくる。軍隊は引き上げて、残っていた遺体も可能な限り弔われ、少しずつ、本当に少しずつだけど、この島も復興していった。
  異形に成り果てた、神様だけを残して。

  その後、戦後の慌ただしさに呑まれ、人々は儀式の事も神様の事もすっかり忘れてしまった。
  そうして月日は流れ、今から十五年前の新月の晩に、事件が起きる。
  今の僕らのように修学旅行で島を訪れていた高校生がひとり、この山で死んだんだ。

  その高校では修学旅行の度に、この山で肝試しをするのが通例だった。教師が何度もチェックした安全なルートを辿って、精々十分ほど山道を歩くだけの簡単なイベント。普通なら事故なんて起きるはずもない。実際その学校では、毎年何事もなく行われてきた。
  けれど、その年は偶然悪い事がたくさん重なってしまった。まずひとつは、その年の教師達が肝試しの目的地に定めたのが、最近になって発見された非常に古い祠だった事。もうひとつは、その晩が新月だった事。
  そしてもうひとつは、最後に肝試しに向かったグループが、その中で酷いいじめを行っていたという事だ。
  その年の肝試しは、基本的に男女別で四人ずつのグループに別れて行動していた。そういう時は大抵仲の良い友達同士で組むものだと思うけど、最後に出発した男子グループだけは少し事情が違っていた。つまり、いじめを行っている三人と、その標的にされていた一人という、最悪の組み合わせ。
  教師の目もろくに届かない暗闇の中、そんな四人だけで行動させたらどうなるか、大体想像はつくよね? 出発してしばらく経つと、案の定三人は寄ってたかって残る一人に嫌がらせを始めた。足元の不安定な山道で、小突き回されて蹴飛ばされて、彼はついに地面に倒れ伏した。そんな彼を見下ろして、いじめの主犯である男子生徒が言う。「このままひとりで祠まで行ってこい」ってね。
  目的地である祠には、教師が用意した小さな木札がグループの数だけ置かれていて、祠まで行った証拠にそれを持ち帰らなくてはいけないルールになっている。それを彼ひとりにやらせようと言うんだ。
  グループにひとつずつ懐中電灯を配られてはいるが、やつらがそれを貸してくれるはずも無い。いくら教師が安全を確認しているとは言え、真っ暗な上ろくに舗装もされていない山道を灯りも持たずに移動するなんて自殺行為だ。だけどもちろん、やつらはそんな事も分かった上で言っている。そして彼には、逆らう術なんて無い。
  懐中電灯を見せびらかすように振りながら嗤うやつらに背を向けて、彼は暗い山道を歩き出した。大丈夫、祠までは一本道の筈だ。慎重に行けば迷わない。突き飛ばされた時に擦りむいた手足を引き摺るようにして、暗闇の中を一歩ずつ進んで行く。頬にこびりついている砂を袖口で拭うと、鉄錆びたような臭いが鼻先を掠めた。
  そうして、どれくらい歩いただろう。曲がりくねった山道の突き当たりに、ぽつりと小さな灯りが見えた。岩肌をくり抜いて作ったような、小さな祠に立てられた蝋燭の灯りだ。
  良かった、どうにか辿り着けたみたいだ。あとはこれを持って、来た道を帰るだけ。そうしたら今日はもうこれ以上殴られないだろう。
  そう、安堵の息を吐いたのも束の間。
  ふっ……と、彼の頭上で何かが蠢く気配があった。それと同時に、腐った魚のような、生臭い吐息に頬を撫でられる。
  彼はさぞかし肝が冷えただろう。こんな山の中にいる自分よりも大きな生き物なんて、普通は熊か何かとしか思えない。
  ……とはいえ、熊の方が幾分かマシだっただろう。彼が見上げた先にいたのは、恐ろしく捻くれた体を持つ、異形の化け物だったのだから。
  辛うじて人のような形を残したそれは、本来眼球があるべき場所に凝る真っ黒な闇で、彼をじっと見下ろしていた。
  今すぐここから逃げなくてはいけないと本能が警鐘を鳴らす。けれど足は縫い付けられたように動かない。視界の端で、蝋燭の炎が大きく揺らめくのが見えた。
「オイ、シソウ……」
  鼓膜にヤスリをかけられているような耳障りな声。枯れ枝のような化け物の指が、血の滲む手のひらに触れようとしている。美味しそう? そう言ったのか、この化け物は。まさか……
  こいつは、僕を食うつもりなのか。
「い、やだ……」
  嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ。食われる? 僕が? どうして。
  ここで僕が化け物に食い散らかされても、あいつらはきっと気にも留めない。なんの罰も受けずに、これから先ものうのうと生きていく。
「…………ぁ」
  許せない。
「うわあああああああああっ!!」
  化け物の指が触れる直前、彼は悲鳴をあげて逃げ出した。真っ暗な山道を躓きながら必死に走る。背後からは枝葉を掻き分けるような乾いた音が聞こえてきた。あの化け物が追って来ているんだ。嫌だ、独りでなんて死んでやるもんか。逃げられないならせめて、あいつらを道連れにしてやる。
  祠に辿り着くまで延々と真っ暗な道を歩かされたおかげで、幸い彼の目は暗闇に慣れていた。それに何より、これまで少しずつ積み重ねられてきた深い憎しみが、彼を尋常ではない力で突き動かしていた。
  細い枝に頬や腕を打たれながらも、彼はどうにかグループのやつらと別れた場所まで戻って来た。化け物を引き連れたまま、ね。
「あ? なんだお前、もう戻って来たのか……っ?!」
  こっそり持ち込んだ煙草を吹かしていたやつらが、ぎょっとした顔で彼の背後を見上げた。当然だろう。暗がりの中でもはっきりと分かるくらい、それは明らかな異形だったんだから。
  やつらが一瞬怯んだ隙に、彼は握り締めて血だらけになった手でリーダー格の少年の襟首を掴んだ。取り巻きの二人はそれを見て一目散に逃げ出したよ。
  憎い相手に掴みかかったまま、彼は地面に転がった。その背後には、あの化け物が迫っている。
「離せ! この……」
  リーダー格の少年が、彼の手から逃れようと藻掻く。だけど彼も必死だ。化け物の生温い吐息をすぐ後ろに感じながら、血に塗れた手で少年の顔に触れた。
「ぐっ……なにすんだ、てめえ」
  少年が血で塞がれた目を瞬いて、再びその瞼を開いた時。
「…………は」
  眼前にあったのは、化け物の虚ろな眼窩だった。
「お、おい、ふざけんな。触んじゃねえ、やめろって……おい、お前! 見てないで助けろよ! おい!」
  化け物が少年の首を掴んで引き摺り起こすのを、彼はその足元に座り込んで呆然と見つめていた。その間にも必死で喚き散らす少年の首に、枯れ枝のような指が食い込んでいく。
  化け物には理性も知性もない。ただ、血の匂いがより強い方に反応するだけだ。
  化け物にはもう、彼の姿は見えていないようだった。
「おい、なあ、助けてくれ……あ、謝るから、なあ……頼むよ……」
  引き攣ったような少年の声が聞こえる。ハッと我に返った彼は……その声に背を向けて、駆け出した。
  その背後では、この世のものとは思えないような、恐ろしい悲鳴が響いていた。けれど彼は振り向かない。
  彼は、笑っていた。

  そうして彼がクラスメイト達のいる集合場所に戻ると、そこは既に大きな騒ぎになっていた。先に逃げ戻っていた取り巻き達が教師に報告したようだけど、何しろ現実味の無い話だ。誰もまともに取り合おうとしなかったところに、傷だらけになった彼が帰ってきたんだ。現場はさぞかし混乱したと思う。
  化け物云々はともかくとして、生徒が大怪我をして戻って来た上に、もう一人は行方不明になった。当然その場にいた教師達は、少年を探しに行ったよ。だけど見つかったのは、地面に残されたおびただしいほどの血液と、少年が履いていたはずの靴が片方だけ。後から救助隊なんかも呼んだそうだけど、結局それ以外のモノは死体すら出てこなかったらしい。化け物に食われて死んだんだ、なんて取り巻き連中がどれだけ訴えても当然大人達は相手にせず、山の獣に襲われたんだという事にされた。
  その後山への立ち入りは全面的に禁止とされ、化け物はあの小さな山の中に閉じ込められた。
  けれど、それと同時に新たな噂が生まれたんだ。

“新月の晩に祠へ血を捧げれば、化け物が憎い相手を殺してくれる”

  噂の出処がどこなのか……まあ言わなくても分かるだろう。
  自分の命ごと差し出す覚悟があれば、憎い相手を跡形もなく消してくれる。神様だった化け物は、いつしかそんな都市伝説の存在になっていった。普通なら笑って聞き流すような噂話だけれど、追い詰められた人間には、ある種魅力的に聞こえるのかもしれない。それから時々、この山では人が消えるんだ。
  きっと、殺したい相手のいる誰かが、ひっそりと血を捧げているんだろう。


  ところで話は変わるけど、嵐だという事を抜きにしても、今晩はやけに外が暗いと思わないか?
  そう。実はね、今日がその新月の晩なんだ。だから、誰かに恨まれている覚えのある者は気をつけた方がいい。
  化け物が、やってくるかもしれないから。

  ……なんて、全部ネットの受け売りだけどね。
  え、それにしては臨場感のある話ぶりだったって? 嬉しいね。もしかしたら、僕には案外演技の才能があるのかもしれないな。

  *

  これで全員話し終わったよね? なら、早く灯りを消そう。なんだかわくわくするね。一体何が起きるんだろう。
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