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電話
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座り順……ってことは、次はオレだよな?
そう言って、英紀の横で少し苦い声をあげたのは直人のようだった。
*
正直あんま思い出したくなくて封印してたんだけど、お前らの話聞いてたら思い出しちまった。オレがこの高校に入る前、中三の春くらいの話だ。
その日は休日だったんだが、親父はゴルフかなんかで出掛けてて、お袋と妹も二人で買い物に行ってて留守だった。だからオレはリビングでテレビを占領して、ひとりでゲームしてたんだけどよ。
──プルルルルル
不意に、電話の音が鳴り響いた。オレのスマホじゃない。この無愛想な着信音は、リビングのサイドボードに置いてある固定電話のものだ。
一瞬驚いたけど、今どきわざわざ固定電話にかけてくるやつなんて、大体なんかの勧誘だろ? だからオレは無視することにした。緊急の用事なら留守電にメッセージでも残すだろうしな。
……そう思ってたんだが、なぜかその時は一向に留守電に切り替わらなかった。電話の主もまったく諦める気配がなくて、いつまでも平坦な電子音が鳴り続けてる。このままじゃうるさくて堪らない。
仕方が無い。ついに根負けしたオレは、ソファから降りて、テレビの横のサイドボードに向かった。そしてその上にある受話器を取ると、少し苛立った声で電話に出る。
「はい」
するとオレが名乗る前に、甲高くて妙に明るい声の女が言った。
「山田さんですか?」
知ってのとおり、オレの名前は山田じゃない。だから「違います」と短く答えて、オレは通話を切った。あんなにしつこく鳴ってたクセに間違い電話かよ。軽く舌打ちして受話器を戻すと、オレはまたソファに戻ってコントローラーを手に取った。
結局その日はそれっきり何事もなく、帰ってきたお袋に飯の仕度を手伝わされたりしてるうちに、そんな間違い電話のことはすっかり忘れちまってた。ま、よくある話だしな。
だがそれから数日後、また同じことが起きた。
その日は確か、平日の夕方だった。両親は仕事で、妹も中学でテニスをやってたから、帰宅部のオレがいつも一番最初に帰ってくる。
誰もいないリビングの床に通学用のスポーツバッグを投げ出して麦茶を飲んでると、またあの電子音が鳴り響いた。
──プルルルルル
なんだまたか。こうしょっちゅう固定電話の方が鳴るなんて珍しいな。
そう思ってしばらくぼーっと聞いてたが、やっぱり音は一向に止む気配がない。なんで留守電にならないんだ、壊れてんのか?
オレはまた苛立ち混じりに受話器を取って、前よりも刺々しい声で電話に出た。
「はい」
「佐藤さんですか?」
もちろん、オレの名前は佐藤でも無い。だがそんなことよりオレがムカついたのは、声の主が前回と同じ女だったって事だ。
二回連続で、同じ番号に同じような間違いの電話をかける。そんなの普通は無いよな? だとするとこれは、たぶんイタズラ電話だ。
ふざけやがって、この暇人め。イラついたオレは、今度は何も言わずに通話を切った。次にかかってきたら、電話線ごと引っこ抜いてやる。
内心でそう息巻いたオレは、足元の鞄を引っ掴んで自分の部屋に戻った。とはいえ、さすがにもう次は無いだろうとも思ってたよ。ストーカーじゃあるまいし、そう何度も同じ家にかけ続けたりはしないだろうからな。
だが、その“次”はすぐに訪れた。
二度目の電話があった、次の日の夜。オレは風呂に入ってた。
ウチはマンションの五階、しかも角部屋だからさ、窓を開けてると良い感じに空が見えるんだ。ちょっとした露天風呂気分てやつ。だからその晩も、窓を開け放して湯船に浸かりながらぼんやりと星を見てた。そしたら……
──プルルルルル
まただ。また電話が鳴ってる。
一瞬外から聞こえるのかと思って耳をすませてみたが、音は確かにウチの中から聞こえてくる。また、あの甲高い声の女か。
そう考えて、オレはさすがに薄気味悪くなった。だってそうだろ? 何の目的があって、こう何度も何度もウチにイタ電なんかしてくるんだ。ストーカーじゃあるまいし、なんて考えたが、まさか本当にそうなのか。
「勘弁しろよ……」
小声で呟いて、オレは窓を閉めた。そんなはずはないのに、誰かに見られているような気になって寒気がしたんだ。
湯船に顎まで浸かって息を吐く。湯は暑いくらいなのに、背中は薄ら寒いままだった。それに着信音もまだ鳴り続けている。なんで誰も電話に出ないんだ? 今日は家族みんなウチにいるはずなのに。
意識しないようにすればするほど、音はどんどん耳の奥を通り抜けてきて、頭ん中をぐちゃぐちゃ撫で回されてる感覚になってくる。もう我慢の限界だ。
オレは勢いよくその場で立ち上がると、びしょびしょのまま脱衣所に出てテキトーに体を拭い、バスタオル一枚だけを巻いて廊下に飛び出した。オレがリビングに顔を出した途端、ソファに座ってた妹があからさまに顔を顰めたけど気にしてる場合じゃない。
「なあ、なんで誰も電話に出ないんだよ?!」
オレが声をあげると、妹の隣で煎餅を齧ってたお袋が目を瞬かせた。
「電話? 出るもなにも、電話なんて鳴ってないわよ」
……なんだと?
言われてみれば、確かに電話の音はいつの間にか止んでいる。だけどほんの数秒前まで、あんなにうるさかったのに。お袋にはそれが聞こえてなかったって言うのか。
「ちょっと、お兄。なにカンチガイしてんのか知らないけど、早く服着てくんない?」
露骨に嫌そうな声で妹が割り込んでくる。どうやらこいつにも、あの音は聞こえていなかったらしい。
これは……どういうことなんだ? オレはもう一度風呂に入り直す気にもなれなくて、首を捻りながら自分の部屋に引き上げた。
やっぱりあの音は、どこか別の部屋から聞こえてきたものだったのか? ほら、マンションの中ってのは、たまに変な音の伝わり方するだろ? すぐ隣から聞こえてると思ったのに、実は離れた部屋の音だったとか、よくあるよな。……だから、アレもそうだったのかもしれない。それこそあのイタ電の犯人が、手当り次第ウチのマンションに電話をかけまくってる可能性もあるしな。
……そうやって、無理矢理自分を納得させてみるけど上手くいかなかった。だってやっぱり、何度思い返しても、あの音はウチの中から聞こえてきたとしか思えない。それなのに、オレ以外の家族は知らないって言うんだ。
「……くそっ」
小さく舌打ちして、オレはガシガシ頭を拭きながら寝間着にしてるジャージに着替えた。気味は悪いが、かと言ってどうすることも出来やしない。もういい、知るか。
半ばやけくそ気味にベッドに横になって、近くに転がっていた携帯ゲーム機を手に取った。そうだ、イヤホンをつけてゲームをしてれば、またあの音が聞こえたって気にならないだろう。そうして賑やかな音と一緒に忘れちまえばいいんだ。
そうやって必死に気を紛らわそうとしているうちに、オレはどうやら眠ってしまったらしい。ハッと目を覚ますと、窓の外は墨で塗ったみたいに真っ暗になってた。
時計が指す時間は午前二時。手に持ってたはずのゲーム機はとっくにスリープモードになってて、黒い画面にオレの顔が反射して見えた。
あー……髪の毛すげー寝癖になってんなー……なんて、そんな事をぼんやりと考えていた時。
──プルルルルル
唐突に響いたその音に、画面に写った俺の顔がギクリと強ばった。
今度こそ、絶対に間違いない。あの音は、間違いなくウチのリビングから聞こえてくる。
オレは咄嗟に適当なゲームを起動して、そのまま布団の中に潜り込んだ。着けたままだったイヤホンからは、やたらと陽気なゲームのBGMが流れてくる。そうだ、そのままこのうるさい音をかき消してくれ。
そう願って目を瞑ってみたけど、やっぱり電話の音は止む気配がない。それどころか賑やかな音楽と混ざりあったせいで、ますます不安を掻き立てる不協和音へと成り果てている。
ああ、うるさい。うるさい、うるさいうるさいうるさい……!
オレは頭まで被っていた布団を跳ね除けて、イヤホンをむしり取った。ちくしょう、なんでオレがこんな電子音ごときにビビんなきゃいけないんだ。ふざけやがって、電話ごとぶっ壊してやる。
頭の中でそう呟きながらオレは部屋を出た。リビングは真っ暗で、固定電話のモニターだけがぴかぴかと光っている。こんなに騒がしいのに妹や両親の部屋の扉は開く気配もなくて、だけどその時のオレには、その事をおかしいと思う余裕も無かった。
オレはうるさく鳴り続けている電話へ歩み寄って、この苛立ちの元凶を鷲掴みにした。そしてなんの躊躇いもなく、思い切り床に叩きつける。バキッという硬い音がして、受話器がカーペットの上に転がった。それと同時にやかましい着信音もプツリと途切れる。よし、これでいい。これで静かに眠れる。
オレはホッと息を吐いて、自分の部屋に戻ろうとした。だが……
「鈴木さんですか?」
突然響き渡った甲高い声に、足が縫い付けられたように止まった。
怖々と振り向くと、足元に白い受話器が転がっているのが見えた。さっき音が止んだのは、壊れたんじゃなくて受信ボタンが押されてしまったからだったのか。くそったれ。
内心で悪態を吐いて、オレは受話器を引っ掴んで通話を切った。しかし、
──プルルルルル
通話を切った直後、またあの音が鳴り始めた。手の中で明滅して着信を伝え続ける受話器を、オレは絶望的な気持ちで見つめてた。なぜかって? 気づいちまったからだよ。
足元に転がっていた受話器のすぐ横に、引っこ抜けた電話線が落ちてたことに。
この電話は、どこにも繋がってない。だったら……この電話の主は、一体どこからかけてきてるって言うんだ?
何も出来ないオレを嗤うみたいに、勝手に着信音が止まった。そしてまた、あの耳障りな声の女が言う。受話器に耳を当てていなくても、その声はなぜかはっきりと聞こえた。
「岡本さんですか?」
違う、それもオレの名前じゃない。
オレが何も答えずにいると、女の声はまったく同じトーンでさらに続けた。
「吉田さんですか?」
「木下さんですか?」
「川本さんですか?」
何の目的があるのか、女は淡々と名前をあげ続ける。その中にオレの名前はまだない。だが……もしもこの女に名前を呼ばれてしまったら、オレは、どうなる?
受話器を持つ手のひらに冷や汗が滲んだ。名前を呼ばれたら何だって言うんだ。変わらず無視してればいいだけだろ? そうだ、それでいいはずだ。
いいはず、なのに。頭の奥では予感してた。
この女に名前を呼ばれたら、きっとオレは答えてしまうって。
「今井さんですか?」
「安原さんですか?」
「松岡さんですか?」
違う。まだ違う。オレの名前じゃない。
「小川さんですか?」
「斎藤さんですか?」
違う。
「森田さんですか?」
違う……
「────ですか?」
体がビクリと震えた。
そうだ、それが、オレの名前。やっと呼んでくれた。
「あ……」
そうです、と答えようとした瞬間、
バタン!!
ものすごい音がして、オレは慌てて振り向いた。 真っ暗だったはずのリビングに、明るい光が漏れている。しっかり閉めてきたはずのオレの部屋の扉が、なぜか開いてたんだ。
何が起きたのか分からなくて呆然としてたオレは、ハッと我に返って自分の手元を見おろした。受話器は完全に沈黙して、もう何も言わない。あの女の声はもう聞こえなかった。……そうだ、オレは一体、何を答えようとしてたんだ。
オレはその場に受話器を投げ捨てて、自分の部屋に戻った。心臓が嫌なリズムで脈打ってて、息が出来なくなりそうなくらい苦しかったのを未だに覚えてる。
そしてオレは、部屋の電気をつけたままで布団を引っ被って目を閉じた。眠れるわけないと思ったけど、気がついた時には意識を無くしてたらしい。とはいえ、数時間後には目覚ましの音に叩き起されたけどな。
寝不足で割れそうな頭を抱えてリビングに出ると、ぶっ壊れた固定電話を見たお袋がめちゃくちゃ怒ってた。どうやら昨日のは夢だったわけじゃないらしいって、ぼんやりした頭で考えたよ。
結局、ろくに使ってなかったんだからもういいだろって事で、固定電話は解約されてそれっきり。あの妙な女からの電話も二度とかかってこなかった。
あ? あの女の声は結局なんだったのかって?
知るかよそんなの。オレの方が聞きたいくらいだよ。映画や漫画じゃねえんだ、なんでもかんでも理屈がつく訳じゃねえ。
……そうだよ、理屈がつかねえから怖いんだ。
あの女がなんでオレに電話してきたのか。……本当に、もう二度とかけてこないのか。
だからオレは、あれ以来電話ってやつが大嫌いになった。さすがに持たなきゃ生活できねえからスマホは使ってるが、本当はこいつだって投げ出したいくらいだ。
怖いんだよ。またあの着信音を聞くのが。
あれからも、家で風呂に入ってる時や、夜中にひとりでいる時なんかに聞こえる気がするんだ。
──プルルルルル
気のせいだって分かってんのに、頭の奥にこびりついて離れやしねえ。
あの耳障りな、着信音が。
*
ほら、もういいだろ。終わりだ終わり。最後はお前だぞ。さっさと話せよ、和弥。
そう言って、英紀の横で少し苦い声をあげたのは直人のようだった。
*
正直あんま思い出したくなくて封印してたんだけど、お前らの話聞いてたら思い出しちまった。オレがこの高校に入る前、中三の春くらいの話だ。
その日は休日だったんだが、親父はゴルフかなんかで出掛けてて、お袋と妹も二人で買い物に行ってて留守だった。だからオレはリビングでテレビを占領して、ひとりでゲームしてたんだけどよ。
──プルルルルル
不意に、電話の音が鳴り響いた。オレのスマホじゃない。この無愛想な着信音は、リビングのサイドボードに置いてある固定電話のものだ。
一瞬驚いたけど、今どきわざわざ固定電話にかけてくるやつなんて、大体なんかの勧誘だろ? だからオレは無視することにした。緊急の用事なら留守電にメッセージでも残すだろうしな。
……そう思ってたんだが、なぜかその時は一向に留守電に切り替わらなかった。電話の主もまったく諦める気配がなくて、いつまでも平坦な電子音が鳴り続けてる。このままじゃうるさくて堪らない。
仕方が無い。ついに根負けしたオレは、ソファから降りて、テレビの横のサイドボードに向かった。そしてその上にある受話器を取ると、少し苛立った声で電話に出る。
「はい」
するとオレが名乗る前に、甲高くて妙に明るい声の女が言った。
「山田さんですか?」
知ってのとおり、オレの名前は山田じゃない。だから「違います」と短く答えて、オレは通話を切った。あんなにしつこく鳴ってたクセに間違い電話かよ。軽く舌打ちして受話器を戻すと、オレはまたソファに戻ってコントローラーを手に取った。
結局その日はそれっきり何事もなく、帰ってきたお袋に飯の仕度を手伝わされたりしてるうちに、そんな間違い電話のことはすっかり忘れちまってた。ま、よくある話だしな。
だがそれから数日後、また同じことが起きた。
その日は確か、平日の夕方だった。両親は仕事で、妹も中学でテニスをやってたから、帰宅部のオレがいつも一番最初に帰ってくる。
誰もいないリビングの床に通学用のスポーツバッグを投げ出して麦茶を飲んでると、またあの電子音が鳴り響いた。
──プルルルルル
なんだまたか。こうしょっちゅう固定電話の方が鳴るなんて珍しいな。
そう思ってしばらくぼーっと聞いてたが、やっぱり音は一向に止む気配がない。なんで留守電にならないんだ、壊れてんのか?
オレはまた苛立ち混じりに受話器を取って、前よりも刺々しい声で電話に出た。
「はい」
「佐藤さんですか?」
もちろん、オレの名前は佐藤でも無い。だがそんなことよりオレがムカついたのは、声の主が前回と同じ女だったって事だ。
二回連続で、同じ番号に同じような間違いの電話をかける。そんなの普通は無いよな? だとするとこれは、たぶんイタズラ電話だ。
ふざけやがって、この暇人め。イラついたオレは、今度は何も言わずに通話を切った。次にかかってきたら、電話線ごと引っこ抜いてやる。
内心でそう息巻いたオレは、足元の鞄を引っ掴んで自分の部屋に戻った。とはいえ、さすがにもう次は無いだろうとも思ってたよ。ストーカーじゃあるまいし、そう何度も同じ家にかけ続けたりはしないだろうからな。
だが、その“次”はすぐに訪れた。
二度目の電話があった、次の日の夜。オレは風呂に入ってた。
ウチはマンションの五階、しかも角部屋だからさ、窓を開けてると良い感じに空が見えるんだ。ちょっとした露天風呂気分てやつ。だからその晩も、窓を開け放して湯船に浸かりながらぼんやりと星を見てた。そしたら……
──プルルルルル
まただ。また電話が鳴ってる。
一瞬外から聞こえるのかと思って耳をすませてみたが、音は確かにウチの中から聞こえてくる。また、あの甲高い声の女か。
そう考えて、オレはさすがに薄気味悪くなった。だってそうだろ? 何の目的があって、こう何度も何度もウチにイタ電なんかしてくるんだ。ストーカーじゃあるまいし、なんて考えたが、まさか本当にそうなのか。
「勘弁しろよ……」
小声で呟いて、オレは窓を閉めた。そんなはずはないのに、誰かに見られているような気になって寒気がしたんだ。
湯船に顎まで浸かって息を吐く。湯は暑いくらいなのに、背中は薄ら寒いままだった。それに着信音もまだ鳴り続けている。なんで誰も電話に出ないんだ? 今日は家族みんなウチにいるはずなのに。
意識しないようにすればするほど、音はどんどん耳の奥を通り抜けてきて、頭ん中をぐちゃぐちゃ撫で回されてる感覚になってくる。もう我慢の限界だ。
オレは勢いよくその場で立ち上がると、びしょびしょのまま脱衣所に出てテキトーに体を拭い、バスタオル一枚だけを巻いて廊下に飛び出した。オレがリビングに顔を出した途端、ソファに座ってた妹があからさまに顔を顰めたけど気にしてる場合じゃない。
「なあ、なんで誰も電話に出ないんだよ?!」
オレが声をあげると、妹の隣で煎餅を齧ってたお袋が目を瞬かせた。
「電話? 出るもなにも、電話なんて鳴ってないわよ」
……なんだと?
言われてみれば、確かに電話の音はいつの間にか止んでいる。だけどほんの数秒前まで、あんなにうるさかったのに。お袋にはそれが聞こえてなかったって言うのか。
「ちょっと、お兄。なにカンチガイしてんのか知らないけど、早く服着てくんない?」
露骨に嫌そうな声で妹が割り込んでくる。どうやらこいつにも、あの音は聞こえていなかったらしい。
これは……どういうことなんだ? オレはもう一度風呂に入り直す気にもなれなくて、首を捻りながら自分の部屋に引き上げた。
やっぱりあの音は、どこか別の部屋から聞こえてきたものだったのか? ほら、マンションの中ってのは、たまに変な音の伝わり方するだろ? すぐ隣から聞こえてると思ったのに、実は離れた部屋の音だったとか、よくあるよな。……だから、アレもそうだったのかもしれない。それこそあのイタ電の犯人が、手当り次第ウチのマンションに電話をかけまくってる可能性もあるしな。
……そうやって、無理矢理自分を納得させてみるけど上手くいかなかった。だってやっぱり、何度思い返しても、あの音はウチの中から聞こえてきたとしか思えない。それなのに、オレ以外の家族は知らないって言うんだ。
「……くそっ」
小さく舌打ちして、オレはガシガシ頭を拭きながら寝間着にしてるジャージに着替えた。気味は悪いが、かと言ってどうすることも出来やしない。もういい、知るか。
半ばやけくそ気味にベッドに横になって、近くに転がっていた携帯ゲーム機を手に取った。そうだ、イヤホンをつけてゲームをしてれば、またあの音が聞こえたって気にならないだろう。そうして賑やかな音と一緒に忘れちまえばいいんだ。
そうやって必死に気を紛らわそうとしているうちに、オレはどうやら眠ってしまったらしい。ハッと目を覚ますと、窓の外は墨で塗ったみたいに真っ暗になってた。
時計が指す時間は午前二時。手に持ってたはずのゲーム機はとっくにスリープモードになってて、黒い画面にオレの顔が反射して見えた。
あー……髪の毛すげー寝癖になってんなー……なんて、そんな事をぼんやりと考えていた時。
──プルルルルル
唐突に響いたその音に、画面に写った俺の顔がギクリと強ばった。
今度こそ、絶対に間違いない。あの音は、間違いなくウチのリビングから聞こえてくる。
オレは咄嗟に適当なゲームを起動して、そのまま布団の中に潜り込んだ。着けたままだったイヤホンからは、やたらと陽気なゲームのBGMが流れてくる。そうだ、そのままこのうるさい音をかき消してくれ。
そう願って目を瞑ってみたけど、やっぱり電話の音は止む気配がない。それどころか賑やかな音楽と混ざりあったせいで、ますます不安を掻き立てる不協和音へと成り果てている。
ああ、うるさい。うるさい、うるさいうるさいうるさい……!
オレは頭まで被っていた布団を跳ね除けて、イヤホンをむしり取った。ちくしょう、なんでオレがこんな電子音ごときにビビんなきゃいけないんだ。ふざけやがって、電話ごとぶっ壊してやる。
頭の中でそう呟きながらオレは部屋を出た。リビングは真っ暗で、固定電話のモニターだけがぴかぴかと光っている。こんなに騒がしいのに妹や両親の部屋の扉は開く気配もなくて、だけどその時のオレには、その事をおかしいと思う余裕も無かった。
オレはうるさく鳴り続けている電話へ歩み寄って、この苛立ちの元凶を鷲掴みにした。そしてなんの躊躇いもなく、思い切り床に叩きつける。バキッという硬い音がして、受話器がカーペットの上に転がった。それと同時にやかましい着信音もプツリと途切れる。よし、これでいい。これで静かに眠れる。
オレはホッと息を吐いて、自分の部屋に戻ろうとした。だが……
「鈴木さんですか?」
突然響き渡った甲高い声に、足が縫い付けられたように止まった。
怖々と振り向くと、足元に白い受話器が転がっているのが見えた。さっき音が止んだのは、壊れたんじゃなくて受信ボタンが押されてしまったからだったのか。くそったれ。
内心で悪態を吐いて、オレは受話器を引っ掴んで通話を切った。しかし、
──プルルルルル
通話を切った直後、またあの音が鳴り始めた。手の中で明滅して着信を伝え続ける受話器を、オレは絶望的な気持ちで見つめてた。なぜかって? 気づいちまったからだよ。
足元に転がっていた受話器のすぐ横に、引っこ抜けた電話線が落ちてたことに。
この電話は、どこにも繋がってない。だったら……この電話の主は、一体どこからかけてきてるって言うんだ?
何も出来ないオレを嗤うみたいに、勝手に着信音が止まった。そしてまた、あの耳障りな声の女が言う。受話器に耳を当てていなくても、その声はなぜかはっきりと聞こえた。
「岡本さんですか?」
違う、それもオレの名前じゃない。
オレが何も答えずにいると、女の声はまったく同じトーンでさらに続けた。
「吉田さんですか?」
「木下さんですか?」
「川本さんですか?」
何の目的があるのか、女は淡々と名前をあげ続ける。その中にオレの名前はまだない。だが……もしもこの女に名前を呼ばれてしまったら、オレは、どうなる?
受話器を持つ手のひらに冷や汗が滲んだ。名前を呼ばれたら何だって言うんだ。変わらず無視してればいいだけだろ? そうだ、それでいいはずだ。
いいはず、なのに。頭の奥では予感してた。
この女に名前を呼ばれたら、きっとオレは答えてしまうって。
「今井さんですか?」
「安原さんですか?」
「松岡さんですか?」
違う。まだ違う。オレの名前じゃない。
「小川さんですか?」
「斎藤さんですか?」
違う。
「森田さんですか?」
違う……
「────ですか?」
体がビクリと震えた。
そうだ、それが、オレの名前。やっと呼んでくれた。
「あ……」
そうです、と答えようとした瞬間、
バタン!!
ものすごい音がして、オレは慌てて振り向いた。 真っ暗だったはずのリビングに、明るい光が漏れている。しっかり閉めてきたはずのオレの部屋の扉が、なぜか開いてたんだ。
何が起きたのか分からなくて呆然としてたオレは、ハッと我に返って自分の手元を見おろした。受話器は完全に沈黙して、もう何も言わない。あの女の声はもう聞こえなかった。……そうだ、オレは一体、何を答えようとしてたんだ。
オレはその場に受話器を投げ捨てて、自分の部屋に戻った。心臓が嫌なリズムで脈打ってて、息が出来なくなりそうなくらい苦しかったのを未だに覚えてる。
そしてオレは、部屋の電気をつけたままで布団を引っ被って目を閉じた。眠れるわけないと思ったけど、気がついた時には意識を無くしてたらしい。とはいえ、数時間後には目覚ましの音に叩き起されたけどな。
寝不足で割れそうな頭を抱えてリビングに出ると、ぶっ壊れた固定電話を見たお袋がめちゃくちゃ怒ってた。どうやら昨日のは夢だったわけじゃないらしいって、ぼんやりした頭で考えたよ。
結局、ろくに使ってなかったんだからもういいだろって事で、固定電話は解約されてそれっきり。あの妙な女からの電話も二度とかかってこなかった。
あ? あの女の声は結局なんだったのかって?
知るかよそんなの。オレの方が聞きたいくらいだよ。映画や漫画じゃねえんだ、なんでもかんでも理屈がつく訳じゃねえ。
……そうだよ、理屈がつかねえから怖いんだ。
あの女がなんでオレに電話してきたのか。……本当に、もう二度とかけてこないのか。
だからオレは、あれ以来電話ってやつが大嫌いになった。さすがに持たなきゃ生活できねえからスマホは使ってるが、本当はこいつだって投げ出したいくらいだ。
怖いんだよ。またあの着信音を聞くのが。
あれからも、家で風呂に入ってる時や、夜中にひとりでいる時なんかに聞こえる気がするんだ。
──プルルルルル
気のせいだって分かってんのに、頭の奥にこびりついて離れやしねえ。
あの耳障りな、着信音が。
*
ほら、もういいだろ。終わりだ終わり。最後はお前だぞ。さっさと話せよ、和弥。
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