夜嵐

村井 彰

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おばあちゃん

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  なら次はぼくが話そうかな。座り順的にそれが妥当でしょ?
  そう言って英紀ひでのりが少し居住まいを正した。

  *

  これはぼくが実際に体験した、本当に不思議で、とても恐ろしかった出来事の話だよ。子供の頃の事だけど、あまりに強烈だったから今でも鮮明に覚えてる。なにしろ、危うく死にかけたんだからね。

  ぼくがまだ小学校の低学年くらいだった頃、ウチにはおばあちゃんが住んでたんだ。藤色の着物を着て、髪が真っ白で、腰が曲がってて……ほんと今どき珍しいくらいの、絵に描いたような『おばあちゃん』って感じの人だった。
  おばあちゃんはいつも、ウチの一番奥にある和室にいて、ぼくは学校から帰ると真っ先にそこへ行くんだ。そうしたらおばあちゃんがお菓子を出してくれて、にこにこしながらぼくの話を聞いてくれるんだよ。学校でどんな授業があったとか、給食のメニューがどうだったとか、そんな他愛のない話だけどね。
  ぼくの家は両親が共働きで毎日留守にしてて、兄弟も、当時は友達もいなかったけど、おばあちゃんが居てくれたおかげで全然寂しくなかった。学校の授業だって、おばあちゃんにあとでお話するんだって思ったら難しくても頑張れた。
  とにかく、あの頃のぼくは、おばあちゃんの事が大好きだったんだ。
  そんなわけで、その日もぼくはおばあちゃんのいる部屋に向かっていた。
  玄関をあがったら、まずは靴を揃えて端っこに寄せて……そうしないと、おばあちゃんに怒られちゃうからね。そしてそのまま廊下を真っ直ぐ行くと、突き当たりに二階へ行くための階段があって、その横の暗がりに藤の模様が描かれた襖がある。
  そこがいつもの、おばあちゃんの部屋だった。
「おばあちゃん、ただいま!」
  ランドセルを背負ったまま、ぼくが勢いよく襖を開けて言うと、
「おかえり、ヒデちゃん」
  そう言っておばあちゃんが笑いかけてくれる。
「おばあちゃん、今日のおやつなに?」
「今日はねえ、ヒデちゃんの好きなチョコレートのクッキーにしたんよ。さあ、手を洗っておいで」
「うん!」
  元気よく答えてランドセルをその場に置くと、ぼくはそのまま洗面所に向かった。おばあちゃんが出してくれるお菓子は、両親がスーパーで買ってくれるような物とは違って素朴で彩りも少なくて、でもどれもすごく美味しいんだ。だからぼくはその意味でも、おばあちゃんのところで遊ぶのを楽しみにしてた。
  それで言われた通り手を洗い終えたぼくは、おばあちゃんの部屋の机にノートを広げて、宿題をしながらクッキーに手を伸ばした。そんなぼくの事を、おばあちゃんはにこにこしながら見てる。
  おばあちゃんの部屋はごくありふれた和室で、六畳くらいの四角い室内には、ぼくが宿題をしている机と、古臭いデザインの電灯以外何も無い。それ以外の家具も、床の間も、窓すら無いから、今思うとちょっと窮屈な感じだったな。だからぼくはおばあちゃんに聞いてみた。
  こんなところにずっと居て、退屈じゃないのって。
  そうしたらおばあちゃんは、いつもの通りに笑って、
「ヒデちゃんが来てくれるから退屈なんてしないよ」
  って答えてくれた。
  その答えに嬉しくなったぼくは、ちょっと得意げにおばあちゃんの方を振り返って……その時、異変に気がついた。
  天井に、花が咲いている。
  電灯と、入口側の壁のあいだ辺り。ちょうどおばあちゃんが座っている真上から、垂れ下がるようにして花が咲いていたんだ。
  もちろんそんなもの、ぼくがこの部屋に入って来た時には無かった。あれば気づかないはずがないからね。なのに、それは当たり前のような顔をして、天井から生えていたんだ。
  その花は、子供……ちょうど当時のぼくが手のひらを目一杯広げたくらいの大きさで、紫色の花びらが数枚重なりあってて、逆さまになっていたのもあって女の人のスカートみたいに見えた。その時は知らなかったけど、あとから調べてみた感じでは、クロッカスっていう花にそっくりだったよ。
  だけど、その花は絶対にクロッカスなんかじゃなかった。
  だって、その花の真ん中から、小さな手が垂れ下がっていたんだから。そんな不気味な花、現実に存在する訳が無いよね。
  初めは呆気に取られていたぼくだけど、その花を見ているうちに、だんだん怖くなってきた。
  その花から生えている手が、おばあちゃんを連れて行こうとしているように見えたから。
「お、おばあちゃん……おばあちゃん!逃げて!」
  ぼくが震える手で天井を指しながら言うと、おばあちゃんは驚いた様子でぼくの指の先を見上げて……そして、今まで見たこともないくらいの怖い顔になって、ぼくの方に視線を移した。
「おばあちゃん……?」
  大好きなおばあちゃんが、突然知らない人みたいに見えてぞっとしたよ。
  おばあちゃんは何も言えなくなったぼくの肩を掴んだかと思うと、そのまま物凄い力で部屋の外へと押し出した。机の上に広げていたノートやランドセルも、呆然とするぼくの前にどんどん追い出されてくる。そうしておばあちゃんは、最後に小さな何かをぼくに握らせてこう言った。
「いいかいヒデちゃん、もうこの部屋に来てはだめだよ。それからこれを、無くさないで大切に持っていること。このふたつを絶対に守るって約束しなさい」
  いつも優しかったおばあちゃんからは考えられないほどの強い口調に、ぼくは泣くのを堪えるのに必死で何も答えられなかった。そんなぼくを睨むように見据えて、おばあちゃんはさらに厳しい口調で言う。
「ヒデちゃん!約束しなさい!」
  ついにぼくは泣き出してしまって、だけど必死に頷いた。子供心にもわかったからだ。この約束は、絶対に守らなくてはいけないモノなんだって。
  わんわん泣いてるぼくを抱き締めて、おばあちゃんは何度も「ごめんね」って言ってた。そうして気がついた時にはおばあちゃんは居なくなってて、ぼくはひとりきりだった。目の前にはいつもの藤模様の襖があったけど、もう触れることは出来ない。おばあちゃんとの約束だから。
  何が起きたのか全く分からなかったけど、もう二度とおばあちゃんには会えないんだって、その事だけは直感的に理解出来た。ぼくはとにかくその事が悲しくて、涙が止まらなかった。こんなにも突然に別れがくるなんて、想像もしていなかったから。
  それから、どれくらいそうしてたんだろう。お母さんが帰って来たくらいだから、少なくとも夕方にはなっていたんだろうね。帰ってくるなり廊下に座り込んで大泣きしている息子を見つけたお母さんは、さぞかしびっくりしたと思うよ。
  お母さんは慌ててぼくのところに駆け寄って来て「どうしたの」って聞いたけど、ぼくは上手く説明出来なかった。おばあちゃんが、おばあちゃんが、って何回も繰り返しながら襖の方を指さす事しか出来ないぼくを見て、お母さんはとても困った様子で言った。
「ねえ、英紀。おばあちゃんって、誰のこと?」
  そう。この家に住んでいたのは、両親とぼくの三人だけ。おばあちゃんなんて居なかったんだ。
  考えてみれば確かにおかしな事ばかりだった。おばあちゃんに会うのはあの部屋でだけ、それもぼくが学校から帰った後、両親が帰宅するまでの間だけなんだ。それ以外の両親と一緒にいる時間はおばあちゃんが姿を見せることは無かったし、なぜかぼくも話題に出すことはしなかった。
  だけどその異常に思い至ったのも後になってからの話。その時のぼくは混乱したよ。おばあちゃんは確かにいたのに、何度も遊んでもらったのにって。
  その事をどうにかお母さんに伝えたくて、もう一度藤模様の襖を指さしたぼくは、そこでようやく気がついた。
  そこにあの綺麗な襖は無く、ただの薄っぺらい木で出来た引き戸があるだけだって事に。
  あとで中を確認してみたら、そこは使わなくなった家具や掃除道具がしまってあるだけの埃っぽくて狭い物置で、人が過ごせるような場所じゃなかった。おばあちゃんだけじゃない、あの部屋も、そこで過ごした毎日さえも、全部全部幻だったんだ。


  ……さて、ここでこの話が終わるとしたら、これは特に大した怪談じゃない。夢とか、頭の中で作り出したイマジナリーフレンドとかと現実がごっちゃになった、子供時代によくあるちょっと不思議な思い出ってだけ。なによりぼくにとっては、悲しいばかりで全然怖い体験じゃなかったからね。

  だけど、話はここで終わらない。

  その晩、ぼくは突然高熱を出して倒れた。
  すぐにお父さんが車で病院に連れて行ってくれたけど、原因はまるで分からず、気休め程度の解熱剤を処方されただけだったらしい。
  その日から両親は、交互に仕事を休んで付きっきりで看病をしてくれたけど、ぼくの熱は一向に引かなかった。四十度近い高熱が出続けて、何度も「もう駄目かもしれない」と思ったって、今でも両親に言われるよ。理由も分からないで息子が寝込み続けたら、そう思うのも当然だと思う。
  だけどね。その理由、ぼくだけは分かってた。
  その晩から、ぼくの部屋の天井にも、あの花が咲いていたから。
  クロッカスによく似た、だけど全然違うあの花。そもそもあれを花と呼んでいいのかも分からないけれど。
  おばあちゃんの部屋にいたのと同じ『それ』は、ぼくが寝かされたベッドの真上から垂れ下がって、こちらの方へと手を伸ばしていた。
  おばあちゃんのあの態度から、それが良くないモノだって事は当時のぼくにも分かっていたから、花を見た瞬間に直感したよ。ぼくが今、こんなに苦しい目にあっているのは、全部この花のせいなんだって。
  そうして熱に浮かされながらも、指の一本さえも動かせないぼくは、ただ黙ってそれを見つめ続ける事しか出来なかった。それはどうやら両親には見えていないらしくて、あれが怖いんだって訴えても聞いてはもらえない。きっと熱のせいで幻覚を見ていると思われたんだろうね。
  だけどそれは、幻覚と言うにはあまりにも鮮明で、しかも少しずつ大きくなっているようだった。
  初めはぼくの手のひらくらいの大きさだったのに、三日も経つ頃には頭くらいになっていた。そしてそれに比例するように、花の中から伸びる手も、少しずつぼくの方に近づいて来てる。
  初めは手首までだった。それが徐々に伸びて、肘、二の腕、もう少しで肩まで見えそうになった頃には、その指は文字通りぼくの目と鼻の先にあった。
  天井からぼくの目の前まで伸びてきたんだから、その手は相当長かったんだろうね。まるで白い蛇みたいなその手は、細くてつるっとしてて、なんだか綺麗だなって思った事を覚えてる。そんな事を考えてしまう時点で、ぼくはもう魅入られていたのかもしれない。
  きっとあの手に触られたら死んでしまう。だけど、こんなに綺麗な手に連れて行ってもらえるなら、あんまり怖くないような気がした。それに、もしかしたらおばあちゃんにまた会えるかもしれない……
  そんな事を考えた時、唐突に、本当に唐突に思い出した。おばあちゃんとの、約束のこと。無くさないで大切に持っているようにと言われた、アレのこと。
「おかあさん……」
  ぼくは様子を見に来てくれたお母さんを呼んで、学校で使っている筆箱を取ってもらった。無くしてしまわないよう、その中にしまっていたんだ。アレを。
  目の前にぶら下がる手から目を離せないまま、ぼくは筆箱から取り出した物を、そっと握りしめた。
  それは、小さな人形だった。
  まるで消しゴムを削って作ったような……そう、大きさも素材も、まさにそんな感じだったよ。
  不器用な子供がカッターナイフで削り出したように、それは歪で不格好で、かろうじて人型に見えるくらいの出来栄えだった。こんな誰にでも作れるおもちゃみたいな物に、意味があるのかは分からない。それでもおばあちゃんとの約束だったから、ぼくはそれを手の中に持ったまま眠りについた。
  そして、その晩ぼくは夢を見た。
  見たこともないような一面の花畑の中で、ひとり佇んでいる夢。足元に咲いているのは、あの奇妙な花だった。紫の花びらの間から生えだした無数の手が、ゆらゆらと揺れてぼくの足を掴もうとしている。
「ひっ……」
  それに気づいた瞬間、ぼくは慌てて逃げ出した。だけど走っても走っても花畑は途切れない。夢の中ってさ、必死に走っても全然前に進まないでしょ? けどその時は、本当に現実で走ってるみたいな感覚だった。それなのに、どこまで行っても終わらない。
「た、たすけて……」
  無限に続いているような濁った空の下、助けを呼ぶぼくの声は誰にも届かない。はずだった。
「あ、れ……? 」
  ふと、握りしめた拳の中に、小さな塊がある事に気がついた。さっきまでは何も無かったはずなのに。
  疲れ切った足を止めて拳を広げてみると、その中に例の人形があった。歪で小さな、人の形をした何か。それが突然震え出したかと思うと、ぼくの手の中から転がり落ちた。
「あっ」
  その瞬間、花畑は炎に包まれていた。
  紫の花は一瞬にして赤い炎に塗り替えられて、その姿はみるみるうちに灰になっていく。ぼく自身もそんな最中にいたはずなのに、何故か熱さは感じなかった。
  ただ、その光景がとても綺麗で……やけに悲しくなったことだけを、今でも鮮明に覚えてる。

  そうして次に目覚めた時には、天井から垂れ下がっていたはずのあの腕は、跡形もなく消えていた。
  酷く汗をかいていたけれど、それが幸いしてかぼくの熱も嘘のように下がっていて、おばあちゃんの人形が、ぼくの熱をあの花の方に持って行ってくれたんだって、そう思ったりもしたよ。
  これは、ぼくにとって一生忘れられないほどに強烈で、本当に恐ろしい経験だった。だけど終わりはとても唐突で呆気なくて、自分自身でも、時々夢だったのかと疑いたくなる事がある。
  だけどあれは夢じゃない。大好きだったおばあちゃんも、おばあちゃんがぼくを守ってくれた事も、全部全部本当にあった事なんだって、ぼくは今でも信じてるよ。
  だってその証拠に、ぼくの部屋にはまだアレがあるんだから。

  真っ黒に焼け焦げた、あの小さな人形が。

  *

  さあ、これでぼくの話は終わり。次に話すのは誰?
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