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1話 運命的な再会
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運命は存在する。沖本優はその日、確かにそれを実感した。
「志形さん……? 志形晃彦さんですよね?! 俺のこと覚えてますか? 同じ高校だった沖本優ですよ!」
懐かしいその姿を見た瞬間、沖本は状況の異常さも忘れて彼に駆け寄っていた。彼、志形晃彦の姿を最後に見たのはもう十年前のことだが、それでも見間違えるはずがない。染めていないはずなのに金に近い明るい色の髪と、それとは対照的な黒い瞳。芸能人と比べても見劣りしないほど整った容姿。それら全てがあの頃のままだった。
「…………沖本?」
目を丸くする志形の後ろから、二十歳前後と見える知らない青年が顔を出した。
「なんだテメェ。うちの社長に馴れ馴れしいクチきいてんじゃねえぞ」
パサついた茶髪をウルフカット風にした青年が、幼い顔立ちに不釣合いなほど眉間にシワを寄せて、こちらを威嚇している。
「社長? 志形さん、社長なんですか? すごいですね。今なんの仕事してるんですか?」
「……この状況でそれを聞くか」
青年と沖本に挟まれた志形が、これみよがしに額を押さえて溜息を吐く。その足元では、沖本がよく知る顔が血塗れになってうずくまっていた。
「沖本……! お前、この人たちと知り合いなのか? だったら話が早えよ……なあ、三十、いや二十万で良い、今すぐ貸してくれ!」
狭いワンルームの中、大学時代の同級生が、見たこともない必死の形相でそう捲し立てた後、床にめり込みそうな勢いで頭を下げた。どんな状況でも、友人の土下座なんてあまり見たくはないものだ。
「えっと、ごめん。これどういう状況? お前が『緊急事態だからすぐ来てくれ』って言うから来たんだけど」
電話越しの声があまりにも切羽詰まっていたので、金曜の夜にも関わらず車を飛ばしてここまで来たのだが、辿り着いた部屋は酷い有様だった。折り畳み式のローテーブルはひっくり返され、元カノに貰ったというハート柄のマグカップは粉々になり、中身のコーヒーはカーペットに無惨なシミを作っている。なにより友人自身も、血と泥と涙に塗れた悲惨な状態だった。白いTシャツの肩にくっきりと靴跡が残っている点からしても、殴る蹴るの暴行を受けた後だと分かる。
「……沖本、この男は知り合いか?」
青年と友人に続き、志形も同じ問いを口にした。
「大学時代の同期で、友達と言って差し支えのない関係です」
「そうか。なら忠告しとくが、付き合う友達はよく選んだ方が良い」
そう言って肩をすくめる志形の足元は、よく見ると土足のままだ。
「いいか沖本、この男は以前うちの会社からそれなりの金額を借りた。だが返済期日を過ぎても返す気配が無いからと直接取り立てに来たら、『友達を呼んで代わりに払わせる』と言い出したんだよ。友達が聞いて呆れるよな? お前は借金取りから逃げるための、生贄として呼ばれたんだよ」
「そっ……そんなことないです! その、違うんだ沖本、俺はただちょっと金を貸して欲しいだけで、いずれ必ず返すから……ッ」
ゴッという鈍い音がして、悲痛な訴えは強制的に打ち切られた。志形が履いている黒い革靴の先が、友人の口の中に無理やり突っ込まれたせいだ。
「今俺が喋ってるよな? 人の話を遮るなよ」
子供を窘めるような、どこか優しさすら感じる口調で、志形は友人を叱った。しかし友人の方は、恐怖に目を見開いたまま、口の端からよだれを垂らしてブルブルと震えている。
「……これって、俺が志形さんにお金払わなきゃいけない感じですか」
「そのつもりだったがもういい。……おい井ノ上、適当にその辺漁って通帳と身分証集めてこい。売れるもん全部売れば支払い額には足りるだろ」
「うっす!」
ずっと無言で沖本にガンを飛ばしていた井ノ上青年は、志形の指示を受けた途端、水を得た魚のように生き生きとして部屋の中をひっくり返し始めた。その様子を横目に見ながら、志形はゴミのように友人の頭を蹴飛ばし、よだれまみれの爪先をその脇腹で丁寧に拭いている。
「……そういう訳だ。沖本、お前はもうこの男に関わるな。今夜ここで見たことも全部忘れろ。そうすればお前の方に厄介なことは起こらない」
「あ、はい。それは別にいいんですけど、志形さんにひとつお願いしてもいいですか?」
「……なんだ」
「志形さんの個人的な連絡先を教えて欲しいんです。SNSとかやってるならそれでも全然良いので」
「…………は?」
ポケットからいそいそとスマホを取り出した沖本を見て、志形は信じられないというふうに目を瞬いた。友人は完全に気を失ってしまったようでピクリとも動かないが、そんなことはもうどうでもいい。
「お前、俺の話聞いてたか? 忘れろって言ったよな?」
「この男のことは忘れます。もともと惰性で付き合い続けてただけで、金関係とかいい加減すぎてわりとウンザリしてたんで。……でも、志形さんのことまで忘れるのは無理です。俺、志形さんに会えなくなった後でずっと後悔して、どうしても会いたくて探し続けてたんですよ。それがやっと再会できたのに、このまま何も無しに帰るなんてありえないです」
「何を言ってるのか分からん。なんで俺のことなんか探すんだ。俺が消えようが二度と会えなかろうがお前には何の関係もないだろ」
「関係ありますよ!」
我慢ならない気持ちが爆発して、思わず志形の言葉を遮って声を上げていた。
「俺は、志形さんのことが好きなんです。あなたが俺の初恋でした」
「………………はあ?」
言葉の通じない狂人でも見るような目で、志形が沖本のことを見あげている。初めて見るその表情に、背筋がゾクゾクした。
「すみません、もうちょっとムードのあるところで言う予定だったんですけど」
「そんな話してねえよ。頭おかしいんじゃないのかお前」
「そうかもしれません。あなたのことを好きになってから、俺はずっと正気じゃないです。狂おしいほど人を好きになることって、本当にあるんだなって実感しました」
「いや、お前……」
「おいテメェ! さっきから黙って聞いてりゃ気色悪いことばっか言いやがって、テメェごときが社長に相手にされるわけねぇだろうが!」
明らかに引いている上司の様子に気づいたようで、漁っていた財布を床に叩きつけた井ノ上青年が、突然沖本に食ってかかってきた。
「なんですかあなた。俺は今志形さんと話してるんで邪魔しないでください」
「んだとコラァ!! ぶっ殺すぞホモ野郎!!」
「やめろ井ノ上」
いきり立つ部下を一言で制して、志形はまた溜息を吐いた。
「必要なもんは見つかったのか」
「……っす」
「なら後は任せた。俺はこいつと外で話つけてくる」
「ちょ、大丈夫なんすか社長。そいつ明らかヤベェっすよ」
「お前は心配しなくていい」
ぴしゃりと言い放って、志形は玄関に足を向ける。
「来い沖本」
「はい!」
志形に呼ばれるまま、散らかった玄関に脱ぎ捨てていたスニーカーを突っかけ、その背中を追う。古臭いアパートの廊下は静まり返っていて、真夏の夜の熱気に息が詰まりそうだった。
「志形さん」
廊下の端にある、小汚い共用洗濯機の横にもたれている志形に並ぶ。
「……お前と最後に会ったのは、十年くらい前だったか」
隣に立つ沖本にちらりと視線を寄越して、志形は黒いシャツの胸ポケットから、ライターとタバコの箱を取り出した。
「そうですね。志形さんと最初で最後のデートをしたのも今日と同じ八月二十五日のことだったので、ちょうど十年ぶりですよ。そんな日に再会できるなんて、なんだか運命感じちゃいますよね」
「……やっぱり気色悪いなお前」
露骨に顔をしかめる志形の手の中で、ジッという小さな摩擦音がして、小さな明かりが生まれた。薄い唇に咥えたタバコに火をつけて、深く深く息を吐き出す。あの頃は見られなかった大人の仕草に、思わず目を奪われた。
「……さっきの見てただろ。お前の夢を壊して悪いが、今の俺はまともな人間じゃない。もう関わるな」
「確かに、見てましたよ。全部。そのうえで言ってるんです。あなたが好きだって」
「なんでそこまで俺に執着する? お前とまともに話したのなんて、あの日、たった一日だけだろ」
「一日あれば、人を好きになるには十分ですよ。俺にとっては十年分の価値がある一日でした」
大人になって変わったのはお互い様だ。また出会うことが出来たなら、志形がどれだけ変わっていても、この思いを伝えようと決めていた。
「……あ。ていうか、もしかして志形さん、今付き合ってる人います? もしくは結婚してたりとか……」
「……いや」
「ほんとですか?! じゃあやっぱり、連絡先だけでも交換してください!」
握ったままだったスマホを再び突き出した沖本を横目で睨み、志形は何度目か分からない溜息を吐いた。その呼吸と共に吐き出された白い煙が、重たく湿った空気に溶けて、徐々に消えていく。
「……ここで断って引くやつなら、とっくに逃げ出してるよなあ」
「そうですね。殴られても蹴られても諦めません」
ためらいのない答えを聞いて、志形は眉をひそめる。そして唇の端にタバコを咥えたまま、何かを諦めた様子でズボンの尻ポケットに手を突っ込んで、自分のスマホを取り出した。
「くだらねえ事で連絡してくんなよ」
「!! ありがとうございます!」
志形の気が変わらないうちにと、慌てて画面に表示された連絡先を登録する。メッセージアプリの一覧に志形の名前があることを確認すると、そのまますぐに通話をかけた。
「……くだらねえ事で連絡するなっつったとこだよな?」
初期設定の着信音が鳴る自らのスマホを見下ろしながら、志形は冷めた目で呟いた。
「いや、ちゃんと通じる連絡先なのか確かめておかないとと思って」
「変なとこで冷静なやつだな」
軽く舌打ちをすると、志形は通話を拒否し、再びスマホをポケットに突っ込んだ。そして咥えタバコのままで、沖本を押し退けて友人の部屋へ戻ろうとする。
「あ、待ってください志形さん!」
「……まだ何か用か」
ドアノブに手をかけた志形は、それでも一瞬足を止めて沖本を振り向いた。
「志形さん……また会いましょうね」
「……気が向いたらな」
それだけ言い返して、志形はドアの向こうへ消えて行った。ドアが開いた一瞬、悲鳴のようなものが漏れ聞こえてきたが、再びドアが閉まると、ほとんど聞こえなくなった。
手の中のスマホに視線を落として、志形の名前が登録されていることを、何度も確認する。
夢じゃない。あの人にまた会えた。その証がここにある。
「志形さん……」
この十年、何度届かないその名を呼んだことだろう。それが、ようやく手の届くところまで来られたのだ。
絶対に、この手を離すつもりはない。
たとえそのまま、奈落の底へ落ちることになったとしても。
「志形さん……? 志形晃彦さんですよね?! 俺のこと覚えてますか? 同じ高校だった沖本優ですよ!」
懐かしいその姿を見た瞬間、沖本は状況の異常さも忘れて彼に駆け寄っていた。彼、志形晃彦の姿を最後に見たのはもう十年前のことだが、それでも見間違えるはずがない。染めていないはずなのに金に近い明るい色の髪と、それとは対照的な黒い瞳。芸能人と比べても見劣りしないほど整った容姿。それら全てがあの頃のままだった。
「…………沖本?」
目を丸くする志形の後ろから、二十歳前後と見える知らない青年が顔を出した。
「なんだテメェ。うちの社長に馴れ馴れしいクチきいてんじゃねえぞ」
パサついた茶髪をウルフカット風にした青年が、幼い顔立ちに不釣合いなほど眉間にシワを寄せて、こちらを威嚇している。
「社長? 志形さん、社長なんですか? すごいですね。今なんの仕事してるんですか?」
「……この状況でそれを聞くか」
青年と沖本に挟まれた志形が、これみよがしに額を押さえて溜息を吐く。その足元では、沖本がよく知る顔が血塗れになってうずくまっていた。
「沖本……! お前、この人たちと知り合いなのか? だったら話が早えよ……なあ、三十、いや二十万で良い、今すぐ貸してくれ!」
狭いワンルームの中、大学時代の同級生が、見たこともない必死の形相でそう捲し立てた後、床にめり込みそうな勢いで頭を下げた。どんな状況でも、友人の土下座なんてあまり見たくはないものだ。
「えっと、ごめん。これどういう状況? お前が『緊急事態だからすぐ来てくれ』って言うから来たんだけど」
電話越しの声があまりにも切羽詰まっていたので、金曜の夜にも関わらず車を飛ばしてここまで来たのだが、辿り着いた部屋は酷い有様だった。折り畳み式のローテーブルはひっくり返され、元カノに貰ったというハート柄のマグカップは粉々になり、中身のコーヒーはカーペットに無惨なシミを作っている。なにより友人自身も、血と泥と涙に塗れた悲惨な状態だった。白いTシャツの肩にくっきりと靴跡が残っている点からしても、殴る蹴るの暴行を受けた後だと分かる。
「……沖本、この男は知り合いか?」
青年と友人に続き、志形も同じ問いを口にした。
「大学時代の同期で、友達と言って差し支えのない関係です」
「そうか。なら忠告しとくが、付き合う友達はよく選んだ方が良い」
そう言って肩をすくめる志形の足元は、よく見ると土足のままだ。
「いいか沖本、この男は以前うちの会社からそれなりの金額を借りた。だが返済期日を過ぎても返す気配が無いからと直接取り立てに来たら、『友達を呼んで代わりに払わせる』と言い出したんだよ。友達が聞いて呆れるよな? お前は借金取りから逃げるための、生贄として呼ばれたんだよ」
「そっ……そんなことないです! その、違うんだ沖本、俺はただちょっと金を貸して欲しいだけで、いずれ必ず返すから……ッ」
ゴッという鈍い音がして、悲痛な訴えは強制的に打ち切られた。志形が履いている黒い革靴の先が、友人の口の中に無理やり突っ込まれたせいだ。
「今俺が喋ってるよな? 人の話を遮るなよ」
子供を窘めるような、どこか優しさすら感じる口調で、志形は友人を叱った。しかし友人の方は、恐怖に目を見開いたまま、口の端からよだれを垂らしてブルブルと震えている。
「……これって、俺が志形さんにお金払わなきゃいけない感じですか」
「そのつもりだったがもういい。……おい井ノ上、適当にその辺漁って通帳と身分証集めてこい。売れるもん全部売れば支払い額には足りるだろ」
「うっす!」
ずっと無言で沖本にガンを飛ばしていた井ノ上青年は、志形の指示を受けた途端、水を得た魚のように生き生きとして部屋の中をひっくり返し始めた。その様子を横目に見ながら、志形はゴミのように友人の頭を蹴飛ばし、よだれまみれの爪先をその脇腹で丁寧に拭いている。
「……そういう訳だ。沖本、お前はもうこの男に関わるな。今夜ここで見たことも全部忘れろ。そうすればお前の方に厄介なことは起こらない」
「あ、はい。それは別にいいんですけど、志形さんにひとつお願いしてもいいですか?」
「……なんだ」
「志形さんの個人的な連絡先を教えて欲しいんです。SNSとかやってるならそれでも全然良いので」
「…………は?」
ポケットからいそいそとスマホを取り出した沖本を見て、志形は信じられないというふうに目を瞬いた。友人は完全に気を失ってしまったようでピクリとも動かないが、そんなことはもうどうでもいい。
「お前、俺の話聞いてたか? 忘れろって言ったよな?」
「この男のことは忘れます。もともと惰性で付き合い続けてただけで、金関係とかいい加減すぎてわりとウンザリしてたんで。……でも、志形さんのことまで忘れるのは無理です。俺、志形さんに会えなくなった後でずっと後悔して、どうしても会いたくて探し続けてたんですよ。それがやっと再会できたのに、このまま何も無しに帰るなんてありえないです」
「何を言ってるのか分からん。なんで俺のことなんか探すんだ。俺が消えようが二度と会えなかろうがお前には何の関係もないだろ」
「関係ありますよ!」
我慢ならない気持ちが爆発して、思わず志形の言葉を遮って声を上げていた。
「俺は、志形さんのことが好きなんです。あなたが俺の初恋でした」
「………………はあ?」
言葉の通じない狂人でも見るような目で、志形が沖本のことを見あげている。初めて見るその表情に、背筋がゾクゾクした。
「すみません、もうちょっとムードのあるところで言う予定だったんですけど」
「そんな話してねえよ。頭おかしいんじゃないのかお前」
「そうかもしれません。あなたのことを好きになってから、俺はずっと正気じゃないです。狂おしいほど人を好きになることって、本当にあるんだなって実感しました」
「いや、お前……」
「おいテメェ! さっきから黙って聞いてりゃ気色悪いことばっか言いやがって、テメェごときが社長に相手にされるわけねぇだろうが!」
明らかに引いている上司の様子に気づいたようで、漁っていた財布を床に叩きつけた井ノ上青年が、突然沖本に食ってかかってきた。
「なんですかあなた。俺は今志形さんと話してるんで邪魔しないでください」
「んだとコラァ!! ぶっ殺すぞホモ野郎!!」
「やめろ井ノ上」
いきり立つ部下を一言で制して、志形はまた溜息を吐いた。
「必要なもんは見つかったのか」
「……っす」
「なら後は任せた。俺はこいつと外で話つけてくる」
「ちょ、大丈夫なんすか社長。そいつ明らかヤベェっすよ」
「お前は心配しなくていい」
ぴしゃりと言い放って、志形は玄関に足を向ける。
「来い沖本」
「はい!」
志形に呼ばれるまま、散らかった玄関に脱ぎ捨てていたスニーカーを突っかけ、その背中を追う。古臭いアパートの廊下は静まり返っていて、真夏の夜の熱気に息が詰まりそうだった。
「志形さん」
廊下の端にある、小汚い共用洗濯機の横にもたれている志形に並ぶ。
「……お前と最後に会ったのは、十年くらい前だったか」
隣に立つ沖本にちらりと視線を寄越して、志形は黒いシャツの胸ポケットから、ライターとタバコの箱を取り出した。
「そうですね。志形さんと最初で最後のデートをしたのも今日と同じ八月二十五日のことだったので、ちょうど十年ぶりですよ。そんな日に再会できるなんて、なんだか運命感じちゃいますよね」
「……やっぱり気色悪いなお前」
露骨に顔をしかめる志形の手の中で、ジッという小さな摩擦音がして、小さな明かりが生まれた。薄い唇に咥えたタバコに火をつけて、深く深く息を吐き出す。あの頃は見られなかった大人の仕草に、思わず目を奪われた。
「……さっきの見てただろ。お前の夢を壊して悪いが、今の俺はまともな人間じゃない。もう関わるな」
「確かに、見てましたよ。全部。そのうえで言ってるんです。あなたが好きだって」
「なんでそこまで俺に執着する? お前とまともに話したのなんて、あの日、たった一日だけだろ」
「一日あれば、人を好きになるには十分ですよ。俺にとっては十年分の価値がある一日でした」
大人になって変わったのはお互い様だ。また出会うことが出来たなら、志形がどれだけ変わっていても、この思いを伝えようと決めていた。
「……あ。ていうか、もしかして志形さん、今付き合ってる人います? もしくは結婚してたりとか……」
「……いや」
「ほんとですか?! じゃあやっぱり、連絡先だけでも交換してください!」
握ったままだったスマホを再び突き出した沖本を横目で睨み、志形は何度目か分からない溜息を吐いた。その呼吸と共に吐き出された白い煙が、重たく湿った空気に溶けて、徐々に消えていく。
「……ここで断って引くやつなら、とっくに逃げ出してるよなあ」
「そうですね。殴られても蹴られても諦めません」
ためらいのない答えを聞いて、志形は眉をひそめる。そして唇の端にタバコを咥えたまま、何かを諦めた様子でズボンの尻ポケットに手を突っ込んで、自分のスマホを取り出した。
「くだらねえ事で連絡してくんなよ」
「!! ありがとうございます!」
志形の気が変わらないうちにと、慌てて画面に表示された連絡先を登録する。メッセージアプリの一覧に志形の名前があることを確認すると、そのまますぐに通話をかけた。
「……くだらねえ事で連絡するなっつったとこだよな?」
初期設定の着信音が鳴る自らのスマホを見下ろしながら、志形は冷めた目で呟いた。
「いや、ちゃんと通じる連絡先なのか確かめておかないとと思って」
「変なとこで冷静なやつだな」
軽く舌打ちをすると、志形は通話を拒否し、再びスマホをポケットに突っ込んだ。そして咥えタバコのままで、沖本を押し退けて友人の部屋へ戻ろうとする。
「あ、待ってください志形さん!」
「……まだ何か用か」
ドアノブに手をかけた志形は、それでも一瞬足を止めて沖本を振り向いた。
「志形さん……また会いましょうね」
「……気が向いたらな」
それだけ言い返して、志形はドアの向こうへ消えて行った。ドアが開いた一瞬、悲鳴のようなものが漏れ聞こえてきたが、再びドアが閉まると、ほとんど聞こえなくなった。
手の中のスマホに視線を落として、志形の名前が登録されていることを、何度も確認する。
夢じゃない。あの人にまた会えた。その証がここにある。
「志形さん……」
この十年、何度届かないその名を呼んだことだろう。それが、ようやく手の届くところまで来られたのだ。
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