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歪み
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ストーブの火が、パチパチと音を立てる。ずいぶん冷えると思ったら、窓の外では雪がちらついていた。
冬休みに入ってから麻里奈は本土にある実家に帰省してしまい、一人きりになった部屋は、とても寒々しくて心細かった。とはいえ夏休みの時もそうだったけれど、長期休暇中でも攻略対象である男の子達とのデートイベントは発生するし、完全に孤独というわけでもない。
……はずだったのだけど。
冬になってから、徐々にこの世界の綻びが顕になっているのを感じていた。
真っ先に気づいたのは七木くんとのデート中。
何度も何度も七木くん遊びに誘ううちに、彼は同じことばかり話すようになった。ゲームならよくあることだ。ようするに、ランダムイベントのネタ切れ。だけど、生身の人間にしか見えない七木くんが毎日毎日会う度に同じ言葉を繰り返す様子は、はっきり言って不気味だった。結局のところ、どれだけリアルでも、ここはゲームの世界なのだと嫌でも思い知らされた。
そして、極めつけは麻里奈が帰省した直後のこと。街に買い物に出た時、何の気なしにフェリー港に立ち寄った、そのせいで信じ難いものを目にすることになってしまった。
港なんて、この都市には存在していなかった。
受付のような建物はあるし、フェリーが発着するであろう場所も用意されてはいる。だけど、都市唯一の玄関口であるはずのその場所は、ハリボテのようにがらんどうで、どう見たって日常的に人が行き来しているようには思えなかった。少なくとも、ほんの二日前に麻里奈はここから本土に向かったはずなのに。
もしかしたら、たまたまその日が休みだっただけかもしれない。そんなことは無いだろうと思いつつも、その日から何度か港に通ってみた。けれど結果は同じ。いつ見ても、そこにあるのは人気のないハリボテだけ。
こんなのは、おかしい。だったら麻里奈は、どこから出発して、どこに行ったと言うの。
彼女に連絡を取ってみればわかる。そう考えて、愕然とした。なぜ今まで気づかなかったのだろう。私は、麻里奈の連絡先を知らない。そもそも連絡を取る手段がない。元いた世界でもろくに使わなかったから違和感を持たなかったけれど、私を含め周囲の誰も携帯電話やスマートフォンを持っていないのは、明らかにおかしいじゃないか。それによく思い返して見れば、寮に固定電話もなければ、学校にパソコンの一台もない。
普通なら当たり前に目にするはずの、ほんの些細な本土でのニュースさえ、ここには入ってこなかった。
ようするに、この都市は、外の世界に繋がっていないんだ。
いくら生活のほとんどを都市内でまかなえると言っても、所詮は学生主体の街。卒業した生徒達は、ここで進学や就職をする一部の者を除いて本土に帰る。そういう設定になっていた。ゲームでは。
けれど一花がこの学校を卒業することはない。だから、外の世界なんて必要がないということか。
横になっていた二段ベッドから体を起こす。少し、風にあたろう。狭い部屋の中では気分も余計に落ち込むばかりだから。
休日にも関わらず、部屋の外は静寂に包まれていた。生徒のほとんどが、それぞれの家に帰省しているせいだ。そんなものはきっと、この世界には存在しないのに。
小さい頃、私が見ていない間の世界は、全て電池の切れたおもちゃのように、動きを止めているんじゃないかと空想したことを思い出す。この街は、まさにそれだ。一花の見ていない世界は存在しない。プレイヤーの視界に映らない世界は、作る必要がないから。
男子寮との境にある中庭に出て、誰もいないベンチに腰をおろす。石で出来た座面から冷たさが滲み出してくるようだった。
ゲームの世界ではプレイヤーが全て。プレイヤーが……世界を認識する者がいなければ存在できない。ということは、つまり、そうか。
この世界には、過去も未来も存在しない。私というプレイヤーがここに来た瞬間に、始まったんだ。
「そっか……よかった」
白い吐息が、灰色の空に溶けて消えていく。
この考えが正しいのなら、初めから一花という人格なんて存在していなかったということになる。それなら、私が一花を奪ったわけじゃなかったんだ。だから、よかった。
色のない空をぼんやりと見上げる私の視界の端に、ふわりと金色の影がよぎった。
「あれ、夏海?こんなところで何してるの?」
「七木くん」
男子寮の方から顔を覗かせてきたのは七木くんだった。七木くんは私の姿を見ると、いそいそと駆け寄ってきて隣に腰をおろした。どんなに綻びを見せても、やっぱり彼を目の前にすると胸が高鳴る。 こればっかりは、どうしようもない。
「ちょっと風にあたろうと思って。七木くんは?」
伸ばした足の先をぶらぶらとさせながら、七木くんが答える。
「俺も似たような感じだよ。みんな帰っちゃって暇だし、俺は帰るところもないし」
だからさ、と私の方を向いて七木くんが笑う。
「夏海に会えないかなって思ってここまで来たら、本当に会えた。なんか運命っぽいね」
この笑顔を見ていられるなら他に何もいらないと、この瞬間本気でそう思った。今まで感じていた不安も孤独も全て忘れて、永遠に二人でいられたらいいのに。
けれどそんな甘い話はない。続く七木くんの言葉に、私は"現実"を思い出した。
「夏海はさ、卒業したらどうするつもりなの?」
卒業。そんな日はきっと来ない。私にも、そして七木くん達にも。
「……まだ、あんまり考えられないかな。先の話だし」
「そっか……うん、実は俺も、まだちゃんと考えてない。でも一つだけ決めてることもあるよ」
そういって、いつもよりずっと真面目な表情で七木くんが私を見る。
「なに?決めてることって」
私の問いに、こちらを見つめていた視線が、ふっと宙をさまよう。
「まだ、夏海には言えないかな。春になったら伝えるよ、必ず」
ブルーメモリーズでは、終業式の日に桜並木の一番大きな木の下で自分が選んだ男の子に思いを告げられて、それでエンディングとなる。その先の未来は、描かれていない。
「……わかったよ七木くん。その日まで待ってるから」
私の答えに七木くんは目を細めると、跳ねるように勢いをつけて立ち上がった。
「よし!俺もう行くね夏海。ちょっとは部屋片付けとかないと、櫂李が帰ってきた時に怒られちゃう」
ばいばい、と手を振って駆け出す七木くんの背中を、私はただ黙ったままで見つめていた。こんな脆い世界でも季節は巡る。凍えるような冬の次は、草木芽吹く春がくる。たとえ、その先には続かないのだとしても。
終わりの日は、近い。
冬休みに入ってから麻里奈は本土にある実家に帰省してしまい、一人きりになった部屋は、とても寒々しくて心細かった。とはいえ夏休みの時もそうだったけれど、長期休暇中でも攻略対象である男の子達とのデートイベントは発生するし、完全に孤独というわけでもない。
……はずだったのだけど。
冬になってから、徐々にこの世界の綻びが顕になっているのを感じていた。
真っ先に気づいたのは七木くんとのデート中。
何度も何度も七木くん遊びに誘ううちに、彼は同じことばかり話すようになった。ゲームならよくあることだ。ようするに、ランダムイベントのネタ切れ。だけど、生身の人間にしか見えない七木くんが毎日毎日会う度に同じ言葉を繰り返す様子は、はっきり言って不気味だった。結局のところ、どれだけリアルでも、ここはゲームの世界なのだと嫌でも思い知らされた。
そして、極めつけは麻里奈が帰省した直後のこと。街に買い物に出た時、何の気なしにフェリー港に立ち寄った、そのせいで信じ難いものを目にすることになってしまった。
港なんて、この都市には存在していなかった。
受付のような建物はあるし、フェリーが発着するであろう場所も用意されてはいる。だけど、都市唯一の玄関口であるはずのその場所は、ハリボテのようにがらんどうで、どう見たって日常的に人が行き来しているようには思えなかった。少なくとも、ほんの二日前に麻里奈はここから本土に向かったはずなのに。
もしかしたら、たまたまその日が休みだっただけかもしれない。そんなことは無いだろうと思いつつも、その日から何度か港に通ってみた。けれど結果は同じ。いつ見ても、そこにあるのは人気のないハリボテだけ。
こんなのは、おかしい。だったら麻里奈は、どこから出発して、どこに行ったと言うの。
彼女に連絡を取ってみればわかる。そう考えて、愕然とした。なぜ今まで気づかなかったのだろう。私は、麻里奈の連絡先を知らない。そもそも連絡を取る手段がない。元いた世界でもろくに使わなかったから違和感を持たなかったけれど、私を含め周囲の誰も携帯電話やスマートフォンを持っていないのは、明らかにおかしいじゃないか。それによく思い返して見れば、寮に固定電話もなければ、学校にパソコンの一台もない。
普通なら当たり前に目にするはずの、ほんの些細な本土でのニュースさえ、ここには入ってこなかった。
ようするに、この都市は、外の世界に繋がっていないんだ。
いくら生活のほとんどを都市内でまかなえると言っても、所詮は学生主体の街。卒業した生徒達は、ここで進学や就職をする一部の者を除いて本土に帰る。そういう設定になっていた。ゲームでは。
けれど一花がこの学校を卒業することはない。だから、外の世界なんて必要がないということか。
横になっていた二段ベッドから体を起こす。少し、風にあたろう。狭い部屋の中では気分も余計に落ち込むばかりだから。
休日にも関わらず、部屋の外は静寂に包まれていた。生徒のほとんどが、それぞれの家に帰省しているせいだ。そんなものはきっと、この世界には存在しないのに。
小さい頃、私が見ていない間の世界は、全て電池の切れたおもちゃのように、動きを止めているんじゃないかと空想したことを思い出す。この街は、まさにそれだ。一花の見ていない世界は存在しない。プレイヤーの視界に映らない世界は、作る必要がないから。
男子寮との境にある中庭に出て、誰もいないベンチに腰をおろす。石で出来た座面から冷たさが滲み出してくるようだった。
ゲームの世界ではプレイヤーが全て。プレイヤーが……世界を認識する者がいなければ存在できない。ということは、つまり、そうか。
この世界には、過去も未来も存在しない。私というプレイヤーがここに来た瞬間に、始まったんだ。
「そっか……よかった」
白い吐息が、灰色の空に溶けて消えていく。
この考えが正しいのなら、初めから一花という人格なんて存在していなかったということになる。それなら、私が一花を奪ったわけじゃなかったんだ。だから、よかった。
色のない空をぼんやりと見上げる私の視界の端に、ふわりと金色の影がよぎった。
「あれ、夏海?こんなところで何してるの?」
「七木くん」
男子寮の方から顔を覗かせてきたのは七木くんだった。七木くんは私の姿を見ると、いそいそと駆け寄ってきて隣に腰をおろした。どんなに綻びを見せても、やっぱり彼を目の前にすると胸が高鳴る。 こればっかりは、どうしようもない。
「ちょっと風にあたろうと思って。七木くんは?」
伸ばした足の先をぶらぶらとさせながら、七木くんが答える。
「俺も似たような感じだよ。みんな帰っちゃって暇だし、俺は帰るところもないし」
だからさ、と私の方を向いて七木くんが笑う。
「夏海に会えないかなって思ってここまで来たら、本当に会えた。なんか運命っぽいね」
この笑顔を見ていられるなら他に何もいらないと、この瞬間本気でそう思った。今まで感じていた不安も孤独も全て忘れて、永遠に二人でいられたらいいのに。
けれどそんな甘い話はない。続く七木くんの言葉に、私は"現実"を思い出した。
「夏海はさ、卒業したらどうするつもりなの?」
卒業。そんな日はきっと来ない。私にも、そして七木くん達にも。
「……まだ、あんまり考えられないかな。先の話だし」
「そっか……うん、実は俺も、まだちゃんと考えてない。でも一つだけ決めてることもあるよ」
そういって、いつもよりずっと真面目な表情で七木くんが私を見る。
「なに?決めてることって」
私の問いに、こちらを見つめていた視線が、ふっと宙をさまよう。
「まだ、夏海には言えないかな。春になったら伝えるよ、必ず」
ブルーメモリーズでは、終業式の日に桜並木の一番大きな木の下で自分が選んだ男の子に思いを告げられて、それでエンディングとなる。その先の未来は、描かれていない。
「……わかったよ七木くん。その日まで待ってるから」
私の答えに七木くんは目を細めると、跳ねるように勢いをつけて立ち上がった。
「よし!俺もう行くね夏海。ちょっとは部屋片付けとかないと、櫂李が帰ってきた時に怒られちゃう」
ばいばい、と手を振って駆け出す七木くんの背中を、私はただ黙ったままで見つめていた。こんな脆い世界でも季節は巡る。凍えるような冬の次は、草木芽吹く春がくる。たとえ、その先には続かないのだとしても。
終わりの日は、近い。
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