ブルーメモリーズ

村井 彰

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予感

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 秋。部室から見える空は、遥か高くまで澄み渡り、開いた窓から吹き抜ける潮風の冷たさは、夏の終わりを示している。私は作業の手を止めて、そっと息をついた。それとほぼ同時に、部室の扉が勢いよく開いて、賑やかな声が飛び込んでくる。
「一花先輩ただいまです!これどこに置いたらいいですか!」
「あ、渚くん、おかえり。えっと……あとで使うから、とりあえずそこに立て掛けておいてくれる?」
「わかりました!」
 元気よく答えて、小柄な男の子が手に持っていた板切れを部室の壁に並べていく。彼の名前は三園渚みそのなぎさ。一花が所属する演劇部の一年生で、やはり攻略対象キャラクターの一人だ。そして今は部員総出で、文化祭で披露する劇の背景や衣装を作っているところなのだった。
「三園……お前、教師の前で堂々と廊下を走るんじゃないよ、まったく」
 渚くんに遅れて、疲れきった様子の五月女先生が、のろのろと部室に入ってきた。両手にはパンパンに膨れた買い物袋をさげている。
「先生が遅すぎなんですよ!ボクたちが戻らなきゃ、みんなの作業が進まないんですからね!」
「あー、わかったわかった。ったく、俺はもうお前らみたいに若くないんだからさあ、ちっとは気遣ってくれよ」
 そういって五月女先生は、買い物袋を机の上に置くと、近くの椅子にだらだらと座り込んでしまった。どうやら作業を手伝うつもりはないらしい。
「あーもう、顧問のくせに頼りないなあ。一花先輩!こんな人ほっといて、ボクたちで頑張りましょうね!」
「そ、そうだね」
 そう、五月女先生は演劇部の顧問で、今は渚くんと一緒に足りない材料を買い出しに行ってきてくれたところだった。ちなみに選択肢によっては、渚くんか先生のどちらかと二人で買い出しに行くこともできたはずだけど、いつも通り私は七木くん以外を選ばないようにしている。
「わあ、衣装の方もいい感じですね!これを着てる先輩、綺麗だろうなー」
 私が縫いかけていたドレスを見て、渚くんが嬉しそうに言う。私達が演じるのは『ロミオとジュリエット 』。そして私が貰った役はジュリエットだ。"私"なら有り得ないことだけど、今の私は一花だから、当たり前のように重要な役が回ってくる。
「渚くんの衣装も、よく似合ってたじゃない。一年生なのに主演だなんて本当にすごいよ」
「えへへ。先輩がジュリエットだから、ロミオはどうしてもボクがやりたくって頑張りました!」
「……うん、ありがとうね」
 渚くんは、一花への好意を隠そうとしない。ゲームではなんとも思っていなかったけど、自分がその立場になってみると、なかなかに複雑だった。
「さあ、渚くん。あともうちょっとだから、頑張って終わらせちゃおう」
「はい!」
 渚くんと、相変わらず顔の見えない部員達と共に作業を再開する。
 文化祭まで、あと一週間。

 *

 見慣れた学校が、別世界のような華やかさに包まれている。校舎はいたるところが丁寧に飾りつけられ、校内は都市中から集まった人達で賑わっていた。今日は、さざなみ高校文化祭の当日。そして私は、演劇部の出し物の準備……の前に、クラス展示であるカフェの受付をしているところだ。
 所詮は高校生の行事だというのに、地理的にも文化的にも都市の中心であるせいか、受付には多くの人が集まっていた。教室内でも接客担当の麻里奈が、ピンク色のエプロンを翻して慌ただしく動き回っているのが見える。
 途切れることのない人の波に目眩を覚え始めた頃、ふいに背後から肩を叩かれた。
「お疲れ夏海。演劇部の方、そろそろ行かないといけないんじゃない?俺代わるから行ってきなよ」
「七木くん、いいの?」
「うん。夏海の劇、観られないのは残念だけどさ。その代わり終わったら一緒に他のところ見て回ろうよ」
 私にだけ聞こえるように囁くと、七木くんは悪戯っぽく笑った。思わず顔が熱くなる。私は気づかれないように、お礼もそこそこに席を立つと、慌ててその場を駆け出した。
 校舎の階段を降り、渡り廊下を通って、特別教室棟に入る。ここを抜けた先にあるのが体育館と演劇部の部室だ。足早に廊下を進んでいると、突然曲がり角に現れた人影にぶつかりそうになってしまう。
「あっ、ごめんなさい!」
 咄嗟に謝罪の言葉を口にした私の目の前に立っていたのは、不機嫌そうな顔をした二葉くんだった。
「なんだ夏海か。もうちょっと落ち着いたらどうなんだ、騒々しい」
「ご、ごめんね二葉くん」
 二葉くんとは、同じクラスだから何だかんだ関わる機会も多くて、そのおかげで最近は挨拶しても普通に返してくれるようになっていた。とはいえ、キツめの口調や態度は変わらず、やっぱり私は、二葉くんと話す時はどうしても身構えてしまう。
「お前、これから演劇部の発表か?」
「え、そうだけど……」
 私の答えに、二葉くんは何かを考えるような間を置いて、それから意を決したように顔をあげた。
「あのな、僕はちょうど美術部の展示の確認が終わったところで暇なんだ。だから……その、お前の出番が終わったら、美術室まで来ないか」
 ……これは、デートイベントのフラグだ。だけど、もちろん受けるわけにはいかない。だって先約があるのだから。
「あの、ごめん二葉くん。私、もう他の人と約束してて」
 私の答えに二葉くんは、一瞬傷ついたような顔をして、だけどすぐに、いつもの態度に戻って言った。
「……ふん、そうか。悪かったな、余計な時間をとらせて」
 そう言うと、二葉くんはこちらに背を向けて、さっさと美術室の中に入っていってしまった。
 言葉がキツくても、彼が悪い人じゃないのは知っている。そして、気になっている子を誘うのにどれだけの勇気が必要か、私には痛いほどわかってしまう。
 ずっと、一花になりたいと思っていた。美人で明るくて、誰からも愛される彼女に。だけど、実際のところはどうだろう。たくさんの男の子から好意を向けられるなんてこと、楽しくもなんともない。
 ブルーメモリーズの世界では、男の子達と友達として親しくなるというルートは用意されていない。恋人になるか、ならないか。受け入れるか、受け入れないか。そんな極端な二択しか存在しない。だから、選んだ一人以外は全て切り捨てる他ない。そもそも、今のこの世界では登場すらしていない人だって何人かいる。
 プレイヤーとは、なんて傲慢なんだろう。
 自分の都合だけを考えて物語を進めていく。そんなのはゲームなら当然のことだ。だって登場する人達はあくまでキャラクターで、現実に存在する人ではないのだから、彼らの都合なんて考える必要がない。だけど、ここは……ゲームのようでゲームでない、この奇妙な世界では、彼らは対等の、生きた人間だ。少なくとも私にはそう見える。
「あっ、一花先輩!今から部室ですか?一緒に行きましょう!」
 パタパタと軽い足音が響いてきたかと思うと、廊下の角から渚くんがひょっこりと顔を出した。
「渚くん。そうだね、一緒に行こう」
「はい!ふふ、楽しみだなあ、先輩と同じ舞台に立てるなんて」
 渚くんが楽しげに跳ねるような足取りで歩き出す。渚くんは、とても可愛い。こんな子が弟だったらよかったのに。二葉くんも渚くんも、このまま友達として仲良くいられたらよかった。
 多少、描写されていないことが起きたとしても、この世界は基本的にゲームのストーリー通りにしか進まない。初めのうちは、憧れの世界に来られた喜びと高揚感でいっぱいだったけれど、最近は時々不安になることがある。……この世界の終わりについて。
 ブルーメモリーズは、一年間の学生生活を描いた物語だ。そして、ゲームには必ずエンディングというものが存在し、ブルーメモリーズの世界では、二年生の終業式時点で物語は終わる。つまり一花が三年生に進級することはない。なら、私が今いる、この世界ではどうなのか。

 何もかもがゲーム通りのこの世界で、ゲームに描かれていない未来は、存在するのだろうか。
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