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後日談・番外編
妻の涙 後編
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オーウェンは予定より少し早く帰ってきた。
実際に研究設備を視察するのに予定ほど日数が必要なかったというのもあるけれども、ステファニーが心配だったということもあり、あとは技術者に任せて帰ってきたのだ。
「おかえりなさいませ、オーウェン様。視察はいかがでしたか?」
夕食の席に着いたオーウェンは、アンナが出したカップに口をつけながら上目でステファニーをちらりと見た。
真正面に座ったステファニーはいつも通りに見える。特に怒っている様子も落ち込んでいる様子もない。
「ああ、勉強になったし、話を進めることになった。鉱山に中規模設備を導入して、試運転することになったんだ」
「それはどのくらいの期間がかかるのですか?」
「設備導入で半年以上はかかるだろうし、試運転はもっと先だろうな」
「まあ、それでは冬を越した後ですね。時期が被らずに良かったわ」
「何が?何かあるか?」
冬の作業は寒いから、それを心配したのかとステファニーに目をやると、彼女は真っ直ぐ自分を見つめている。
「子が、産まれますから」
「え?」
「子が、産まれます」
なんのことか意味が分からずオーウェンは周りに目をやった。
するとダンもアンナもそのほかの皆も、にやにやしてオーウェンを見ている。
オーウェンはその意味を理解した。
「……え、まさか、俺の?」
動揺して、俺、と言ってしまったが、ステファニーは特に気付いていない様子で、呆れたように自分の腹を撫でた。
「そうですよ」
「……聞いていないが」
「いま、言いました」
それからオーウェンはたっぷり十秒固まってからガタリと椅子から立ち上がったが、またへたりと座り込んだ。
「ああ…」
顔を両手で覆って呻いたオーウェンをステファニーは斜め下から覗き込む。
「え、まさか、泣いています?」
「な、泣いてない」
ステファニーは立ち上がってオーウェンの側に回ると、以前自分がされたように背中を撫でてやった。
「これから大変ですけど、よろしくお願いしますね」
「いや、こちらこそ、……って、ステファニーは座った方が良い」
ステファニーの手を取って元の席に着かせると、ようやく頭がはっきりしてきた。あまりにも動揺して頭が真っ白になっていた。
「しばらく眠たかったり、気持ちの変化が大きかったりしたのです。これからも体調に変化があるかと思いますが、すみません」
「ああ、それで…」
あの初めての涙の理由がわかった。普段とは違う精神状態だったということだろう。
「変化があって当然だ。人間を作っているのだから。新規設備の導入だって、準備をしていても予想外のことが起きるんだ。人なんて計画書や図面がないんだからもっと大変だ」
言った後で、出産と設備導入を一緒にしてしまって失言だったかもと思い、オーウェンは口を噤んだ。
しかしステファニーは気にする様子はなく、くすくすと笑った。
♢
出産が近付くとオーウェンは全ての仕事を放棄し、ステファニーに付きっきりになった。
正直なところステファニーはそれを面倒だなと思ったものの、考えすぎるオーウェンのことだ。付きっきりで安心するならそれで良いかと諦めた。周囲も、オーウェンの気持ちを汲んでそれを容認した。
月が満ちてステファニーが産んだ子どもは男児だった。
出産の際にもステファニーの側を離れようとしなかったオーウェンはさすがに周りから引き剥がされて、結局出産のための部屋の前で長時間動かず待機していた。
そして産まれた子を見て、今度こそ涙を流した。
ステファニーは疲れ果てた状態でその様子をぼんやりと眺め、素直に、良かったな、と感じた。
母も父も兄も亡くし、辛い思いをしても一生懸命生きてきたオーウェンが、泣いて我が子の誕生を喜んでいる。これ以上のことがあるだろうか。
これからも大変なことはあるだろうが、きっと今日のことをずっと忘れないだろうと思った。
子が産まれてからしばらくして、オーウェンは大勢の技術者に混ざり、鉱山近くの製錬所に新しく設置した試験設備をリベラの隣で眺めていた。
トラブルが生じるのではないかと身構えていたオーウェンだったが、とりあえず設置は無事済んだので、問題ないか確認してから試運転に入る予定だ。
「この大きさの試験機をこの目で見ることができて本当に感激です。ありがとうございます、伯爵」
「いえ、貴殿と技術者の力です。これからですよ。試験機で予定通りの結果を得て、実機に持っていかないといけませんから」
リベラは興奮した様子で頷いた。
相変わらずその頭ではふさふさの髪が風になびいている。以前と形が違うようで、こちらも新しいものを試験しているようだ。
オーウェンはリベラの頭から視線を離した。
正直、カツラの性能テストは早く終わりにして欲しい。リベラの頭を見ると、あのとき泣いたステファニーの顔が浮かんで、どうにもモヤモヤというか、心が苦しくなるのだ。
「そういえば、お子様がお産まれになったそうですね、おめでとうございます」
「ああ、ありがとうございます」
「伯爵のご子息ですから、優秀な子に育ちますよ、きっと」
「いえ、そんな」
息子はどんな人間になるだろう。
ステファニーはオーウェンのように賢い子になれと念じているようだが、オーウェンは自分が賢いとは思っていない。
いまだに鉱山には入れないし、地下のワイン蔵も怖い。それに悩み事があると寝られなくなる。
むしろオーウェンはステファニーのように朗らかな子になって欲しいと思っているのに。
ただ、自分の親族はもう祖父母しかいないし、ステファニーにも親兄弟はいないようなものだ。元気に大きくなったらそれでいい。
試運転が始まる頃には暖かくなり、息子も連れて来られるかもしれない。そうしたらどこを見せてやろう。
オーウェンは試験機を眺め、すぐ先の未来を想像した。
《 おしまい 》
実際に研究設備を視察するのに予定ほど日数が必要なかったというのもあるけれども、ステファニーが心配だったということもあり、あとは技術者に任せて帰ってきたのだ。
「おかえりなさいませ、オーウェン様。視察はいかがでしたか?」
夕食の席に着いたオーウェンは、アンナが出したカップに口をつけながら上目でステファニーをちらりと見た。
真正面に座ったステファニーはいつも通りに見える。特に怒っている様子も落ち込んでいる様子もない。
「ああ、勉強になったし、話を進めることになった。鉱山に中規模設備を導入して、試運転することになったんだ」
「それはどのくらいの期間がかかるのですか?」
「設備導入で半年以上はかかるだろうし、試運転はもっと先だろうな」
「まあ、それでは冬を越した後ですね。時期が被らずに良かったわ」
「何が?何かあるか?」
冬の作業は寒いから、それを心配したのかとステファニーに目をやると、彼女は真っ直ぐ自分を見つめている。
「子が、産まれますから」
「え?」
「子が、産まれます」
なんのことか意味が分からずオーウェンは周りに目をやった。
するとダンもアンナもそのほかの皆も、にやにやしてオーウェンを見ている。
オーウェンはその意味を理解した。
「……え、まさか、俺の?」
動揺して、俺、と言ってしまったが、ステファニーは特に気付いていない様子で、呆れたように自分の腹を撫でた。
「そうですよ」
「……聞いていないが」
「いま、言いました」
それからオーウェンはたっぷり十秒固まってからガタリと椅子から立ち上がったが、またへたりと座り込んだ。
「ああ…」
顔を両手で覆って呻いたオーウェンをステファニーは斜め下から覗き込む。
「え、まさか、泣いています?」
「な、泣いてない」
ステファニーは立ち上がってオーウェンの側に回ると、以前自分がされたように背中を撫でてやった。
「これから大変ですけど、よろしくお願いしますね」
「いや、こちらこそ、……って、ステファニーは座った方が良い」
ステファニーの手を取って元の席に着かせると、ようやく頭がはっきりしてきた。あまりにも動揺して頭が真っ白になっていた。
「しばらく眠たかったり、気持ちの変化が大きかったりしたのです。これからも体調に変化があるかと思いますが、すみません」
「ああ、それで…」
あの初めての涙の理由がわかった。普段とは違う精神状態だったということだろう。
「変化があって当然だ。人間を作っているのだから。新規設備の導入だって、準備をしていても予想外のことが起きるんだ。人なんて計画書や図面がないんだからもっと大変だ」
言った後で、出産と設備導入を一緒にしてしまって失言だったかもと思い、オーウェンは口を噤んだ。
しかしステファニーは気にする様子はなく、くすくすと笑った。
♢
出産が近付くとオーウェンは全ての仕事を放棄し、ステファニーに付きっきりになった。
正直なところステファニーはそれを面倒だなと思ったものの、考えすぎるオーウェンのことだ。付きっきりで安心するならそれで良いかと諦めた。周囲も、オーウェンの気持ちを汲んでそれを容認した。
月が満ちてステファニーが産んだ子どもは男児だった。
出産の際にもステファニーの側を離れようとしなかったオーウェンはさすがに周りから引き剥がされて、結局出産のための部屋の前で長時間動かず待機していた。
そして産まれた子を見て、今度こそ涙を流した。
ステファニーは疲れ果てた状態でその様子をぼんやりと眺め、素直に、良かったな、と感じた。
母も父も兄も亡くし、辛い思いをしても一生懸命生きてきたオーウェンが、泣いて我が子の誕生を喜んでいる。これ以上のことがあるだろうか。
これからも大変なことはあるだろうが、きっと今日のことをずっと忘れないだろうと思った。
子が産まれてからしばらくして、オーウェンは大勢の技術者に混ざり、鉱山近くの製錬所に新しく設置した試験設備をリベラの隣で眺めていた。
トラブルが生じるのではないかと身構えていたオーウェンだったが、とりあえず設置は無事済んだので、問題ないか確認してから試運転に入る予定だ。
「この大きさの試験機をこの目で見ることができて本当に感激です。ありがとうございます、伯爵」
「いえ、貴殿と技術者の力です。これからですよ。試験機で予定通りの結果を得て、実機に持っていかないといけませんから」
リベラは興奮した様子で頷いた。
相変わらずその頭ではふさふさの髪が風になびいている。以前と形が違うようで、こちらも新しいものを試験しているようだ。
オーウェンはリベラの頭から視線を離した。
正直、カツラの性能テストは早く終わりにして欲しい。リベラの頭を見ると、あのとき泣いたステファニーの顔が浮かんで、どうにもモヤモヤというか、心が苦しくなるのだ。
「そういえば、お子様がお産まれになったそうですね、おめでとうございます」
「ああ、ありがとうございます」
「伯爵のご子息ですから、優秀な子に育ちますよ、きっと」
「いえ、そんな」
息子はどんな人間になるだろう。
ステファニーはオーウェンのように賢い子になれと念じているようだが、オーウェンは自分が賢いとは思っていない。
いまだに鉱山には入れないし、地下のワイン蔵も怖い。それに悩み事があると寝られなくなる。
むしろオーウェンはステファニーのように朗らかな子になって欲しいと思っているのに。
ただ、自分の親族はもう祖父母しかいないし、ステファニーにも親兄弟はいないようなものだ。元気に大きくなったらそれでいい。
試運転が始まる頃には暖かくなり、息子も連れて来られるかもしれない。そうしたらどこを見せてやろう。
オーウェンは試験機を眺め、すぐ先の未来を想像した。
《 おしまい 》
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