寝る間が極楽、だが寝れない

Hk

文字の大きさ
上 下
23 / 24
後日談・番外編

妻の涙 後編

しおりを挟む
 オーウェンは予定より少し早く帰ってきた。
 実際に研究設備を視察するのに予定ほど日数が必要なかったというのもあるけれども、ステファニーが心配だったということもあり、あとは技術者に任せて帰ってきたのだ。

「おかえりなさいませ、オーウェン様。視察はいかがでしたか?」

 夕食の席に着いたオーウェンは、アンナが出したカップに口をつけながら上目でステファニーをちらりと見た。
 真正面に座ったステファニーはいつも通りに見える。特に怒っている様子も落ち込んでいる様子もない。

「ああ、勉強になったし、話を進めることになった。鉱山に中規模設備を導入して、試運転することになったんだ」
「それはどのくらいの期間がかかるのですか?」
「設備導入で半年以上はかかるだろうし、試運転はもっと先だろうな」
「まあ、それでは冬を越した後ですね。時期が被らずに良かったわ」
「何が?何かあるか?」

 冬の作業は寒いから、それを心配したのかとステファニーに目をやると、彼女は真っ直ぐ自分を見つめている。

「子が、産まれますから」
「え?」
「子が、産まれます」

 なんのことか意味が分からずオーウェンは周りに目をやった。
 するとダンもアンナもそのほかの皆も、にやにやしてオーウェンを見ている。
 オーウェンはその意味を理解した。

「……え、まさか、俺の?」

 動揺して、俺、と言ってしまったが、ステファニーは特に気付いていない様子で、呆れたように自分の腹を撫でた。

「そうですよ」
「……聞いていないが」
「いま、言いました」

 それからオーウェンはたっぷり十秒固まってからガタリと椅子から立ち上がったが、またへたりと座り込んだ。

「ああ…」

 顔を両手で覆って呻いたオーウェンをステファニーは斜め下から覗き込む。

「え、まさか、泣いています?」
「な、泣いてない」

 ステファニーは立ち上がってオーウェンの側に回ると、以前自分がされたように背中を撫でてやった。

「これから大変ですけど、よろしくお願いしますね」
「いや、こちらこそ、……って、ステファニーは座った方が良い」

 ステファニーの手を取って元の席に着かせると、ようやく頭がはっきりしてきた。あまりにも動揺して頭が真っ白になっていた。

「しばらく眠たかったり、気持ちの変化が大きかったりしたのです。これからも体調に変化があるかと思いますが、すみません」
「ああ、それで…」

 あの初めての涙の理由がわかった。普段とは違う精神状態だったということだろう。

「変化があって当然だ。人間を作っているのだから。新規設備の導入だって、準備をしていても予想外のことが起きるんだ。人なんて計画書や図面がないんだからもっと大変だ」

 言った後で、出産と設備導入を一緒にしてしまって失言だったかもと思い、オーウェンは口を噤んだ。
 しかしステファニーは気にする様子はなく、くすくすと笑った。

 ♢

 出産が近付くとオーウェンは全ての仕事を放棄し、ステファニーに付きっきりになった。
 正直なところステファニーはそれを面倒だなと思ったものの、考えすぎるオーウェンのことだ。付きっきりで安心するならそれで良いかと諦めた。周囲も、オーウェンの気持ちを汲んでそれを容認した。


 月が満ちてステファニーが産んだ子どもは男児だった。
 出産の際にもステファニーの側を離れようとしなかったオーウェンはさすがに周りから引き剥がされて、結局出産のための部屋の前で長時間動かず待機していた。
 そして産まれた子を見て、今度こそ涙を流した。

 ステファニーは疲れ果てた状態でその様子をぼんやりと眺め、素直に、良かったな、と感じた。
 母も父も兄も亡くし、辛い思いをしても一生懸命生きてきたオーウェンが、泣いて我が子の誕生を喜んでいる。これ以上のことがあるだろうか。
 これからも大変なことはあるだろうが、きっと今日のことをずっと忘れないだろうと思った。


 子が産まれてからしばらくして、オーウェンは大勢の技術者に混ざり、鉱山近くの製錬所に新しく設置した試験設備をリベラの隣で眺めていた。
 トラブルが生じるのではないかと身構えていたオーウェンだったが、とりあえず設置は無事済んだので、問題ないか確認してから試運転に入る予定だ。

「この大きさの試験機をこの目で見ることができて本当に感激です。ありがとうございます、伯爵」
「いえ、貴殿と技術者の力です。これからですよ。試験機で予定通りの結果を得て、実機に持っていかないといけませんから」

 リベラは興奮した様子で頷いた。
 相変わらずその頭ではふさふさの髪が風になびいている。以前と形が違うようで、こちらも新しいものを試験しているようだ。

 オーウェンはリベラの頭から視線を離した。
 正直、カツラの性能テストは早く終わりにして欲しい。リベラの頭を見ると、あのとき泣いたステファニーの顔が浮かんで、どうにもモヤモヤというか、心が苦しくなるのだ。

「そういえば、お子様がお産まれになったそうですね、おめでとうございます」
「ああ、ありがとうございます」
「伯爵のご子息ですから、優秀な子に育ちますよ、きっと」
「いえ、そんな」

 息子はどんな人間になるだろう。

 ステファニーはオーウェンのように賢い子になれと念じているようだが、オーウェンは自分が賢いとは思っていない。
 いまだに鉱山には入れないし、地下のワイン蔵も怖い。それに悩み事があると寝られなくなる。

 むしろオーウェンはステファニーのように朗らかな子になって欲しいと思っているのに。
 ただ、自分の親族はもう祖父母しかいないし、ステファニーにも親兄弟はいないようなものだ。元気に大きくなったらそれでいい。

 試運転が始まる頃には暖かくなり、息子も連れて来られるかもしれない。そうしたらどこを見せてやろう。
 オーウェンは試験機を眺め、すぐ先の未来を想像した。

 《 おしまい 》
しおりを挟む
感想 11

あなたにおすすめの小説

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

【完結】婚約者が好きなのです

maruko
恋愛
リリーベルの婚約者は誰にでも優しいオーラン・ドートル侯爵令息様。 でもそんな優しい婚約者がたった一人に対してだけ何故か冷たい。 冷たくされてるのはアリー・メーキリー侯爵令嬢。 彼の幼馴染だ。 そんなある日。偶然アリー様がこらえきれない涙を流すのを見てしまった。見つめる先には婚約者の姿。 私はどうすればいいのだろうか。 全34話(番外編含む) ※他サイトにも投稿しております ※1話〜4話までは文字数多めです 注)感想欄は全話読んでから閲覧ください(汗)

踏み台令嬢はへこたれない

三屋城衣智子
恋愛
「婚約破棄してくれ!」  公爵令嬢のメルティアーラは婚約者からの何度目かの申し出を受けていたーー。  春、学院に入学しいつしかついたあだ名は踏み台令嬢。……幸せを運んでいますのに、その名付けはあんまりでは……。  そう思いつつも学院生活を満喫していたら、噂を聞きつけた第三王子がチラチラこっちを見ている。しかもうっかり婚約者になってしまったわ……?!?  これは無自覚に他人の踏み台になって引っ張り上げる主人公が、たまにしょげては踏ん張りながらやっぱり周りを幸せにしたりやっと自分も幸せになったりするかもしれない物語。 「わたくし、甘い砂を吐くのには慣れておりますの」  ーー踏み台令嬢は今日も誰かを幸せにする。  なろうでも投稿しています。

月の後宮~孤高の皇帝の寵姫~

真木
恋愛
新皇帝セルヴィウスが即位の日に閨に引きずり込んだのは、まだ十三歳の皇妹セシルだった。大好きだった兄皇帝の突然の行為に混乱し、心を閉ざすセシル。それから十年後、セシルの心が見えないまま、セルヴィウスはある決断をすることになるのだが……。

【完結】婚約破棄される前に私は毒を呷って死にます!当然でしょう?私は王太子妃になるはずだったんですから。どの道、只ではすみません。

つくも茄子
恋愛
フリッツ王太子の婚約者が毒を呷った。 彼女は筆頭公爵家のアレクサンドラ・ウジェーヌ・ヘッセン。 なぜ、彼女は毒を自ら飲み干したのか? それは婚約者のフリッツ王太子からの婚約破棄が原因であった。 恋人の男爵令嬢を正妃にするためにアレクサンドラを罠に嵌めようとしたのだ。 その中の一人は、アレクサンドラの実弟もいた。 更に宰相の息子と近衛騎士団長の嫡男も、王太子と男爵令嬢の味方であった。 婚約者として王家の全てを知るアレクサンドラは、このまま婚約破棄が成立されればどうなるのかを知っていた。そして自分がどういう立場なのかも痛いほど理解していたのだ。 生死の境から生還したアレクサンドラが目を覚ました時には、全てが様変わりしていた。国の将来のため、必要な処置であった。 婚約破棄を宣言した王太子達のその後は、彼らが思い描いていたバラ色の人生ではなかった。 後悔、悲しみ、憎悪、果てしない負の連鎖の果てに、彼らが手にしたものとは。 「小説家になろう」「カクヨム」「ノベルバ」にも投稿しています。

【完結】ぽっちゃりなヒロインは爽やかなイケメンにひとめぼれされ溺愛される

まゆら
恋愛
食べる事と寝る事が大好きな社会人1年生の杉野ほたること、ほーちゃんが恋や仕事、ダイエットを通じて少しずつ成長していくお話。 恋愛ビギナーなほーちゃんにほっこりしたり、 ほーちゃんの姉あゆちゃんの中々進まない恋愛にじんわりしたり、 ふわもこで可愛いワンコのミルクにキュンしたり… 杉野家のみんなは今日もまったりしております。 素敵な表紙は、コニタンさんの作品です!

安らかにお眠りください

くびのほきょう
恋愛
父母兄を馬車の事故で亡くし6歳で天涯孤独になった侯爵令嬢と、その婚約者で、母を愛しているために側室を娶らない自分の父に憧れて自分も父王のように誠実に生きたいと思っていた王子の話。 ※突然残酷な描写が入ります。 ※視点がコロコロ変わり分かりづらい構成です。 ※小説家になろう様へも投稿しています。

骸骨と呼ばれ、生贄になった王妃のカタの付け方

ウサギテイマーTK
恋愛
骸骨娘と揶揄され、家で酷い扱いを受けていたマリーヌは、国王の正妃として嫁いだ。だが結婚後、国王に愛されることなく、ここでも幽閉に近い扱いを受ける。側妃はマリーヌの義姉で、公式行事も側妃が請け負っている。マリーヌに与えられた最後の役割は、海の神への生贄だった。 注意:地震や津波の描写があります。ご注意を。やや残酷な描写もあります。

処理中です...