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本編
16話
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応接室を出て院長に事情を説明すると、院長はにこにこしてステファニーを迎えた。
「…出戻ってきたつもりなんですが、また出て行こうと思います。ご迷惑をおかけしてすみません」
「いいのよ。幸せになれるのが一番だわ」
手紙のやり取りで、ステファニーが楽しく暮らしていることは伝わっていた。今回、出戻ってきた事情はオーウェンが説明していたようだ。
せっかくなので、と一晩だけ修道院に泊まり、皆と明け方近くまでおしゃべりした。新しく修道院に入った修道女や保護された女性もいれば、出て行った女性もいる。
もうきっとここに戻ってくることはないが、ステファニーが育った大切な場所だ。
次の日の朝、近くの宿に宿泊していたオーウェンが迎えに来た。
「準備できたぞ」
数ヶ月前に修道院を出て行った時とは違い、今日は修道院の皆が揃って笑顔で見送りをしてくれる。
子どもたちが物珍しそうに特注馬車を囲んでいた。
「皆、ありがとう。また遊びに来るわ」
「ステファニー、元気でね」
「バイバーイ!」
馬車が走り出し、皆が見えなくなるまでステファニーは手を振り続けた。
「…この馬車でいらしてたんですね」
ステファニーは特注馬車の滑らかな手すりを撫でた。涼しい風が髪をなびかせて気持ちが良い。
「さすがに長距離は普通の馬車だとしんどくなりそうな気がして」
オーウェンは外を眺めて深呼吸している。伯爵領に比べると人通りが多く、街ゆく人たちが特注馬車を珍しげに眺めていた。
「それにしてもステファニーの同僚たちは皆、明るくて元気だな。昨日訪ねた時、ステファニーとの馴れ初めから何もかも話せと詰め寄られて、その後は最近の世の中の情報について質問攻めにされた」
「あははは、そうです。私も含めて、世俗にまみれた修道女たちなんです」
オーウェンが質問攻めにされる様子が目に浮かんだ。皆そうやって、たまの来客から世間の情報を得て楽しんでいるのだ。
オーウェンがステファニーの夫だと知って、遠慮しなかっただろう。
「なんか修道院っていうより、女学校みたいだった」
女学校、と評されてなんだか嬉しくなり、ステファニーはオーウェンを見つめた。
そうだ。自分が育ったあそこは監獄なんかじゃない。オーウェンはそれをちゃんと分かってくれた。
「あっ!」
ステファニーはふいに思い出して声を上げた。
「なんだ」
「アンナからお土産頼まれていたの忘れていました」
「なんだ。適当に菓子でも買って帰ればいいよ」
二人は4日かけて伯爵領までのんびり帰った。
♦︎
それからしばらくして、ステファニーはまた鶏小屋の前でしゃがみ込み、悩んでいた。
餌を変えたら卵の味が変わるという実験は、とりあえずまずは飼っている鶏の餌を変えてみて、農家の鶏の卵と味を比較してみることにした。
しかし餌が変わったことで鶏の食欲が明らかに増したのだ。そうすると餌の違い云々だけではなく、それに由来した栄養状況の違いで卵の味が変わってきそうだ。餌の違いで卵の味が変わるというのは、結局そういうことなのかもしれない。
まあ試しだし、このまま卵を比較してみるか、とステファニーが考えていると、屋敷から休憩に庭に出て来たオーウェンが目に入った。
結局、褒賞のやり直しは丁重に辞退することにした。領地の拡大もなし、ステファニーもそのままだ。断ったところで新国王からの返事は、ああそれでいいの、といった軽いものだった。そのため、オーウェンはこれまでと変わらず同じ仕事をしている。
騎士のスコットがその後どうなったのかは知らない。
庭をぶらぶらしていたオーウェンはステファニーに気付くと、寄ってきて隣にしゃがみ込んだ。距離が近い。
前と同じ、オーウェンから不埒な空気を察したステファニーはあらかじめ牽制した。
「…しませんよ」
「なんで」
修道院から戻って来てから、オーウェンはステファニーと二人きりになると小さなちょっかいを出してくることが増えたのだ。
「また鶏小屋の前ですか。なぜですか」
「だって、なかなか二人きりになれないから」
「夜寝る前、二人でしょう」
「……そうだが…」
オーウェンはうーん、うーんと唸り出して動かなくなったので、ステファニーは話を変えた。
「初めて会った夜に、『多少寝なくても死なない』と言ったの覚えてますか?」
「ああ…、よく覚えている」
「あれは嘘です」
「えっ」
ステファニーは少し罪悪感を抱えていたことを白状した。
「実際、死ぬまではいかないみたいですけど、やっぱり健康上は良くないですよね。あの時、久々に外の人に会ったのでおしゃべりしたくてたまらなくて。ごめんなさい」
でもそういえば、修道院に迎えに来たスコットとは全く会話をしなかったなと思い出した。
「いや、いいよ。あれで眠れるようになったんだし」
夫がオーウェンで良かった。そういう意味では父王に感謝すべきだろうか。
ステファニーは父王や王妃への呪いの言葉をほんの少しだけ反省した。でも後悔はしていない。ステファニーは敬虔な元修道女だからだ。
数日後、昼食の席でステファニーはオーウェンの前に二枚の皿を並べた。どちらにも目玉焼きが一つずつ乗っており、見た目はほとんど変わらない。
オーウェンはそれを見比べた後、よく味わうように交互にゆっくり食べた。
その様子をステファニーを始め、ダンやアンナ、料理人らも、じっと見つめている。
「……正直に言ってもいいか」
食べ終わったオーウェンを皆が神妙に見つめ、ステファニーがどうぞ、と先を促した。
「全然違いが分からない」
渋い顔をしたオーウェンに、その場にいた皆が笑い声を上げた。
《 おしまい 》
「…出戻ってきたつもりなんですが、また出て行こうと思います。ご迷惑をおかけしてすみません」
「いいのよ。幸せになれるのが一番だわ」
手紙のやり取りで、ステファニーが楽しく暮らしていることは伝わっていた。今回、出戻ってきた事情はオーウェンが説明していたようだ。
せっかくなので、と一晩だけ修道院に泊まり、皆と明け方近くまでおしゃべりした。新しく修道院に入った修道女や保護された女性もいれば、出て行った女性もいる。
もうきっとここに戻ってくることはないが、ステファニーが育った大切な場所だ。
次の日の朝、近くの宿に宿泊していたオーウェンが迎えに来た。
「準備できたぞ」
数ヶ月前に修道院を出て行った時とは違い、今日は修道院の皆が揃って笑顔で見送りをしてくれる。
子どもたちが物珍しそうに特注馬車を囲んでいた。
「皆、ありがとう。また遊びに来るわ」
「ステファニー、元気でね」
「バイバーイ!」
馬車が走り出し、皆が見えなくなるまでステファニーは手を振り続けた。
「…この馬車でいらしてたんですね」
ステファニーは特注馬車の滑らかな手すりを撫でた。涼しい風が髪をなびかせて気持ちが良い。
「さすがに長距離は普通の馬車だとしんどくなりそうな気がして」
オーウェンは外を眺めて深呼吸している。伯爵領に比べると人通りが多く、街ゆく人たちが特注馬車を珍しげに眺めていた。
「それにしてもステファニーの同僚たちは皆、明るくて元気だな。昨日訪ねた時、ステファニーとの馴れ初めから何もかも話せと詰め寄られて、その後は最近の世の中の情報について質問攻めにされた」
「あははは、そうです。私も含めて、世俗にまみれた修道女たちなんです」
オーウェンが質問攻めにされる様子が目に浮かんだ。皆そうやって、たまの来客から世間の情報を得て楽しんでいるのだ。
オーウェンがステファニーの夫だと知って、遠慮しなかっただろう。
「なんか修道院っていうより、女学校みたいだった」
女学校、と評されてなんだか嬉しくなり、ステファニーはオーウェンを見つめた。
そうだ。自分が育ったあそこは監獄なんかじゃない。オーウェンはそれをちゃんと分かってくれた。
「あっ!」
ステファニーはふいに思い出して声を上げた。
「なんだ」
「アンナからお土産頼まれていたの忘れていました」
「なんだ。適当に菓子でも買って帰ればいいよ」
二人は4日かけて伯爵領までのんびり帰った。
♦︎
それからしばらくして、ステファニーはまた鶏小屋の前でしゃがみ込み、悩んでいた。
餌を変えたら卵の味が変わるという実験は、とりあえずまずは飼っている鶏の餌を変えてみて、農家の鶏の卵と味を比較してみることにした。
しかし餌が変わったことで鶏の食欲が明らかに増したのだ。そうすると餌の違い云々だけではなく、それに由来した栄養状況の違いで卵の味が変わってきそうだ。餌の違いで卵の味が変わるというのは、結局そういうことなのかもしれない。
まあ試しだし、このまま卵を比較してみるか、とステファニーが考えていると、屋敷から休憩に庭に出て来たオーウェンが目に入った。
結局、褒賞のやり直しは丁重に辞退することにした。領地の拡大もなし、ステファニーもそのままだ。断ったところで新国王からの返事は、ああそれでいいの、といった軽いものだった。そのため、オーウェンはこれまでと変わらず同じ仕事をしている。
騎士のスコットがその後どうなったのかは知らない。
庭をぶらぶらしていたオーウェンはステファニーに気付くと、寄ってきて隣にしゃがみ込んだ。距離が近い。
前と同じ、オーウェンから不埒な空気を察したステファニーはあらかじめ牽制した。
「…しませんよ」
「なんで」
修道院から戻って来てから、オーウェンはステファニーと二人きりになると小さなちょっかいを出してくることが増えたのだ。
「また鶏小屋の前ですか。なぜですか」
「だって、なかなか二人きりになれないから」
「夜寝る前、二人でしょう」
「……そうだが…」
オーウェンはうーん、うーんと唸り出して動かなくなったので、ステファニーは話を変えた。
「初めて会った夜に、『多少寝なくても死なない』と言ったの覚えてますか?」
「ああ…、よく覚えている」
「あれは嘘です」
「えっ」
ステファニーは少し罪悪感を抱えていたことを白状した。
「実際、死ぬまではいかないみたいですけど、やっぱり健康上は良くないですよね。あの時、久々に外の人に会ったのでおしゃべりしたくてたまらなくて。ごめんなさい」
でもそういえば、修道院に迎えに来たスコットとは全く会話をしなかったなと思い出した。
「いや、いいよ。あれで眠れるようになったんだし」
夫がオーウェンで良かった。そういう意味では父王に感謝すべきだろうか。
ステファニーは父王や王妃への呪いの言葉をほんの少しだけ反省した。でも後悔はしていない。ステファニーは敬虔な元修道女だからだ。
数日後、昼食の席でステファニーはオーウェンの前に二枚の皿を並べた。どちらにも目玉焼きが一つずつ乗っており、見た目はほとんど変わらない。
オーウェンはそれを見比べた後、よく味わうように交互にゆっくり食べた。
その様子をステファニーを始め、ダンやアンナ、料理人らも、じっと見つめている。
「……正直に言ってもいいか」
食べ終わったオーウェンを皆が神妙に見つめ、ステファニーがどうぞ、と先を促した。
「全然違いが分からない」
渋い顔をしたオーウェンに、その場にいた皆が笑い声を上げた。
《 おしまい 》
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