寝る間が極楽、だが寝れない

Hk

文字の大きさ
上 下
16 / 24
本編

16話

しおりを挟む
 応接室を出て院長に事情を説明すると、院長はにこにこしてステファニーを迎えた。

「…出戻ってきたつもりなんですが、また出て行こうと思います。ご迷惑をおかけしてすみません」
「いいのよ。幸せになれるのが一番だわ」

 手紙のやり取りで、ステファニーが楽しく暮らしていることは伝わっていた。今回、出戻ってきた事情はオーウェンが説明していたようだ。

 せっかくなので、と一晩だけ修道院に泊まり、皆と明け方近くまでおしゃべりした。新しく修道院に入った修道女や保護された女性もいれば、出て行った女性もいる。
 もうきっとここに戻ってくることはないが、ステファニーが育った大切な場所だ。


 次の日の朝、近くの宿に宿泊していたオーウェンが迎えに来た。

「準備できたぞ」

 数ヶ月前に修道院を出て行った時とは違い、今日は修道院の皆が揃って笑顔で見送りをしてくれる。
 子どもたちが物珍しそうに特注馬車を囲んでいた。

「皆、ありがとう。また遊びに来るわ」
「ステファニー、元気でね」
「バイバーイ!」

 馬車が走り出し、皆が見えなくなるまでステファニーは手を振り続けた。


「…この馬車でいらしてたんですね」

 ステファニーは特注馬車の滑らかな手すりを撫でた。涼しい風が髪をなびかせて気持ちが良い。

「さすがに長距離は普通の馬車だとしんどくなりそうな気がして」

 オーウェンは外を眺めて深呼吸している。伯爵領に比べると人通りが多く、街ゆく人たちが特注馬車を珍しげに眺めていた。

「それにしてもステファニーの同僚たちは皆、明るくて元気だな。昨日訪ねた時、ステファニーとの馴れ初めから何もかも話せと詰め寄られて、その後は最近の世の中の情報について質問攻めにされた」
「あははは、そうです。私も含めて、世俗にまみれた修道女たちなんです」

 オーウェンが質問攻めにされる様子が目に浮かんだ。皆そうやって、たまの来客から世間の情報を得て楽しんでいるのだ。
 オーウェンがステファニーの夫だと知って、遠慮しなかっただろう。

「なんか修道院っていうより、女学校みたいだった」

 女学校、と評されてなんだか嬉しくなり、ステファニーはオーウェンを見つめた。
 そうだ。自分が育ったあそこは監獄なんかじゃない。オーウェンはそれをちゃんと分かってくれた。

「あっ!」

 ステファニーはふいに思い出して声を上げた。

「なんだ」
「アンナからお土産頼まれていたの忘れていました」
「なんだ。適当に菓子でも買って帰ればいいよ」

 二人は4日かけて伯爵領までのんびり帰った。

 ♦︎

 それからしばらくして、ステファニーはまた鶏小屋の前でしゃがみ込み、悩んでいた。

 餌を変えたら卵の味が変わるという実験は、とりあえずまずは飼っている鶏の餌を変えてみて、農家の鶏の卵と味を比較してみることにした。
 しかし餌が変わったことで鶏の食欲が明らかに増したのだ。そうすると餌の違い云々だけではなく、それに由来した栄養状況の違いで卵の味が変わってきそうだ。餌の違いで卵の味が変わるというのは、結局そういうことなのかもしれない。
 まあ試しだし、このまま卵を比較してみるか、とステファニーが考えていると、屋敷から休憩に庭に出て来たオーウェンが目に入った。

 結局、褒賞のやり直しは丁重に辞退することにした。領地の拡大もなし、ステファニーもそのままだ。断ったところで新国王からの返事は、ああそれでいいの、といった軽いものだった。そのため、オーウェンはこれまでと変わらず同じ仕事をしている。
 騎士のスコットがその後どうなったのかは知らない。

 庭をぶらぶらしていたオーウェンはステファニーに気付くと、寄ってきて隣にしゃがみ込んだ。距離が近い。
 前と同じ、オーウェンから不埒な空気を察したステファニーはあらかじめ牽制した。

「…しませんよ」
「なんで」

 修道院から戻って来てから、オーウェンはステファニーと二人きりになると小さなちょっかいを出してくることが増えたのだ。

「また鶏小屋の前ですか。なぜですか」
「だって、なかなか二人きりになれないから」
「夜寝る前、二人でしょう」
「……そうだが…」

 オーウェンはうーん、うーんと唸り出して動かなくなったので、ステファニーは話を変えた。

「初めて会った夜に、『多少寝なくても死なない』と言ったの覚えてますか?」
「ああ…、よく覚えている」
「あれは嘘です」
「えっ」

 ステファニーは少し罪悪感を抱えていたことを白状した。

「実際、死ぬまではいかないみたいですけど、やっぱり健康上は良くないですよね。あの時、久々に外の人に会ったのでおしゃべりしたくてたまらなくて。ごめんなさい」

 でもそういえば、修道院に迎えに来たスコットとは全く会話をしなかったなと思い出した。

「いや、いいよ。あれで眠れるようになったんだし」

 夫がオーウェンで良かった。そういう意味では父王に感謝すべきだろうか。
 ステファニーは父王や王妃への呪いの言葉をほんの少しだけ反省した。でも後悔はしていない。ステファニーは敬虔な元修道女だからだ。



 数日後、昼食の席でステファニーはオーウェンの前に二枚の皿を並べた。どちらにも目玉焼きが一つずつ乗っており、見た目はほとんど変わらない。

 オーウェンはそれを見比べた後、よく味わうように交互にゆっくり食べた。
 その様子をステファニーを始め、ダンやアンナ、料理人らも、じっと見つめている。

「……正直に言ってもいいか」

 食べ終わったオーウェンを皆が神妙に見つめ、ステファニーがどうぞ、と先を促した。


「全然違いが分からない」

 渋い顔をしたオーウェンに、その場にいた皆が笑い声を上げた。

 《 おしまい 》
しおりを挟む
感想 11

あなたにおすすめの小説

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

【完結】婚約者が好きなのです

maruko
恋愛
リリーベルの婚約者は誰にでも優しいオーラン・ドートル侯爵令息様。 でもそんな優しい婚約者がたった一人に対してだけ何故か冷たい。 冷たくされてるのはアリー・メーキリー侯爵令嬢。 彼の幼馴染だ。 そんなある日。偶然アリー様がこらえきれない涙を流すのを見てしまった。見つめる先には婚約者の姿。 私はどうすればいいのだろうか。 全34話(番外編含む) ※他サイトにも投稿しております ※1話〜4話までは文字数多めです 注)感想欄は全話読んでから閲覧ください(汗)

王妃の仕事なんて知りません、今から逃げます!

gacchi
恋愛
側妃を迎えるって、え?聞いてないよ? 王妃の仕事が大変でも頑張ってたのは、レオルドが好きだから。 国への責任感?そんなの無いよ。もういい。私、逃げるから! 12/16加筆修正したものをカクヨムに投稿しました。

踏み台令嬢はへこたれない

三屋城衣智子
恋愛
「婚約破棄してくれ!」  公爵令嬢のメルティアーラは婚約者からの何度目かの申し出を受けていたーー。  春、学院に入学しいつしかついたあだ名は踏み台令嬢。……幸せを運んでいますのに、その名付けはあんまりでは……。  そう思いつつも学院生活を満喫していたら、噂を聞きつけた第三王子がチラチラこっちを見ている。しかもうっかり婚約者になってしまったわ……?!?  これは無自覚に他人の踏み台になって引っ張り上げる主人公が、たまにしょげては踏ん張りながらやっぱり周りを幸せにしたりやっと自分も幸せになったりするかもしれない物語。 「わたくし、甘い砂を吐くのには慣れておりますの」  ーー踏み台令嬢は今日も誰かを幸せにする。  なろうでも投稿しています。

月の後宮~孤高の皇帝の寵姫~

真木
恋愛
新皇帝セルヴィウスが即位の日に閨に引きずり込んだのは、まだ十三歳の皇妹セシルだった。大好きだった兄皇帝の突然の行為に混乱し、心を閉ざすセシル。それから十年後、セシルの心が見えないまま、セルヴィウスはある決断をすることになるのだが……。

【完結】ぽっちゃりなヒロインは爽やかなイケメンにひとめぼれされ溺愛される

まゆら
恋愛
食べる事と寝る事が大好きな社会人1年生の杉野ほたること、ほーちゃんが恋や仕事、ダイエットを通じて少しずつ成長していくお話。 恋愛ビギナーなほーちゃんにほっこりしたり、 ほーちゃんの姉あゆちゃんの中々進まない恋愛にじんわりしたり、 ふわもこで可愛いワンコのミルクにキュンしたり… 杉野家のみんなは今日もまったりしております。 素敵な表紙は、コニタンさんの作品です!

閉じたまぶたの裏側で

櫻井音衣
恋愛
河合 芙佳(かわい ふうか・28歳)は 元恋人で上司の 橋本 勲(はしもと いさお・31歳)と 不毛な関係を3年も続けている。 元はと言えば、 芙佳が出向している半年の間に 勲が専務の娘の七海(ななみ・27歳)と 結婚していたのが発端だった。 高校時代の同級生で仲の良い同期の 山岸 應汰(やまぎし おうた・28歳)が、 そんな芙佳の恋愛事情を知った途端に 男友達のふりはやめると詰め寄って…。 どんなに好きでも先のない不毛な関係と、 自分だけを愛してくれる男友達との 同じ未来を望める関係。 芙佳はどちらを選ぶのか? “私にだって 幸せを求める権利くらいはあるはずだ”

愛など初めからありませんが。

ましろ
恋愛
お金で売られるように嫁がされた。 お相手はバツイチ子持ちの伯爵32歳。 「君は子供の面倒だけ見てくれればいい」 「要するに貴方様は幸せ家族の演技をしろと仰るのですよね?ですが、子供達にその様な演技力はありますでしょうか?」 「……何を言っている?」 仕事一筋の鈍感不器用夫に嫁いだミッシェルの未来はいかに? ✻基本ゆるふわ設定。箸休め程度に楽しんでいただけると幸いです。

処理中です...